あと四十三本... 「熱い」
影山敏之がその駐車場にやってきたのは、ただ車を停めるという目的のためではなかった。
霧歩市の中央区。
ビルやデパートの立ち並ぶ繁華街の中心ともなれば、たいていの人間は地下駐車場を利用するか、車道の脇に路上駐車するかのどちらかだ。しかし、その駐車場だけはそんなビルの立ち並ぶ中にぽっかりと穴を開けていた。周囲を九階、十階、当たり前と言いたげなビル群に囲まれ、やや薄暗い影が落ちているそこは、かつてビジネスホテルがあった場所だった。
なんでもそのビジネスホテルが火事を出し、何階建てかの建物をそっくりそのまま壊すはめになったあと、気が付いたときには時間貸駐車場になっていた。
といってもよくある立体駐車場などではないため、そこだけ歯抜けしたようになっている。どうも全国展開している時間貸駐車場の会社に土地ごと売り払ったらしく、今では見慣れた黄色い看板が場違いに立っている。
今まで見えなかった後ろのビルの非常階段が見えていたりして、中々に壮観だ。
元のビジネスホテルにできなかったのは、単純に金がなかったとかそんなところだろうとみな思っていた。
しかしくだんのビジネスホテルには更に、不可解な噂があった。
なんでも、幽霊の出る部屋があったというのだ。影山の調べたところによると405号室に幽霊の噂があったらしく、よく心霊マニアや怖い物知らずの客が泊まっていたそうである。
もちろん不可解な噂というのはそれだけではない。
その幽霊が出るというホテルだが、ホテルが建つ前にも別の建物があり、なんとそこも火事で無くなっているらしいのだ。そして、ホテルに出るという幽霊は、その火事で逃げ遅れて亡くなった人たちの霊……ということらしい。
そうなってくると、ここが駐車場となったのは土地の広さ云々や金がなかったという以外の理由もありそうだ。
それと、もうひとつ。
「野中省吾……」
影山の知人の名だった。
深く知っていたわけではない。共通の知人の紹介で、二、三回会った程度といったくらいだ。だが面白いことに――少なくとも影山にとっては、だが――その野中が、くだんのビジネスホテルの405号室に泊まっていたまさにそのとき、火事が起きた。野中は逃げ遅れたのか、ホテルと運命をともにした。
まさに運命の悪戯というべきか、これを運命といわずしてなんというのだろう。
一も二もなく、影山は仕事道具を詰め込むと、おんぼろ車を駆ってくだんの駐車場へと急いだ。時刻は夜10時。
影山は夜なお暗いその駐車場に車を停めると、外へは出ずにエンジンをかけたまま買いこんだ酒とつまみに手をつけた。駐車場には他にも泊まってはいたが、あまり流行っているとは言いがたかった。
怪談はたいていがこうだ――幽霊の出るという部屋に泊まった人間は、夜中、2時ごろにふと目を覚ます。ドンドンと扉が叩かれる音が響き、外を見てみるが誰もいない。悪戯かと思ってもう一度寝ようとすると、また音がする。
幽霊の正体が、火事から逃げようと必死に扉を叩いていたのだということが判明するも、ぞっとする。なぜなら部屋から逃げようとしていたのなら、幽霊は自分の部屋の中にいたのだから、と、そういったひとひねりある内容だった。
怪談によると、幽霊が現れるのは夜中の2時くらいだというから、まだそこそこの時間がある。影山はスルメを噛んだあと、ビールをごくりとあおった。
11時頃になると、一旦時計を確認した後、用を足しに近くのコンビニへと足を運んだ。さすがにトイレだけ借りるのは気まずく、愛想の悪い店員に面倒くさそうな顔をされながらガムだけ買って帰った。車に戻って手を伸ばしかけたとき、ふと周囲を見つめる。
少し道路の方を見れば、いまだ輝くネオンの灯りの合間を車が行き交い、酔っぱらった人々がまばらに歩いているというのに。見えない壁に阻まれたかのように、その景色が妙に遠く感じられた。まるでこの駐車場だけが隔絶された空間であるように思える。
夜中だから、霊現象など待ち望んでいるからこそそんなことも思うのだろうか……。
影山は自分の考えを振り払うように、車の中に戻った。一度切ったエンジンを再びつけると、ガムを噛む気にもなれずに、ひたすら待った。
ふと気が付くと、妙な暑さで目を覚ました。
いったいどれほどの時間が経ったのか。そういえばラジオを聞くのにも飽きてきたころ、仮眠のつもりで目を閉じたのは覚えている。
今夜は熱帯夜だったか、妙に熱い。じわじわと焼き殺されるかのようだ。辺りは暗く、先ほどまでと変わらぬ光景が広がっている。ぱたぱたと自分の手で仰いでみるが、やはり熱さはなくならなかった。クーラーが壊れたんだろうか。
ふと車の時計を確認すると、ちょうど2時だった。
よりにもよってこんな時間か、と笑ってしまう。
と、その時急にドンという音がした。
「なんだ」
思わず口に出る。
ドンドン、ドン、ドンドン!
音は段々と激しくなってくる。
音の出所を探ると、どうやら誰かがこの車のドアを叩いているらしかった。寝起きのぼんやりした意識が覚醒してくると、我知らず舌打ちがもれる。
半分開きかけた瞳で窓を見ると、何者かが窓を叩いているのが見えた。
――くそっ、いったい誰だ。
怪談じゃあ中から叩いていたっていうのに、今は外から叩かれているじゃないか。熱はどんどんと高くなっていくようだった。辺りを見回すと、何人もの人間が車の窓を叩いているようだった。
急に背筋に冷たいものが落ちる。
だが、その間にも、熱は増しているようだった。汗が顔を伝っていく。
――熱い……!!
思考が麻痺しそうになる。
これが霊現象というものなのか? 外から叩いているものの中に野中の幽霊はいるだろうかと、カメラを探そうとしたときだった。
ガシャン! と後ろから音がしたかと思うと、ぬっと手が伸びてきて影山のすぐ隣にあるドアのなにがしかを操作した。
「何だ……!?」
影山はその手を振り払おうとしたが、鍵が開けられ、ついにドアが開けられた。口を開こうとしたその瞬間に腕を掴まれ、そのまま転がるように外に放り出された。
僅かな混乱が恐怖に打ち勝ち、子供のように怯えることだけは避けられたが、何が起こったのかを理解するのは困難だった。妙に辺りが明るい。いったいなにをされるのかと思ったが、辺りはざわざわと人だかりができていて、かわりに自分がさっきまで乗っていた車のボンネットが炎上しているのが見えた。後部座席の窓は割れている。誰かが無理やり窓を破壊したようだ。
車の周囲では、店の人間と思われる人々がなにごとか言ったり消火器を向けていた。
「大丈夫ですか!?」
それでも誰かにかけられた声の意味がわかるのに、しばらくかかった。ウーウーと唸る消防車の音が遠くに聞こえた。
ようやく騒ぎがおさまってきたころ、影山は駆け付けた警察官に詰問されることになった。
「しかし、危ないところでしたね」
バインダーにメモを取りながら、警察官が言った。
エンジンのかけっぱなしで火を噴いた、というところまでは何とか頭がついていったが、影山はぼうっとして半分も聞いていなかった。
「でも、すぐ消えてよかったよ。ここね、以前も火事出してて」
見回りや消火器の設置もちゃんとしてもらってるから、と警察官は続けたが、影山は、はあ、と答えただけだった。
「きみも病院行って。そのあと、一応、現場検証ってことで。車も確認してもらうから」
影山はボンネット部分が黒こげになった車をぼんやりを眺めた。
「それにしても、偶然ってあるんだなあ」
警官か消防の一人なのだろうか、誰かが呟いた言葉に、影山は耳を傾けた。
「なにがだい?」
「いえ、自分はホテルの火事のときもここに来ましてね。そのときも、火事だっていうのに絶対に入ってくるな、って言って出てこなかった人がいるらしいんですよ。新聞にも出てましてね。たしか、ノナカとかいったかな」
……野中。
影山は冷たいものを感じながら、じっと車の後部座席の部分に目を向けた。火事の影響なのか、それとも……後部座席には人が座っていたように黒い灰がびっしりと付着し、窓には内側から拳を殴りつけたような跡が付着していた。
影山はぼんやりと考えていた。あの時聞こえた音は、外からと同時に中からもしていたのかもしれない、と……。
気味悪がる声が上がるのに時間はかからなかったが、その事実もやがて火事の恐ろしさの前に埋もれていった。蜘蛛の巣に隠されるように。




