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あと七十九本... 「出られない」

「すいません、405号室に変えてもらいたいんですけど」


 そう言った途端、ホテルの従業員は渋い顔をした。


「……少々お待ちください」


 どうやら俺の他にもそういう客はよくいるらしい。従業員は手馴れているというか、またかというような諦めきったような態度だった。


(なんだよ、つまんねぇな)


 もうちょっと驚いたような態度を期待していたのに。でもまぁ、ホテルの一室に幽霊が出るってなりゃあ、泊まりたがる奴もいるだろう。初めてじゃないのが気に食わないが、仕方ない。そうでなきゃあんな噂も立たないか。

 俺が来ているのは、霧歩市の中央区にあるビジネスホテルだ。出張で一週間滞在することになっている。地元に近いからと大学からの知り合いに連絡を取ったところ、どうせならここにしろと言われたのだ。

 どうも奴は――赤木順一という奴だ――オカルトに興味があったらしく、幽霊の出る部屋にしてみろと言いやがった。最近はネットにも怖い話が転がってるから、何か触発されたんだろう。俺も面白そうだと思ったから、人の事は言えない。


 暫く待っていると、従業員が405号室のカードキーを持ってきた。何か言いたそうだったが、知ったことか。俺はエレベーターに乗り込んで。4階のボタンを押した。

 ビジネスホテルというだけあってロビーも狭いが、赤い絨毯が敷かれていたり、エレベーターの中にも小さなシャンデリアがついていたりするのはさすが中央区の繁華街だと思わせる。と言っても上の階は至って平凡で、俺は廊下に靴音を響かせながら問題の405号室へ辿り着いた。


 開け放たれた部屋の中は拍子抜けするほど何も感じなかった。入って右手側に小さな冷蔵庫や荷物入れがあり、左手にトイレ兼用の小さなバスルームがあった。ベッドが一つと鏡のついたテーブルとテレビ、そして窓の前に丸テーブルとソファのある、ごく一般的なつくりだ。荷物を置いてベッドに座り込むと、部屋の様子をしげしげと眺めた。


 ホテル自体は既に年数が経っているらしく、ベッドの隅が破れかけ、カーペットにタバコの跡がついていた。タバコのにおいが染みついているみたいだったが、それは気にならなかった。


(……煙って、タバコのにおいだったんじゃねぇのか?)


 赤木の話によると、なんでもここはホテルができる前に火事になったところらしい。実際に何人か死んだようだ。怪談の内容は、405号室で夜中煙のにおいがして、ドンドン扉を叩く音がするらしい。それが火事になったビルの出火元と同じだとかなんとか……。

 そういや、ネットに転がってる怪談にも同じような話があった。やっぱり幽霊ホテルに泊まったら扉を叩く音がして、絶対に扉を開けなかったとかいう話だ。オチとしては、幽霊は外に出ようとしていて、実は一晩中幽霊と同じ部屋にいたというものだったはずだ。


 せめて人型のシミなんかがあれば盛り上がったんだろうが、なんだか拍子抜けしてしまった。俺は荷物を整理すると、夕飯に出向いた。居酒屋で食事を兼ねて軽く飲んでホテルに戻ったが、特にこれといった事もなかった。

 煙草を吸ってからシャワーを浴びると、ベッドに沈み込み、すぐに眠りに落ちた。

 それから一体どれだけの時間が経ったのか、ふと俺は目を覚ました。最初はもう朝かと思ったが、まだカーテンの向こうは暗い。いくら閉め切っているといっても、隙間から光くらいは入ってくるはずだ。

 ベッド脇のテーブルに備え付けられている電子時計を見ると、緑色の数字が見えた。時刻はまだ2時をまわったところで、俺はもう一眠りしようと眼を閉じた。そのとき、不意に煙のにおいがした。


(なんだ?)


 今度こそ目を覚まし、起き上がり辺りを見回す。改めて辺りを嗅いでみても焼けるようなにおいはしなかった。タバコのにおいだろうかとも思ったが、自分の吸っている銘柄とも違った。何かが焼けているような――そもそも、空調もつけているからタバコのにおい自体はそれほどしないはずだ。

 突然どこかの扉が叩かれた。ぎくりとしたが、どこかのバカが騒いでいるらしく、廊下から何人もの声でキャアキャア聞こえてくる。あいつら、廊下でタバコでも吸ってるのか。フロントに文句言ってやろうか。奴等のせいだと思うと、だんだんイライラしてきた。何を弱気になっていたんだ。俺は無視するように今度こそ目を閉じた。

 翌朝目覚めると、文句を言う時間も無くそのまま出張先の支社へと向かった。滞りなく仕事は進み、昨日と同じように外で食事を済ませてホテルに戻った。シャワーを浴び、ベッドに沈み込む。会議の疲れもあったのか、泥のように眠るはずだった。

 目を覚ますと、何かが焼けるような煙のにおいがした。電子時計を見ると、時刻は2時をまわったところだった。


(またこの時間か?)


 ベッドに前の泊り客のタバコのにおいが染みついているんだろうか。においの元を辿ろうとシーツに顔をうずめてみると、突然どこかの扉が叩かれた音がした。今日は昨日より音が強い。また奴らか。こっちは疲れているんだから静かにしてほしい。何人でいるのか知らないが、迷惑極まりなかった。

 そしてそれは三日目も同じように続いた。

「大丈夫か? 顔色が悪いが、ちゃんと寝ているのか」

 あまり眠っていないという自覚はあったが、支社の人間にまでそう言われてしまっては、何か対策をしないわけにはいかない。いい加減頭に来ていたし、受付に文句を言うべきか。しかも奴ら、遊びのつもりなのか段々と叩く位置を変えていやがる。そのうちこの部屋が叩かれるのも時間の問題だ。何様のつもりだ?

 俺が思わず飛び起きた時、奴らの話している内容が聴き取れるほどに近い事に気が付いた。


「…事…、火…だ…、起きて…ださい、火事です…」


 あいつらは、火事だと騒いでないか。そのまま耳をそばだてていると、やはり火事という声が聞こえてくる。悪戯にしてはたちが悪すぎる。まさか先日からずっとそんなことをやっていたんだろうか。もはや幽霊どころじゃない。

 俺は扉の前まで行くと、鍵を開けた。

「おい、いい加減にしろ!」

 勢いよくドアを内側に引っ張って怒鳴りつけると、そこには誰もいないしんとした廊下があるだけだった。

 その後茫然としたままどうやって眠ったのかまったく覚えていない。慌てて起きた後、予定通り仕事に出かけ、支社で時間まで過ごしたのは覚えている。

「野中君、本当に大丈夫か」

 支社で厭きれたようにそう言われた時、はっと気が付いた。どうやら軽く眠っていたらしい。その時は何とか言って誤魔化したが、ヒソヒソと何か話されているのには気が付いた。

 昨日のアレは一体なんだったんだ。噂に踊らされて、変な夢を見ていただけなのだろうか。仕事を終えてホテルに戻っても、特に変わった様子はなかった。ただ受付の男がちらりとこちらを見たように思った。いずれにしろこのままじゃ日常生活にまで支障が出てくる。

 だが、ありえない。あんなに声を出していた奴らがどこかに隠れたって?

 急にぞっとして、部屋を出るのが恐ろしくなった。テレビをつけて、深夜番組をつけたままシャワーを浴びた。芸人たちのバカな笑い声を聞いても、それほど気は紛れなかった。

 もうすぐあの時間がやってくる。どうしても寝付けず、時間を見るとやはり2時頃にあの音と声がし始めた。ここ数日で聞き慣れた声だった。まさか本当に幽霊の声なのか。おまけに、騒ぐ時間も段々と長くなっている。昨日とは同じようで違う。声たちは少しずつこの部屋に近づいているのではないか。この部屋が幽霊部屋と呼ばれるのも、この部屋を目指しているからではないか……。やがて、部屋のドアを叩く音が聞こえた。隣からだった。

 次の日、俺は支社の会議に出席し、プロジェクトの基本的な事を説明する役を引き受けていた。眠くてたまらなかったし、半分はぼうっとしていた。部屋に現れた幽霊を退ける事ばかりを考えてしまっていて、気が付いたときには「終わった」と思った。具体的に何が起こったかは言いたくはない。だが一つ言えることは、あの幽霊部屋に泊まったばかりに何もかもが壊れてしまったという事だ。あの幽霊どものせいで。ただの死者が生きている者の人生に打撃を与えるなど、あっていいものか。睡眠不足と打撃から来るストレスは我慢できないところまできていた。

 俺は即座にホテルに帰った。部屋に入るとすぐさま鍵をかけ、一人がけのソファを引きずってきてドアの前に置いた。全然足りないと考えると、それをどかして丸テーブルを置き、その上にソファを乗せた。置いてある冷蔵庫のコンセントを引っこ抜いてテーブルの下の空間に押し込み、扉が開かないようにした。部屋中を見回して、テーブルと壁の隙間に自分の荷物を滑り込ませた。それからコンビニで買ってきた黒いビニールテープでテーブルとソファや荷物をそれぞれ巻き付けた。これで奴らは絶対に入ってこれない。扉は内側にしか開かない、これで大丈夫だ。後ろを向くと、カーテンの隙間が妙に赤い気がした。

(なんだ)

 窓へ行きかけると、突如としてドアが叩かれる音が響いた。

 もう時間か。今日は少し早い気がするが、来やがったな。


「起きてくださいっ火事だあっ、逃げろっ火事だあっ」


 奴らは声をあげながら、扉を叩いていく。

 へへへ、でもこれだけやったら絶対に開かない。奴らは入ってこれない!

 ばたばたと廊下を走る音が聞こえる。ガンガンと扉が叩かれる。大勢の人間が喚きながら扉を叩いている。


「入ってくるなああっ」


 扉の前に置いたバリケードを内側から押し、向こうから扉を叩く奴らに向かって叫ぶ。奴らは相変わらず火事だなんだと叫んでいる。


「火事だっ開けてください、起きてください火事だあっ」


 外が妙に赤い気がした。ドアを叩く音が止んだすきにベッドへと走り、なんとか移動できないか引きずった。さすがに重い。先に窓へと走って、カーテンの隙間をぴったりと目張りして光が入ってくるのを抑えた。


「へ、へ、これで入ってこれないだろ、ざまあみろっ、俺の邪魔なんかできねぇんだよ!」


 俺の邪魔なんかできないんだ。

 外からはまだ赤い光がちらちらと見えているが、知ったことか。ドアの音は既に止んでいる。俺の勝利だ! ヒュィイ、と喉から息が出た。これで大丈夫だ! 幽霊ごときが俺の邪魔なんてできない!

 何かが焼けるにおいがどこからともなく入り込んできて、俺の意識は次第に遠くなっていった。



***



 ……昨夜午前2時頃、中央区のビジネスホテルで火事があり、火は数時間後に消し止められました。焼け跡からは会社員の野中省吾さん32歳が見つかり、警察では逃げ遅れたものとみて……

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