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あと七十本... 「断頭台」

「本物の幽霊を見た事はあるかい」


 外国の酒場で出会った彼の話は、面白かったが常に唐突だった。

 その時も急に話題を変えたと思えば、そんな事を言い出したのだ。


「幽霊なんてロクなもんじゃないさ」


 彼はそう断じた。

 御世辞にも高級とも言えない平民の心のよりどころで、どうしてそんな話になったのかは覚えていない。ただ何となく酒を飲み交わして、いくらかの話をし、同じくいくらかの酔いがまわってきたあたりだった。つまるところ、どことなく気分も良く、心と口だけは開放的になりかかってきた頃だ。

 彼は何かしら愚痴るように話し始めた。


「俺はそいつを見るまで、幽霊という物をあまり意識した事がなかった。

 もちろんどこそこに幽霊が出たなんて話ぐらいは聞いた事がある。ホラー映画なんかも見た事はあるしね。けれどもそれ自体が娯楽の一つというわけでもなかったし、どちらかというと自分とは縁遠いものだった。

 俺がこの国に来たのは、いわゆる一人旅ってやつさ。自分探しって流行っただろ。子供の頃から何度か連れていってもらったのが良かったんだと思う。最初のうちはツアーに混じってたけど、ある時、思い切って一人で行ってみた。これが楽しくて。それからすっかりはまってしまった。


 色々なところに自由に行けるのはそりゃあもう楽しかったよ。時間を気にせずゆっくり見られるからね。治安の心配とかもあるけど、それとこれとは別問題だ。日本人は危険慣れしてないだけだと思うね、そういう俺も日本人なんだけどさ。

 ……話が逸れてしまったな。とにかくそういうわけで、俺はこの国にやってきた。

 気ままな一人旅の途中下車さ。サフォーク周辺の――…知ってるかい、サフォーク。羊の種類じゃないぜ。小さな駅で、駅長が一人いるだけののどかなところだったよ。だけど駅の門番に猫をあてがうのは止めた方がいい、あいつらときたら、興味なさそうにちらっと見るだけで寝てしまったから。


 駅前には中央に噴水のある小さな広場があった。

 年季の入った煉瓦道を、綺麗に整備された花壇が囲んでいてな、古い町だったがきちんと整えられていたよ。向こう側には小さな雑貨屋なんかが並んでいて、簡単な案内板に従っていくと、本当に小さな町といった感じがした。

 駅の周辺から離れると、煉瓦道は次第に踏み鳴らされた堅い土に変わっていった。花壇の代わりにボウボウの草がとって変わって、田舎の村という感じだった。余所者でもそれなりに歓迎してくれたよ。少なくとも宿屋の主人は無愛想だが優しかったしね。

 到着したのが午後の三時半くらいだったから、荷物を置くとそのまま近くのバーに出かけた。まだ日差しが強くて、木陰を探して歩いた。広い土地にはぽつぽつと家が建っていて、その先に小さな城があった。俺はそれを横目で見ながら酒場に着いた。ほの暗い店内はとても涼しく感じたね。

 マスターは宿屋の主人とは違ってとても愛想が良かった。まだ早い時間だということもあって、俺は暇そうにしていたマスターと少し話をする事にした。


「見ない顔だね、ここへは観光かい?」

「そうなんだ。あそこの城には入れる?」

「ああ。昔は人が住んでたが、今は解放してるよ。入場時間はあるがね」


 ――なあて話をしながら、城の事を聞いていった。どうも観光資源の一つとして解放しているらしい。ガイドブックじゃ隅っこにしか載らないような小さな所なんだが、ぽつぽつと見学者はいるようだった。地元の老人が道楽でガイドをやってるようなところさ。時間内なら好きなだけいられる。有名所でもないし、世界史に絡むような場所でもないからそんなもんだろう。

 なんでも城は元々その一帯の領主の持ち物で、今は国に返還されていた。

 地元民の間では青鷺城なんて呼ばれていて、敷地内にある大きな池に、季節になると青サギがやってくることにちなんだらしい。マスターによると、何代目かの城主が好んで餌をやっていたりしたから、そんな名前が定着したんだろうとの事だった。

 俺は話を聞くと、ぶらっと行ってみることにした。


 なに、前置きが長くて要領をえない?

 まぁまぁ、黙って聞いてくれ。ここからが本番なんだ。


 まだ扉が閉じられるまでに二時間ほどあったかな。

 青サギ城と異名をとるわりには、青サギは本当に城主が餌をやってたという以外に何もなさそうだった。だって、城のどこにも青サギが使われている様子なんてないんだぜ? ただ、庭の池にはちらほらと鳥がいたな。

 俺は物珍しさも手伝って、城の中をぶらついた。調度品やらはやっぱりいいものを使ってたぜ、今まで色んな城や建物も見てきたから、そういうのに比べればやっぱり見落とりはするかもしれないが、それでもなかなかのものが揃っていた。場所によってはロープが張ってあったんだが、食堂なんかは色々と近くで見られた。中央には細長い、白い布を乗せられたテーブルがあってね、周りにはと柔らかそうな革張りの椅子が均等に並べられていた。三又の燭台と食器が並べられていて、今にも前菜が出てきそうな雰囲気だったよ。広間なんて天井がアーチ状になっていて、中央部分からは硝子で美しい森が彩られていた。とにかく、そういうものをたくさん見ながら時間を過ごした。硝子ケースに並べられた物珍しい羊皮紙、古めかしい本、凝った装飾の陶磁器……そうして最後にやってきたのが裏庭だった。

 裏庭は青サギのいる池の在る方と違って、暗く、重苦しい雰囲気に包まれていた。丸められた芝や木製の小汚い小屋が置かれていたのは視えたが、重苦しさの正体にはすぐに気付いたさ。隅の方に、罪人を処刑する断頭台がひっそりと置かれていたからだよ。断頭台はほとんどが木製で作られていて、古びて汚れてはいたが、やっぱり気分の良いものじゃあなかった。

 それでも俺は好奇心に駆られてそっちへ近づいていったよ。古めかしい道具入れだの見ても、それほど感動なんかしやしない……それよりも、小さな城の小さな断頭台の方に興味を持ったんだ。

 その時だ。不意に、断頭台に誰かが居る事に気が付いた。

 驚いたよ。今まで不思議なものっていうのは目にしたことなんてなかったからな。そいつは断頭台に首を突っ込んでいて、最初何をしているのかわからなかった。俺が怪訝な顔でそいつを見ると、そいつはじっと俺を睨みつけた。俺はすぐに立ち去ろうと思ったよ、遊んでいるだけかと思ったら、明らかに変な奴だったしな。でも、すぐに違和感に気が付いた。そいつの首は下の台が透けて見えていたんだから。まさか、と俺も思ったね。こいつは生きている人間じゃあないと。俺がすくんで動けなくなっていると、そいつはこう言ったんだ。

「君は私が見えているのか?」――とな。


 俺の驚きはわかると思う。なにせ今にも処刑されそうな幽霊がこっちに話しかけてきたんだぜ、誰だって驚くだろう。

 で、まぁ、その幽霊は俺に向かってこんなことを話し出したんだ。


「驚くのも無理はない。私だってそうだったんだ――と言っても君にはわからないだろう。私がここにいる理由なんかね。まぁ言ってしまえば、未練があるからなんだよ。私だっていつまでもこんなところで戦々恐々としていたくはない。君には見えないかもしれないが、今でもこの断頭台の刃は私を狙っているんだ」


 俺は言葉を失ったよ。幻覚にしてははっきりしているし、自分がおかしくなってしまったわけではなさそうだった。反面、面白い事になったというのも感じていたよ。


「でも、私は本来こんな所にいるべきではなかった。――つまらない殺人をしたんだ。情けない理由だが、借金をもう少し待ってくれとか、そんな理由だ。私が頼み込んだわけではない。向こうがそう言ってきたんだ。私にはそいつが借金を置いて逃げるようにしか見えなかった。殴って、殴って、殴り倒した時には死んでいたよ。

 そして辿り着いたのがここだ。私は最後まで抵抗し、正当性を主張し続けた。だがその主張は通ることなく、首を刎ねられた。”罪のない”男を――罪がないなどとは言わせない!――とにかく男を殴り殺したというそれだけで! だが、私はまだ此処にいた!

 私の死を最後に、領主の生活は傾き始めた。元々衰退していったところだったから、それは私の力ではなかった。私の心残りははっきりしていた。たった一つだ、私の家は元はこの地帯にあってね。私の娘がどうなったのかを知りたいんだ。断絶したのか、それとも……、まぁとにかく、それを自分の目で見ない事には此処を去れないと思ってしまったんだ。だけれども、今の今まで私を見られるような人間はいなかったし、こうして耳を貸すような者もいなかった」


 幽霊の男は一気にそんなような事をしゃべったんだ。

 おや、どうした? 気分が悪そうな顔をしているが。なぁに、幽霊の話だからといって別に怖がる必要なんてありゃあしないんだ、ははは……。

 話を続けるぞ。

 俺と幽霊の男は暫く喋り続けた。残りの二時間の大半を使い切ってしまったように思えた。

 そして最後にこう言ったんだ。


「しばらく君の体を貸してくれないか。なに、変な事を言っていると想うだろう。その顔を見ればわかる。だけどな、私はどうしても確かめたいのだ。自分の未練である娘がどうなったのかな。それが叶わなければせめて自分の家のあった場所だけでも見たいのだ」


 俺はそんな事ができるのかと思ったが、面白そうだったしのってやったんだ。時間切れも迫っていたし、一日ぐらいなら貸してやれると思ったんだな。何より初めての体験だ。

 俺はどうすればいいのかわからなかったが、奴の透明な体に触れると、引っ張られるような感覚がした。次の瞬間、俺の視点は、今まで自分だったものを見上げる恰好になっていた。奴は礼を言って、去っていった……。


 どうもあの断頭台そのものが、奴の体みたいになってたんだよな。体って言ったらおかしいけど、地縛霊っていうのか、そういうのだよ。幽霊になるという感覚は、今ではもう覚えてはいない。けれども実際には体がないせいか、どこか気分が悪かった。こんなのはもう一回だけでいいな、と思ったのは覚えているよ。自分がどこか朧げな存在になっていくようで、辺りもよく見えなかった。見えない刃が自分を狙っているような気さえして……もっともそれは、幽霊だったからなのか、断頭台に縛り付けられているからなのかはわからなかったけどな。

 でも、自分の体がどのあたりを歩いているのかは何となくわかった。まだ繋がってたんだよ……俺の体と、俺の魂ってやつは。


 ……そいつ? 約束通り帰ってきたよ。

 帰ってきたんだ。

 だから言ってやったんだよ……ちゃんとテメェの息子だか娘だかの家は見つかったかって。なんでももう、更地になってやがったらしい。

 俺は安心して体を返してくれと言ったが、そいつは首を縦に振らなかった。あと一日だけ時間をくれというんだ。俺は渋ったが、今日帰ってきたことが何よりの理由だと言って押し通した。何より俺からじゃあそいつに触る事ができない。何しろ拘束されてるんだからな!


 ほらほら、どうしたんだよ。すっかり顔色が悪いぞ。

 ああそうさ、その日からそいつは帰ってこなかった。いつまで待ってもだ。一週間、一か月、二か月……たった一日の約束が、かなりの時間伸びていった。結局どのくらい待ったのか俺にはさっぱりわからなかったが、ようやくわかったよ。

 俺は今ではこう思っているよ。お前は仮とはいえ自分の体を得た事で、もうどうでもよくなってしまったんじゃないかって。話を聞いてると、どうも人を信じるって事自体が苦手だったように思うんだが、テメェ自身が約束を破ってちゃあわけないな。

 逃げるなよ。俺はお前と違って、約束はきっちり守るんだ。

 どうして自分が見つかったのかわからねぇって顔をしてるな?

 今はお前が生きていた時間よりももっと便利なものがあるんだ。それにお前は元は俺だったんだから、俺が自分の居場所を探し出せないわけがない。俺の魂が、俺の体を呼ぶんだよ。今も繋がってるんだからな。

 さぁ、俺の体を返して断頭台に帰れ。今あそこで待っている可哀想な俺の代わりも、今不安がっているんだからな」


 死神よりも先に執念に見つかった私は、男の手から逃れようとした。

 けれどもそれは許されなかった。

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