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ガレキがうず高く積もる敷地内を歩き、今にも崩れそうなホコリっぽい廃ビルの中へと足を踏み入れる。
その途端、
「おーっほっほっほ、よく来たわね、真綿さん」
聞き覚えのある笑い声が響き渡った。
声の響きだけで、ぱらぱらと壁が崩れてきている。
その声の主は真綿ちゃんが筆跡から予想していたとおり、蘇我春歌ちゃんだった。
そして春歌ちゃんのすぐ横にはもうひとり。
見覚えのある女の子がいた。
女の子はロープで両手を縛られ、春歌ちゃんに背後から抱えられている。
「きゃ~、たすけてぇ~!」
悲鳴を上げているその子はもちろん、手紙にもあったように、勇授くんの妹である唯夢ちゃん。
なんとなく、余裕のある悲鳴にも聞こえるのだけど……。
ただ、唯夢ちゃんの目の前では、これみよがしにナイフがキラリと光を放っている。
春歌ちゃんが唯夢ちゃんを左手で抱え、右手を回して顔の前にナイフをかざしているのだ。
危険な状態なのは確かだろう。
さらに春歌ちゃんの左右には、ずらりと黒いスーツを身にまとった男たちが構えていた。
「唯夢! 大丈夫か!?」
「お兄ちゃん~、たすけてぇ~!」
さすがの勇授くんも大声で叫ぶ。
唯夢ちゃんが助けを求める声も大きくなる。
もっとも、やっぱりどこか余裕が感じられるようにも思えてしまうのだけど。
ともかく勇授くんとしては、一刻も早く唯夢ちゃんを助け出したいと考えているだろう。
でも春歌ちゃんはナイフを持っている。
それに、春歌ちゃんの周りにはスーツの男たちもいるのだ。
下手に手出しをすると、唯夢ちゃんを危険にさらすことになる。
勇授くんだけでなく、孝徳くんも紗月ちゃんも身動きが取れないでいた。
「おい、春歌! おぬし、こんな小さな子を人質に取るなんて、恥ずかしいとは思わんのか!?」
そんな三人を差し置いて、真綿ちゃんが一歩前に踏み出すと春歌ちゃんに向けて叫んだ。
あまり刺激するのはマズい。
そう考えていた三人ではあった。
だけど、一瞬驚いたような顔をしてはいたものの、相手が真綿ちゃんでは止められないと悟っているのか、真綿ちゃんを制止するようなことはなかった。
きっと三人とも、真綿ちゃんと同じように思っていたのだろう。
ここは真綿ちゃんの勢いに任せてみよう。
そんなふうに考えたに違いない。
ともあれ、真っ先にその真綿ちゃんの声に反応したのは、春歌ちゃんではなかった。
「ゆいむ、小さくなんてないよぉ~!」
自分が命の危険にさらされているというのを、わかっているのかいないのか、唯夢ちゃんは文句の声を上げる。
「おほほほほ。小さくないらしいですわよ? ということは、わたくしはべつに恥ずかしくなんてない、ということになりますわね」
「なにを言っておる! どちらにしても、恥ずかしい行為に変わりあるまい!」
唯夢ちゃんの声を聞いて、笑いながら勝ち誇ったような物言いをする春歌ちゃんに、真綿ちゃんはなおも食ってかかる。
さらに続けて、こんな質問を加えた。
「だいたい、どうしてこんなことをするのじゃ!?」
凄まじい勢いで大声をぶつけられながらも、春歌ちゃんは怯むことなく、落ち着き払った態度を崩しはしなかった。
「前から言っていると思いますが、お忘れですか? あなたの祖先に討たれた蘇我入鹿の恨みを、子孫であるあたしが受け継いだのですよ。あなたと同様、生まれ変わりと言ったほうがいいでしょうけれど」
「じゃが、それならばわらわを直接討ちにくればよかろう!? なぜ唯夢ちゃんや他の者たちを巻き込むのじゃ!」
「ごちゃごちゃとうるさいですわねぇ。あなたがたは今、あたしの手下に囲まれているんですよ? 覚悟したほうがいいのではないですか?」
春歌ちゃんの言葉で、黒いスーツの男たちが身構えた。
落ち着き払った春歌ちゃんと、怒鳴り散らす真綿ちゃんの言い争いが続く中、勇授くんたち三人は依然として、身動きが取れずにいる。
「早く、どうにかしないと……」
勇授くんは冷静に機会をうかがっていた。
いや、冷静とは言いきれないかもしれない。
その証拠に、勇授くんの額には大粒の汗が浮かんでいる。
「おーっほっほっほ。こんな言い争いをしていても、埒が明きませんわね。みなさん、そろそろ無駄な抵抗はやめてください」
言い争うことにも飽きてきたのか、春歌ちゃんはそう締めくくると、唯夢ちゃんの目の前にかざしているナイフにぐっと力を込めた。
「待てっ! おぬしの狙いは、わらわなのじゃろう!? 唯夢ちゃんは解放するのじゃ!」
「おほほほほ。人にものを頼んでいるような態度とは、どう見ても思えませんが……。そうですわね、土下座でもしていただけたら、考えないこともないですわよ?」
「くっ……!」
面白そうに笑い声を上げながら、春歌ちゃんはそんなことを言い出す。
もちろん、真綿ちゃんが素直に従うはずは……。
と、信じられない光景が、目の前で繰り広げられた。
「真綿……」
勇授くんがつぶやく。
真綿ちゃんは、春歌ちゃんに言われたとおり、ホコリで汚れた地面にひざをつき、頭を地面にこすりつけるように深々とした土下座の体勢になっていたのだ。
「唯夢ちゃんを、解放して……ください……。お願い、します……」
いつもの卑弥呼様口調ではなく、丁寧な言葉で懇願する真綿ちゃん。
土下座するように言った張本人である春歌ちゃんですら、驚きの表情を浮かべていた。
「お……おーっほっほっほ! 真綿さん、いいですわ! とてもお似合いの格好です! なんて素晴らしい気分なんでしょう!」
「唯夢ちゃんを……解放して……ください……」
懇願を続ける真綿ちゃんの弱々しい声が響く。
でも……。
「なかなか楽しい余興でしたが、解放はしませんわ。まだあたしの気は済んでおりませんから。真綿さん、あなたをもっと痛めつけて差し上げます。そのために、この子はまだまだ利用させていただきますわ」
「真綿にここまでやらせておいて、卑怯だぞ!」
勇授くんが、怒っている。
普段はいつでもどこか軽い感じの笑い声を響かせているだけの勇授くんが、本気で怒っている。
それを見て、孝徳くんと紗月ちゃんは、驚いていた。
……というよりも、どうしてだろう、ふたりはなんとなく、喜んでいるようにも思えた。
一方、勇授くんの怒りの視線を受けている春歌ちゃんは余裕の表情。
……いや、春歌ちゃんもなぜか、満足げな笑みを浮かべているように見える。
「おーっほっほっほ。無駄話はここまでにしておきましょう。さあ、真綿さん。もう土下座はいいですわ。ゆっくり歩いて、あたしのところまで来てください。他のみなさんは、動いたりしないようにお願いしますわね」