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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

美久の刃

作者: 黒輝 沖

 

 月が翳った漆黒の闇の中にあって、それは、鍛錬に鍛錬を重ねた忍にも見ることは出来なかった。

 夜気に川風が入り込み、その水音と草木の擦れあう微かな音が辺りを満たし、てのひら程の金属が作り出す小さな風切り音すら消し去っていた。

 四方の突起に殺気を含んだ手裏剣は、闇に放たれた瞬間より生命を得たかのように空を滑り、その獲物に向かっていく。

 地を這うような軌跡が、目前でふわりと浮き上がり、獲物に襲いかかる。

 最後の一人がやっとその軌跡を捉え得たときには、既にそれは目的を達した後であった。

 声もなくとなってくずおれる影を、草陰から窺う、これもまた影があった。

「無限流・風穴(かざあな)

 確認するように小さく呟きながら立ち上がった影は、意外と小柄だった。

 再び差し込んだ月明かりが、暗い灰色の忍び装束を纏った影を、幻のように夜の草原に浮かび上がらせる。

 その忍び頭巾から覗く澄んだ瞳からは、何の表情も窺い知ることは出来なかった。


 俺は、美久が好きだった。それは初恋だった。

 もともとの生まれは京都の古い商家だとかで、そのもって生まれた気品と器量の良さは里の娘達の中でも群を抜いていた。細面にきつめの眉が印象を引き締め、大きめの濡れた瞳と艶やかな唇が、その天性の素質を如実に示している。美久の笑顔に触れて心動かされない男は、いまだ見たことがない。しかし美久の魅力は見かけだけではない。そのしなやかな仕草、そつのない流れるような動きが、美久を見る者に爽快感すら与える事がある。猫の持つ狩人のような動きが、美久の魅力の一つとなっているのだ。

 また、美久は植物や動物に対する愛情にも溢れていた。広い庭には美しい白い花を咲かせるひなげしや、紫碧色の花をみせてくれるかぶとぎくが多く植えられている。しかし美久がもっとも好んでいたのは赤い色の万寿沙華だった。それに自然を愛する美久は動物に対しても分け隔てなく愛情を注ぐ人だった。犬、猫だけではなく、小さな昆虫の斑猫(はんみょう)やヒキガエルにまでもである。

 俺がとくに美久に惹かれていたのは、そんな懐の暖かさだったのかもしれない。

 でも俺は知っている。美久の中にある愛憎を。

「これ、お美久。わしは小頭に呼ばれておるでの。出掛けてくるわい」

「はい、おじいさま」

 おじいさまとは呼んでいるがこの爺様はあかの他人だ。それ以前に、この里に美久の血縁の者は一人としていない。美久は幼いうちにさらわれてきたのだ。本人が気づいているかどうかはちょっとわからないが、あの爺様が話しているのをきいたことがある。京都で大きな戦があったときに、闇に乗じて何人もの女の子供をさらったらしい。そしてこの里にはそんな子供がたくさんいる。そして俺は、美久はとっくにそれに気づいていると感じることがあった。

 爺様が出て行ってしまい、その小さな家に一人になると、美久は早速懐から俺を取り出した。

 俺は内心うれしい気持ちになり、そして少し悲しい気持ちにもなった。

 美久は冷たい水に俺を浸すと、硬い石に俺を押しつけた。

 そして、ちいさく俺に語りかける。

「・・・まっすぐにとんでね」

 俺が一生懸命まっすぐに堅い背をぴいんとのばしたのは言うまでもない。

 美久は、そんな俺の四枚の刃を、順々に、ゆっくりと研いでいく。

 ほとんどの「くの一」は女としての武器を使うように訓練を受けるのだが、美久だけは少し違っていた。自ら望んだせいでもあるが、美久はそのほかに、爺様に手裏剣の技術を徹底して伝授されていたのだ。それは、爺様が里で唯一の無限流手裏剣術の伝承者だったからなしえたことである。

 使い捨てにされるのが宿命の忍において、この戦国の世で爺様と呼ばれる歳まで生きながらえるという事は奇跡と言える。そしてそれを可能にしたのが無限流手裏剣術という訳だ。しかし、自分の術をまったくの他人に教えるということは本来あってはいけないこと。術を破られた忍には、ただ死あるのみ。その意味では、この下忍の爺様は美久を本当の孫と思っていたのかもしれない。

 生き延びるためのその技術は、他人を生き延びさせないための技術なのである。

 しかし美久の生き方を俺はある意味尊敬すらしていた。逆境の中で自分を見失わずに生きていこうという姿勢が、俺には眩しくすら感じられたのだ。今の俺が美久にしてやれることは、ただ美久の思った通りに飛び、そしてただ美久の思った通りに敵を倒すことだけなのだろう。

 まだ、美久の作業は続いていた。一旦まっすぐにした手裏剣の刃に、微妙な彎曲を付けていく。各流派の手裏剣術は、使う手裏剣にも微妙な差がある。それ故、手裏剣を見れば、その術者もわかるとまでいわれているのだ。

「もうすぐ戦になるわ。伊賀の里を信長が攻めるつもりよ。せっかく育てたお花たちも、もう摘んでしまわないといけないの」

 美久の目がすっと細くなった。

「あなたにもお化粧しなくちゃね」


 月明かりの中に美久が立ちつくしていたのは一瞬のことだった。

 やや腰を落とした姿勢の美久が、油断なく刺客の(むくろ)に近づいて来る。

 そして、素早く自分の打った手裏剣を回収していった。追っ手を全滅させた以上、無限流手裏剣は残すべきではないのだ。

 美久が小頭達とともに斥候に出たのが夕刻だった。峠を埋め尽くす信長の軍勢を確認して帰る途中、甲賀の刺客に不意打ちを受けた頃には、もう辺りは完全に夜の闇に支配されていた。そして、信長に懐柔された甲賀の刺客を返り討ちにしたのは、やはり無限流の手裏剣術であったのだ。美久と共にいた伊賀の忍達は、不意をつかれた瞬間にそのほとんどが討ち取られていた。そして、美久を囮にして脱出をはかった小頭も、甲賀の更なる待ち伏せにあって既に息絶えていたのだ。ざまあみろである。

 結局その最後の刺客を倒したのが俺だった。俺がしくじっていれば、美久も生きてはいなかったかもしれない。俺は誇らしい気持ちで美久が来るのを待っていた。

 倒れた刺客にはもう息がない。喉元に突き刺さった俺が言うんだから間違いがない。

 美久が俺に施してくれた化粧は、彼女の大好きな万寿沙華の根汁だったのだ。刺客はほとんど即死だった。

 美久は刺客の喉から俺を引き抜くと、ほかの手裏剣ともども数を確認してから懐に納める。

「これで全部ね」

 立ち上がった美久の懐から、一枚の手裏剣が滑り落ちる。

 手裏剣は、音もなく屍の忍び袴の裾に潜り込んだ。

 あ、待て、落としてるって。

 美久は気づかない。

 ちょっと、おーい。

 俺も連れてってくれって、おーい。

 無論、そんな叫びが届くわけがなかった。

 そうして、俺の初恋は終わりを告げた。



     『美久の刃』おわり


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