第16話 裏切りと凶刃
大した敵じゃなかった。そう思っていました。
スカーベアはここら辺では強い部類に入りますが、先生の指導を受けた私からすれば余裕をもって倒せる相手。それが二体になろうとも同じこと。
大雨という悪天候は土をぬかるませて足場を悪くしますが、戦局を左右するほどの影響は与えません。
「?」
不意に、背後から雨の音に交じって刃の走る音が聞こえました。
剣を鞘から抜き放つ音ですが、私の後ろには先生しかいません。
(もしかしたら、早く終わらせるために先生も協力してくれるのかも……先生の剣技を見れる?)
今まで先生と模擬戦をしたことはあっても、それは鞘に刀を入れた状態であって、本気とは程遠いものでした。
ですがこれから、先生の抜いた刀での剣技が見れる。
それが楽しみで楽しみで、上げた口角を隠すことすら忘れ、振り返ります。
「せんせ――」
先生に声をかけようと、そう思ったのですが。
視界に映ったのは、刃の一閃でした。
「……え?」
身体が熱くなったと気づいたと同時、鋭い痛みが襲いました。
咄嗟に身体を見下ろしてみれば、私の左胸辺りの軽装鎧の上から右下の腹部まで、斜めに斬られていました。
軽装鎧のおかげと、咄嗟に身体が後ろに動いたために傷は浅いものの、斬られた傷は熱く、血が流れ出ています。
腹部に手を当てれば、生ぬるい感触。
頭はまだ混乱したまま。
(な、なんで? どうして? なんで……先生が?)
理解できない状況に頭が上手く回りません。
「だから言っただろ、戦場では誰も信じるなって」
先生の言葉が、耳に届きました。
「なん……で……」
信じられなくて問いかけますが、返ってきたのは呆れかえる先生。
今まで向けられたことがないほど冷たい視線を向けられ、そして。
「悪いな、お前はもう用済みなんだ」
先生が再度刀を振るいました。
「っあ……」
今度は逆に、左の腹部から軽装鎧の右側にかけて。
深い深い傷に熱さと激痛を覚え、身体が脱力していくのを感じます。
立っていることができなくなり、地面にゆっくりと倒れました。
先生から教わった受け身すら取れない、無様な倒れ方。
いえ、それよりも私は今、どうして先生に斬られて? そもそも私は、本当に先生に斬られたのでしょうか?
分かりません。何もわかりません。
一体何が起こっているのか、全く分からない。
教えてください、先生。
「せん……せい……」
雨音だけが響いていました。
世界が少しずつ暗くなり、身体が冷たくなっていくのを感じます。
一体なぜこんなことになったのか、もう何もわからなくて。
「まあ、このまま放っておいても魔物に食われて野垂れ死ぬか」
先生のその一言が、やけに私の耳に鮮明に残りました。
その言葉の意味を良く考えるよりも前に、私は激痛と流した血のぬるさを感じながら、意識を闇へと落としていきました。
眩しさと、温かさを感じます。
うっすらと目を開ければ、温かい感触と日差しを感じました。
ここは、先生の家?
「……あら、目が覚めたのかい!?」
自分が今どこに居るのか把握しようと思って部屋を見渡していると、扉が開いておばさんが入ってきました。
彼女は私が起きているのに驚いた後に、心配した顔を向けてきます。
「あ、あの……っ」
身体を動かそうとして胸に激痛が走ります。
胸に手を持っていけば、包帯が巻かれていました。
「動いちゃだめだよ。とりあえず薬は使ったけど、雨で体温は下がっていたし、血も流していたからね」
「な、なにが……」
「覚えてないのかい? あんた、近くの森で倒れていたんだよ。綺麗に斬られていたから、魔物じゃなくて人にやられたのか……いずれにせよ災難だったね」
「……そうでしたか。ありがとうございました」
そこまで説明されてようやく、私は思い出しました。
私は、先生に斬られたということを。
「あ、あたしは隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれよ? もう少しゆっくりしているといいさ」
俯いて両こぶしを握っていると、おばさんは気を使ってくれたのか、そう言ってくれました。
「あの、ここは?」
「エステルの街の外れさ」
どうやら遠くまで来た、ということは無く、たまたま近くにいた人が助けてくれたらしいです。
答えてくれたおばさんはそのまま部屋を出ていきます。
残ったのは私一人だけ。
ベッドに仰向けになれば、窓から射す太陽の光が温かいです。
でもその一方で、私の心の中は冷え切っていました。
「私……先生に……」
今でも鮮明に思い出せるあの時の光景。
先生は私を斬り、あの場に放置しました。
『用済み』
『放置しておけば魔物に食われて野垂れ死ぬ』
言われた言葉が頭を過り、握る拳にどこまでも力が入ります。
「裏切……られた……」
必死に努力してきて、先生の期待にも応えてきた筈でした。
でもそう思っていたのは私だけ、先生からは、違ったのでしょう。
「…………」
裏切られ、雨の中で捨てられたことに、怒りは感じます。
ですがそれ以上に、私は悲しかった。
胸が張り裂けるような程の痛みが、さっきからずっと襲い掛かってきます。
信じていたのに。先生だけは誰よりも信じられると、そう思っていたのに。
でもその結果、こんな手痛い代償を払うことになるなんて。
「はっ……はっ……」
手のひらを胸に置けば、まだ僅かに痛みが走ります。
先生に斬られた傷が、これが現実である、ということを容赦なく訴えてきます。
悲しくて悲しくて、先生に対しての怒りや悔しさも相まって、心の中がぐちゃぐちゃに。
ぽろぽろと、目から涙が零れ落ち、布団に小さなシミを作っていきます。
「うっ……くうっ……ぐすっ……ううっ……」
痛い、苦しい。
どうしてこんな思いをしなければならないのか分からなくて、でも教えてくれる先生はもう居なくて。
何がいけないのか、考えても考えても答えは出なくて。
(なぜ? ……なんで? なんでこんなこと……に……)
ベッドに横になり、腕て顔を覆います。
でも涙は止まらなくて、どれだけ考えても私では答えなんて出なくて。
辛くて胸は張り裂けそうで、考えすぎて頭が痛くなって。
(もうこんな思いをするくらいなら……人との関りなんて……いらない)
そこまで考えてようやく、ほんの少しだけ痛みが和らいだ気がしました。
「はぁ……はぁ……くっ……」
いつの間にか息は上がっていたらしく、呼吸を整えます。
そうです。もう人と関わらなければいい。
必要最低限の関わりだけで、生きていけばいい。
「…………」
簡単なことだったと、そう気づきました。
腕で涙を拭き、息を吐いて上半身をゆっくりと起こします。
まだ痛みはあるものの、動けないほどではない。
そう思った私は、近くに軽装鎧や直剣が置かれているのが目に入りました。
ベッドから降りて、なるべく音を立てないように着替えます。
そしていつもの恰好に戻った私は窓のふちに手を置き、扉の方を振り返りました。
「……ありがとうございました、おばさん」
名前も知らない親切な方にお礼を言って、窓を乗り越えて外に。
そのまま、見つからないように今まで療養していた家を後にしました。
◆◆◆
イヴが家を出てから数時間後、様子を見に来たこの家の家主ことパーラ・ハーモニーは、イヴの不在に唖然とした。
しかし開かれた窓と彼女の装備品がなくなっていることから、出て行ってしまったのだろうと思い至ったようだ。
「うーん」
彼女は困ったような声を上げ、頬に手を当てる。
「あの子が倒れていることを知らせてくれた黒髪のお兄さんについて話そうとしたんだけど、居なくなっちゃったわねぇ……」
その言葉は、当然だがイヴの耳に届くことは無かった。




