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あと四十四本... 「口」

 影山敏之が自分のアパートの異変に気が付いたのは、隣人に難色を示されてからだった。

 影山のアパートは築三十年は経とうかという二階建てのオンボロで、壁は当然のごとく薄い。笑い声なんかは筒抜けになっている。それでもこの安さなのだから仕方ないと、時折上がる宴会の声なんかは我慢できていた。

 人の入れ替わりの激しい場所でもあり、近所づきあいなんてものが減ってきた昨今、影山は隣に住むという若い住人の顔を初めて見た。

 突然に部屋を訪れた住人は、隣の者だと名乗った後に単刀直入に言った。


「最近、ちょっとうるさいんですけど」

「はあ」


 影山はそう答えるしかなかった。


「ここは壁が薄いですから、たまに声があがるくらいだったら我慢できるんですけど」


 若い住人は懸命に言葉を選んでいるようだった。フライーライターの末端とはいえ言葉に携わる身としてはむずむずするような文章だ。


「それじゃあ言わせてもらうがな、こっちだって我慢してるんだ。あんただって、毎晩のようにテレビだか友人だか、馬鹿笑いを繰り返しているだろう」


 影山が言うと、若い住人は怪訝そうな顔で見返してきた。


「……とにかく、お願いしますよ」


 捨て台詞にしてはあまり上手くない。

 どうせ喧嘩もしたことのない学生なんだろう。影山は鼻で笑って、扉を閉めた。

 大方、テレビの音がうるさいとかそういう類だろう。それぐらい我慢すればいいものを。それよりも隣の住人の方がうるさいのは明らかだった。ぼそぼそとした話し声や笑い声が毎日のように聞こえてくれば、気にもなる。

 その日の夜も、文句を言ったのにも関わらず隣から声は聞こえてきた。まったく、なんてやつらだ。だが影山はふと気になって、耳を傾けてみた。


『……それでな、頼まれて俺は行ったんだ』


 話はひそひそと、おどろおどろしく続いていた。


 ――怪談か?


 その空気というか雰囲気は緊張感が張り詰めていて、ぞくぞくとした楽しさに満ち溢れていた。影山は興味を惹かれて、一番よく聞こえる、壁の薄いところを探した。ちょうど壁の汚れが強く黒ずんでいたところに耳を当てた時、よく聞こえた。


 ――こりゃ面白い。


 影山がそう思ったのは、単純に面白さを感じただけではなかった。影山は知人から相談を受け、怪談を書きたいからネタ集めを手伝ってくれといわれた事があったのだ。これはネタになる、と思ったのは、三流雑誌を干されたとはいえフリーライターのサガのようなものだった。

 影山はその日から、こそこそと目印代りの黒い汚れのところへと耳をそばだてた。

 大学生らしく、大学の近くにある無くなっては戻ってくる呪いの自転車からはじまり、山の中の古い病院で聞こえる「たすけて」という声、幽霊の出るというホテルで、そこに泊まっていた客がなぜかバリケードを作って焼け死んでしまったという話……、いったいどこから仕入れたのかというほどに豊富な話が次々と語られていった。中には笑い話めいたろくでもない怪談もあったが……。

 しかしそれが連日続くと、さすがに不審に思えてきた。

 ひょっとしてインターネットの動画サイトなんかで、怪談を語るとかそういう事をしているんだろうか。

 日ごと別の話を語ってはいるが、数日経っているというのにまったく同じ声で聞こえてくる。同じ人物が訪ねてきているというわけでもあるまい。

 いくらなんでもこんなに毎日、怪談を話し続けるものだろうか。だが、隣に住んでいる奴はこんな声だっただろうか?


『……それでな、そいつは、本来九十九話で終えるはずの怖い話を、百話まで到達させてしまったのさ』


 不意に聞こえてきたその話に、影山は妙な既視感を覚えた。


『お前は呪われてるんだよ』


 突然自分に話しかけられたような気がして、影山は壁から離れた。


『お前は百物語に憑かれてる。青行灯に憑かれているのさ』


 影山は唐突にこれが誰の声なのかを思い出した。


 ――俺の声だ……。


 壁の汚れは今や口のように見えていた。まだ白い壁紙は歯と舌のようで、その先は真暗だ。壁があるのかどこかに繋がっているのかは定かではなかったが、やがて薄汚れた壁を這いつくばって進んでいた小さな蜘蛛が、その口元で動きを止めた。

 影山は小さな蜘蛛を瞬間的につぶした。

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