病弱な姉に全てを奪われました。
何か思いついてしまって、書いてしまった短編です。
「ごめんね」
それが姉の最後の言葉だった。
「許さない……」
私の言葉は聞こえたのだろうか。
姉の閉じた目尻から、涙が流れた。
私は冷たくなっていく姉の手を握りしめながら呆然としていた。
兄が、泣いている母の肩を抱いて姉の部屋から出て行く。
使用人達も従った。
「お前はアリシアのそばにいてあげなさい」
父が最後にそう言って、私の肩を叩くと部屋を出て行く。
誰もいなくなった部屋。
私は姉の白い顔を見下ろし、涙を拭ってやる。
まだ身体に温かみもあり、まるで眠っているような……。
私は右手でポケットから小さなナイフを取り出した。
いつかは使うことになるかもと思っていたが、こんなことになるなんて……。
私は、姉のその細く白い右手の甲にナイフを突き立てた。
姉の右手は私の左手が支えるように握っていたので、ふたりの右手と左手にナイフの刃が貫通した。
痛みが、でも、姉と同じ傷を負っていると思うと喜びの気持ちの方が大きい。
ナイフを抜くとふたりの血が、たぶん私の血の方が多いのだろうが滲みだし、混じりあう。
私は姉の安らかな死に顔に向かって囁くと、引き抜いたそのナイフを……。
☆
姉は私の3歳年上だった。
私にとって6歳上の兄がいて、3歳上の姉がいて、そして私。
物心つく前から、私は姉と一緒に過ごすことが多かった。
姉は生まれつき病弱で、そのせいもあるのか見た目は弱く儚げだったが、とても大人びていた。
私は姉のベッドの上で一緒におままごとをしたり、本を読んでもらったり、姉の体調の良い時には庭で敷物の上に座る姉の周りを走り回ったり。
私の世界の大半は姉で占められていた。
母が「アリシア、あなたは立派なお姉さんね」と微笑むたびにアリシアは少し悲しげな顔をする。
私はそんな姉が大好きだった。
このままずっと一緒にいたかったのだが……。
私が6歳になった時に姉が言った。
「フィル、あなたは私じゃなくて、アウグスト兄様ともっと過ごすようにしないとね」
私はなんと返答したかもう覚えてない。
『いやだ』『断る』『このままがいい』とかそんなことを言ったのだとは思うが……。
アリシアは私の髪を撫でた。
「なら、私のためにお出かけして。
そして夜に、私のためにその日にあった出来事を私に話して」
私は姉のために、姉のそばを離れて外の世界へ踏み出した。
外の世界はまあ、それなりに面白かったが、私は毎晩、姉の部屋を訪れてはどんなことがあったか話をするのを楽しみに生きていた。
私が12歳の時。兄が18歳になり、成人のための祝いの会を我が家で開くことになった。
アリシアがいるため、あまり他の家との付き合いをしてこなかった我が家だが、家を継ぐのは兄だ。
兄の妹であるアリシアも挨拶ぐらいはしなくてはいけない。
いつも部屋の中で私にだけ微笑みかけてくれる姉が、ドレスを着て皆に微笑みかけている。
私は胸がつかまれて握り潰されるんじゃないかと思うほど、痛かった。
アリシアの儚げな美しさに、呼ばれていた令息達が不躾なほどの視線を注いでいるのがわかったからだ。
姉は家族の挨拶の間だけ、祝いの席にいたが、歓談の時間になると私と共に部屋に戻った。
「ふう、何とか伯爵家の令嬢としての役目はできたかしら」
「あいつら、許さない。
アリシアのこと、その、無遠慮にじっと見たりしてさ……」
「私のために怒ってくれてるの?
ありがとう、フィル。
でも、大丈夫よ。
私が、本当にいるんだ! って驚きがあったんじゃないかしら、ね。
怖いもの見たさよ」
違うよ。
あれは……、憧れ、そして、できれば近づいてもっと知りたい、触れたいという……。
アリシアを女として見ている、許せない視線なんだよ。
私の恐れは現実となり、兄が親友だという貴族令息を屋敷に連れてくるようになった。
そして、アリシアの部屋をその貴族令息は訪ねてくるようになり……。
アリシアもその令息が訪ねてくるのを楽しみにしているような……。
兄も、アリシアも、その男も、嫌いだ!
そう思っても、アリシアにだけは嫌われたくない。
ある日、兄とその男が話をしているのを聞いてしまった。
「アリシアと……、あのフィリップは何か特別な関係でもあるのか?」
「フィル?
弟だが?
まあ、幼い頃からアリシアとよく遊んでいて、姉思いなところがあるから。
それで、アリシアに恋をするお前のことが気に食わんのだろう」
「それだけだろうか……」
「それより、やはり反対されたのだろう?」
「……ああ、やはりそこまで病弱な女性を嫁に迎えるわけにはと言われた。
それでも、俺は、彼女が好きだ。愛している」
「ああ、でも、嫁として迎えられないのなら、お前にやるわけにはいかないな」
「しかし、彼女には無理だろう!
普通に結婚し、夫婦になり、子を生すということが……」
「そうだな」
「恋することや愛し合うことすら許されないのか?」
「……申し訳ないが、妹のことはあきらめてくれ」
ざまあみろ。
そう思いながら彼の言った『恋することや愛し合うことすら許されないのか?』という言葉が、何度も何度も私の脳裏に蘇る。
姉が病弱だから。
そして、アリシアが私の姉だから。
彼は我が家に来なくなった。
姉はいつもと変わらなかったが……。
そして、姉が18歳になった時、祝いの会は開かれなかった。
そして、姉は私を遠ざけ始めた。
私は意味がわからず混乱した。
そして、古くから私達をかわいがってくれていた姉のメイドから打ち明けられた。
姉は父と兄から意見されたらしい。
『弟はこの家を出なくてはいけない人間だ。
この時期にある程度の身の振り方を、友人、婚約者を見つけなくてはいけない。
お前も病弱とはいえ、無事に成人できたのだから、弟から離れるようにしないとな』
姉はそれで、夜、私を部屋に入れないという決断をしたのだ。
「これからは夕食前にお話ししましょう」
微笑みながら言われたが、夕食前の慌ただしい時間、15分ほどしか話ができない。
「私のことが嫌いになりましたか?」
そんなことはないのだろうが、私はついそう聞いてしまったのだ。
姉は悲しそうな顔をしてから頷いた。
「……ええ、疲れたの。ごめんなさい」
メイドから話を聞いていたはずなのに私は傷ついた。
やさしい姉なら、自分を悪者にして、私を正しい道に歩ませようとするだろうと、わかっていたのに。
姉はそれ以来、さらに身体の調子が悪くなり……。
ベッドに臥せっていることが多くなり……。
そんな時、私は友人と出かけた先で不思議な店を見つけた。
古い道具屋……とでも言うべきか。
本物かどうかはわからないが、いわゆる昔の宗教儀式や民間の呪い、魔女と呼ばれる者が作ったとされる怪しげな道具たち。
その中に、私の目を引いたものがあった。
細身の古いナイフ。
鞘から抜いて見ると、刃だけは妙にきれいだ。
その時は、友人と冷やかしで覗いただけだったのだが、どうしても気になった私は後日、ひとりでその店を訪れた。
そのナイフを手に持ち、考え込んでいると店の女性に声をかけられた。
「そのナイフが気になりますか?」
「あ……、ああ、なぜか、手元に置いておかなくてはという気になる……」
「あなたの思い人は……、そのままでは思いを告げられない方なのですね」
「……どうして、それを?」
「それは血縁切りのナイフですから。
この世では結ばれない者同士が、来世で出会うために死ぬ……、そういう道具です」
「来世で……」
そうか、姉は私の姉でいる限り、私とは結ばれず。
そして病弱でいる限り、誰とも結ばれない。
来世なら、血縁でなければ、この思いは叶うのかもしれない。
「……これ下さい」
店の女性はため息をついた。
「その方は、あなたの全てを奪うほど、あなたに愛されている方なんですね」
私はその言葉が腑に落ちた。
「ああ、姉は私の全てだ」
ナイフは手に入れた。
ただ、実行に移すことはできなかった。
決心はありながら、実行に移せないまま……。
姉はベッドから起き上がれなくなるほど衰弱していき……。
「ごめんね」
それだけの言葉を残して、私を置いて消えようとしている。
「許さない……」
ひとりで逝くことは。
私も一緒に逝く。
何も説明されていないのに、しなくてはいけないことがわかった。
生まれ変わった時にわかるように重なる傷をつけ、そして、その血の混じったナイフで命を絶てばいい。
「私の全てを奪ったあなたを許さないから。来世で待ってろ!」
☆
生まれ変わった俺は前世を覚えている。
ナイフを使った者は記憶が残るのだろう。
アリシアが死んでから使ったから、もしかしたら、もう時間切れだったのかもしれない。
でも、それでもいいんだ。
俺はアリシアと一緒に死ねたことがうれしいのだから。
前世の俺の全てを奪った姉……、病弱で儚いアリシア……。
今度こそ、丈夫に生まれ、人生を楽しめているといいなと思う。
公園のベンチに座り本を広げていたのだが、読む気が起きず、本を閉じてため息をついた。
同い年くらいの少女がふたり、公園の中を散歩していた。
ひとりは同級生の……、えっと、モーヴだったかな。
もうひとりは知らない子だ。
でも、とても魅かれるものを感じた。
彼女は右手だけに手袋をしていた。
もしかしたら……。
「モーヴ!」
ふたりの少女は立ち止まる。
「あ、フェリックス!
アリス、私の同級生のフェリックスよ。
突然声なんかかけてきてどうしたの?」
「いや、その、誰かなと思って……」
モーヴはニヤリと笑う。
「何、ひとめぼれ?
従妹のアリスよ。同い年なの。
先日、領地の方から王都に遊びに来て……」
アリスと呼ばれた少女が俺の左手を見ている。
モーヴが気がついた。
「そういえば……、アリスと似たような手の傷ね」
アリスはその言葉に俺を不思議そうに見た。
俺はアリスに笑いかけた。
許さないって言っただろ。
よくある病弱な姉か妹に全てを奪われたのが弟だったら……と思って書き始めたら、こうなりました。
ちょっと姉と弟で気持ち悪いと思う方もいるかもですね。
でも、姉もちょっとは彼の気持ちに気づいていたんじゃないかな、なんて思うのですよ。
弟として見つつ、慕ってくれるのはうれしかったのではないかと。
その時はお互いにどうなりたいというのは考えられなかったにしろ……。
書いていて、そんなことを思いました。
☆追記
読んで頂きありがとうございます。
評価にブックマーク、とてもうれしいです。
どうもありがとうございます。
書いていて……、自分は将来結婚できないだろうなと思っていた10代の時のことを思い出しました。
友人と将来を語りあっても、私の将来は想像できないと言われて。死んでそうと。
私もそう思ってました。(修学旅行で救急車に乗ったことすらあり……、なんつーご迷惑を)
でも、就職して仕事をしてひとり暮らしもできて、初めての恋人もできて、結婚という話になった時、私は正直に恋人の御両親に持病のことを伝えました。
恋人から両親に反対され、話しあったけれどどうにもならなくて、別れるということにした、と言われました。
そういう経験があります。
その恋人は……、今の夫です。あきらめないでくれてありがとう。