あと五十二本... 「最終バス」
最終バスには、まだ乗客が何人か乗っていた。
まったく、バスに間に合ったはいいが、残業でこんな時間になるのなんて初めてだ。社会人ってヤツの深淵が見えてきそうで恐ろしい。
それでもほとんど空席だった。辺りを見回すと、イビキをかきながら眠りかけているオッサンのハゲた頭や、くたびれたような中年のサラリーマンや、化粧の濃い目のOLらしき女が見えた。
オレは一番後ろの広い席の端に座りこんだ。さて、何をしようか。そういえばソーシャルゲームの次のイベントはいつからだったか、今日からだったかと考えながら、鞄の中からケータイを取り出す。バスがガタンと音を立て、イビキをかいていたハゲたオッサンが妙な声を出した。どうやら起きたらしい。リーマンは手を挙げ、ビー、と停止ボタンを押した。
視線を戻そうとして、ふと反対側にもう一人誰かが座っているのに気が付いた。
いつからそこにいたんだろう、と思わず目を留めると、彼女も気付いたのかこちらを向いた。慌てて会釈をする。
女の子もまた、会釈をしながらオレに向かってにっこりと微笑む。
……か、カワイイ。
顔も悪くないし、いまどきそこらにはいないような、清楚だがお茶目そうな女の子だ。プリーツのロングスカートで、シャツにカーディガンを羽織っている。真ん中で留めているが、姿勢もいいせいか、より胸が強調されている。……おお、と思わず軽く覗き込むように見つめてしまったあと、慌てて前を向いた。
バスは停留所につき、リーマンとOLが降りて。もう乗ってくる客はいないようだ。バスの中はオレと女の子と中年のオッサンだけになった。またイビキが聞こえる。どうやらまた寝かけているようだ。ゲームのイベントはまだ始まっていなかった。予告の日程を確認すると、明日からのようだ。電池も減ってきたし、そろそろスマホに変えたい。スマホはスマホで電池の減りが早いみたいだが……。オレは溜息をついてケータイをしまうと、鞄を抱えたまま窓に目をやった。暫くは黙っていたが、やる事もないとそれはそれでヒマだ。
目的の停留所まではまだ先だし、オレはなんとなく女の子の方を向いて言った。
「あのー…お仕事ですか?」
下心が無かったとは言えない。というより、下心が四割…いや、五割、六割……、とにかくこんな子と隣り合わせになったのだから、せっかくだし声をかけてみたくなったのだ。
女の子はオレを見て、少しびっくりしたような顔をした。
「あ、いや、こんな時間まで大変だなぁって。女性の一人歩きとか、気を付けてくださいよ」
オレは取り繕いながら言い換えた。
ファ~ア、と間抜けな声がした。中年のオッサンがまた起きたらしい。まったく、まだ他に客はいるっていうのに、品がないんだよ、品が。
「ありがとうございます」
「ああ、いや…」
声もカワイイ。顔に似合ってというのか、
「あ、えっと……どこで降りるんですか?」
「この先の茶屋ってトコです。貴方は?」
運転席側の電光表示で確認すると、オレの降りる茶屋ノ下の次が茶屋だ。ここはゆるやかな坂の上と下のようなもので、それほど大きく離れてはいない。
「偶然ですね。実は同じなんですよ」
オレは思わずそう言った。女の子はちょっと嬉しそうだ。これはひょっとして脈アリなんじゃなかろうか。いやいや、焦るな焦るな。
グゴォ、と大きな声がした。ああもう、うるさいな、あのオッサンは。少しだけ気分を害したが、大したことじゃあない。
「あのう、それじゃもしよろしければ……」
オレが言いかけると、今度は車内放送が入った音がした。ノイズのような音がする。
『後ろのお客さん、どこまでですかね?』
「えっと、茶屋です」
『わかりました、茶屋ですね』
運転手はそういうと、ブツンと放送を切った。声を張り上げたオレと対照的に、女の子はキョトンとした顔で見ている。オッサンのイビキ声も聞こえているはずだが、どうやら運転手側からはオレ一人しか見えないらしい。
それとも、オッサンと女の子はこのバスの常連客か何かなのだろうか。
「同じ停留所みたいだし、よろしければ途中まで送りますよ。一緒にいきません?」
「一緒にいっていただけるんですか?」
「ええ、女性の一人歩きって、やっぱり危ないし」
茶屋の表示が出た辺りで、オレは停止ボタンを押す。ビー、と独特の音がする。昔はとにかくこれを鳴らしたくて仕方なかったなぁ、とどうでもいいことを思い出した。女の子のルートによっては遠回りになるかもしれないが、それでもかまわなかった。
やがて停留所につくと、シュウウと音がしてバスが停車した。ガタンと音がして、バスの運転手側の入口が開く。
オレは、他に客がいたんだぞ、と印象付けるために、女の子を先に降ろす事にした。レディーファーストにもなるしな。だが、運転手は胡乱な目でこちらを見ただけだった。オレが憤慨する間もなく、運転手は車内放送のスイッチを再び入れた。
『お客さん、次、茶屋ノ下ですよ。起きてください』
ステップを降りる後ろで、運転手の声が聞こえた。やっぱりあのオッサンは常連客だったらしい。どうも運転手は降りる停留所を熟知していたようだ。しかしオレだって、あんなオッサンと一緒に降りるくらいなら女の子と降りたい。
バスは行ってしまった。
「それじゃあ、どっち方面ですか?」
女の子に尋ねると、おもむろに片手に触れてきた。
下心よりも、ぎょっとするほど冷たかった。顔が、見えない。バスの中ではあんなに良く見えていたのに。
「……ありがとう、うれしい……」
冷たい手を見下ろすと、血まみれで真っ赤だった。
オレは茫然として女の子を見た。
「ずっと、待ってたの……一緒に、逝ってくれる人」




