あと八十二本... 「海」
黒岩総合病院は、街から少し離れた山の中にあった。山の中といっても道はきちんと整備されていて、車が通れるようになっている。
私はそこに入院していた。
最近の院内はとてもおかしかった。
病院なのだから、色々なひとがいた。病気を治しにきている人もいれば、私のようなヨボヨボのおじいさんおばあさんだっていた。
だから、治る人がいれば亡くなる人がいるというのも当然だった。というより、病院なのだから一番そういう事が起こりやすい。
それなのに、何か変なのだ。
空気がというか、雰囲気がというか――…最近は特に、晴れていてもどことなく重苦しい感じがして、そうでもなければどことなく望郷の念にとらわれた。夕暮れ時のはざまの時間を家路に向かって歩くような。それが何だか逆に気持ちが悪い気がした。
それに私がもっと気に入らなかったのは、この病院が山の中にある事だった。
ここは山ばっかりだ。
だからこそこんな気分になる、とは思えなかった。
私が生まれ育った街は海に近かった。
学校からいつも海が見えていて、潮風のにおいがとても心地よかった。潮騒の音は忙しい母に代わって年の離れた姉が紡ぐ寝物語の後ろで、心地よい音楽となっていた。海は夕暮れ、その向こうに沈んでいく太陽に赤く染められながら、私の乾いた心をいつも癒してくれた。
海の向こうにある世界ではなく、海に出て行く男でもなく、海そのものに私は焦がれた。波打ち際を濡れないように歩くのも、あの塩辛い水をかけあうのも、秘密の場所を探してはそこで戯れるのも…。砂浜に生息するカニを捕まえ、小さなムシと呼ばれるような甲殻類をおっかなびっくり指先に乗せ、そこに形作られた小さな小宇宙と遊び果てた。入江に入り込んだタコを格闘の末捕まえ、母に褒められたのは私の中では一つの武勇伝ですらある。太陽の下で焼けた肌の痛みでさえ、今では懐かしい思い出となって心の片隅できらきらと光を放っていた。
絶対に海の男だけは愛するな、と祖父を海で亡くした祖母は言っていた。
それでも私は海には焦がれていた。今ではそのすべてが、私の中で輝かしい日々として残るだけだった……。
戦後の混乱は私を海から引き離し、人の波へと追いやった。そして私は変わりゆく都会の中で結婚をし、海へは戻れなかった。二十年の月日は子供たちを独立させていったが、最後の子供が巣立っていったときには、もう私の体は動かなくなっていた。
私の面倒を見てくれる長男夫婦は、あまり無理をするなと言った。細かい病気がいくつも見つかってからは余計にだ。入院するのを決めたのは自分だが、近くにあった病院はあまりにも海から遠すぎた。
私はここで死ぬのだ。
私はいつものようにいつもの時間に起き、朝の回診を受け、三度の食事をし、同じ病院内の患者さんとおしゃべりをしたり、暇な(というといつも誤解だという目をされる)看護婦さんたちとしゃべったり、テレビを見たりという事を繰り返していた。
最近では物忘れもひどくなってきた気がした。腰は曲り、杖が無くてはもう歩き回れなくなっていた。
私はやはりここで死ぬのだ。
それでもまだ頭だけはと思いたいのに、私の頭は少しずつ何かを忘れていった。
私の口はものを言うのに適していなかった。
そんな時だった。病院内の様子がとてもおかしいことに気が付いたのは。
どこかよそよそしいというか、どことなくぴりぴりとしているというか――…私の気のせいだろうか?
何か事件でも起こったのだろうかと痛む腰をあげて井戸端会議に加わろうとしたが、彼女たちも何も知らなかった。看護婦さんたちに聞いても教えてはくれなかった。それは当たり前だが、どうしたというのだろう。それもなんだかいやで、そんなときにはただあの海の音が聞きたくて仕方がなかった。
そんな私の切なる願いが通じたのか、ある日、ついに海に立つ夢を見た。
あの音だった。耳の奥、脳にただ一つ刻まれた海の音が私の夢に現れた。
私は起きた時には泣いていた。
目に入ったものはいつもの白い天井と無機質な病室だけで、私の願いは夢となってどこかへ行ってしまった。より一層海が恋しくなり、私は薄暗い病室に泣き声がしないようにするだけで精一杯だった。
それでも、良い事もあった。
その時から、どこかで海の音がするようになっていた。
最初は耳鳴りか、病院内で流しているのかと思った。しかし突然キーンという音がするいつもの耳鳴りと違って、それはゆったりと大きなものが揺れている、波の音だった。砂がぶつかりあうことでする音なのか……水がお互いにぶつかって流れる音なのか……でも確かにあの懐かしい波の音だった。
そういえば以前誰かが、行きたいという想いが嵩じたのか、図書館に行く夢を見た、などと看護婦と話しているのを聞いた事がある。私はその時、後ろを通っただけだった。気にもしていなかった事を鮮明を思い出したのはきっと気のせいじゃない。
私もきっとそうなんだ。
海に行きたい。
海の音はその日から毎日どこかで鳴っていた。一度、回診にきた看護婦さんに話してみた事がある。彼女は念のためにと主治医に話してくれたが、どこにも異常は見つからず老化現象からくる耳鳴りだという話に落ち着いた。
私はひそかに運動と称して海の音の聞こえる場所を探し始めた。少しずつ動き始めた私を見て、看護婦はもとより息子たちにもリハビリのように見えたらしく褒められたが、どことなく「いつまで生きるつもりなんだ」という心のうちさえ見えるようだった。
それでも構わなかった。あの海で死ねるなら。
私は痛む膝と腰にむち打ち、もつれる手でしっかりと杖を掴み、壁の手すりにしがみつきながら廊下を歩き回った。
最初は微かな音が、そっちに近づくにつれて少しだけ大きくなるという事に気が付いた。私の耳はとっくに遠くなっていたが、海の音だけに耳をすませた。
そのうちにわかったのは、海の音は外から聞こえてくるという事だった。特に病院の裏側から聞こえてきて、私はいつもそちら側の窓まで辿りつかねばならなかった。
上から聞こえてくるのか、下から聞こえてくるのか。私は意を決して階段を下りた。
この、――…このポンコツが!
こんなにも辛くなければ、今すぐにでもあの音のところへ行けるのに。
そんなことを考えながら、一歩一歩、慎重に降りていった。なんとか一階分降りてこられたけれども、その日はそれで終わりだった。看護婦に見つかって、上の階まで連れ戻されてしまった。降りてみたけれど疲れたとかなんとか言い訳をしておいた。
見つかってはいけない、と私は直観した。
私はそれから、何度も何度もあの海の音の元へ行こうとした。
周囲からはそれはリハビリのように見えたのか、特に何か言われることはなかった。病室に戻りさえすれば。
地獄のような日々の中、あの海の音だけが救いだった。
最初は疲れから、嘔吐が止まらなかった。何日も何日もリハビリを重ね、ついになんとか二階ぐらいは降りられるようになっていた。私の頭もはっきりしてきたように見える。
私は病院の事情など知らなかった。息子たちには転院を勧められたが、場所がやはり海のない場所だったので断った。息子たちは渋い顔をしていたが、私は無視した。それから息子の嫁が知らずに口にした事から、私の知らないところで転院の計画が進んでいる事をしった。早くなんとかしなければ。
途中で見つかると既に連れ戻されるようになってしまっていて、私は慎重に階段を下りていった。その日も途中まで降りる事ができていたのに、看護婦の一人がふと私を見ている事に気がついた。
今日も駄目だった。
私の表情は絶望に近かったかもしれない。その看護婦は、(寒いのか自分の腕をさすりながら)近寄ってくると、私にこう言った。
「下へ行くのなら手伝いましょうか」
……好都合だった。私に断る理由なんてなかった。
嘘をつくのは心が痛んだが、下へ行きたかったのは本当だ。買い物に行くとかなんとか言って、私は下へ行くのを手伝ってもらった。
二階で別れると、看護婦が上に戻るのを待って、私はそのまま一階まで降りた。
海の音がはっきりと聞こえてきた。
とうとうここまで来た。
裏口は通る人が少なく、私のような体でも近づくことができた。以前は裏庭によく行くと誰かが言っていたが、どういうわけか今は人がいなかった。
これはきっとなにかが導いてくれたのだ……。
私は裏口の扉を開けて、外へ出た。
雨が降っていた。
しとしとと降る雨の向こうで、海の音がしていた。遠くに見える花壇が寂しく雨に叩きつけられていた。それから手洗い場。そこからじゃない。いったいどこからこの音はするんだろう。
私は重くなった腰をあげて、海の音へと近づいた。
一歩一歩、前に進んでいく。ここまで降りてきた疲れが一気にやってきたようだった。もう動きたくないと駄々をこねる体を引きずって、私は海へと近づいていく。
どこだ。いったいどこから。
膝がいう事をきかずに、庭に倒れ伏した。どこか折れたのか、今まで感じた事もない痛みが体に走った。それでも私は行かねばならなかった。あの水音のところへ。
見上げると、音の元凶がぼんやりとした視界に入り込んだ。
海には柵がしてあった。こんなもののせいだ。
海には蓋がしてあった。こんなもののせいだ。
私が海へと行けなかったのは。
私は柵を何とか潜り抜けて、ふらふらと海へと近づいた。海には木製の蓋がしてあった。どういうわけか厳重に閉じられていて、丸い海への入口を塞いでいた。傍には萎れた花束が横たわっていた。
水の音が聞こえる。
私は精一杯の力を振り絞って、上に置かれている蓋を動かした。体中が悲鳴をあげていた。もう痛みしか残っていなかった。何度も蓋を動かして、ようやく見えたその先で、あの懐かしい音がした。
海があった。
私はその海へ向けて手を伸ばした。
海の中からも、私へ向けて、私が手を伸ばしていた。
私は還る。海の中へ。




