外伝 偶然
「トアル先生、これで全部ですか」
12歳ごろの少年に尋ねられ、トアルと呼ばれた青年は手にした紙に書かれた内容を一つ一つ確かめていく。
「えーと、これでぜん、ぶじゃないや。師匠のおやつ」
わずかに青白い顔をしてトアルがつぶやく。
「ルピナス先生のものならいっそ忘れてもいいのでは」
忘れて怒られるのは仕方ないとトアルは思う。頼まれていたのに忘れていたのは自分だから。
それで済むならいいのだが、防げる被害はできるだけ防ぎたい。
「う〜ん、でも、大師匠とケンカになるから」
「あれは防げるなら防ぎたいですけど」
口喧嘩だけなら被害はないのでいいのだが、師匠とその師に当たる2人はどうにも互いにだけは他人に対してよりもケンカっ早い。
大抵は手が出ることも多く、魔法がよく家の中を飛んでいる。
周りに気を使わないために、近くにいると巻き込まれてけっこうな被害にあってしまう。
昔から師匠達を付き合いのある人たちは、止めるのを早々に諦めており、2人が落ち着くまで避難を推奨している。
「それなら向こうですね」
「うん、そう……だ、ね」
弟子の少年が向いた方へ振り向いて、トアルは息を呑む。
「トアル先生?」
呼びかけても反応しないトアルの固定された視線の先、1人の男性がいる。
当時から、魔法協会の手伝いで時折、あちこちに行っていたからここにいてもおかしくはない。おかしくはないのだ。
ただ、今は心の準備がなかったから、驚きと同時に怖くもある。
「……セン、さん」
ひとりごとのような言葉に少年はわずかに目を丸くする。
「いつも先生が話してくれる、あのセンさんですか?」
少年は確かめるように声を出していく。
「ルピナス先生の友人で、トアル先生の友人の師匠の――」
「うん。そのセンさんだよ」
トアルが頷く。
「声かけなくていいんですか」
「そ、れは……」
少年はトアルが友人と疎遠になった事の顛末を聞いていて、トアルやルピナスたちから誰も怒っても嫌ってもいない(はず)とも聞かされている。
よくトアルがしてくれる思い出話は、その友人のことが多く、本当に楽しそうに語るのでこの状態を少年はじれったく感じてしまう。
「いいんですか、先生。いつもおっしゃってたじゃないですか、友人が少ないから心配だって」
「……だけど」
ためらう師匠にため息をついた少年はトアルの背を物理的に押す。
「わっ、ちょっと――」
つんのめって転びそうになったトアルが声を出し、その声にセンが振り向いて目があった。
「トアル君⁉︎」
「はい。トアルです」
驚きを声に滲ませたセンは、あの頃から変わっていないように感じて、まるで昨日まであっていたような錯覚さえ覚える。
「久しぶりだね。そっちの子はトアル君の?」
お互い元気そうだと安心をして、トアルの斜め後ろに立つ少年にセンが視線を向ける。
「はい。弟子のグラジオです」
「初めまして、グラジオです」
センはグラジオに柔らかな笑みを浮かべる。
「初めまして、グラジオ君。僕はセン、よろしくね」
「こちらこそ」
センとグラジオが互いに自己紹介を終えて、グラジオは自分の方に向いていたトアルに声は出さず口だけを動かして何かをいう。
一瞬怯えのような表情を見せたトアルが何かを言いかけているのを察して、センはトアルの言葉を待つ。
「イグ、ニスは、イグニスは元気ですか。あ、でも連絡してこないですよね、イグニスは」
怖くて誰にも尋ねられなかったイグニスのこと、今も返事を聞くのが怖くて心臓の音がうるさい。
弟子に(物理的だが)背中を押され、少しの勇気をもったトアルは静かにセンの言葉を待つ。
「ずっと連絡はなかったんだけどね」
トアルの言う通りだとセンは言って、頰を少しだけ緩める。
「弟子を育てるのに四苦八苦してるようで、一度だけ会いに来てくれたよ」
「あのイグニスが⁉︎」
今度はトアルが驚く。
イグニスがセンに会いに行くなんて信じられないらしい。
「……けど、やっぱり弟子を取ったんだ」
「風の噂で聞いた?」
それもありますけどとトアルは言って続ける。
初めからイグニスが弟子を取るだろうと思っていたらしい。
「だってイグニスはセンさんに憧れ――あっ、でもこれ言っちゃダメだったんだ」
青ざめるトアルにセンは笑いをこぼして、聞かなかったことにすると微笑んだ。
「助かります」
グラジオがセンに見えないようにトアルの袖を引っ張る。
「あの、センさん。イグニスは、その……」
上手く言えないトアルの言いたいことを汲み取ったセンは苦笑をする。
「カタリナちゃんとセルリア君のところは交流があるみたいだよ」
「そう、なんですね」
トアルの予想通り、イグニスは他の魔法使いとの交流はあまりないようだ。
振り返ったトアルがグラジオをみると、グラジオは背中を押すように笑う。
「イグニスの、連絡先を教えてもらえませんか。このままでいるのは絶対に後悔するから――」
「ありがとう。トアル君やグラジオ君みたいな子がいるなら、あの子たちも安心だ」
安心したというようにセンは微笑んで、ポケットから取り出したメモ帳にイグニスの住所を書き出すと、トアルに渡す。
気の弱いトアルが絶対と強い言葉を使うのは、それだけ本気の思いなのだろう。
「ありがとうございます、センさん」
渡されたメモを大事そうに抱えたトアルは、精一杯の決意を胸にセンをみた。
「そうだ、行くのなら連絡しないで行った方がいいと思うよ。あの子も意外と小心者だから」
「そうですね。イグニスは、きっと」
容易く想像出来るイグニスの行動に、センとトアルは目を合わせて笑う。
「もっと話はしたいけどルピナスたちが心配するだろうから、そろそろ」
「あ、そうですね。師匠に小言いわれる前に
帰らないと」
「うん、それじゃあ、またね。トアル君、グラジオ君」
「ありがとうございました」
センは手を振って去っていく。
その姿を眺めて、トアルは緊張を解くかのように息を吐いた。
「……なにも、変わってなかった。きっと僕らが怖がってただけってわかってたのに」
「ルピナス先生がよく言ってましたよ。どんなことでも乗り越えるのには時間が必要だって」
「そっか、師匠が。ありがとう、ジオ」
心のつかえが少しだけとれたトアルは晴れやかな顔をしてジオと帰路についたのだった。
ありがとうございました。
次回は今月中旬頃を予定してます。




