1-3 『遭遇』
初めての感覚だった。
身体中は焼けるように熱いのに、思考だけは氷点下にいるような、そんな矛盾な感覚。
いや、正確には矛盾なんかじゃない。しかし、僕にはそれが矛盾に思えたのだ。
「やってくれたな、ガキ」
苛立ちを隠そうともしていない男が長めの剣を構える。
いや、それは構えなんてもんじゃない。そんな、崇高なもんじゃない。
しかし素人目から見て観ても隙だらけだが、僕にはそれが誘いにも見えてしまった。
なんて言ったって相手は本当の悪者だ。僕のような子供なんかには到底考えられない事をするに違いない。
何せ勝てば官軍、負ければ賊…… ようは勝ったもん勝ちと言うわけだ。
だから、保険を使わせて貰う。
「今のうちに、逃げろ!」
破れた服から露となった肌を腕で隠しながらも、こちらを呆然と見ていた女の人に叫ぶ。
視線を向けられようやく自身に言われたのだと気づくと、女の人は力の抜けていた足に活を入れるように叩き、よろよろとしながらも立ち上がった。
「た、助けを呼んで来ます!」
若干震えた声を出すと、彼女はこちらに背を向け走っていった。
「なっ…ぐあっ!!」
咄嗟に女の人の腕を掴もうとした男の側頭部を木の棒で思いきり叩きつけた。
「!……!、ころ、殺してやる………っ」
片手で側頭部を押さえながら、男は血走った目で総一を見た。
そして、次の瞬間には男の視界が奪われた。
「ぎゃああああああぁぁっっ!!」
血が飛び散る。
振るったナイフが、男の両目を切りつけたのだ。
痛みに顔を押さえながら倒れ悶える男を一瞥し、総一は一歩踏み出した。
「こ、このっ!!」
振り下ろされたナイフを木の棒で防ぐ。
「……っっ!!」
そして、開いたナイフを男の喉に突き立て、振り抜いた。
ズブッ、ブシャアァッ!
人の皮を切る気持ち悪い感触がし、嫌悪感に総一は表情を歪める。
気持ちが悪い。吐いてしまいそうだ。
残り、一人。
最後の一人に向き直ると、その男の後ろから、バキバキと、何かを折るような音が起こる。
「で、ディアベアーだ―――」
叫ぼうとした男は、その言葉を遮られた。
優に5mはある巨大な熊が、その血のような紅い瞳をこちらに向けていた。
その熊の右腕は滴る赤い水、血液で濡れていた。
◇
大陸の三大国家の一つ、大陸北東部に在るテール王国。
古き良き風習と新しい技術が集うその国は五大大国の中でも最優の国と呼ばれている。
そのテール王国の更に北に深い森がある。『精霊の森』だ。
その精霊の森近くに、とある町がある。
『ヤーコルト領』の『コルシン』の村。
このコルシンの村の名産品は村の四割を占めるぶどう農園から採れる上質な赤ワインだ。
コルシンのワインと言えば、先代の国王が舌鼓を打ち、コルシンのワインを王国御用達のワインにしたと言う話が有名だろう。
王国で行われる式典などには必ず出され、そこでコルシンのワインを喉に通した各国の王族や貴族達は国へ帰る際に必ず大樽で買って帰る程なのだ。
そんなコルシンの村だが、少し、とは言えない大きな問題がある。
討伐レベルBクラスの大型モンスター『ディアベアー』だ。
(討伐レベルとは、そのモンスターを討伐するのに、後に語る事になるギルドランクの推奨レベルの事だ。これもまた後に語る事になるが、討伐レベルBクラスだと、ギルドの熟練者のパーティーが複数、軍隊では一個大隊を必要とするレベル)
大型モンスター『ディアベアー』。
体長5mを軽く越えるその巨体から放たれる攻撃は須らく生身の人間では即死級だ。
鋭い爪は鉄をバターのように切り裂いて、牙はミスリル銀にすら穴を開けてしまう。
そして特筆するのが口から放たれるブレスだ。
そんなギルド討伐推奨レベルBランク『ディアベアー』なのだが、毎年ある時期になると妖精の森の更に向こうにある標高2000mを越える氷山『骸山』から精霊の森に降りてくるのだ。
その大きな理由が、コルシンの村のぶどう農園だ。
氷山から吹き付ける寒い風に身が引き締まり、ワインにすれば極上な薫りを楽しませてくれるそのぶどうの匂いに誘われてディアベアー達は毎年収穫間際になると下山してくるのだ。
しかし前記のようにコルシンのワインは先王が好み、愛したワインだ。
現王もコルシンのワインの愛好家の一人である。
故にこのコルシンの村、そしてぶどう農園は国直々に守られているのだ。
今年も、国家推奨クエストを受けた傭兵達と国軍の部隊がコルシンの村に駐留していた。
駐留している人の数は軽く百を越え、否応なく村は賑わいを見せる。
普段閑静な村の酒場もごった返すような傭兵や兵隊に目を回しながら注文の食べ物と酒を配り続ける。
「で、どうするん?。今日にでも森に入るんか?」
酒場の一角。ギシギシと音がなるラウンドテーブルを囲むように座る五人の傭兵達は酒が並々と注がれたジョッキを片手に作戦会議と洒落込んでいた。
切り出したのは二十代前後の女性。だがただの人ではなく、彼女の頭には特徴的な獣耳がピンと立っていた。
所謂、獣人と呼ばれる亜人である。
服装は動き易さを追求した服装で、ホットパンツから伸びる脚が男の視線を釘つけにする。
「そうだな。俺は森に入るのに賛成だ。お前らはどうだ?」
獣人の女の言葉に答えたのは身長が2mはありそうな顔に大きな傷痕を残す大柄な男だった。
顔以外、煤汚れた鉄の重装備のその男は座る椅子の側に置いていた巨大な剣、クレイモアの柄に触れながら仲間を見る。
「もち!ウチは賛成やでグレイ?。確かにディアベアーは一体やない。せやけど個体数が多いわけやないんや。やれる時にやっとかないと獲物盗られるで?」
獣人の女は椅子の上で上手に胡座をかきながら残りの仲間を見る。
「まあシズクの言う通りではあるな。俺も賛成だ。けど、先に腹を膨らましてからだ。これだけは譲れない」
「ボクも賛成、かな」
「…………任せる」
皿に盛られた食べ物をガツガツと食べながら答える男に、シズクと呼ばれた獣人の女にコクンと頷き返す軽装のやや銀に近い緑の髪の美女。そして杖を抱くように持つ赤い髪の小柄な少女。
「決まり、だな。少ししたら出るぞ」
「おう!」
「任せとき!」
「うん!」
「…………ねむ」
シズクにグレイと呼ばれた男の言葉に皆言葉を返す。
それに満足したように頷くグレイ………が、事態はゆっくり仕事前の飯を食わせてはくれなかった。
「どなたか助けてください!盗賊が現れたんです!」
酒場のドアを乱暴に開けた少女によって。
◇
低い唸り声で、その熊はこちらを睨んでいる。
「……くそ、目が霞んで来た」
そんな熊に対し、僕は今にも死にそうだった。
刺された腹から血が抜けすぎたのだろう。
足元はおぼつかず、まるで陽炎のように揺らぐ熊が見える。
これは、不味い。
熊に勝とうだなんて全く思って居なかったが、こんなのでは勝てる筈がない。
いや、もともと相手取ろうとした事が間違いだ。
熊を相手に銃無し、しかも一人で倒すなんてマズ無理なんだ。
ナイフと木の棒なんてゲームの初期装備みたいなもんじゃないか。
それにこの熊、明らかに日本の熊よりデカイ。
対比して見ればわかり易いんだけどなぁ。
ついに朦朧として来た思考に舌打ちして、総一はため息をついた。
なに考えてるんだ、僕は。最期に人助けして死のうとしたのに、勝ってどうする。
そう思うと僕は全身の力を抜いてその場に倒れた。
いや、嘘だ。
力が抜けて倒れたんだ。
視界がグラリと歪んだのがわかる。グルリと回り、
「盗賊を四人も切り伏せるとは、見た目に似合わず中々の使い手のようだ。死なすのは惜しいな」
凛とした女性の声が聞こえた気がした。
加筆修正しましたー