01叶愛梨のモノローグ〜そして寺生まれ
叶 愛梨は、教室の前まで辿り着き、辟易した。分かっている。この異様なまでの騒ぎも、熱気も、全ては『連続殺人』のせいだ。
どぶちゃんが不思議そうにこちらを見上げる。長い前髪や、あちこちに貼られた絆創膏が目につく。どぶちゃんはいつも通り、困ったような顔をしている。
わたしは少し気が抜けて、ふ、と微笑んだ。そして、意を決してがらがらと扉を開いた。
『聞いた?今朝も起きたんだって』
『やばくね。これで何人目?』
『犯人ってやっぱ、――』
う。分ってはいても、気圧される。誰も彼も、熱に浮かされたようによく喋った。高校生に、不謹慎という言葉は通用しない。
さらに、今朝のニュースでは、『犯行の時刻の法則性から、犯人は学生では――』などと取り沙汰されていた。また一つ大きな火種が投下され、お祭り騒ぎはますます盛り上がるだろう。
それでも、(もしも、このクラスの誰か一人でも殺されたら、こんなにはしゃいではいられないだろうに……)と考えてしまう。意地悪なことを考えてしまったことを反省した。
分かっている。この騒ぎも不安の裏返しなんだ。事実、『殺人』とか『死ぬ』『殺す』などの直接的な言葉を使わないように、避けているようだった。そう、皆、恐怖と向き合えなくてこんな風に過剰に反応しているだけ……。
「それで、ポムポムプ○ンがね、」
連続殺人事件などどこ吹く風。どぶちゃんは熱心にポムポムプ○ンの話を続けている。そういえば、どぶちゃんはどことなくポムポムプ○ンに似ている気がする。自分の突飛な想像に、すっかり和んでしまった。
初めて話しかけた時、どぶちゃんは道に迷っていた。それで思わず声を掛けてしまった。困っている人を見かけると放ってはおけない。体が勝手に動く。自分でもとんだお節介だとは思うが、そういう性分だった。
それでも、自分が正義の味方じゃないってことは、忘れないようにしないと。自戒の念をこめて。
✳︎
キーンコーンカーンコーン。
昼休みを告げる鐘が鳴った。たたたーっと小走りにどぶちゃんが寄ってくる。
「お昼たべよ!」
どぶちゃんの目が期待にキラキラと光っている。わたしたちは成長期真っ盛りだから、お腹が空く年頃だ。3時間目、4時間目を耐え、ついに至福の時、という所申し訳ないのだが――。
「ごめん。先に教員室行っておかないと」
わたしは学級委員の仕事で、集めたノートを運んで置かなくてはならなかった。どぶちゃんの目がはっ、と見開く。
「私も手伝うよ!」
「いいよいいよ。すぐ戻って来るから」
手伝おうと意気込むどぶちゃんを抑え、ノートを抱えると、早く終わらせるため急ぎ目に教室を出た。
わたしは小走りで、2メートル程前を歩いていたもう一人の学級委員、責務くんに並ぶ。
「おつかれー!」
「うん、おつかれ」
責務くんは、どこにでもありそうな笑みを浮かべた。短い黒髪、きちんと規定通り着込んだ学生服。責務くんは、どこにでも居そうなごく普通の真面目な高校生で、でも、こんな時でも『連続殺人』の話を振ってきたりはしないので、話しやすかった。そろそろテストの準備をしないと、など、他愛のない、しかし高校生らしい話をした。
ノートを届けたのち、教員室を出てすぐ、興奮した様な話し声が、耳に飛び込んできた。
「なあ、やっぱり連続殺人って、例の車輪ってやつが犯人なんじゃねえの!?」
じろり。わたしは即座に、声の主を睨んでいた。うちのクラスの生徒ではない様……靴の色……上級生か……。声の主は、自分でもまずいことを言ったという自覚があるのか、さっと目を逸らして黙った。廊下に固まって話をしていたグループの面々も、皆一様に気まずそうに黙った。車輪くんは、その素行の
悪さから、すでに上級生にもその名が知られている様だった。
どぶちゃんは、車輪くんの幼馴染らしいけど、実際、車輪くんのことをどう思っているんだろう。そんなセンシティブなこと、聞けるわけもないのだが。
そしてわたしは、いい加減すぐに揉め事に首を突っ込もうとする性格を何とかしなければ。命がいくつあっても足りやしない。
とにかく、早く教室に戻ろう。責務くんを振り返ると、責務くんは目を見開き、口を歪ませていた。読み取れる感情は、嫌悪……いや、恐怖?しかし、それらの表情は一瞬で過ぎ去り、すぐに元の普通の高校生が戻ってきた。
上級生相手にメンチを切ったせいで、怯えさせてしまったのだろうか。
問題は山積みで、しかもどれも不発弾のような問題ばかりだった。
✳︎
教室に戻ると、妙に騒がしかった。いや、昼休みなのだし騒がしくて当然なのだが、まず入口に人垣ができていて通れない。さらに、中からは言い争うような激しい声が聞こえてくる。
責務くんと二人、顔を見合わせる。互いに言葉はなく、すぐに人垣をかき分け始めた。
やっとのことで野次馬の最前列へ辿り着くと、どぶちゃんも居た。騒ぎを見て、あわあわ、おろおろとしている。逃げ遅れたのだろうか。
どぶちゃんはわたしに気がつくと安堵したようで、それからすぐに慌ただしく事態を説明し出した。
「あ、あのね!今、幸福という概念について、争いが起こって――」
「……。え、ちょっと待って、なに?」
理解が追いつかず、すぐに制止をかけた。が、呼応するように争っている集団が叫ぶ。
『最大多数の最大幸福こそが社会の幸せの在り方だ!!』
『違う!個々人の幸福は個々人の所有物だ!それは、個人が決めるべきことだ!』
『しかし、人間存在は社会という共同体に組み込まれている以上、社会全体の幸福を無視して考えることはできないだろう!』
『それはいうなら、社会とは一人一人の人間で成り立っているものであるのだから、個々人の幸福の価値観を無視できないはずだ!』
「あー……。たしかにそういう事態になってるみたいだね」
どうすればこんな事態になるのだろう。
「愛梨さん、僕らはどうすればいいかな、これ」
「うーん……難しい問題だからなあ」
責務くんと二人、頭を抱える。学級委員に、幸福についての争いを止めるためのマニュアルなど無い。どうにも手詰まりではないか、という雰囲気になりかけたその時、高らかに声が響いた。
「ちょっと待つの!!!」
その場の全員が、一斉に声の主を探す。かくして、それはすぐに見つかった。『わっ』教室の入り口が、光り輝いていた。神々しい、という言葉がこれほど相応しい場面が他にあるだろうか。誰もがそのオーラに圧倒されていた。
しかして、ついに人混みを掻き分け、その人が姿を現わす。
ぴょこん。
その人は、小さな女の子だった。大きなリボンでツインテールにした髪は、肩につかない程度の長さで、活発な印象を受けた。背丈も低く、小柄で、制服はぶかぶかだった。少しつり目ぎみの大きな目は、自信に輝いていた。そして、顔には無邪気な笑顔を浮かべている。その人は、無邪気に笑って、元気いっぱい言う。
「みぃは、みんなが幸せであればいいなって思うの!全ては輪廻転生の輪の中なの!」
全てが浄化された。どんな理屈も理論もなく、純粋に人々の幸せを願うその心に、争いを続けていた人達は、締まりのない笑みを浮かべるばかり。それは、遊具で遊ぶ子どもを見る時の笑みであった。そしてわたしも、彼も、彼女も、笑顔だった。そこに幸福があった。
『争うのは、やめよう』
『手を取り合って生きよう』
全てが調和した世界の中、どぶちゃんが突然声を上げた。
「あ、あの!あなた、お名前は!?」
どぶちゃんが、先程とは打って変わって蒼い顔でその人に尋ねる。
「みぃは本山みどりなの!隣のクラスだよ!」
そうだ、聞いたことがある。隣のクラスの有名人。確か――。
「みどりさんですね!私は溝川どぶ子です!
あの、失礼ですが、ご家業は!?」
「?みぃの家は禅寺だよ!」
「や、やっぱり……」
どぶちゃんはますます蒼い顔をして呟いた。さすがに只事ではない気配を感じ、尋ねる。
「ど、どうしたの。どぶちゃん」
「た、大変です。彼女……」ごくりと生唾を飲み込み「寺生まれです」
「……つまり?」