桜の木の下でフラれました
春の推理2022(桜の木)参加作品です。
どうか、よろしくお願いします。
「ごめんなさい! わたし、好きな人がいるんです!」
あぁ……。だよな。
期待した俺がばかだった。あんな噂、信じた俺がばかだったよ。
この〝一本桜の下で告白したら絶対成功する〟って噂。そんなわけねえのにな。
かっこ悪りぃ。
ひらひらと風に舞う花びらの向こう、走って逃げていくあの子を見ながら、
俺はたたずんでいた。
大きな一本桜の木の下で。
見事に散りましたってか。笑えねえよ。
噂の一本桜は俺の通ってる高校からしばらく歩いて、坂を登った丘の上にある。
ここは風が心地よくて、眺めも良い。
俺は桜のその太い幹にもたれかかって、腰を下ろした。失恋したんだ、しばらく感傷に浸るぐらい良いだろう。
ふと視界の端に映ったのは「ありがとう」の文字だった。ちょうど目の高さ、木の幹に彫られた文字だった。誰かが石か何かで彫ったのだろう、「ありがとう」。
ちっ。これを書いたやつは、成功したってことか。良かったね、おめでとう。
なんかやんてらんねえなっ。
幹から目をそらせば、丘から見下ろす町の景色が広がる。町といっても、半分は田んぼや畑だ。向こう側には山が連なっている。都会の人からすると多分、のどかっていうやつなのだろう。こういう時には悪くはない。ちょっとは心を落ち着かせてくれるらしい。
俺は深く溜め息をついた。
せめて、友達から、とか、別に走って逃げなくてよくね、とか、あの噂流したヤツ許さねえ、とか、やっぱり可愛かったなあ、とか、とか……。
何度溜め息を吐いただろう。
桜の木の下。
しばらく一人静かに失恋を癒していたわけだが、ふいに邪魔が入る。
知らない男が背後から声をかけてきた。振り返り、立っていたのはサラリーマン風の大人だった。
「あのう、ごめんなさい……」
「なに」
腰の低そうな男だった。メガネをかけた七三分け、両手を合わせて申し訳なさそうに話しかけてくる。
「あのう。ちょっと今から、ここで大事な話をするんで、そのう……」
大事な話。なるほど、俺と同類が他にも居たってわけか。
「ああ、ここで告白しても成功しないよ。俺今フラれたばっかだから。やめときな」
男は首をかしげる。
「告白? 何のことです?」
「この桜の下で告白したら成功するって噂、信じて来たんでしょ? 違うの?」
「えっ、そんな噂知りませんよ。私が聞いたのはですね、ここで〝六泊〟したら絶対成功するって噂ですよ?」
「ん? なんて? ロクハクって言った?」
「はい六泊です。六日間この桜の下で夜を超すんです」
「え! 六泊すんの? ここに?」
「はい。私、ここで六泊しました。どうしても資格の試験に合格したくて。それでこの桜の下で六泊しました。寝袋持って来てですね、はい」
俺は耳を疑った。が、確かにこの男はこの桜の下で六泊したと言っている。という事はだ。俺が聞いた、桜の下で告白したら、という噂は元々間違いで、本当の噂は、六泊したら、だったという事になる。
ただ、腑に落ちはしない。そりゃ。
「あんた、すごいねえ。こんなとこで六泊したら風邪ひきそうだけどねえ。へえ、あ、そういう噂だったんだねえ。六泊、だったんすねえ……」
「あ、でも、試験は落ちました。ははは」
「落ちたんかい。じゃあその噂も嘘じゃんか」
「あはは、噂なんて信じるものじゃありませんねえ。あははは」
「笑ってる場合かよ。ん……?じゃあ、あんたが今から大事な話をするっていうのは……?」
「あ、はい。大事な商談があるって、取引先の人に呼び出されたんですよ。もうすぐその相手が来るはずなんです――」
するとちょうどタイミングよく、別の男が小走りで俺達に近づいてきた。やはりサラリーマン風の男で、頭のハゲた、さらに腰が低そうな男だった。その男は、六泊男に近寄るなり頭を下げた。
「申し訳ございません。お待たせしまして、大変、申し訳ございません」
「ええ大丈夫です。さっそくお話を聞きましょう」
サラリーマンというのは大変だなあと思う。野外で六泊しておきながら試験に落ちるようなヤツに頭を下げなきゃならないなんて。
ハゲの方のサラリーマンが頭を上げると、にやけ顔をつくり手もみをしながら、今一度六泊男に体を寄せる。
「ではさっそく。弊社の商品の受注をお願いしたい件なんでありますがね。もし御社で受注いただけたら……そのう……、価格の3割をですね、そのう……、担当者さんにですね、つまり貴方にですね……。紹介料としてお戻ししたいんですよね……。ええ。そういう事でなんとか……受注いただけないかなあ……と思いまして。ええ。はい。ええ」
六泊男は露骨に顔をしかめた。そして声を荒げる。
「いやあなた! それって違法なんじゃないですか。ダメですよ、わたしもお縄はごめんですよ」
しかしハゲ男はにやけた顔をくずさない。
「いえいえ、大丈夫ですよ。絶対バレませんから。そこは安心してください」
「どうしてそんなことが言えるんです」
ハゲ男はさらに目を細め、不敵な笑みを見せた。
「あのですね……。実は……。この桜の下で〝キックバック〟をすると絶対にバレないという噂なんですよ」
「は? キックバック? ここでキックバックしたらバレないって言うんですか」
「ええ。絶対に……クックックッ……」
ハゲのキックバック男がイヤらしく笑うのを見て、俺はこの場に居ていいのものなのかと少し不安になった。
俺には大人のビジネスの話はいまいちよく分からない。だが、どうもこの桜にはいくつか噂があるらしい事が分かった。それが今回は、キックバックすると成功するという噂らしい。
二人のサラリーマンがひそひそと小声になって話を進めているのをよそに、俺はこの変な噂たちに思いを馳せるのだ。
これはいったいなんなのか。伝言ゲームか何かなのだろうか。こうなってくると、大元の噂がなんなのか気になるというものだ。元の噂はもしかしたら本物かもしれない。はたしてキックバックが大元の噂なのだろうか、それとももっと先があるだろうか。
ん? なんかまた知らん奴がやって来た。
なんだ。そいつはスマホの裏をずっとこっちに向けているではないか。俺を撮っているのか。文句言ってやる。
「ちょっとあんた。何撮ってんだよ」
その男はスマホから目を離し、俺に会釈する。
「あ、ごめんなさい。いやあのっすね。ここで〝ティックトック〟をやるとバズるって噂を聞きましてね」
「は? ティックトックをやるとバズる? そんな噂あんの? ……こんな田舎の景色でバズるとは思えねえんだけど……」
「あ、せっかくなんで、これ食べてもらっていいっすか」
ティックトック男は包み紙に入ったハンバーガーを俺に手渡した。
「なに。このハンバーガー、食べていいの?」
「あはい、〝ビッグマック〟を食べるとさらにバズるって噂なんで」
「ビッグマック?」
「そうっす。ビッグマックを食べてティックトックをやるとスーパーバズるっていう噂なんすよ」
到底信じようとは思えない噂なのだが。うん、それにしてもこのハンバーガーは、うん、美味い、そしてデカい。
ありがたくハンバーガーを頬張っていると、また変なのがやって来た。今度はおばさんだ。
「シ~ング♪ シンガ~ソ~ング♪ シンガ~ラ~ブ♪ ・・・」
おばさんがなぜか恥ずかしげもなく胸に手を当てて熱唱しているではないか。さて、次はどんな噂なのだろうとちょっと楽しみになっている俺がいる。
「ちょっと、おばさん。何してんの。何でこんなとこで歌ってんの」
おばさんは歌い止め、にこやかに答える。
「あらま失礼したわね。ここでね、〝シング・ア・ソング〟をやると歌が上手くなるって噂を聞いたのよ」
ほう。なわけねえだろと、ツッコミを入れようとした瞬間、背後から急に何者かに体をつかまれ地面に倒された。さらに、脚をつかまれ、激痛が走る。
「なになに! 誰! なにすんだ! 痛てえよ!」
俺は、全く知らない筋肉質の男に脚を掴まれ、関節技を極められていたのだった。俺がその男の太い脚をタップすると男は手を離し、俺を解放した。そして立ち上がり、お辞儀。
「すんません。ここで〝レッグロック〟をやると絶対に極まるって聞いたもんすから」
「レッグロックをやると絶対に極まる? そんな噂あるか! あっても実際にやるなよ!」
優しそうな男だった。だが、ケンカすると絶対勝てないと確信できる男だった。悪気は無い、って言うのも何か変なのだが、追求しても仕方ないので、そのままにした。うん、もういい。
はあ……。なにこれ。
なんか疲れたし、もう帰ろう。どんな被害を受けるか分かったもんじゃない。
俺は、六泊男とキックバック男とティックトックでビックマック男と、あとなんか変な二人に別れを告げ、その場を後にした。
いったい本当の噂は何なのだろうか。
俺は振り返り、風に揺れる一本桜を眺めた。
ま、でもとりあえず分かったのは、ここには変な噂を聞きつけた変な人が集まって来るってことだ。
俺は舞い散る花びらを背に、丘を下った。途中、大きなリュックサックを担いだバックパック風の人とすれ違い、坂を下りて行った。
ああ。
そう言えば、俺今日フラれたんだった。
そう思うとなんだか笑えてきた。
そうだ。つらいことがあったら、またここに来るとしよう。
俺は前を向いて、家路を急いだ。
( 了 )
ありがとうございました。
謎は解けませんでしたが、解決したものもあったかなと思います。謎のままの方が良い事も、ね、あるじゃないですか。