下
当日、朝僕は仕事を事前に休みをもらって彼女の家まで迎えに行った。彼女は大きめのリックサックと肩掛けバックを持って家から出てきた。彼女の母親と少しだけ話をして駅まで歩き電車に乗って大きな駅まで行った。そこから新幹線に乗るためだ。僕はチケットを買って彼女に渡す。
「ありがと」
「うん」
僕達は新幹線に乗り込む。席は自由だったので僕は窓際の座席に座り、その隣に彼女は座った。
「お弁当食べる?」
「うん」
僕はお昼ご飯を食べることにした。
「美味しいね」
「うん、お兄さんのも食べてみたい」
「はい」
僕は自分のお弁当箱を渡すと彼女は箸で卵焼きを取って口に入れた。
「甘いね」
「うん」
「私のもあげる」
僕は彼女のおかずを口に入れる。
「うん、おいしいね」
「でしょ」
「次は、これを食べよう」
「うん」
そんなやり取りをしながら、あっという間に時間は過ぎていった。
目的地に着いたのは夕方頃だった。
駅から出るとそこは田舎で自然が広がっていた。近くには海があるらしく、潮の香りが風と共に運ばれてくる。
僕達は何も言わずに手を繋いで歩いた。
「ねえ、どこに向かってるの?」
「ホテルだよ」
「ホテル?」
「温泉付きの旅館」
「ふーん」
「とりあえず、チェックインしようか」
「うん」
僕達は宿に入り部屋の鍵を受け取る。部屋は一階の部屋で露天風呂がついているところだった。部屋に荷物を置いて
「じゃ、行こうか」
「うん」
僕達は宿を出て、近くにある海辺へと向かう。夕日が海に沈んでいく光景はとても綺麗だった。
「綺麗だね」
「ああ、すごく綺麗だ」
僕はカメラを構えて写真を撮っていく。彼女は砂浜に座って海を見つめている。僕は彼女の横に腰を下ろした。そして、彼女の頭に手を乗せて髪を撫でる。彼女は何も言わず、ただ黙って僕の手に頭を預けていた。しばらくすると彼女は立ち上がり僕に手を差し出す。
「ねえ、もう帰ろうよ。疲れちゃった」
「そうだね。お風呂入ろう」
「そしたらさ、小説書くから、お兄さんも書いてよ」
「分かった」
「ショートショートってやつね」
***
僕達は宿に戻り、食事を済ませてからお風呂に入った。
彼女は浴衣に着替えていた。僕の浴衣姿を見るなり彼女は
「似合ってないね」
と言った。
「そうかな?」
「うん、なんか違和感しかないよ。まあ、それが普通なのかな?でも、似合っている気がする。多分、それは私がこの格好をしているからだと思う」
彼女はその場でくるりと回る。その姿はどこか可愛らしかった。
そして、彼女は僕に原稿用紙を渡してきた。僕は彼女の書いた文章を読んでいく。時々出てくる漢字の間違いを指摘して、直してもらった後、僕が直していく。
「出来た!」
「見せてごらん」
彼女は自信満々に僕に紙を見せてくれた。そこには『幸せ』というタイトルの小説が出来上がっていた。
「読んでみて……」
僕は彼女が渡してくれた紙の束を手に取り読み始める。
そこに書かれていたのは幸せな少女の物語。
「どう?」
「とても良いと思うよ」
「良かった……」
彼女は嬉しそうな顔を浮かべる。
「じゃあ、約束通り書こうか」
「うん、頑張るよ」
それから、僕達は対談をして眠りについた。
***
翌日、僕達は観光をして回った。
僕は写真を撮ることも好きだったため、彼女の写真撮る。整った顔立ちは中学生とは違って大人っぽく綺麗だった。
「お兄さん!こっち向いて笑って」
僕は言われた通りに笑顔を作る。
「お兄さんはいつも無表情だよね」
「よく言われる」
「私は好きだよ」
「えっ?」
「だって、私の好きな人がどんな顔をしているのか分かるんだもん」
「ありがとう」
僕は素直に感謝の言葉を述べる。
「今日は何がしたい?」
「うーん……お兄さんと一緒ならなんでもいいけど、じゃあ、海に行きたい」
「えー、昨日行ったよ?」
「違うところー。調べたの」
僕達は電車に乗り込んだ。
***
海辺に着くとそこは人気がなく、静かな場所だった。
「静かだね」
「うん」
「ちょっと歩こうか?」
「うん」
僕達は波打ち際を歩いていく。寄せては返す波の音は心地よかった。
「お兄さんの足音聞こえるよ」
「本当だね」
僕達は会話をすることもなく歩き続ける。やがて、彼女は足を止めた。僕はそれに気づかずに彼女の横を通り過ぎてしまう。
「お兄さんは私のことどれくらい知ってる?」
「…………」
「私ね、本当はお兄さんのことなんて知らないんだよ」
「なんでそんなことを?」
「少しだけ、不安になったの。本当にお兄さんは私のことが好きなのかどうかが分からなくなったから」
「俺は優麗ちゃんのことが好きだよ」
彼女の顔が上手く見れない。
「どう言う好き?」
「恋愛対象としてだよ」
「嘘つき」
彼女は僕の方を見て笑っていた。その目はどこか悲しげだった。
「どうして、そう思うの?」
「だって、今、目逸らしたじゃん」
「それは……」
「ほら、やっぱり」
「ごめん」
「別に謝らなくていいよ。ただ、本当の気持ちを教えて欲しいなって思っただけだから」
「好きだよ。君のことは大切に思っている」
「好きには種類があるからね」
「でも、優麗ちゃんに惹かれる。こんな大人が中学生のことを好きになるのは間違っているかもしれないけどさ」
「ううん、そんなことはないよ。私もお兄さんと同じだから」
「同じ?」
「うん、お兄さんと一緒に居たいと思ったから」
「そっか……」
「ねえ、お兄さん、また手繋ごうよ」
「ああ、いいよ」
僕達は手を繋いで、海の中に入って行く。
「冷たいね」
本格的ではないが少し暑い。夏が近づいて来る。
「そうだな。そろそろ戻ろうか?」
「うん、そうしようかな」
***
僕達は宿に戻ってきた。
「お兄さん、お腹空いたね」
「何か食べに行く?」
「うん!」
僕達は街へと繰り出した。
「何食べる?」
「うーん、お寿司食べたいな」
「じゃあ、回転寿司行こうか?」
僕達が向かった先は有名なチェーン店のお店だ。僕達は店内に入り、席に座る。
「お兄さんは何にする?」
「マグロかな」
「じゃあ、私はサーモンにしよう」
僕達は注文して、届いたものを食べる。彼女は美味しそうに食べていた。
「美味しいね」
「うん」
「お兄さんは好きな人いないの?」
「……今は仕事の方が楽しいかな」
「そっか……」
「どうかした?」
「ううん、なんでもないよ」
僕達はその後、食事を終えて、部屋に戻る。そして、風呂に入った。
***
夜になり、僕はベッドの上で寝転んでいた。すると、扉の方からコンコンと音がする。
「どうぞ」と言うと、そこには浴衣を着た彼女が立っていた。髪は濡れており、シャンプーの良い香りが漂ってくる。
「お兄さん、布団一緒に入ってもいい?」
「えっ?いや、それはダメじゃないか?」
「大丈夫だよ。私たち以外誰も居ないし」
「でも、俺も一応男だし」
「私は気にしないよ。むしろ、お兄さんなら嬉しいかも」
「どう言う意味?」
「深い意味はないよ。誰かの体温が恋しくなった」
「分かった」
僕は彼女を迎え入れた。彼女は僕の隣に来ると、身体を寄せてくる。
「お兄さんって温かいね」
「そう?」
彼女の体温を感じるとドキドキしてくる。
「お兄さんの心臓の音聞こえるよ」
「そりゃあ、緊張しているからね」
「そんなに緊張しちゃうの?」
「うん」
「そっか」
「お兄さんは私のことどれくらい知ってる?」
「君が中2であることと、病気を患っていることは知っているよ」
「あとは?」
「……」
「お兄さんは私がどんな人間なのか知りたくないの?」
「えっ?」
「私はお兄さんのこと知りたいよ。お兄さんの書く小説は凄く面白い。だけど、お兄さん自身のことをあまり知らないのは寂しいなって思ったんだ」
「そう言うことなら教えようか?」
「うん、お願いします」
「俺は……そうだな。小説は読むのも書くのも好き。会社は工業系の会社。後は……」
「じゃあ、質問し合いっこしよう」
「いいけど、恥ずかしいな」
「そうかな?」
「まあ、いいか。それで何を聞けば良い?」
「そうだね……」
それから、しばらく質問タイムが始まった。お互いのことをたくさん話した。僕達の距離は近くなり、彼女の吐息を感じられるくらいの距離まで近づいていた。
「お兄さん、もう眠いよ……」
「じゃあ、寝るか」
「うん」
彼女は僕の腕の中で眠りについた。
「お休み」
僕もそのまま眠りにつく。
***
朝、目が覚めると、優麗ちゃんが抱きついていた。僕は彼女を起こす。
「優麗ちゃん、起きて」
「うん……」
彼女は目を擦りながら起きる。
「おはよう」
「お兄さん、おはよう」
「よく眠れた?」
「うん」
「良かった」
「お兄さんは?」
「俺もよく眠れたよ」
「そっか……」
僕達は朝食を食べた後、チェックアウトをして、宿を出る。帰り道、電車に乗っていると、彼女が寄りかかってきた。
「疲れてる?」
「うん、ちょっとだけね」
「まだ、時間あるし寝たら?着いたら起こしてあげるから」
「ありがとう」
彼女は静かに目を閉じる。そして、すぐに規則正しい呼吸音に変わった。
「おやすみ」
僕は彼女の頭を撫でる。
***
家に帰ると、早速原稿に取り掛かる。彼女のことを忘れないうちに彼女のモデルの小説を少しでも進めておきたかった。
パソコンに向かい、キーボードを叩き始める。カタカタという音が部屋に響き渡った。
あれから数日が経った。仕事終わり、いつものように帰っていると、彼女が目の前に現れた。
「こんばんは、お兄さん」
「あっ、優麗ちゃんか。どうしたの?」
「今から帰るところ?」
「そうだよ」
「私も同じなんだよね。だから、一緒に帰っても良い?」
「ああ、いいよ」
僕達は並んで歩く。
「学校に行ったの?」
制服を着ていたから聞くまでもないが聞いてしまった。
「うん」
「そっか」
「期末テストだけ受けてきたの。どうせ点数悪いけど、お母さんはそれでもいいって」
「そうなんだ」
「お兄さんはいつから小説書いてるの?」
「大学に入ってからだよ」
「そうだったんだ。でも、すごいよ」
「そう、かな」
「お兄さんの才能だと思うよ」
「そんなことはないと思うけど」
「だって、私はあんなに面白くないもん」
「俺は面白いって言ってくれる人が居るだけで十分だよ」
「そっか……」
会話が途切れると、彼女は僕の腕を取って、自分の腕と絡めた。
「お兄さんは私のこと嫌い?いや、好きなんだっけ?」
「なんで?」
「こんな風にくっつくの嫌かなって思って……」
「全然そんなこと無いよ。むしろ嬉しい」
「そっか。なら、良かった」
彼女の温もりを感じながら歩いていく。
***
家に着き、彼女と別れる。玄関を開けると、美玲がいた。
「ただいま」
「おかえり。ご飯出来ているよ」
「そうか」
リビングに行くと、妹は椅子に座っていた。テーブルには料理が置かれている。
「いただきます」
「召し上がれ」
いつもの日常。僕は箸を持ち、夕食を口に運ぶ。その味は美味しく、心が安らぐような気がする。
「ごちそうさま」
食べ終えると、僕は自室に戻った。鞄を置き、着替えて小説を書く。しばらくすると、コンコンッとノックの音が聞こえた。ドアを開けると優麗ちゃんが立っていた。
「あれ?来てたの?どうした?」
「入っていい?」
「いいけど」
彼女は部屋に入り、ベッドの上に座る。そして、僕の手を握ってきた。
「何かあったのか?」
「お母さんと喧嘩、家にいたくないからお兄さんの家に行くって言って来たの」
「そっか……」
「今日泊まってもいい?」
「いいよ」
「ありがとう」
僕は彼女を抱きしめる。
「わぁ!」
彼女は驚いた声を上げる。僕は構わず強く抱きしめ続けた。
「痛いよ……」
「あっ、ごめん……」
「別に良いけどさ……」
「お詫びと言っては何だけど、頭撫でてあげる」
「えへへ、じゃあ、お願いしようかな……」
僕は優しく頭を撫でてあげた。彼女は気持ち良さそうな顔をしている。
「優麗ちゃん」
それから少しの間、僕達は見つめ合っていた。
「お兄さん……」
「ん?」
「私はどんな形でもお兄さんの側に居たいの。死んだとしても」
「分かった……約束だな」
「うん、約束。嘘ついたら針千本飲ませるからね」
「それは怖いな」
***
主人公は年齢を偽ってバイトをして生活している女子中学生。死にたいと思いながらも死ぬ勇気などなく、ただ毎日を送っていた。お金を貯めるために働いていた。ある日、年齢が偽っていたことがバレて辞めさせられる。通りすがりの野良猫に彼女はこう言った
「どうして人は死ねるんだろうね?終わりまでまだ長い」
当然、猫は人間と喋れない。彼女はその場から立って歩いて行く。
「大人は理不尽だ」
そうだ。その通りだ。大人の僕もそう思う。理不尽という武器を使って自分を守ろうとする。多くの人がそうなのだ。そうでないとやっていけないのだ。少なくとも僕はそう思う。
***
「お兄さん」
そう呼ぶ声が前より明るい声色になっていくのが自然と嬉しかった。誰よりも頼ってもらえているのがなんとなく言動や行動で伝わる。それが素直に嬉しかった
彼女が死んだ季節は僕が生まれた季節でもあった。
「『柊人さん』」
「何?急に名前で読んで来て」
「『柊』って魔除けの意味があるらしいですよ」
「そう、名前ってすごいね」
「そうです?私は画数多くて嫌です」
「じゃあ、自分の子供には画数が少ない、意味がこもった名前をつけてあげな」
「名前ね」
彼女はそう呟いた
***
王春。僕が生まれた月の次の月に彼女は死んでいた。
彼女に最後に送ったメールを見た数分後に飛び降りたという。
『他人のために生きるんじゃなく自分のために生きて』
それが彼女にとって重い言葉だったのかむしゃくしゃしてしまったのか。それは彼女しか分からない。
最後に会った時に彼女が言った言葉
「時間が解決してくれる」
僕の失恋話を聞いて彼女はそう言った。
嘘だよ。忘れられない。覚えてしまっている。脳裏に焼き付いてしまっている。
彼女の書いた小説が遺書になっていたと言う。ノートに意味深な
『九の一の一。十二の三の二。十九の八の二。十九の十の八……』
と書かれた付箋が貼ってあった。その数字は、ページ、行、段落。その順で言葉を繋いでいくと。
『私は自分に勝てませんでした。死ぬ勇気なんてないのに死にます。矛盾してますね。でも死にたいのです。理由?学校のことです。本人は分かっているのでは?分かっていないのなら相当の馬鹿です』
クラスメイトに向けてなのか皮肉がご丁寧に最後に添えられてあった。
***
『朝未だき』
夜が明けない世界で私は生きていた。嫌いだった。朝日が登らないのは。世界がしんと息を潜めていた。
彼女、優麗ちゃんが一年ちょっとで書き上げた長編小説の出だし。僕は優麗ちゃんをモデルにした小説の最後にこう付け加え、投稿した。
『朝未だきの世界でも彼女はただ生きるのではない。あの人のように生きたいと言った。死にたがりの癖にいう資格なんてないと思うのに。でも胸に刺さった』
嗚呼、生きていてよ
『死にたがり少女は余光にさえ手を伸ばそうとしなかった』