全てが中途半端な俺のお見合い顛末
嫌な内容程耳に入る。
「あいつだろ?」
「そうそう。あいつが例の『ダヴィデ団長の世話係』」
「へえ~。うわさどおり弱そっ」
嗤い声が癇に障る。が、無視する他ない。
あれは確か……第二騎士団の連中か。
「だろう? あれで俺たちよりも高い給料もらえてんだぜ? なんていったって副団長様だからな」
「実力はなくても、運はあるって? たまたまダヴィデ団長の目に留まっただけのくせに、うらやましいぜ全く。代わってほしいくらいだ」
「よせよせ。いくら羨ましくても、ダヴィデ団長の下に直接就くのは悪手だ。命がいくらあっても足りない。先輩たちも言ってただろ?」
「え? あれって本当だったのかよ。だからあんなやつでもなれたのか。『副団長』はむしろ危険手当代わり?」
「そういうこと」
蔑みと憐みの混じった視線を向けられ、俺は彼らから背を向けた。
歩くスピードを速めた俺の横にピタリと部下が並ぶ。
「エミリオ副団長。いいんすか? あいつらに、あんなこと言わせておいて」
「かまわない。だいたい、おまえも最初は同じような反応だったじゃないか」
「あ、あれはまだ自分がなにも知らないガキだったからっすよ!」
必死に言い訳を並べる部下を見て、思わず笑ってしまった。正直、あいつらよりおまえの方がひどかったぞ。とは口にせず。コイツは自分の間違いを他人に指摘されるのを嫌うから。
「あいつらも同じ。だから気にしなくていい」
――どうせ、もうすぐ辞めるから。
肩を竦め、この話はこれで終わりだと強制終了させた。
俺の名はエミリオ・イデム。イデム伯爵家の四男だ。生家はここ数十年目立った功績はないが、特に問題も起こしていない中立派の家門。野心家の「や」の字もない父の影響か、領地民は穏やかで治安もいい。税も毎年きちんと納めている。
そんな家で育った俺は、わが家の教育方針『学ぶ機会は皆平等に』のおかげで四男でありながら不相応の知識を得た。が、その知識を自領で活かせずにいた。
堅実家の長男は後継者として父の手伝いをし、次男は将来長男の補佐役となれるように実践込の研修を受けている。三男は早々に自分の役割を理解し、家の利になりそうな商家に婿入りした。
そして、四男の俺はというと……家のためにできることを一つも見つけられず、王国軍騎士団に入団した。せめて生家の金喰い虫にはならないようにと悩んだ末の結果だった。
だが、残念ながら剣の腕はいまいち、銃はそこそこ。これでは昇進は望めまい。それでも一介の騎士として働けばいい。そう思っていたのになぜかダヴィデ団長に目をつけられ、副団長になってしまった。
いったいダヴィデ団長は俺のどこに目をつけたのか?
自分でもわからない。俺にいいところなんてあるのだろうか。
ダヴィデ団長は聞いても教えてくれるような性格ではない。しいていえば事務仕事が他のものよりできることくらいか?
ダヴィデ団長は『鬼才』なんて呼ばれているが、俺からすると『戦闘狂』だ。戦闘時は、普段の王子様のような姿からは想像できないようなくらい暴れる。下手をしたら味方も巻き込む勢いで。ダヴィデ団長の動きをある程度予測して動けば問題ないが、部下曰くそれが難しいらしい。
(たしかに、最初は俺も必死だった。生存率を上げるために団長の動きを徹底的に調べあげたのが、遠い昔のことのようだ)
後始末はいつも俺がしている。ダヴィデ団長程ではないが、部下たちもなかなか個性が強いので任せるのは難しいのだ。俺がした方が早い。
そして、ダヴィデ団長は協調性が皆無。仕事以外はどこかにふらふら消えていく。前線に出る以外の仕事は嫌がる。特に事務仕事なんて絶対にしない。先任の副団長は「死にかけた後にこんな雑務を……お、俺はこんな仕事をしたくて軍に入ったんじゃない!」と早々に他部隊への異動を願い出たんだとか。さもありなん。
ダヴィデ団長を筆頭に個性豊かな第三騎士団。まとめるのは本っ当にたいへんだ。他団の団員たちはそのたいへんさがわからないから好き勝手言っているが、俺だって代われる者なら代わってほしい。なんなら騎士団を辞めてもいい。最近の俺はそんなことまで考えるようになっていた。
そんな時に降って湧いた見合い話。しかも、ダヴィデ団長と一緒らしい。
――はあ?! 二組同時見合い? しかも、あのダヴィデ団長が仕事を辞める?!
ダヴィデ団長は公爵家の嫡男。いずれそういう日がくるとは思っていたが、早すぎる。なにより女性に興味がないんじゃなかったのか?
どんな令嬢に声をかけられてもピクリとも興味を示さなかったダヴィデ団長。というか、国王陛下はこの話を知っているのだろうか。俺はともかく、ダヴィデ団長が辞めるのはまずいのでは……騎士団の戦力を一気に削ぐことになる。
心配にはなったが、仲介人は総長の奥様。俺ごときが口を挟めるわけがない。と、思っているうちに正式に見合いが行われることとなった。国王陛下も承知の上らしい。なにより驚いたのは、団長が乗り気なことだ。ありえない。見合い当日は空から剣が降ってくるかもしれない。気をつけなければ。
◇
見合い当日。俺は珍しくかなり緊張していた。命の危険が伴う仕事の時も、国王陛下に会う時ですらこんなに緊張はしなかったのに。
もともと女性は得意じゃないのだ。ダヴィデ団長のように女性受けする見た目でもなく、一目で騎士だとわかるような筋骨隆々でもない。背が高いだけの男だ。銀の髪は若干くすんでいるし、ああでも青の瞳は奇麗だと言われたことがある。……小さい頃、祖母から。
騎士団に入ってからは女性とかかわることはなかった。いったいなんの話をしたらいいんだ。そう悩んでいたのがあほらしい。
「ごめんなさいね。妹が」
申し訳なさそうに謝るイラリア嬢。彼女が悪いわけじゃないのに。
イラリア嬢はカルーゾ伯爵家の長女だ。俺の見合い相手、ではなくその姉。もっと言えば、彼女の相手はダヴィデ団長だ。にもかかわらず、俺たちは二人並んで歩いている。
数百メートル前にはダヴィデ団長が、俺の本来の相手ミルカ嬢を抱えて歩いている。いったいどうしてこんなことになっているのか。まったくわからない。わかるのは……ミルカ嬢がダヴィデ団長と同じ自由人だということだけ。
それにしても解せない。ダヴィデ団長は女性に興味がないのではなかったのか。あんなダヴィデ団長を見るのは初めてだ。
――もしかして、だからダヴィデ団長は今回の見合い話を受け入れたのだろうか。それとも、なにか裏があるのか……。
考え込んでしまうのは俺の悪い癖だ。そのせいで、イラリア嬢に気を遣わせてしまった。
「いや、こちらこそ団長が、その……」
ダヴィデ団長も公爵家の嫡男なのだから、今回のお見合いがどのような目的であるかは理解しているはずだ。しかも、今回の見合いには大物が何人もかかわっている。それなのにあの態度。素の団長を知る俺はまだいいが、そんな機会がない令嬢には驚きの連続だろう。王子然としているダヴィデ団長がまさかこんなに礼儀のなっていない男なんて。
しかし、長年ダヴィデ団長の世話役を務めている俺が団長の不利になるようなことを明言できるはずもなく……。
言葉に詰まっているとイラリア嬢が先に口を開いた。
「私は大丈夫です。気にしていませんから、本当に」
ふと、妹の代わりに謝る姿が自分と被った。
――彼女はいつもこうなのだろうか。
病弱な妹の尻拭いを当然のように受け入れて……。俺と似ている。
こうして客観的に見ていると気持ちがいいものではないな。と視線を逸らした。
「エミリオ様、せっかくですからお仕事の話を聞かせてはくださいませんか?」
「仕事の?」
思いがけない申し出に首をかしげる。
「はい。見合いの場でする話ではないかもしれませんが……すでにこの状況ですし」
イラリア嬢につられて、視線を前方の二人へ向けた。
「ね。こんな機会でもなければ聞けませんし。ぜひ、貴重なお話を聞かせてくださいな。あ、もちろん言える範囲でかまいませんよ。……もし、話したくないのであれば無理にとは言いませんが」
「いや、私はこの通り団長と違い面白味のない人間なので、トークテーマを決めていただけるのは助かります」
見合いとしては失敗だったかもしれないが、俺は思いのほか楽しめた。
話し上手なイラリア嬢のおかげだ。あんなに女性と話が続いたのは初めてだった。
――イラリア嬢は素敵な女性だ。
だからこそ、ダヴィデ団長とミルカ嬢に不満が募る。団長にどういうつもりなのか聞かねば……。
◇
カルーゾ伯爵家の姉妹に会うことはもうないと思っていた。ところが……なんと二回目があった。今回も二対二で。前回は団長の生家で顔合わせをしたが、今回はミルカ嬢の希望により狩り兼ピクニックに行くことになった。
本日もミルカ嬢は団長の腕の中。男女の関係に疎い俺でもわかる。あの二人が惹かれ合っていることは。
(この見合いはどうなるのだろうか。ダヴィデ団長は嫡男。ミルカ嬢は婿取りをする立場のはず。まさか、イラリア嬢を娶り、ミルカ嬢を愛人として囲うのか? いや、それはカルーゾ伯爵家が納得しないだろう。それとも、ファルコ公爵家の権力を使って強引に? さすがにそんなことはしないだろう。でも、狙った獲物は逃さないダヴィデ団長がミルカ嬢を諦めるとも思えない)
――やはり、今日こそ団長に真意を聞かなければ。
「ここで、大人しく待っていてね」
「はい。ダヴィデ様。お気をつけて」
「ああ。行ってくるよ」
ダヴィデ団長がミルカ嬢の額に口づけを落とした。
「なっ!」
驚きで声を上げてしまった。団長の視線が自分に向けられる。覚えのある目だ。捕食者の目。俺に邪魔をするなという時の目と同じ。――ダメだ。
黙っていられず団長に苦言を呈そうとした。
「エミリオ様、お気をつけて」
イラリア嬢から声をかけられ、われに返る。
(そうだ。彼女が気丈にふるまっているのに俺がここで水を差すわけにはいかない)
内心、自由勝手気ままに振る舞う団長とミルカ嬢への怒りに震えながらも、俺は「はい。行ってきます」と返した。
令嬢二人を置いて(ダヴィデ団長が手配した護衛騎士は残している)、団長と二人だけで森へ狩りに向かう。
「団長、どういうつもりですか?」
「今日は天気がいいな」
「は?」
「狩り日和だ」
「答えになっていません」
刺々しい声色を発するが、団長には効かない。むしろ、さらにご機嫌になっている。
(相変わらずなにを考えているかわからない人だ!)
部下たちからは「団長についていけるのは副団長くらいっすよ!」と言われているが、とんでもない。俺だっていまだにわからないことだらけだ。今も!
ダヴィデ団長は狩りに集中している。こうなっては話しかけても無駄だ。仕方なく俺も狩りに参加する。小動物を数匹狩った後、団長が呟いた。
「物足りないな」
「え?」
「銃は性に合わない」
「団長?!」
「少し奥へ行ってくる」
「ちょっとまっ」
止める間も無くダヴィデ団長は森の奥へと入って行った。仕方なくその場で待つ。団長はしばらくして戻ってきた。右手にナイフを、左手に大きな猪を引きずりながら。
「団長……。今日は令嬢たちもいるんですよ」
呆れたように言えば、「知っている」と団長がからから笑う。
「この先に湖があります。せめてそこで血を洗い流してきてください」
「そうするとしよう」
血濡れた団長を見せなければ大丈夫。と思っていた俺が馬鹿だった。
拠点に帰って早々、
「ミルカは?」
なんてイラリア嬢に聞く団長。(少しくらい気を遣え!)
「寝ていますわ」
「そうか。やはり、彼女にはきつかったか」
「そのようですわね」
俺が見る限り、気にした様子もなく答えるイラリア嬢。
「ミルカの様子を見に行っても?」
「どうぞご自由に」
団長がミルカ嬢が休んでいる天幕の中に入って行ってから、イラリア嬢に話しかけた。
「エミリオ様。どうかされましたか?」
「君は、いいのか?」
まだ会うのは二度目だが、それでもわかる。彼女は聡明な人だ。未来の公爵夫人にと総長の奥様が勧めるだけのことはある。それなのに、この扱い。
しかし、彼女は平気な顔で「かまいません」と言った。ぐっと眉間に力が入る。
「君が妹思いなのはわかる。だが、さすがに物分かりが良すぎなのでは……」
「エミリオ様は私のことを心配してくださっているのですね。ですが、大丈夫です。そもそも、まだ婚約を結んだわけではありませんから」
その言葉にハッとした。
「それはそうだが……あの態度はさすがに」
「エミリオ様。ここだけのお話ですが……ダヴィデ様は私の好みでは全くありませんの」
「そう、なのか?」
「エミリオ様とダヴィデ様なら私は断然エミリオ様ですわね」
「なっ! き、聞かなかったことにする」
「ふふっ」
一瞬なにを言われたのかわからなかった。じわじわと理解していくとともに、頬に熱が集まる。女性にそんなことを言われたのは初めてだ。からかわれているに違いない。それとも慰め?
俺と団長なら誰が見ても、団長一択だろう。団長の身分や地位、能力、外見全てが極上。(性格には問題があるが、あの団長が結婚前から素を晒すとは思えない)
――ああ。イラリア嬢は自分の心に防波堤を張っているのか。自分が選ばれなかったとしても傷つかないようにと。
そこまで追い詰めたのはダヴィデ団長とミルカ嬢。
拳に力が入る。なにかを言わなければ、そう思った時ミルカ嬢の叫び声が聞こえてきた。腐っても騎士。無意識のうちに走り出していた。
「失礼する!」
返事を待たずに天幕の中へと飛び込む。後ろからイラリア嬢も。
「ミルカ。いったいなにがあったの?」
「お、お姉様」
「すまない。私が着替えをせずにそのまま入ったせいで驚かせたようだ」
そこで自分の失態に気づいた。そうだった! ミルカ嬢は正真正銘の深窓の令嬢だ。
手を洗うだけでは不十分だった。よく見ればダヴィデ団長の服に血がついている。あの団長のことだ気にすることなくミルカ嬢に近づいたのだろう。
顔色悪いミルカ嬢は、一層弱弱しく見える。――俺のせいだ。
「さて、私は着替えてこよう。これ以上ここにいてもミルカを怯えさせるだけのようだからね」
「ええ。そうなさってくださいな」
イラリア嬢に天幕の外に出るように促され、ダヴィデ団長が出る。俺も後に続いた。
「団長」
「なんだ」
「……どうしてそのように嬉しそうな顔をしているんですか?」
助言不足を謝罪しようとして、団長の表情に気づいた。今は笑うところではないだろう。なのに、団長は嬉しそうにも見える。が、その自覚はないらしい。
「私が?」と首をかしげている。「はい」と頷き返す。
「そうか。気をつけるよ」
軽い返事に顔をしかめる。ミルカ嬢に嫌われてもかまわないのか? ダヴィデ団長の考えが俺にはわからなかった。
◇
結局、見合いは成功した。
ただし、本来の組み合わせではない。ダヴィデ団長とミルカ嬢。俺とイラリア嬢でまとまった。
「お姉様。こんな結果になってしまって……本当にごめんなさい」
団長の腕の中で弱弱しく告げるミルカ嬢。その姿は保護欲をそそるのかもしれないが、俺の目には少しも可哀相とは思えなかった。むしろ、その性根は腐っているように思えた。それはきっと、彼女の目にイラリア嬢へ対する優越感が滲んでいたからだろう。
――ある意味お似合いだな。
俺が黙っている間にイラリア嬢がダヴィデ団長に頭を下げていた。
「ダヴィデ様、ミルカをどうぞよろしくお願いいたします」
「もちろんだとも」
「まあ、心強い。これからはミルカの側にはダヴィデ様がいてくださるのだから、私がいなくても大丈夫ですわね」
「ああ。ミルカのことは私に任せてほしい。私の生涯をかけてミルカを大切にすると誓うよ」
驚いた。まさか、団長の口からそんなセリフを聞く日がくるとは。ミルカ嬢への想いは本物らしい。ミルカ嬢も嬉しそうだ。皆が二人をほほえましい目で見つめる中、俺は手を挙げた。全員の視線が自分に集まる。
「あ、あの質問をいいですか?」
「なにかね?」
ファルコ公爵が応える。
「婚約相手が当初と変わるとなると、困ることがあるのでは? その、たとえば私の婿入りの話だとか」
「エミリオ!」
父から名前を呼ばれたが、質問を撤回するつもりはない。正直、俺の話はいい。俺は最悪このまま騎士として働けばいいのだから。けれどイラリア嬢は……本来公爵夫人になるはずだったのに、平民とさほど変わらない俺との結婚など……。この結婚を断るなら今だ。俺がここまで言えばイラリア嬢にも伝わるだろう。
けれど、イラリア嬢は口を開かなかった。代わりに、ファルコ公爵がとんでもないことを口にした。
「エミリオ君が不安になるのも当然のことだろう。謝罪の意味をこめて、君には公爵家が抱えている領地と爵位の一つを譲ることとした。爵位は男爵とはなってしまうが……すまないね」
「男爵位?! いや、それについてはかまいませんが……」
ちら、と父を見れば父は知っていたらしく視線を逸らされた。
男爵位。自分には十分だ。だが、イラリア嬢は……
「領地には特産品もある。うまくいけば爵位を上げることも可能だろう。大事な領地だが、君とイラリア嬢なら任せても大丈夫だろうと判断したんだ。よろしく頼むよ」
「任せてくださいな」
ファルコ公爵の言葉に、にっこりほほ笑み返すイラリア嬢。そこに不満の色は全く見えない。びっくりして、ファルコ公爵の話が左から右に抜けて行った。団長が爵位を継がず、婿入りするってことは聞いた気がする。
そこでミルカ嬢の体力の限界がきたらしい。全員そろっての話はおしまいとなり、俺たち四人(俺、イラリア嬢、団長、ミルカ嬢)は部屋から追い出された。
イラリア嬢と二人きりになり、全力で頭を下げる。
「申し訳ない!」
「それは……なんの謝罪でしょうか」
「ダヴィデ様のこともそうだが、私なんかと結婚することになるなんて」
「え? そのことを気にしていたんですか? というか、以前も言いましたよね。私のタイプはエミリオ様の方だと」
「あ、あれは冗談では」
「私は本気でしたよ」
「そ、そうだとしても、あなたが公爵夫人から男爵夫人と地位を落とすことになったのは事実」
「それについても問題はありませんわ。仕事をするのは好きですが、その地位には興味がありませんでしたから。それにファルコ公爵も言っていたでしょう。陞爵できる可能性があると」
「それは……」
「それよりも、今大事なのはエミリオ様あなたの気持ちですよ」
「え?」
俺の気持ち? なぜ?
イラリア嬢の緑色の瞳がじっと俺を見つめる。場違いにもかかわらず、ドキッと心臓が激しく反応した。
「私はこの婚約に満足しております。ですが、エミリオ様の気持ちはまだ聞いていません。エミリオ様がどーしても、嫌だというのなら私は諦めて……そうですね。修道女にでもなりましょうか」
「は?! そんなことせずとも、あなたなら次の婚約者だってすぐに」
「むりです。というか、エミリオ様以上の好物件があるとは思えません。よくて年の離れた方の後妻か。私と同じくらいの年齢で独身男性の方なんて、ろくな人間じゃない可能性がありますし」
「そ、それは……」
言い得て妙だ。
「で、エミリオ様はどうお考えで? 私と結婚するのはそんなに嫌なのですか?」
「嫌じゃない! むしろ、おこがましいと思ったくらいで」
「少々買いかぶりすぎな気がしますが。とにかく、結婚を前向きに考えてくれるようで安心しました。これからは長い付き合いになるんですから、よろしくお願いしますね? エミリオ様。いえ、ミルカを倣って早速エミリオと呼び捨てさせてもらおうかしら」
どうやら彼女は本気らしい。そう理解した途端に、心の底から湧き上がる想いに気づいた。
――俺は、この結婚を心の底から喜んでいる。
団長のことをとやかく言えない。要は俺もイラリア嬢に最初から惹かれていたのだ。
「っ。お、俺のほうこそよろしく頼む。イ、イラリア」
「ええ」
こうして俺の夢の結婚が決まった。
◇
イラリアは俺を転がすのが本当に上手だ。
――俺に似ていると思ったこともあるが、とんでもない。
彼女は俺以上に策士であり、領地経営がうまかった。人との交渉にも長けていて、俺は事務処理をするだけでよかった。聞けば、彼女は一時期次期当主の勉強を受けていたらしい。どうりで、と納得する。そんな彼女を簡単に手放したカルーゾ伯爵家に思うところはあるが、まあそれはいい。イラリアがあの家を出たがっていたのに納得できたから。
「ダヴィデ団長、また仕事ですか?」
「ああ」
こうして急に仕事が入ったとしても対応できるのはイラリアのおかげ。そう、俺は結婚とともに騎士団を抜けたつもりだったのだが、蓋を開けてみればとんでもないことになっていた。国王陛下から直接命令を受け、表ができない裏の仕事を請け負う。主に動くのは団長だが、そのフォローは俺が。
くそっ! ようやく血生臭い職場から離れられたと思っていたのに……今まで以上じゃないか!
(まあ、あの団長の狂気を発散させるためにはちょうどいいのかもしれないが)
ちなみに、このことはイラリアも知っている。国王陛下から許可をいただいた。どうやら陛下は彼女の有能さに目をつけ、自陣に引き込むつもりらしい。明らかに裏がありそうな王妃主催の茶会に彼女を招待していた。
イラリアを巻き込まないでくれという思いはあるが、彼女自身が楽しそうにしているので言えない。
(ちょっと団長と似ていると思ったのはここだけの秘密だ)
そんな中、カルーゾ伯爵家へと赴く用事ができた。ミルカ嬢からイラリア宛に「会いたい」という手紙がきたんだとか。イラリアを一人で行かせるわけにはいかない。俺もついていくことにした。
にしても、どうして今頃……。
結婚が決まった時のミルカ嬢の様子からして、自慢話が書かれた手紙が山ほど届くと思っていたのにそれはなかった。団長が上手くやっているのかと思っていたが違うのだろうか。
なんだか胸騒ぎがする。そして、その心配は的中した。
「お、姉さま」
「ミルカ」
ミルカ嬢はベッドの住人となっていた。病弱なのは知っていたが、以前会った時はここまでではなかったと思う。今は瞳にも力がない。――まるで追い詰められた小動物だ。
「お姉さま」
「なにかしら?」
「お姉さま、おねがいがあるの」
ぽろぽろと涙を流し始めたミルカ嬢。彼女からイラリアを守るためについてきたつもりだったが……これは。イラリアは首を横に振る。
「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」
「ああ、私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」
ダヴィデ団長はそう言ってミルカ嬢の頭を撫でた。途端に、ガタガタ震えだすミルカ嬢。
――団長に怯えている?
「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」
「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」
「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」
「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」
それはわかる気がする。俺もこんな団長は怖い。
ミルカ嬢は泣きながら否定しているが、かまってほしい故の行動にも見える。
泣きながら同じ言葉を繰り返すミルカ嬢に、優しく声をかける団長。
「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」
「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」
「ああ」
「ま、まってお姉様」
ミルカ嬢の制止を無視して部屋を出るイラリア。俺も後に続く。扉の向こうから聞こえてきた団長の甘ったるい声に鳥肌が立って、すぐにその場を後にした。
帰りの馬車の中。
「ダヴィデ様のこと、驚いた?」
「いや……正直、今までダヴィデ様に対して覚えていた違和感の正体がようやく見えてきて、納得したところもあるというか」
(団長が『戦闘狂』なのは知っていた。けれど、あれはさらにもっと深い……団長の深淵……)
「じゃあ、気にかかっているのは別のことなの? もしかして、ミルカのことかしら」
イラリアに頷き返す。それも気になった。あの様子は改めて考えてもおかしい。
「ああ。アレは……放置していていいのか? その、あのままだといろいろと危うい気が」
「心配になるのも無理はないと思うけど……大丈夫だと思うわ。ダヴィデ様が妹に無体をすることはないと思うから」
「ああ。その心配はしていないんだが……」
もしかしたらミルカ嬢は団長の素を知ってしまったのだろうか。王子様とは真逆のあの姿を。一緒に暮らしているのだから、その機会はあったのかもしれない。それで、ミルカ嬢は理想が壊れて絶望しているとか? ありえそうだ。狩りの後の姿を見ただけで怯えていたくらいだ。たとえ自分に牙を剥かないとわかっていたとしても、平気で人の命を奪う団長が側にいるのは怖いだろう。しかもあの人楽しそうにヤるからな……。
「ねえ。そういえば、今度登録する予定の特産品のことなんだけれど」
「ああ。それについてなら昨日のうちにまとめておいたよ。帰ったら確認してくれるか?」
「もちろんよ! というか、もう提出書を書き上げたの?! さすがね」
「いや、そんな、俺は別に」
褒められるのには未だに慣れない。今までこうして褒められたことなんてなかったのだ。他団の者たちからは、『いっそ文官になれば?』とか『就く仕事を間違えているんじゃないか』と馬鹿にされたこともある。ああ、そういえば俺がいた第三騎士団は解体になり他団に吸収されたんだとか。そこで部下たちは暴れ回り……俺を戻すようにという話が出たとか出ていないとか。まあ、その話もそのうちなくなるだろう。暴れるだけ暴れたら皆、表から消えて裏にくるらしいから。
部下たちは、「副団長のすごさを思い知らせてから合流します」と悪魔のような笑みを浮かべていた。
「俺なんか、という言葉はダメって言ったわよね」
「……すまない」
「すまないもダーメ。罰はなんだったけ?」
「う゛。め、目を閉じてくれ」
顔に熱が集まる。これもだ。これも何回しても慣れない。心臓がドキドキする。目を閉じたイラリアに顔を近づけ、そっと唇を重ねた。……今日は震えなかったし、場所もばっちりだった、と思う。一瞬だけだったけど、多分。
まぶたを開いたイラリアと至近距離で目が合い、慌てて離れる。するとイラリアから「ふふ」と笑われた。
「もうそろそろ慣れてくださいな」
「すま、いや、しょ、精進する」
「ならいっぱい練習しないといけませんね」
「っ」
だ、だめだ! これ以上はだめだ!
口を完全に閉じれば、イラリアは残念そうな表情で視線を逸らした。ホッと息を吐く。
残念な気持ちもあるが仕方ない。なにせここは馬車の中だ。それに日も落ちていない。
イラリアとの口づけは甘く、するたびに幸せでたまらない気持ちになる。が、それ以上に麻薬のような効果がある。自制が利かなくなるのだ。俺は、イラリアには嫌われたくない。
己を落ち着かせるため、ずっと下を見て深呼吸をしていた。おかげで、イラリアが捕食者のような目で俺を見ていることに気づかなかった。その日の夜は……すごかった、とだけ言っておく。