夏祭り
蝉の声が校舎の外で騒がしく響き渡る七月の終わり。
終業式が終わったばかりの教室には、まだ夏の熱気が残っている。
橘透は、机に頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。
「先輩、ぼーっとしてますね」
後ろから聞こえた声に、透は振り返るとそこには朝倉澪が立っていた。
白いシャツの袖を少しだけまくり、いつものように柔らかく笑っている。
「……別に」
「絶対、何も考えてない顔してましたよ」
「失礼なやつだな」
透はため息をついた。
澪は一学年下の後輩で、幼馴染だ。
家が隣同士で物心ついた頃からずっと一緒に育ってきた。
小学校も、中学校も同じ。
だから学校では「先輩後輩」でも、普段はただの幼馴染だった。
「夏休みですね」
「そうだな」
「先輩、予定あるんですか?」
「ない」
「即答ですね」
澪は横で笑っていた。
その笑顔を見ると、透はいつも少しだけ胸が落ち着かなくなる。
理由はわかっている。
でも、それを言葉にしたことはない。
たぶん、これからも。
「澪は?」
「私ですか?」
澪は少し考えてから返答した。
「バイトと…友達と遊んだりですかね」
「ふーん」
透はなんとなく頷いたが、本当は聞きたいことがある。
夏祭り、誰かと行くのか。
でも、聞けなかった。
聞いたら何かが変わってしまいそうで。
「そういえば……来週、駅前の夏祭りありますね」
透の心臓が少しだけ跳ねた。
「ああ」
「あそこ毎年すごいですよね」
「まあな」
二人は小さい頃から、その祭りに行っていた。
屋台、金魚すくい、りんご飴。
そして最後に上がる花火。
小学生の頃は、手を引かれて歩いていた。
中学生の頃は、友達も一緒だった。
でも今は。
「……」
透は高校生になってからずっと思っていた。
今年は、澪と二人で行きたい。
でもそれを言う勇気がなかった。
澪には友達も多い。
きっと誰かと行くはずだと。
自分が誘ったら迷惑かもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
「先輩。」
「ん?」
「もしですよ?」
澪は少しだけいたずらっぽく笑った。
「もし私が夏祭り誘われたら、どうします?」
透は一瞬言葉に詰まった。
「どうもしない」
「えー」
澪は頬を膨らませる。
「ちょっとくらい反応してくださいよ」
「幼馴染に今更反応とかないだろ」
澪は少しだけ黙った。
そして、小さく笑う。
「そうですよね。」
その声が、ほんの少し寂しそうに聞こえた。
でも透は気付かなかった。
夏祭りの前日。
透は家の前で立ち止まっていた。
隣の家の玄関を見つめる。
澪の家だ。
スマホを取り出し、メッセージアプリを開く。
『明日、祭り行く?』
そこまで打って、指が止まる。
削除。
また打つ。
『暇なら祭り行かない?』
……なんか違う。
また消す。
「何やってんだ俺…」
透は頭をかいた。
たったそれだけの言葉なのに、どうしてこんなに難しいんだろう。
その時。
ガチャ、と音がした。
隣の家のドアが開く。
「先輩?」
澪だった。
透は思わず固まる。
「何してるんですか、家の前で」
「いや、別に…」
「怪しいですね」
澪は笑う。
「もしかして、誰か待ってたんですか?」
「違う」
透は視線をそらした。
本当は。
澪を誘おうとしてた。
でも言えない。
「先輩」
「ん?」
「明日、暇ですか?」
澪の誘いに、透は一瞬息を止めた。
「……まあ」
「本当ですか?」
澪の目が少しだけ明るくなる。
「友達と祭り行く予定だったんですけど、急にバイト入っちゃったみたいで」
「へえ」
透は平静を装ってはいるが、心臓はうるさい。
澪は少しだけ言いにくそうに続けた。
「それで、その……」
一瞬沈黙が落ちる。
蝉の声が大きく響く。
「……」
「……」
二人とも、言いたいことは同じだった。
でも言えない。
先に口を開いたのは透だった。
「祭り」
「え?」
「行く?」
澪は目を丸くした。
そして、少しだけ笑う。
「……先輩から誘うなんて珍しいですね」
「悪いか」
「いえ」
澪は首を横に振る。
少しだけ頬が赤い。
「行きます」
「……そっか」
「はい」
沈黙。
でも、さっきまでの気まずさとは違った。
少しだけ、くすぐったい空気。
澪が小さく呟く。
「二人で、ですよね」
透はそっぽを向きながら答えた。
「他に誰呼ぶんだよ」
「ですよね」
夏祭り当日。
夜の神社は、人で溢れていた。
屋台の灯り。
焼きそばの匂い。
笑い声。
透は人混みの中で立っていた。
「先輩!」
振り向くとそこには澪がいた。
そして透は言葉を失った。
澪は淡い紺色の浴衣を着ていて、髪も少しだけまとめている。
「どうですか?」
澪が少し照れながら聞く。
「……」
透は一瞬迷ってから答えた。
「似合ってる」
澪の頬が赤くなる。
「ありがとうございます」
二人は並んで歩き始めた。
りんご飴を買って、
金魚すくいをして、
たこ焼きを食べる。
小さい頃と何も変わらない。
でも。
少しだけ違う。
肩が触れそうで触れない距離。
妙に静かな沈黙。
そして時々目が合う。
「先輩」
「ん?」
「高校、もうすぐ卒業ですね」
透は頷いた。
「そうだな」
澪は空を見上げる。
「なんか変な感じです」
「何が?」
「ずっと先輩が隣にいたから」
透は何も言えなかった。
澪は続ける。
「来年は、いないんですよね」
「まあな」
その言葉が、少しだけ重かった。
ドン――
花火が上がる。
夜空に大きな光が広がる。
二人は川沿いに立って花火を見た。
「先輩」
「ん?」
「今日、誘ってくれて嬉しかったです。」
透は少しだけ驚いた。
「別に」
「私、本当は誘おうとしてたんです」
透は振り向く。
「え?」
「でも先輩忙しいかもって思って」
透は苦笑した。
「俺も同じこと考えてた」
澪は目を丸くする。
そして小さく笑った。
「似てますね、私たち」
花火が夜空いっぱいに広がる。
赤、青、金色。
澪の横顔が光に照らされる。
透は心の中で思っていた。
好きだ。
ずっと前から。
でも言えない。
言ったら、
この時間が終わりそうだから。
「先輩」
「ん?」
「来年も夏祭り行きましょうね」
透は少しだけ笑った。
「俺もう卒業してるぞ」
「それでもです」
澪は花火を見ながら言う。
「幼馴染ですから」
透は頷いた。
「……そうだな」
夜空で最後の大きな花火が咲く。
二人の距離は、
近いのに、少し遠い。
けど、ほんのり前より近くなった。
けど、きっとまた来年も隣にいる。
二人は心の中で想っていた。
〜fin〜




