レース・予選
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ローランは今、真っ赤になった顔を両手で隠し、羞恥に悶え震えていた。
「? ……どうしたの?」
「いや、どうしたのってお前……!」
至近距離に存在するアイリスの顔。漏れる吐息が肌をくすぐり、膝裏と肩に回された細腕の感触が、この事態が現実であるということを雄弁に語っている。
「どうして俺はお前に姫抱きされなきゃならないんだ……!」
横抱きである。俗称で、お姫様抱っこである。それも公衆の面前で、大の男が小柄な少女にである。
「一体どんな秘策かと思ったら……お前……これ……! 単なる力業じゃねぇか……!」
「ん。でも二人一緒にトップに躍り出る自信がある」
「俺はこの大会の後、恥かく方面での話題を集める自信があるよ……」
ローランはそっと周囲の話し声に耳を傾ける。
『ちょっとやだ、何あれ』
『普通逆だろ。何で男が女にお姫様抱っこされてるんだよ』
『だっさー……何であんな可愛い子とダサい野郎が組んでるんだ?』
『カッコ悪い奴め。恥ずかしくないのか?』
今すぐ降ろしてほしくなったが、ローランの全身を支える腕の力が異様に強くて、まともに身動きを取ることすら叶わない。
ローランがアイリスを横抱きにして走る……という展開ならまだ絵面的に納得が出来る。他の参加者……特に男からの誹謗中傷さえ我慢すればいいのだから。
しかしそれはローランの体力を考えれば現実的ではないし、戦闘力的にもアイリスがローランを抱えて走った方が勝算がある。むしろ今と逆の事をすれば勝算は皆無となるだろうということも理解しているのだ。
「ぅぁあああああ……っ!」
だがそれとこれとは話が別。周囲から向けられる侮蔑、嘲笑、嫉妬……あらゆる感情が入り混じった視線、視線、視線。それに耐え切れず、ローランは呻き声を出して何とか気を紛らわそうとするが、その思惑すらも胴に当たる感触が掻き混ぜる。
(……ていうかヤバい。何がヤバいかっていうと、この胸と腹のあたりに当たっている巨大でフワッフワな感触が)
男が女を横抱きにするという図が一般的な世に生きてきたローランは考えもしなかったが、アイリスがローランを横抱きにすることで、彼女の小柄な身長に比例しない豊かな胸が、ローランの体に押し潰されたり乗っかったりしていて、もう嬉しいやら恥ずかしいやらで感情の整理が付かない。
(まさかお姫様抱っこにこんな役得があったとは……! く、悔しい! でも仕方ないじゃないか、男だもの!)
相手が勇者と浮気したアリーシャだということを思い出すと実に業腹ではあるが、女とのボディタッチくらい今まで何度もしてきた。何なら胸や尻を触ったことだってある。
しかし、アリーシャの良く言えば形は良い、悪く言えば貧乳をギリギリ脱したか脱していないかという、微妙に中途半端な大きさの胸……微乳を思い出しながら、目の前で自身の胴体と密着するアイリスの形と大きさを兼ね備えた胸や、二人の相貌を比較すると、どうしても意識してしまう。
地元でも美人に弱い妻帯者がいたものだが、ローランはようやく彼らの気持ちが理解できた。女に慣れていようが、恋人や妻がいようが、美しいものに目を奪われるのは人間の性であると。
(……こ、こういう展開も悪くはないんじゃなかろうか?)
現金なものだが、こうも素晴らしい感触があると羞恥も対価に思えてくる。むしろ長く味わっていたいという考えすら浮かび上がろうとしていると、周囲の男たちの声がローランの耳に入ってきた。
『おい、気のせいかな? なんだか無性に腹が立ってきたぞ』
『奇遇だな、俺もだ。今すぐあの野郎をぶち殺してやりたくなってきた』
『妨害という名目で、それとなく攻撃しよう。あの腕の中に居る奴だけを、器用に』
『羨ましい。死ねばいい』
『妬ましい。慈悲などいらぬ』
早くこの状況から解放されたい。ローランは切にそう願った。
「大丈夫。ローランには傷一つ付けないから」
「本当に頼むぞ……!」
ローランをお姫様抱っこするアイリスがキリッと無駄に引き締まった表情で放つ言葉を、ローランは信用するほかなかった。
『間もなく、第一レースが始まります。出場者はスタート地点に集まってください』
拡声魔道具によって会場全体に響き渡る司会進行役の声に、ローランとアイリスのペアを含む五組がコースのスタート地点へと集まる。
必然、周りの観客や出場者の視線がローランを横抱きに抱えたままスタート地点に立ったアイリスに集中し、クスクスという忍び笑いがそこかしこから上がり、ローランは羞恥で再び真っ赤に染まった顔を両手で隠す。
『走者位置について』
「なぁ、アイリス。今からでも遅くないと思うんだ。やっぱり俺を下ろして……」
「無理。もう遅い」
ローランの切なる願いをバッサリと切り捨てられた次の瞬間、視界の腕は勢いよく振り下ろされた。
『よーい……スタート!!』
開幕早々、走り出すよりも先に、ローランたち以外の他の四組が一斉に妨害目的の魔術を発動させた。
「ちょっ!? い、いきなりぃっ!?」
どんな奇跡か不幸か、全く同じ結論に至った四組。弱い出場者に止めを刺して、後顧の憂いを立つ……という名目があるのだろう。気持ち的にアイリスではなくローラン目掛けて魔術を放ってきているような気がするが、いずれにせよ最初から危機に陥ったことには変わりはない。
『おぉーっと! ローラン&アイリスペア早速のピーンチ! やはりあんな悪目立ちをしたせいか、他のペアからの一斉攻撃だ―!!』
「やべぇぞ!? どうする!?」
攻撃ではなく妨害……砂塵に粘液、強風に突風の魔術が一斉にローランたちに襲い掛かる。しかし焦るローランとは裏腹に、アイリスは相変わらずの眠気眼で四方から襲い掛かる、一見回避不可能の範囲妨害を一瞥すると、腕の中に居るローランを振り被った。
「……え? ちょ、お前なにするつもり……」
「ん……しょっ」
そして、ぶん投げた。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ……!!」
細腕からは想像もできない魔族特有の天性的な怪腕に加え、身体強化を初めとする様々なブーストによって放たれる人間投擲。
もう少しでソニックブームでも発生するのではないかという勢いで、コースに沿う形でほぼ真上に放り投げられたローランは、ドップラー効果を引き起こす悲鳴を上げながら走馬燈を見た。
『何とアイリス選手、いきなりパートナーを斜め上に向かって投げました! コースのショートカットはしていないのでルール的には問題ありませんが、あの細腕のどこにそんなパワーがあるのか!?』
そんな司会の声が聞こえないほどの、バババババッ! という空気が抉られる音が鼓膜を震わせる。悲鳴を上げる口に空気が流れ込み、ビロビロと頬を揺らすローランは心境的に無事とは言えないが……これで彼が魔術の餌食になることはなくなった。
「《縛凍》」
周囲の人間に怪しまれないよう、刹那にも満たぬ一瞬で魔法陣をわざわざ展開させた瞬間、迫りくる四つの魔術がその動きを停止させる。
砂塵と粘液は凍りつき、風は運動そのものを停止させられ霧散。氷結系の魔術の中でも基本的な術、《縛凍》は周囲のものを氷り付かせ、動けなくするというものだ。
本来ならこのまま他の参加者の身動きも取れなくすることも可能なのだが、〝攻性魔術によってほかの出場者を傷つける〟という、審判の判断基準に由来するルールが非常に厄介となる。
(このレースの主催者はゴルドー商会……可能な限り他の走者に魔術は当てないようにしないと)
品評会を争い、蹴り落とした商会主催の祭りである。どんな難癖をつけられるか分からない以上、言い返せる余地を残して置かなければならないというローランの言葉を思い出しながら、アイリスは更なる魔術を発動する。
「《氷龍天駆》」
迸る魔力の本流は冷気の風となって銀髪の髪を揺らす。氷床を張るアイリスの足元からは氷柱が無数に逆立ち、それは一瞬で蛇に酷似したドラゴン……東洋に生息する信仰すら集める魔物、巨大な龍の姿を模した。
「ぎゃああっ!? な、なんだこりゃあああっ!?」
「……行け」
まるで本物の生物であるかのような滑らかな動きで、頭の上にアイリスを乗せた氷の龍は、駿馬すら置き去りにする速さで疾走する。
あくまでコースに沿いながら……魔術の発動地点からコースの横幅九割以上を占拠する巨大な氷の胴体を残すことで他の奏者たちを傷つけることなく妨害。自分自身の移動速度を引き上げた。
「何だこの氷! 硬い!!」
「殴っても割れねぇし、炎でも融けないぞ!」
岩を砕く拳でも傷一つつかず、大型の魔獣を丸焼きにする業火でも融ける気配がない、氷という概念そのものが崩壊しそうな氷龍の胴体に、冒険者たちの行く手を遮られる中、上空へと放り投げられたローランがコースに落ちてきた。
「……ぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」
「……キャッチ」
コース最初の曲がり角、その手前に落下してきたローランを、アイリスが再びお姫様だっこする形で抱き留める。
「ん、狙いばっちり」
「ばっちりじゃねーよ!! 殺す気かお前は!?」
「ん、ごめん。あのままだとローランを巻き込んでたから」
ローランの怒りは尤もではある。が、術者であるアイリスはともかくローランも氷漬けにされる可能性を考慮すれば、あの場から乱暴でも強制離脱させる方が良かったというのも確かだ。
「でもこれで私たちを阻むのはいない。怖い思いさせてごめん」
「いや、確かに怖かったけども……」
「でももう大丈夫」
ローランの肩と膝裏に回された細腕にグッと力が籠る。真夏の日中の中、融ける気配も無く突き進む龍の氷像と、その頭の上に乗るアイリスの背中から発生する強大極まる冷気がオーロラを生み出し、まるで風にたなびくマントのように揺らめいていた。
「後は安心して、私に身を委ねて」
ドキュン……と、ローランの胸が高鳴る。
童話の中でも囚われの姫が白馬の騎士や王子に助けられるというシーンがたびたび見られる。氷の龍を白馬に見立てるのなら、その頭の上に位置する二人は龍を駆りながら騎士や王子の腕の中に抱かれる姫という構図だろう。
長い銀髪とマントと見紛うたなびくオーロラを風に躍らせるアイリスは何時もの眠気眼をどこか凛々しく研ぎ澄ませ、ローランは軽く握られた両拳で口元を隠しながら、精悍にも見えるアイリスの姿を潤んだ瞳で見上げて――――
「って、ドキュン……ってなんだぁああああっ!?」
「ローラン、うるさい」
一瞬、貴公子風の衣装を着たアイリスにお姫様抱っこされた、フリルたっぷりのドレスに身を包んだ自分自身の姿を幻視してしまったローラン。自分でいうのもなんだが、吐き気を催した。無論、想像の中の自分に。
「このまま一気にゴールに向かう。振り落とされないように、しっかり捕まってて」
「くぅ……! わざわざ頼り甲斐ありそうなセリフを吐きやがって……!」
疾駆する氷龍はコースからはみ出ることなく、とても氷でできたとは思えない動きでアイリスたちを運ぶ。
障害物ですら物の数としていない。下に泥池を張った綱渡りでは、吹きまく冷気だけで水も綱も凍らせてた挙句、アイリスを頭に乗せた氷龍だけが綱の数センチ上を通過する。
とりもち弾を連射する、コースの両側に設置された大砲の口は氷で閉ざされ、落とし穴の蓋は氷り付いて作動しなくなった。
他にも急斜面、ジャンプ台、雲梯などが立ち塞がるが、床の上を殆ど浮かんでいる形で疾走する氷龍の前では無力同然。コースの隅際を落ちないように移動するしか出来ない他の走者たちが追いつける道理など無く、アイリスとローランは呆気ないほどの速さでゴールにたどり着いた。
「ぶい、だね」
「いや……個人的にはちょっと吐きそうなんだけど……」
軽く乗り物酔いしたローランの背中を優しく擦るアイリス。ゴールと共に響き渡る司会の声や歓声を耳にしながら、デモルトは茫然と呟いた。
「な、何だあれは……!?」
話では護衛の真似事をしていたと聞いてはいたが、実はとんでもない使い手なのではなかろうか?
デモルトは嫌な予感に駆られながらも、止まることの出来ない自身の現状にただ打ち震えるしかなかった。
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