第46話 危うかった未来
「おう、今回は扉が壊れてねえな」
俺の家の玄関の扉を見ながらイッテツさんは満足そうに言う。
「そんなに何回もは壊れねえよ。あのときが最後だ」
むしろ壊されてたまるものか、とため息を吐いた。
「どれどれ、とりあえず中に入るぞ」
「ああ、鍵を開ける」
鍵を開けて玄関の扉を開くと、イッテツさんはずかずかと中へと入っていった。
その後を追えば、廊下の壁に彼は手で触れていて、少しした後に以前ムゥが使っていた部屋の扉を開ける。
「ふむ、まあこの部屋のものは一旦避難だな。お前さんの部屋や居間は大丈夫だろ。この部屋の荷物だけ一旦こっちで預かるが、いいか?」
「ああ、構わないぞ……イヴ?」
イッテツさんに返事をしたところで、イヴがゆらりと部屋の中に入った。
部屋を見回したイヴはじっとベッドの方を見る。
ムゥが去った後に一応掃除はしたが、何かゴミでも見つけたか。
「……ここにあのクソガキが」
「イヴ? なんて?」
「なんでもありません!」
少しだけ声を荒げ、俺の横を通り抜けて廊下へと出ていくイヴ。
一体なんなんだと、廊下を歩く彼女の背中を見つめた。
「そんじゃ入れていくぞー」
「ああ、頼む」
声をかけられて部屋の方に視線を戻せば、イッテツさんは魔法で家具を格納していた。
収納魔法は熟練の魔法使いが使うものだが、イッテツさんは大工。
使えるだけでもすごいのに容量もかなり大きく、やろうと思えば塔の内部の家具を全て収納することも可能だとか。
なんでこの人、大工をやってるんだろうか。
「できたぞ」
「……相変わらず見事なお手前で」
少し経てばムゥの部屋は何もない空き部屋へと早変わりした。
「これで準備は完了だ。お前さんが良ければこの後すぐに着手するが、いいか?」
「ああ、構わないぜ。明日のいつくらいに来ればいい?」
「そんなにはかからんとは思うが……まあ、明日の昼までには連絡する」
「りょーかい。楽しみにしてる」
上機嫌で答え、イッテツさんに別れを告げて空き部屋を出る。
廊下の先、玄関の前にイヴは壁に背を預けて立っていた。
「話、終わりましたか?」
「ああ、終わったぞ」
「では宿へ行きましょうか」
「ああ」
イヴと共に、俺は再度エステルの街へと足を運んだ。
◆◆◆
エステルの街は小さいものの、宿泊施設はそれなりにある。
イヴが以前使っていた宿を使いたいということで、俺はそれを受け入れたのだが。
「すみません、一部屋一泊でお願いします」
受付でのイヴの一言に、俺は「おいおい」と止めに入った。
「二部屋でいいだろ?」
「先生」
帰ってきたのは胸にすとんと落ちるような声音。
イヴは首だけを俺に向け、まっすぐな視線を向けてくる。
「先生も知っての通りお金は大事なものです。もちろんここで二部屋取ることも可能でしょう。ですが一部屋でも良いはずです。先生なら、この意味が分かるのではありませんか?」
「いや、金は大事だが、別に二部屋取っても――」
「たった一晩少し我慢するだけで、他の何か幸せなものにお金を使えるんです。この価値は計り知れないのではないでしょうか?」
「……まあ、そう……なのか?」
正しいような、でもそのために我慢するのは違うような、と思っていると、イヴはそそくさと手続きを済ませてしまった。
金銭もイヴの方で払われてしまっては、強く言うこともできない。
そうして鍵を受け取り、二階の一室へと向かう。
階段を上って廊下を歩いた先の扉を開けば、やや小ぢんまりとした一室が迎えてくれた。
ベッドは大きいものの一つしかない。
「適当に荷物を置いて、しばらくしたら夕食でも食べに行きましょうか」
「ああ、そうだな」
といっても持参したものは多くはないし、泊まるのも一夜だけだ。
荷物を置いて、さてどうするかと部屋を見渡した時。
「先生、こちらに座っていただけますか?」
イヴが指さしたのは、床だった。
「……は? いやなんでだよ」
「座ってください」
「だからなんで――」
「座ってください」
「…………」
一切の言い分を聞かないと言わんばかりのイヴの雰囲気を受けて、俺は床に座ろうとする。
別にイヴが怖いわけではないが、なんとなくそうした方がいいのかと思い、正座した。
イヴも同じように正座し、じっと俺を見る。
「ムゥ・アスガルド」
発せられたのはムゥの名前で、イヴは満面の作られた笑みを浮かべて口を開く。
「説明して頂けますか? 一体彼女との間になにがあったのか。なにを指導し、どのように先生の住居で生活したのかを、事細かに」
「いや、それなら飯食いながらでも――」
「今、ここで、事細かに……お願いできますか?」
「……ああ」
イヴの発する重圧に負け、俺はムゥとの日々をかなり事細かく説明した。
どんな魔法を改良し、どんなふうに一緒になって考えたかなどを、かなり長く、それこそ夕食にしては遅いと思える時間帯になるまで説明した。
その間、イヴはただじっと俺の話を聞いていて、けれど時折「ふふふ」と笑っていた。
俺はこの時、こいつ結構ヤバいんじゃないか、と思い始めていた。
◆◆◆
「美味しいご飯でしたね」
「ああ、悪くはなかったな」
外食を済ませた後、俺とイヴは宿屋へと戻ってきた。
この部屋では冷たい雰囲気だったイヴは、夕食を食べるときにはその雰囲気が霧散し、以前の彼女に戻っていた。
飯や酒のつまみにイヴの話を聞きつつ、もう夜も遅い時間になって帰ってきたわけである。
「時間も時間だし、そろそろ寝るか」
「そうですね、着替えて寝ましょう」
そう言ったイヴは服に手をかけたので、俺は慌てて後ろを向いた。
以前一緒に暮らしていた時は俺の部屋と居間に必ず二人が分かれるようにしていたので、完全に不意打ちだった。
「あ、ごめんなさい先生。ついこれまでの癖で……すぐ着替えちゃいますね」
「いや、大丈夫だ」
俺の言いつけを守ってきたならずっとソロだった筈だ。
それなら宿の一室で着替えるのが普通だっただろう。
そう思いつつも俺の頭は何か警告を発していて、そしてそれがなんなのかは分からなかった。
「お待たせしました。先生も着替えちゃってください」
「いや、俺は大丈夫だ。一日くらい何とかなる。……もう寝るぞ」
なぜかわからないが早く寝たほうがいいと感じ、ベッドに入る。
イヴと同室で寝たことは何度もあるし、今更ドキドキする関係でもない。
そう思っていると部屋の明かりが消え、背中側から掛け布団が動く音が耳に届く。
イヴもベッドに入ったことを感じたとき。
「先生、待ってますからね」
その声が、耳に届いた。それを最後にイヴは沈黙。
一方で俺は、頭をフル回転させていた。
(なんだ? 待っているって……なんだ?)
何度も考えるが、この状況的に一つの答えにしか行きつかない。
これはそういうことなのだろう。雰囲気的に考えてそうだと、なんとなく思った。
だが。
(……確かに俺とイヴはもう先生と生徒って関係じゃねえ……ねえんだが……)
どうも、乗り気になれない。
もちろんこれまでの付き合いでイヴを教え子としてずっと見てきたからというのが第一。
けれどそれ以上に、今のイヴに手を出すのはヤバいと本能が訴えていた。
(考えろ……仮に手を出せばどうなる? イヴは嬉々として受け入れるかもしれねえ。いやきっと受け入れる……でもその場合、俺とイヴは結ばれて、二人で教室を切り盛りしながら人生を過ごして……いく?)
頭で思い浮かんだ光景が、闇に書き消える。
思い浮かんだのは、ベッドに鎖で拘束される俺自身の姿。
光のない目で、イヴに飯を食わせてもらう、哀れな己だった。
(……いや、無理だわ)
突拍子もない発想かと思ったが、今のイヴならやりかねない。
特にムゥのことを話させたあの時のイヴの重圧は、俗にいうヤンデレの素質を感じさせた。
そして彼女は、今や勇者に選ばれるほどの実力者である。
つまり、俺がイヴに抗うことは不可能なわけで。
(ダメだ、絶対にヤバい。手を出したら文字通り終わる。俺は確かにこのエステルでスローライフを送りたいと思ったが、監禁生活を送りたいわけじゃねえ)
冷や汗をかきながら、最悪の未来に戦慄していた時。
「先生、こうして一緒に寝ていると、昔を思い出しませんか?」
「あ、ああ……思い出すな」
「当時は何とも思っていませんでしたが、冒険者活動を再開して少ししてから、あの日々が宝物だと気づきました。先生の側にいることが、私の使命だと」
「お、おう……そうか……それは嬉しいな」
そういえばギルドでもそんなことを言っていた。
あの時は適当に流したが、今になって考えてみると、クッソ重い心情だったらしい。
「先生は、私のことを覚えていてくださいましたか?」
「も、もちろんだ。お前はとても優秀な生徒だったからな」
「誰よりもですか? あのムゥとかいうクソガキよりも?」
「お、おう。そりゃあ……そりゃあそうだろ。俺にとっても最初の生徒っていうのは大きいしよ」
「そうですよね? 大きいですよね? 私は先生の最初の生徒。これは他の誰も持っていない私の誇りです」
声色からして喜んでいるのが分かるが、そこにどこか危ない何かが混じっている気がした。
「で、でもよ、他にも一流になったとか、勇者に選ばれそうになったとか、それらも誇りなんじゃ……」
「そんなもの、先生の第一生徒であることに比べれば何の価値もありません。それこそ、そこらへんに溜まっている埃のようなものです。……あ、誇りと埃でかけられていますね」
「あ、ああ、そうだな……」
ワー、オモシローイ……なわけあるか、と心の中で突っ込んだ俺は、背後で横になっているイヴに対して戦々恐々としていた。
(こえーよ。こえーし重いわ……身の危険を感じる……)
背筋が冷たくなるのを感じたところで、俺は努めて冷静に言葉を発することにした。
この危機を乗り越えるには、勇気を振り絞らなければならない。
「……イヴ、生徒連れてきてくれて、ありがとうな」
「先生?」
「正直、あんまり教えたいやつがいなくて暇してたんだ。おかしな話だよな。夢見た生活なのに、いざ時間ができると退屈なんだからよ」
「いえ……そのようなことは」
「だから、やることを見つけてきてくれたのは嬉しかったぜ。久しぶりにお前に会えたこともよ。……帰ってきてくれて、ありがとうな」
「先生……」
しみじみとしたイヴの声を聞きながら、俺は行けると確信。
畳みかけるように、言葉を続けた。
「今日はもう疲れただろ、ゆっくり休め。俺も休むことにする。明日も明日で考えることがあるからな」
必殺、俺もう寝るからお前も寝ろよ作戦。
俺の未来の命運をかけた大作戦は発令され、そして。
「……わかり……ました」
やや不満げながらも受け入れたイヴの言葉で、大成功を確信した。
そのまま意識して眠りに入ろうと考え、目を瞑り、眠りへと落ちる。
翌日の朝、ノックの音が宿の一室に響き、イッテツさんが部屋を完成させたことを宿の人経由で知った。
俺は「流石イッテツさん!」と感動していたが、「早すぎます」と不穏に呟いていたイヴの言葉は聞こえてないふりをした。




