第35話 変わり始めた日常
「……んあ?」
目を覚ますと、壁が見えた。
すぐにここが俺の部屋だというのは分かったが、なぜここにいるのかが分からない。
ぼーっとする頭で何があったのかを考えたところで、ムゥの発動した風魔法『トルネード』を思い出した。
「っ!?」
そうだ、ムゥは?
ベッドから起き上がると、背中に肌寒さを感じた。
腕を回してみると、素肌がさらけ出されている。
「は? いや、なん――」
背後を確認しようとしたところで、ベッドの上にムゥが居ることに気づいた。
彼女は眠っているのか、穏やかな寝息を立てている。
「ああ……そういやこいつが魔法を暴走させて、それを見て思わず庇ったんだったか……」
その際に背中の衣服は切り刻まれたんだろう。
ムゥはそれを責任に感じ、ここまで運んだ後に回復魔法をかけてくれたのか。
「まったく……本当に困ったクソガキだ」
あれほど休めと言ったにもかかわらず、それを無視して訓練。
しかも結果として魔法を暴走させるとは……まったく、これ以上はない最悪の結果を引き起こしてくれたものだ。
(……これでムゥが魔法の暴走を契機にして、オーバーワークを辞めてくれればいいんだがな)
喉の渇きを感じ、ムゥを起こさないようにベッドから慎重に下りて居間へと向かう。
扉を開けて廊下に出ると、左から風を感じてそちらを見た。
玄関の扉が、無惨にも倒れていた。
「なんじゃこりゃあ!!!」
開いているのではなく、倒れている。
もう玄関の扉の役割を果たしているとは到底思えなかった。
俺は自室の扉を乱暴に開け、先ほどの叫び声で目を覚ましたのか、眠気眼を擦っているクソガキに叫んだ。
「てめぇ! 俺の家に何しやがる!」
「……エンデー?」
大声に一瞬びくっとしたムゥだが、俺の姿を見ると目を見開いた。
そしてベッドから飛び降りて、俺に抱きついてくる。
「エンデー! エンデーぇ!!」
「うおっ!? お、おい!?」
「エンデー、大丈夫!? 痛いところない!? 私、魔法でエンデーを傷つけちゃって、それで……」
「だ、大丈夫だ……特に痛いところも、怪我もねえよ……」
必死な態度のムゥに、今まで感じていた怒りもどこかへ行ってしまう。
腰に強く抱きつくムゥの頭に、手を置いた。
「これに懲りたら、これからは休め。無理しても意味ねえって分かっただろ? 魔法に関しては天才なお前が魔法を暴走させちまうんだ。万全の状態だったら絶対に起こらないことだろ?」
「……うん」
これまでは何度言っても聞かなかったからあまり期待はしていなかったが、意外にもムゥは素直に頷いた。
「私がエンデーの言うことを聞かなかったから、エンデーは傷ついた。……エンデーが傷だらけで倒れたとき、怖かった。エンデーが居なくなるんじゃないかって、気が気じゃなかった。あんなのは……もう嫌だから」
「お、おう……んん?」
ムゥの言葉を聞いていて、ようやく分かってくれたかと思ったが、少し引っ掛かりを覚えた。
「なに?」
「お前、普通に話せるようになったのか?」
ムゥといえば、単語で話す変わったガキというイメージが強かった。
けど今は普通に話せている。
「……うん、大丈夫みたい」
「そうか……」
家の玄関から吹いてくる冷たい風を感じて、呆れたようにため息を吐いた。
「ってそいつは良いとしてお前なぁ……俺の家の玄関、さては魔法で吹っ飛ばしたな?」
「うっ……ごめんなさい」
「……まあ、お前の悪い癖を治すのがドア一枚なら安いもんか」
「……エンデー」
ぱぁっと明るくなるムゥの顔。
それを見て、これまでの悩みが全て消えていくような、そんな気がした。
「玄関は明日、イッテ……知り合いに頼むわ。それにしても腹減っただろ。食えるか?」
「うん、食べれる。エンデー、夕飯」
ムゥは俺から離れ、ニッコリと微笑んだ。
夕食後、自室へと戻った俺は魔法式の改良に着手する。
今回の一件でムゥはかなり反省をしてくれたらしく、夕食の席では、もう二度と無理をしない、と誓っていた。
あの様子なら、彼女のオーバーワークの問題は解決したと思っていいだろう。
けれど、もう一つの課題に関してはまだだ。
「……やっぱり難しいな」
使えない上位魔法の魔法式の改造が新たな目先の課題だ。
いつものように作業机に向かって頭を抱えていると、不意にノックの音が響いた。
「……あ? ムゥか?」
『エンデー、入りたい』
「ああ、いいぞ」
声をかけると扉が開き、ムゥが中へと入ってくる。
その両手には大量の本と紙の束があった。
「どうかしたか?」
「改良、ここ」
「ここでやりたいってことか?」
「うん、エンデー、一緒。案、出る」
あの後、ムゥは元の単語のみの口調に戻ってしまった。
個人的には、こっちの口調の方がムゥって感じがするから、別に構わないし、ムゥ自身も気にしてないようだった。
「なるほど、共同で魔法式の改良ってのもいいかもな」
一人で部屋に籠りっぱなしっていうのも良くなかったのかもしれない。
ムゥはベッドに座り、本や紙の束を側に置いて作業をし始めた。
それを見届けて、俺も魔法式の改造へと戻る。
「エンデー、『トルネード』、見て」
「んあ? ああ」
ムゥから差し出された紙を受け取るも、彼女は差し出した手を引っ込めようとはしなかった。
「今、なに?」
「今改良しようとしてるのはAランクの『フレア』だな」
「見たい。エンデー、魔法式、見てきた。分かる、かも」
「おう、こいつだ」
互いに着手していた紙を交換し合って、それに目を通す。
ムゥのトルネードの魔法式は彼女が考えただけあって改良に改良が重ねられている。
それでもまだ取り組んでいるということは、納得がいっていないということ。
魔法の天才であるムゥがあそこまで考えて出ないなら、俺でも出ないだろう、と思ったが。
「……んん?」
一部おかしな部分が目に入る。じっとそこを見た後に机からノートを取り出した。
ムゥが改良したこれまでの魔法式をまとめたものを素早くめくり、いくつかの魔法式に目を通す。
「……おい、ここ、こっちの方がいいんじゃねえか?」
紙にペン入れをして、ムゥに差し出す。
すると何かを書き込んでいたムゥは差し出された紙を受け取り、目を走らせた。
「これまでの式から見るに、こっちの方が使い慣れていそうじゃねえか?」
「……それ、ダメ」
どうやらムゥもこの修正案を試していたらしい。
首を横に振って否定するムゥから紙を受け取り、それをじっと見つめる。
「なるほど……じゃあこっちは?」
それならと、一部の魔法式にのみ使われていた記述を書き込んでみる。
ムゥは紙をじっと見つめた後に、ひったくるように俺から紙を奪った。
そしてその紙をまじまじと、それこそ穴が開くんじゃないかと思えるほど見つめている。
何度も何度もムゥの瞳が上下左右に動いた後で、彼女は弾かれるようにペンを手に取り、書き込み始めた。
静かな部屋に、ペンが紙を滑る音だけが聞こえていた。
しばらくしてペンを置いたとき、ムゥは目を輝かせて口を開く。
「出来た。出来た、エンデー!」
「お、出来たか」
椅子から立ち上がってムゥの手元の紙を覗き込んでみると、魔法式が一つある。
最善かどうかは俺には分からないが、ムゥの反応を見るに、これが求めていたものなのだろう。
嬉しそうにしているムゥは思い出したかのようにハッとした後に、今度はベッドに置いていた紙を手にして俺の方に差し出してきた。
「こっちも、直した」
「お、来たか……なるほど」
受け取り目を通せば、ムゥの修正箇所はかなり理にかなっている部分が多かった。
けれど中には俺が思いつかなかったような箇所もある。
「魔法式、見てきた。そこから」
俺のこれまでの改良した魔法式から、修正案を考えてくれたんだろう。
改良した『フレア』の魔法式を確認した後、細かい部分を修正。
この魔法は明日にでもムゥに試してもらおうと思い、次の魔法へと移る。
「エンデー、次。『ボルトランス』」
「あいよ……どれどれ?」
この日、俺とムゥは夜遅くまでお互いの魔法式を共有し、弄りまわした。
その間ムゥはベッドの上から動かず、俺は何度も椅子を回してムゥの方へ向き直った。
改良が進んだというのもあって、時間はまるで流れるように過ぎていった。
夢中になって魔法式を弄り回すこと数時間。
これまでネックだった魔法式改良の課題が、解決しつつあった。
一人でやるよりも二人の方が効率が良いし、同じ空間で集まってやるのも効率がいい。
特に天才たるムゥの言葉には俺自身も刺激されることが多く、やる気が落ちなかった。
仲間と一緒に夢中になって一つのことに取り組める、楽しい時間だ。
「っと、なあムゥ、こいつは……」
聞きたいことがあったので振り返ると、ムゥはベッドの上にいた。
たださっきまでは座っていたが、今は横になって丸まっている。
まるで猫のようなその姿と、ベッドの上に置かれたペンと紙に笑みが零れた。
「そうだよな……もう夜も遅いもんな」
椅子から立ち上がり、ベッドに置かれているムゥのペンや本、紙を集める。
見れば見るほどに惚れ惚れする程の魔法式を、俺の作業机の上に片付けた。
作業終わりと言わんばかりに両手を二回叩き、ベッドに振り返る。
起きなさそうなので、ムゥの肩と足に手を入れて持ち上げようとしたが。
「ぐっ」
すごい力でシーツを掴んでいるようだった。
「おい……ムゥ……」
「すぅ……」
「…………」
起きる気配は皆無。小さくため息を吐き、彼女をベッドに再び横にならせる。
すると空いている手すらもシーツを掴んでしまい、完全に動かなくなった。
「……俺どこで寝るんだよ……クソガキ……」
「むにゃあ……」
夢の世界に先に旅立ったムゥに文句を言うも、返事はムカつく寝言だけ。
ベッドをムゥに使わせて俺が椅子で寝るという案も出てきたが、なんで俺の部屋なのに俺がベッドで寝れねえんだ、と思い直して却下した。
仕方なく部屋の明かりを消し、俺はムゥとは反対側のベッドの淵へ彼女をまたいで移動。
そっちで眠ることにしたが、シングルベッドなので少し狭い。
「ったく……」
小さく文句を言って、布団をかぶる。
その際にムゥの姿をちらりと見て、仕方ないなと思って彼女にもかけてやった。
これまでの疲れが残っていたようで、翌日の朝になってもムゥは起きなかった。
彼女を起こさないように静かにベッドを抜け出し、部屋を出た。
朝食の時に呼びに行くのが日課だが、少しでも長く寝てもらおうと思い、その日だけはちょっとだけ起こすのを遅らせたりした。




