みゅーじっくのすたるじい 〜 人びとの変態性について
音楽は私にとって、文字どおり音を楽しむことであると同時に、そのときどきで関わった人たちとの記憶でもある。
先日、十代から二十歳そこそこくらいまでの頃によく聴いていた音楽を、ウンジュウネンぶりにガンガン聴いた。
若い頃に摂取したものの記憶というのは不思議で、いくらブランクがあってもひとたび空気に触れればたちまち鮮明に蘇る。
詞をそらで歌えるのはもちろん、ベースラインから、ドラムの音色から、手癖とも云えるリフからコード進行から、久しぶりに実家に帰ったような安心感さえある(久しぶりに実家に帰った場合、模様替えやら断捨離やらで知らぬ間に見知らぬ景色が広がっていたりもするので、なんならそれ以上)。
同時に、その頃ちょこちょこスタジオに通ってこれらの曲をコピー演奏したりしたなあ、などという記憶も芋づる式に。
といっても誰かに聴いてもらうとか、プロを目指すなんてもってのほか、完全な戯れ。感覚としては仲間内でカラオケに行くようなもので、ちょっと気ままに音鳴らしたいから集まってスタジオ入ろうぜ、みたいな感じ。
その気楽さが、めちゃくちゃ楽しかった。
程度に差こそあれ、楽器を演奏する人、音を奏でる人、作る人、そういった視点から音楽を聴く人、というのは大抵変態である。
(※あくまで個人の見解です。)
上述のコピーバンドメンバーは集まるといつも、このベースの歪み具合がどーたらとか、フロアタムの配置がどーのとか、多分もっとマニアックな内容も、他人の話など聴かず各々のこだわりをそれぞれ楽しそうに騒いでいた。
素人が何ごちゃごちゃ言ってんだって、ぽろっとプロに聴かれでもしたら小っ恥ずかしいようなこともたくさん。でもそんなの自分たちでもちゃんと分かっていて、そのうえで内輪にてあーだこーだと気ままにやるのが楽しく。
マニア過ぎて聞いてもよくわからんこだわりもたくさんあって(というか最早聞き流していて)事細かには覚えていないけど、自分の愛するものについて熱く生き生きと語る彼らの横顔は、今でも記憶に鮮やか。
私自身はあまり、そうした職人気質っぽくも思えるようなこだわりは持ち合わせていなかった。たまたま子どもの頃から音楽や楽器に触れる機会がちょろちょろあって、その延長で参加していた。
例えばピアノ。私がクラシックピアノの習い事を始めた年齢は、周りの子と比べると少しだけ早かった。
ただそれだけの理由なのだが、だから教本の進む速度はいつも速く、ちょちょっと練習していれば見かけだけはいつでも一番。ピアノが好きというよりは、親や周りが褒めてくれるのが嬉しくて、なんとなくやっていた気がする。
似たようなことが学業や実生活にもいえて、なんとな〜く周りが求めることを、なんとな〜くこなしているうちに大人になってしまった。
だからこそ。
自分の意思で、自分の熱で。何かに没頭して他人には理解されないようなどうでもいいこだわりを(失礼)、嬉々として語り信念を持って愛する彼らの姿は眩しかった。
こうした経験が、私の読み手としてのなろうライフにも生きている気がする。
“好き”を語る姿を私が好ましく感じるのは、何も音楽に限ったことではない。
なろうには、その人その人の“好き”がたくさん落ちている。
例えばエッセイ等でこれが好きです、と直接に書かれている場合だけでなく。
ジャンルにかかわらず作品を読ませていただく中で、この作者さんはこういうのが好きなんだな、と感じる瞬間は多々ある。
ストーリー展開、始め方に閉じ方、言葉の選び方、響かせ方、漢字等の表記の仕方、キャラクターの外見や性格、仕草、関係性、シチュエーション、季節等のモチーフ、色、五感表現、オノマトペ、言葉遊び、現実生活における趣味嗜好の数々……。
文章や詩の中からこういうものが浮かんでくると私は途端に嬉しくなって、その作品、ひいてはその人のことを好きになってしまう。
(上記の例においては、作者さまが「これが好き」と選んでいるというよりは、その人の個性が滲み出ている、という要素もあるかも知れない。
が、個性とはやはりそれまで摂取してきたもの(その人が好きで触れてきたもの)の表れに似た部分でもあると考えるため、こうした個性も私がここでいう“好き”に近いものと解釈。)
私自身の趣味嗜好と似ているかどうか、ということはあまり関係がない。
自分が今まで一切触れてこなかった内容でも、こんな世界があるのかと知れれば嬉しいし、その熱が高ければ高いほど、萌える。
その人の一部分を知れた、その人の世界を覗かせてもらった、と感じることが嬉しいのだと思う。
(人間は複雑なものであることは重々理解しており、作品一つ拝読しただけで他人を理解できるだなんてことはもちろん考えていない。それでも、例え完全なフィクションであったとしても、作品にその人の一片でも滲み出ていることは確かだと思う。愛をもって書かれたものなら尚更。)
(なお、私の読解力の足りなさによって、本来のその人自身ではない人物像を勝手に浮かべてしまう場合もあるかも知れない。が、この点について説明を付し出すとまた延々長くなってしまうため、割愛。)
……と、ここまで書いて、私が普段から作品を読ませていただいている方々からどん引きされないか物凄く不安になってきました。
前半部分にて、音楽について熱く語る懐かしき友人たちを変態と言っておきながら、それを脇でじっとりと眺める私も十分に変態だということを自覚し始めました。
もちろん今後も礼儀と節度をもった活動を心がけてまいりますので、できれば、見捨てないでいただけると有難く……
また、もし皆様の“好き”についてコメント等でおしえてくださる場合には勝手によろこびますので、ご自由にどうぞ。
音楽関係、小説や詩にまつわる色々、実生活での趣味、性癖等々、大抵のことは受けとめられる自信があります。浅学菲才ゆえに知らないことも多々あるかと存じますが、それらを聞かせていただくのはとても好きです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
記憶がふっと蘇り、何故か勢いでしたためてしまいました。
エッセイというものに不慣れなため、普段の読者さま以外のどれだけの方の目に触れるのか、若干びびっております。あまりにもな内容のご感想を頂いた場合には、予告なく削除等の対応をさせていただく場合があります。ご了承をお願いいたします。