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あと五十本... 「百物語」

 影山が柳泉寺の講堂につくと、思わず感嘆の息を漏らした。百物語の会が開かれるのは六時からで、充分に時間はある。近くにいた僧侶を捕まえて名前を告げると、すぐに住職がやってきた。


「ようこそおいでくださいました。さ、どうぞこちらへ」と歓迎の言葉を受けながら、講堂の廊下を連れられ、影山は小さな和室へ通された。


 影山が赤木順一から連絡を受けたのは、七月のはじめだった。まだ梅雨の気配が抜けず、じとじととした湿気が肌に張りついた、憂鬱で煩わしい日が続いていた。

 滅多に連絡をしてこない赤木が何の用かと思えば、なんでも片手間に百物語を書いているのだと打ち明けられた。怪談もどきを百話書いてどこかに送ろうというのだ。作家にでもなるつもりかと笑いながら尋ねると、まぁねとかなんとか歯切れ悪く答えた。用件を尋ねると、要は話のネタが足りないらしく、ネタ集めを手伝ってくれというものだった。なるほど一人で集めるよりは誰かの手を借りた方が楽ではあるだろう。別に創作でも誰も困りはしないと思ったが、さすがに百もハナシを書くのは大変らしい。その頃はちょうど書いていた三流雑誌を干されたばかりだったので、何か面白いものでもあればという多少の下心もあって承諾した。

 それにしても、あのお堅い赤木が怪談などに興味を持つとは意外だった。

 とはいえ折しも季節は夏、ちょいと調べればあらゆる場所で怪異が跋扈していた。妖怪モチーフの電車が走り、市が開かれ、百鬼夜行よろしく妖怪のコスプレをした一般人が楽しそうに練り歩く。各地で限定のお化け屋敷が建てられ、テレビでは時折心霊モノの特集が組まれた。そうかと思えば落語家を呼んで怪談噺をさせ、使わなくなった電波塔で創作怪談をしたりと、まぁあちこちで催しが開かれていて、拾うネタには苦労しなさそうだ。おまけに、地方の片隅でしかやらないような座談会めいたものならいざ知らず、ネットが充実した今ではある程度の規模のものならすぐに情報を集められた。

 そのうちに市内の寺の講堂で、毎年百物語の催しをしているという情報が入ったのだ。

 近所の人間を何十人か集めて、怖い話を聞いて涼もうというものだ。檀家でなくとも出入り自由で、一か月も前になると掲示板に「柳泉寺怪談会」というチラシが貼られるのだという。


「影山さんですね。改めて、ようこそおいでくださいました。わたくし、住職の妙蓮と申します」


 妙蓮と名乗った住職は五十代ほどの中年男性で、頭は他の坊主と同じようにつるつるに削げ上げている。誰もが想像する僧侶という感じで、ふっくらとした体躯に人の良さそうな小さな目をショボショボさせながら挨拶した。まるで子狸を彷彿とさせる。

 簡単な自己紹介を済ませた後、影山は話を切り出した。

 影山は取材というには大げさだが、少し話を聞きたいとかなんとか言って、住職に話をつけていたのだ。


「僕の友人もいま、どこそこに出すと言って百物語を執筆していましてね。雰囲気やら、作法やら伝えてあげられたらと思いますよ」

「作法と言いましても簡単ですよ」

「しかし、ええと、幽霊の話を百話と言いますと……」

「ああ、いえ、百物語は幽霊譚だけではないのですよ」


 住職の言葉に、影山はおやという顔をしてみせる。


「もちろん幽霊や妖怪の類の話もしますけどね、不思議な話や因縁に纏わる話でもいいんです。毎年の事となると、また話の種が尽きる事もありましょうから、何年か前にした話をちょいとアレンジしたりしましてね。もちろん、みなさんが気になるような怖い話は毎年どこかに入れ込んだりもしますよ」と住職。「それに、お話するのは九十九話ですから」


 影山は肩透かしを食らった。百物語なのだから百話あるものと当然思い込んでいたのだ。


「百話目は話さないんですか」

「ええ、まぁ、百物語っちゅうのは、最後に怪異が現れると言われる、まぁ肝試しの一つなんですがね。よく言われるのは『青行燈』ってぇ怪異なんです。女の幽霊だとか蜘蛛の姿だとか――。とにかくそういう妖怪が現れるという話でして。いや、どんな妖怪なのかはわからないんですよ。百物語を完成させないのが暗黙の了解ですからなぁ。百話目の怪異を起こさないように、あえて一話だけ残して朝を待つ――そういうものなんです。最近はうるさいんで、朝を待つ前に解散しちまいますが」

「ひょっとしてここでもその、青行燈とやらが出たんですか?」手を幽霊のようにぶらつかせて聞く。

「ここだけの話」と住職は前置きした。「実際に百話目に怪異が起きたとかなんとか……それで、百話まで話さず、九十九でとめるのが習わしになったんですわ。とはいえ、今の時代じゃそんな事を言うてもどうかと思いますしなぁ、当時は地形的なものや土地柄があったんでしょうな。は、は、は」


 影山もつられて笑った。今の時代に幽霊や怪物などばかげているが、長く残る迷信や土地の謂れを気にする者は多くいるのだろうと思った。

 百物語の方法について尋ねると、快く話してくれた。

 最初は住職から、次に別の僧侶や参加者が話し出す。これは体験した話でもいいし、創作でもいい。一人一分から数分で短い話を話してもらい、話した人間は隣の部屋に行き、並べられた蝋燭を吹き消す。これだけの作業だ。

 もちろん九十九話あるのだから、休憩も挟む。子供だけで来ている参加者は九時前には一旦出してしまう。だから途中で人が入れ替わったりは頻繁にあるらしい。ただ蝋燭の数だけは定期的に数える。

 そして、最後の一本になった時に話は終わるのだ。


「そういえば影山さんは、この辺りの出身ですかな」

「いえ、大学がこっちの方で。そのまま住み着いたんですよ」

「そうですか。いや、なに、この霧歩は少し変わった土地でしてな。怪異が起こりやすいとも言われているんですよ。そういう謂れも、一つの要因になっているかもしれませんで」

「へぇ、初耳ですね。今度此方でも調べてみます、ありがとうございます」

「いえいえ。お役に立てるかどうか。そういえば、どうです、影山さんも一つ、なにか話していかれませんか」

「僕が……ですか?」


 確かにそれはある程度想定はしていたが、はっきりと言われると迷うところだった。とはいえ、せっかくの機会だ。蝋燭を吹き消すのも一話話した者が担当するのだし、他の様子を見て何か語るのも悪くはない。


「そうですねぇ、考えてみます。何か不思議な事でもなかったか、思い出してみますよ」


 そんな言葉を最後に、取材は終わった。

 住職に礼を言いながら、影山は外へ出た。境内の様子を少しばかり外から撮影したかったのもある。デジタルカメラを片手に鐘の周りや入口をうろついていると、既に暇な子供たちや老人が集まってきていた。講堂には冷房が効いているらしく、中へどうぞと呼びこんでいる僧侶もいる。ここからまた人が増えるのだろう。噺家でも呼べばいいのにと思ったが、人が増えすぎるのも大変なのかもしれないな、と思い直した。

 そうこうしているうちに、徐々に人が増えていった。講堂の中ではさすがにアルコールはなかったが、隅の方では飲み物が用意されていた。

 中央に住職が座る。そこが話し手の席なのだろう。やがて時間が来ると、住職がいくつかの注意点を話し始めた。そこに至るまでも人の心をくいっと惹きつけるような話題の選びと言葉運びで、いつの間にか聞き入っていたことに影山は感心した。

 そして、とうとう百物語が始まった。

 おそらく講話で話し慣れているのだろう。住職の話は既に擦り切れるほどに聞き慣れた怪談ではあったが、鬼気迫るものだった。ふとしたことから女を切り殺し、恨みを抱いた女の幽霊に取り憑かれる武士の話だった。女の無念と恨みをおどろおどろしく、そして憑いた幽霊に心を病み、錯乱し、狂気に陥る武士の姿が生々しく語られた。さっきまで境内で走り回っていた子供たちも耳を傾けて聞いている。

 身震いするような後味は濃厚に耳に絡んでいた。

 住職が席を立ち、隣の部屋へと立ち去ると、その間に次の僧侶が次の話をし始めた。さすがに住職ほどとはいかないが、やはり言葉運びは常人よりは上に思えた。話を終えた僧侶が隣の部屋へ立つと、今度は一般客が前に出たり、座ったところから動かずにだったりと、それぞれのやり方で物を語りはじめた。みな、一つ話し終えると隣の部屋で入っていく。蝋燭を消しに行っているのだ。

 影山は最初の話ほどではない、退屈な話に耳を傾けながら考えていた。


「次、いいですか」


 話が終わった時、影山は手をあげた。幸いにして今の自分には仕入れたネタがたくさんある。不意に思いついた事を実行するには申し分なかった。

 それは、蝋燭を消した後にそっと火をつけ直すというものだった。そうする事で百物語を完成させてみようという試みだ。九十九話から百話になったところで何も変わらないのはわかりきっていたが、やはりやってみたいという欲望がふつふつと湧き上がってきていた。そもそも何か起きるというのならそれはそれで取材になるではないか。それに、こうも老人や子供が多くては、今までにそんな事故が起きていないとも限らない。最後の方では残りの話数を完全に把握されてしまう。チャンスは一度きりだ。

 影山は仕入れたネタの中から差しさわりの無い話をした。怪談としてはそこそこ好評だったらしく、この仕事が干されたら噺家になるのも悪くはないと思いながら、隣の部屋へいそいそと赴いた。


「すみませんが、写真を一枚いいですかね」


 扉の開け閉めを担当している案内の坊主に、影山は部屋を示しながら申し訳なさそうに言った。


「写真? ああ、取材の方でしたか」と坊主は言った。「住職が今、ここにいないので何とも……」

「ああ、いえ、それなら後で直接お聞きします。アングルだけは見ておきたかったので、時間までには出ますので」


 坊主は了承した。木の扉が横に開けられて、中へと滑り込む。暗い室内に、机だかに置かれてずらりと灯された蝋燭が現れた。一つ一つ丁寧に陶器の皿のような燭台に差し込まれている。

 今は灯された蝋燭は半分に減っていた。最初の状態であったなら、さぞ盛観だったろう。案内の坊主に悟られないよう、まず影山は蝋燭を一つ取ると、そのまま吹き消した。煙があがる。完全に消えたのを確認してから、影山は隣の火に近づけた。いつどんな話をどれだけしたかなど覚えている人間はいないだろうし、蝋燭の長さは誤魔化せる。

 再び燃え上がった蝋燭を、影山は机に戻した。

 手早く仕事を終えて部屋を出ると、まだ怪談は続いていた。何食わぬ顔で席に戻り、またつまらない即興の話に耳を傾けた。

 途中で休憩が入り、子供たちだけで来た者は一度帰されたり、人も入れ替わりがあった。影山は時折蝋燭部屋を見たが、特に誰か入っている事はなかった。影山はあくびをかみ殺し、残りの話が終わるまで我慢して聞く事にした。

 終わり掛けに何度か蝋燭の本数が確認され、九十八話目が終わった。「あと一話ですな」と住職が言った。影山はぎくりとしたが、それが実質的な九十九話目だという事に誰も気づいていないようだった。話はとんとん拍子に進み、やがて百話目が終わった。蝋燭を消した者が戻ってくると、住職が話の席に座って最後の挨拶に入った。


「さてみなさん、これで九十九話が終わりましたが、蝋燭は一つ残っております。しかし百話目を話すと怪異が現れると言われておりまして、残りの一話はみなさんの心の中で留めておいてもらえますようお願いいたします……」


 おそらくいつもの終わり方だというのをみな知っているのだろう。パチパチと残った人々の中から拍手があがる。とても怪談会とは思えなかったが、こんなものかもしれない。

 その時、ひゅう、と講堂の中に風が入った。

 まだ夏のさ中だというのに妙に冷たい風だった。残った人々がざわめいた後、軽く笑いが起こった。立ち上がり、住職たちに頭を下げたり挨拶をして出て行く。しばらく挨拶に追われる様子を見ていたが、やがて人もまばらになると、影山は住職の元へ近づいた。


「おや、影山さん。いかがでしたかな」

「面白かったですよ。今日はありがとうございました」一度言葉を切ると、影山は蝋燭部屋を示して言った。「もしよければ、蝋燭の写真を撮りたいんですが」

「いいですよ」


 影山は何枚か写真を撮った後、入口から百本の蝋燭がよく見えるように一枚撮影した。片付けに追われる僧侶の一人がふっと蝋燭を消すのを横目で見ながら、挨拶をして外に出る。外は灯りも少なく真暗で、カタカタと風の音が木製の扉を揺らしていた。


(確か、アオアンドン……だったか)


 青行灯。百物語の終わると現れる怪異。

 車に向かいながら、住職の話を思い出す。

 わかってはいるのだ。怪異などあるはずはないと。

 それでも百物語の場所にずっといたからだろうか、奇妙な寒気を感じてはいた。とはいえそれは、ホラーを見た時なんかに感じるちょっとした不安のような物だろう。何かいるのではないかという不安だ。そんなものを感じ取っていることに苦笑しながら、影山は車に近づいた。

 電燈の仄明るさに照らされた車の側面で、何かが蠢いた。

 思わず立ち止まると、それは巨大なかぎ爪のようにゆっくりと上下していた。


(なんだ。なんの影だ)


 目をこすり、周囲を見回す。


 よく言われるのは『青行燈』ってぇ怪異なんです。女の幽霊だとか蜘蛛の姿だとか――


 一瞬ぎょっとしたものの、ようやく駐車場の電燈に目をやると、そこに一匹の蜘蛛が貼りついているのが見えた。そこそこ大きなもので、巣を張っているらしい。ごそごそと灯りによってきた羽虫に食らいついている。その様子が、とても恐ろしいものに見えた。

 あれの影だったのか? 本当に?

 影山は僅かな嫌悪感と共に、車に入った。

 怪談の熱にでも浮かされたに違いなかった。普段百話も話を聞くということなどないから、慣れない疲れも出たのだろう。安アパートに着くと、早々に床についた。


 翌日、デジタルカメラをパソコンと繋ぎ、中の画像を全て移した。

 一枚一枚、まだ明るい時間に撮りはじめたものから順に追っていく。期待していたわけではないが、特におかしなものは映っていなかった。カメラに気付いた悪戯な子供たちが撮ってくれとせがんだものが数枚あって、これをどうすべきかと苦笑した。

 寺の境内、鐘、講堂を前から映したもの、そして最後に蝋燭部屋の写真が出て来た。


(……なんだ、これは)


 一番最後の写真を見た時、妙な寒気に襲われた。

 そこには百本の蝋燭が並んでいる。それらは一本を残して全て消えているはずだった。蝋燭を撮ったのは一番最後だけだ。全て灯されている写真を撮ればよかったと後悔したぐらいなのだから。

 それにも関わらず、今パソコンに映し出されているのは、一本だけが消えていた。他の九十九本は、まるで影山を嘲笑うように火が灯されている。


(どういう事だ? 俺が撮ったのは蝋燭が消えた後の写真だ。なのにどうして、全て点いているんだ……!?)


 視界の端で動くものが視え、ひ、と小さな悲鳴をあげた。

 小さな蜘蛛が机の上をごそごそと這い回っていた。どこからか入り込んだらしい。


(蜘蛛……)


 蜘蛛――

 蜘蛛の物の怪――

 百物語の後に現れる怪異――


(青行灯)


 影山はそろりと後ろを向いた。

 そこに鬼女の姿がある気がして。

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