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凶鳥

作者: 泉田清

 その黒い鳥を見かけるようになったのは、去年か一昨年からである。もちろんカラスではない。ほっそりとした体はサギのようだ。それでいて体長はカラスほど。サギの幼鳥かもしれない。川辺の電信柱のてっぺんから、飛び立つのを見たのが最初だ。


 焦燥感に駆られ目が覚める。口の中がカラカラだ。枕元に置いた、水の入ったコップに口をつける。一息つくと、いつもの遅刻の夢にうなされていたのだと気づく。良くない兆候だ。

 昼休み。休憩室で弁当を食べていると、卵焼きをポロリ落としてしまった。「あーあ、もったいない」同僚が嘆いた。嘆くべきなのは私なのだが。気の利いた返事も出来ず、周りに見守られながら黙って食べ続ける。同僚は何かと口を挟んでくるヤツだ。ヤツとは同年代。本来ならヤツのように妻子と家を持つべきだ。ヤツの方が現実に向き合っているといえる。だからどうだというのか。現実なんてものは至極面倒なものだ。私は独りアパートの部屋で現実逃避を続けている。

 夕方。ガチャン!売上金を数えている最中、硬貨をいくつかデスクから落としてしまった。「あ!ヤバいぞ!」またもや同僚は私の代弁をする。いちいち五月蠅いヤツ。硬貨を拾い数えなおす。100円合わない。足元を探すが見当たらない。両隣の机の下も探す、どこにもない。途方に暮れた。「見つけるまで帰れないぞ」ヤツが忠告してくれた。怒りと焦りで胸が苦しい。しばらく煩悶していると、足元に違和感があった。靴の中に100円硬貨が入り込んでいたのだ。ともかくこれで帰れる。


 会社は川沿いにあり、橋を渡った先に駐車場がある。定時帰りで橋を渡ると見事な月を拝める。定時帰りなど滅多にない、貴重な眺め。大抵はすっかり日が暮れてから、重い足取りで橋を渡る。昼間の橋から見下ろす清々しい流れとは違い、暗闇を流れる川の、隆々たる黒い水流は不気味なものだ。何もかも黒い塊に押し流されてゆく。


 休みに買い出しに行った。ドラッグストアで風邪薬と歯ブラシを買い、そのまま隣のスーパーへ入る。総菜をカゴに入る。箱ティッシュ売り場で気づいてしまった。隣には歯ブラシがズラリと並んでおり、その中に今しがたドラッグストアで買ったのと同じ歯ブラシがある事に。その歯ブラシはズボンの尻ポケットに入っている。「歯ブラシを万引きした」とみなされてもおかしくない。何てことだ!今から車に引き返し歯ブラシを置いてくるか?いや、もうカゴは商品で一杯、いかにも怪しい動きになってしまう。ここはもうやりきるしかない。ポケットの中の歯ブラシ、その存在を知るのはこの世で私だけだ。

 何食わぬ顔でセルフレジへ行く。商品のバーコードを読み取る。ピッピッ、一つ二つ。その調子。後ろで何か引っ掛かる気がする。手をやる。何と歯ブラシがポケットから半分飛び出していた!慌てて上着で隠す。息が止まりそうだ。レジで控えている店員に見られたか?店員は画面を見つめている。恐らく大丈夫だろう・・・

 何とか清算を終え、外へ出る。マイカーをすぐそこ。歩き出したところで「お客様!」後ろから声がした。万引きは店を出たところで成立する。まさにこのタイミング。さっきカーラジオで、万引きで逮捕された県議会議員のニュースを聞いた。彼もこんな気持ちだったのか。胸が苦しい、呼吸が出来ないほどに。「これ落としましたよ」と老婆に何かを渡す店員の姿が目に入る。私に声をかけたのではなかった。こうして逮捕は免れた。


 夕方。部屋で独り、パソコンの前に座ってじっとしていた。ガサガサ、通気口から音がした。空き家にはよくコウモリが侵入する。侵入経路は換気扇、僅かな隙間さえあればいい。音の正体はコウモリかもしれない。まだここは空き家ではない、気の早いコウモリもいたものだ。それとも私を亡霊か何かと判断したのか?確かに今日は誰とも話してない。仕事以外で言葉を発する事はほとんど無い。中にいるのは現実から逃れ続ける亡霊のみ、コウモリは賢明な判断を下したのだ。

 カラララ!カーテンを開ける。脅かしてやろうとしたら、ベランダから大きな黒い鳥が飛び立っていった。ギョッとしたのはこっちだ。ハッキリと、二本の鳥の足が空に上がっていくのを見た。水かきがついている。黒い鳥は水鳥なのだ。恐らくウである。この辺にウ科が生息しているとは思わなかった。いや、それより。黒い鳥はなぜわざわざ自室のベランダまでやってきたのか。まるで迎えにでも来たかのように。カラララ・・・。今見たものを無かった事にでもするように、カーテンを閉じ、外に背を向けた。


 久しぶりの定時退社。軽い足取りで社屋を出、橋を渡る。夕方の低い位置にある、白い月は妙なものだ。プラスチックで出来ているみたいだ。

 現実味のない月を眺めながら橋を渡っていると、黒い鳥が滑るように飛んできた。そのまま飛び去ったのではない。何と月の上に止まった、電信柱の上にでも止まるみたいに。狂った光景。これこそ私が望んでいたもの、である気がした。橋の上で立ち尽くす。しばらくすると黒い鳥がこちらに向き直った。いよいよだ、そう思うが黒い鳥は羽ばたきを始めた。

 「何してるんだ」同僚の、無粋な声がした。ビックリしたような顔でヤツを見つめ「ああ、何でもないよ」返事した。「変や奴だな」同僚と一緒に橋を渡る。「今度飲み会やるやるけど来るよな」、「ああ、行くよ」不意打ちを食らい、思わず参加の意を表した。ヤツや、ヤツの顔馴染みと酒を飲むなど真っ平ごめんだというのに。


 白状しよう。友人と呼べるのは同僚だけだ。全く、何たる現実であることか。

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