第1話 ギルフォード・スペンサー
ギルフォード視点のお話です。
クリストール歴2023年2月13日<トライデン騎士領 首都グレース>
父上は騎士団長としての仕事が多忙で、なかなか家族と過ごす時間はない。俺は父と同じ第7騎士団に所属しているからたまに団長として訓練を見に来ることはあるが、父が弟のことを知るのは学校からの年に2回届く成績表と、オズワルドと母上から家での日常の出来事を聞くくらいだ。それ以外の父との交流は数カ月に1度、家族揃って食事をするときに学校の話等を軽くする程度である。
これまでのラルフの悪行の数々は、辞めていった教官達の名誉の為にも、学内では緘口令が敷かれ、外部に漏れることはほとんど無かったのだが、ラルフを受け入れることがどうしても嫌だった騎士団事務局長によって、とうとう父上の耳にも入ってしまった。
そして、俺とラルフはスペンサー家の名誉を守るため、アルゴ都市同盟に国外任務という名の厄介払いをされることになった。
俺としてはトライデンの騎士団はあまりにも退屈だったので、海外任務は大歓迎だ。しかし、クラテス自治都市はカロス大陸でも特に文化レベルの高い都市国家で、各国の貴族や大商人が大陸中から集まってくる。ラルフが国際問題を起こさずにやっていけるかは多少不安ではある。その辺は、俺がしっかり監視していかなければならないな・・・。
それにしても、オズワルドも一緒に来てくれることは本当に有難い。
オズワルドはスペンサー家の執事で、元々は他国で傭兵をやっていたらしい。だが、20年前に父上に拾われてからは護衛兼執事としてスペンサー家に仕えている。俺達兄弟が生まれてからは主に俺達の教育係として、剣術や馬術、読み書き、計算等を教えてくれた。傭兵時代に鍛えた剣術の腕は、トライデン騎士領でも5本の指に入るほどで、教官達をボコボコにしたラルフでも一度も勝ったことがない。また、俺達兄弟に対しては、自分の孫のように接してくれて、多少過保護なところはあるが、常に俺たちの心配をしているような人である。
年齢は60歳で、身長は182㎝、すらっとして引き締まった体に、銀髪とダンディな顔で街のおばちゃん達のファンは多い。
「若様方、クラテス自治都市は、ここから馬車で2週間ほどかかります。私は旅の準備と、護衛の手配、お二人の着任手続きの準備、向こうでの生活に必要な物や屋敷の手配等で出発は3日後になりますので、その間に荷造りを済ませてくださいね。」
ラルフと二人で自室に戻り、部屋を見回すが、八畳ほどの部屋にはレースのカーテンが付いた窓が1つ、俺とラルフのベッドと机が2つ、クロークが2つ。あとは共有の本棚が一つあるが、ラルフはあまり読書をしないのでほとんど俺の本だけで埋まっている。数少ないラルフの本の中には「拷問の歴史」「殺さない拷問の方法」等、見たら気分の悪くなるような挿絵が描いてある本が並んでいる。
「兄さんと僕の荷物はあまりないから、荷造りはすぐに終わりそうだね。余った時間は僕達が今まで色々とお世話になった人達に挨拶にでも行こうよ」
うわ~、すげーニヤニヤしてるよ。絶対悪い事考えてる顔だよこれ。こいつの挨拶って絶対違う意味だよ。お世話になった人っていうのも絶対あっちの意味だよ。
「ん~、挨拶は時間もないし、屋敷の人間だけで良いんじゃないか?それよりほら、せっかくだからクラテスについて少し調べてから行こうぜ。」
「えぇ~、折角こんなときの為にお世話になった人のリスト作ってあったんだけどな~。まぁ、兄さんがそう言うなら仕方ないか。」
今こいつあからさまにチッって顔してたよ、やっぱり危ない挨拶周りしようとしてたよ、マジあぶねぇ。おまわりさん!この人危険です!
「じゃあ、兄さん、行こうか」
「ふぇっ?どこに?」
「クラテスについて調べるんじゃないの?だったら書庫に行こうよ」
「あ、うん、そうだな。」
この屋敷には大きな書庫があり、800年以上も続いている聖騎士家なので蔵書数も膨大な数になる。中には歴史的に貴重な本等も相当数置いてあり、丁寧に保存されている為、保存状態も良い。本好きには涎が出るような環境ではあるが、特に俺とラルフは数百年前の本なんかは今と使っている言葉等が大分違っていたりするので、全く興味がなく滅多に書庫に入ることはない。
姉上は昔から稽古をしているとき以外は書庫に籠ることが多くて、時間を忘れて本に夢中になっている姉上を食事に呼んで来るように言われて書庫に入る機会が多かったが、姉上が騎士予備校を卒業して家を出てからは、使用人が掃除や本の風通しをする以外で、ほとんど誰も使うことがなくなってしまった。
二人で書庫に入り、改めて中を見回してみるが、とにかく本の数が多い。たしか、8万冊以上あるときいている。円形の部屋の内壁は作りつけの本棚で埋められており、部屋の中央にある螺旋階段から各階ごとに本が並んだ通路に向かって四方向に橋のような通路が伸びていている。それが4階の天井まで吹き抜けになって伸びており、その光景には何度も入ったことがある俺でも思わず見とれてしまうほどだ。
何年か前に、母上が維持も面倒だから蔵書の大部分を旧王立図書館に寄贈しようと、父上に提案していたが、父上は「ソフィーが戻ってきたら使うからそのままにしておくように」と言っていたのを思い出したが、確かに母上の言う通りこの数を管理するのは大変だろう。
「なぁ、おまえ地理の本ってどの辺にあるかわかるか?」
「僕、こういうのは苦手だから兄さんに任せるよ」
「あっそ」
まぁ、こいつに聞いた俺が馬鹿だったな。本は分野別に並んでいるので、取り敢えず3階にある地理のコーナーを探してみる。「イスタニア共和国の河川」「カロス大陸山脈地図」「トライデン騎士領」・・・。あった!「アルゴ自由都市同盟」
「おーい!あったぞー!」
「早かったね。じゃあ、僕はここで少し昼寝するから、兄さんが読んだら僕に概要だけ教えてくれればいいよ。」
俺は机に突っ伏して寝る態勢に入っているラルフに向かって、近くにあった本を真上から落とすが、ラルフは体を起して片手でそれをキャッチした。
「兄さんここにある本は貴重なんだから大事に扱ってよ。」
そう言って俺が落とした本をそのまま枕代わりにして、寝る姿勢に戻る。
仕方なく俺は見つけた本を持って、ラルフが寝ている斜め前の席に座って本を開く。
「第3章 自治都市クラテス概要」
現在のクラテスはアルゴ自由都市同盟内の16都市の1つであるが、アルゴ都市同盟成立以前は神聖アルゴ帝国の1都市であり、クリストール歴1467年に16の都市が同時に独立を宣言したことで起きたアルゴ内乱によって、独立した自由都市のひとつである。
クリストール歴2005年時点での自治都市クラテスの人口は約75万人。
カロス大陸でも有数の工業都市で主な産業は製紙工業と繊維工業である。特に繊維は安価で質の高いクラテス生地として有名で、カロス大陸の繊維市場の80%を占めている。また、工業都市としての発展と供に、輸送に必要な港湾や道路や上下水道等の公共インフラも整備されている。
政治は議会制民主主義で、直接選挙で16歳以上のクラテス市民から選挙で選ばれた市議会議員(定員50名)と、市議会議員から間接選挙で選ばれた市長が行政を担っている。
クラテスには警察組織はあるが、常備軍はなく、アルゴ内乱でクラテスの独立を支援したトライデン騎士領との条約により、トライデン騎士団がクラテス領内に駐屯しクラテスの防衛を担っている。
う~ん・・・。こういうのも良いんだけど、もっとこう15歳の少年の心を躍らせるような情報が欲しいんだよな。でも、トライデン騎士領の首都であるグレースよりも人口は1.5倍くらい多いのと、上水道が整備されていることだけ取ってもここより都会であることは間違いないだろう。
「おーい!ラルフー!おーきーろー!」
ラルフを揺さぶっても起きないので、枕代わりにしている本を勢い良く抜き取る。
ゴンッ!
俺の思惑通りラルフは机に顔面をぶつけて、やっと起きた。
「ツッッ!何するんだよ、兄さん」
ちょっと涙目になりながら、抗議してくるが、自分の口の横に涎が付いていることに気づいて、俺の服で顔を拭いてくる。
「汚ねっ!そもそも揺すっても起きないおまえが悪いんだよ!」
「酷いなもう。それで、本は読み終わったの?」
「あぁ、ここより都会だってことがわかった。人もここより多いらしい。」
「そんだけ?もっとこう、14歳の少年の心を躍らせるような情報はないの?公開処刑とかさ。」
「公開処刑なんて、見て何が楽しいのかわからんけど、俺が読んだ本には書いてなかったな。向こうに付いたら観光ガイドブックでも買おうぜ。それに、クラテスに駐屯してるうちの騎士団の人が案内してくれると思うし、こんなとこでいいだろ。」
「わざわざ書庫で調べた意味はまったくないけどね。」
「おまえは書庫で昼寝してただけなんだから文句言うなよ」
「はいはい」
翌日は荷造りをしたり、これまでお世話になった自分達の部屋の掃除をしたり、屋敷の使用人達に別れの挨拶等をして1日を過ごした。
出発の朝
俺達が支度を終えて屋敷の外に出ると、父上と母上、使用人達が門の前に並んで待っていた。俺達を見ると最初に母上が駆け寄ってくる。
「ギルフォード、ラルフ、あなた達なら大丈夫だと思うのですが、もし辛いことがあったら、いつでも帰ってきなさい。そして、二人とも毎月必ず手紙をおくってちょうだいね。本当はわたくしもあなた達に付いて行きたいのですが・・・。」
「母上、オズワルドも一緒なので大丈夫ですよ。それに、向こうには父上の第7騎士団の方々もおりますから、心配はりませんよ。」
「僕も大丈夫ですよ。それに年に一度は必ず二人で帰省しますので、またすぐにお会いできます。」
そう言うと、母上はにっこり笑って手作りのクッキーの入った袋をラルフ達に渡した。
「ソフィーも家を出てしまったので、母は寂しいですが、男の子の門出を笑顔で見送るのは母の務めですね。これは今朝焼いたばかりのクッキーです。馬車の中で二人で食べなさい。」
「はい。ありがとうございます。」
母上はハンカチを出して涙を拭きながら1歩後ろに下がると、次に父上が俺達の前に出てきて俺達を抱きしめた。
「おまえ達は俺の大切な息子だ。厳しく突き放すようだが、俺はおまえ達を心の底から愛している。そしてお前達には大いに期待しているが、無理だけはするな。何かあったらすぐに俺に知らせるんだぞ。」
父上がまさかこんなに心配しているなんて、俺もラルフも思いもしていなかったので、二人とも照れてしまった。
「父上、私もラルフも、もう小さな子供ではないのですよ」
「そうですよ、父上。屋敷の前で少し恥ずかしいです」
俺達がそう言うと父上は苦笑いをしながら、俺達を解放した。
「それはすまなかったな。これからは気を付けよう。出発の前に俺からも二人にプレゼントがある。」
父上がそう言うと父の従者が後ろから2本の剣を持ってきて父上に渡す。
「この剣はお前達が騎士団に入団したときに渡そうと思って、トライデンで一番腕の良い鍛冶師に依頼して用意していたものだが、ここで渡しておく。受け取れ。」
父上から渡された剣は新品の片手剣で、柄の部分と鞘にもスペンサー家の紋章が刻印されている。
「父上、ありがとうございます。大切にします!」
「ありがとうございます!僕も大切にします!」
ラルフは宝物を扱うように大事そうに剣を受け取り、それを見ている父も満足そうだ。
「オズワルド!息子達のことを頼んだぞ!」
「はっ!私の命に変えてでも若様達のことをお守り致します!」
俺達は馬車の前に達、改めて父上達の方を向く。
「それでは、父上、母上。行って参ります。」
「行って参ります!」
こうして俺達は馬車に乗り込み、多くの見送りを受けて出発した。
馬車は3台で、先頭の馬車は護衛の兵士が乗り、真中の馬車は俺とラルフ、オズワルドの3人、最後尾の馬車には2週間分の食料や水、俺達の荷物等が載っている。
さらに先頭の馬車の前には騎馬兵士が2騎、それぞれの馬車の両側に騎馬兵士が1騎ずつ、
最後尾の馬車の後ろにも騎馬兵士が2騎の合計10騎の騎馬兵士と、先頭の馬車の中にも護衛の兵士が6名、さらに各馬車に1名ずつ馬車を操縦する兵士が乗っており、合計19名の護衛である。ラルフとオズワルドも護衛の兵士達より戦闘力は上なので、俺を除けば2個分隊の戦力に相当する。その辺の盗賊だと見ただけで襲う気を無くすだろう。
こうして俺達はクラテスへ向けて出発した。
※トライデン騎士団の部隊編成は10名の1個分隊が最小規模で、分隊3つで小隊、小隊3つで中隊、中隊3つで大隊、大隊が3つで連隊、連隊が3つで師団となる。また、戦時には師団が3つの軍団を編成することもある。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
明日も21時頃投稿の予定です。