81話 忌族
僕らの耳にも前方から伝わる振動と罵声が聞こえてくる。通路は左に曲がっているので姿は見えないが松明らしき明かりが見えるので結構近くまで来ているのが分かる。
どうも戦況は不利のようだ。迷宮内での撤退戦は難しいからなー。
「相手が大きいし戦況は悪そうだから————」
「この豚野郎! てめーがしっかり仕事しねーからこんな目に遭うんだよ! この役立たずが!」
そう叫ぶのは硬革鎧を派手に破損させた若い男である。そいつが後ろに向かってそう罵倒する。奥から迫ってきているのは熊型の岩魔像のようだ。体高が0.5サートあり、今まで見た岩魔像より明らかにデカイ。
その熊型の岩魔像を阻むのは、重甲冑を纏い、畳並みにでかい壁盾を構えた巨漢だ。師匠より大きく、以前遭遇した竜人族よりは小さいが間違いなく身長は0.5サートは越えている。
「ほら、他所様に迷惑だからお前のような愚図はここを死守して存在価値を示せよ!」
若い男はそう言うとそのまま走り去っていった。
必死に猛攻に耐える巨漢の人物とのやり取りをポカーンと見送った僕ら一党。
「ありゃー間違いなく区画主だな」
気を取り直して健司が、そう呟き覚悟を決めたようだ。昇格祝いに師匠から貰った魔法の鞄に主武器の三日月斧をしまいこみ、代わりに大鎚矛を取り出し肩に担ぐ。
少し遅れて僕も魔法の鞄から重鎚矛を取り出し両手で構える。
岩魔像には打撃武器以外はほとんど効果がないので、僕も健司も槌矛系の武器に切り替えたのだ。
「それじゃ助太刀するぞ!」
無言で壁盾を支える巨漢の重戦士の背にそう声をかけて健司が最初の一振りを————。
「おりゃぁぁぁぁぁ!!」
気合と共に岩魔像の右後肢に大鎚矛の一撃が決まるが、岩のかけらが飛んだものの思ったほど削れていない。
僕の一撃も似たような感じで効果がるのか疑わしい。
壁盾を構えている巨漢の人は頑張って踏ん張っているけど、壁盾の方がもたないだろう。革で補強されているものの所詮は木製だ。攻撃を受けるたびにミシミシと嫌な音を立てている。
「樹! あれをやるから時間を稼いでくれ」
そう健司が叫んで熊型岩魔像からやや距離をとり大鎚矛を上段に振り上げる。
健司がやろうとしていることは[功鱗闘術]と【斬撃】と呼ばれる上段からの強力な一撃を放つ技に魔闘術の【練気斬】の効果を上乗せしようって腹積もりだ。この技は鈍器でも問題ないのが利点だ。
決まれば強力な一撃になるが問題点はゲームで言うところの溜めが必要なのだ。
僕の役目は健司の溜めが終わるまでの30秒くらいの間だけ攻撃を引き付けておくことだ。
【疾脚】で近づき両手持ち重鎚矛での渾身の一撃を叩きこんだ後に【疾脚】で離脱という一撃離脱戦法を幾度か繰り返す。【疾脚】は慣れてくると前後左右にも動けるようになって僕のような普通の体格の戦士には使い勝手がいい。
僕の攻撃が4回に達したとき、巨漢の人の壁盾が熊型岩魔像の右前肢の一撃で砕け散った。
続いて放たれた左前肢の一撃が巨漢の人の頭部に命中しその勢いで吹き飛ばされる。少し遅れて吹きとばされた際に脱げ落ちた樽型兜が床に落ちた。
「————!」
後方に待機していたセシリーの声なき悲鳴のようなものを聞いた。
だが構っていられない。
「健司!」
「おうさぁ!」
此処だというタイミングで健司に指示を出す。
それに答えた健司の裂帛の気合と共に放たれた魔闘術による魔力の乗った【斬撃】が熊型岩魔像の左後肢を打ち砕いた。
これで熊型岩魔像の移動と攻撃を抑えることができた。あとは楽勝だ。
後肢で立ち上がっての左右の前肢による振り下ろしの攻撃は出来なくなり、右後肢と左前肢で身体を支えつつ右前肢による横薙ぎ攻撃に切り替わるのだが、後は死角からひたすら殴り続けるだけである。
▲△▲△▲△▲△▲△▲
熊型岩魔像が完全に動きを止めるのにあれから八半刻ほど費やした。
「いやー疲れたわ」
健司がそう言ってへたり込む。
「お疲れ」
僕はそう労いつつ万能素子結晶を拾い上げる。
苦労した甲斐はあったというべきか、かなり純度が高そうでサイズも大きい。僕の握り拳くらいある。
「さてっと…………」
周囲を確認すると巨漢の人が身体を引きづるようにこの場を離れようとしている。
「さっきは壁になってくれてありがとう。出来ればお礼をしたいのだけど…………」
そう去り行く巨漢の人に声をかけたのだが、振り返ったその顔は————。
「…………豚鬼」
人族の敵、すべての女性の敵とも言うべき忌族。人族というより神話時代に光の陣営についた種族にとっては不倶戴天の敵だともいえる。
もちろん僕らには関係ないのだけど。
豚鬼とは神話時代に闇の陣営に組した人族の成れの果てだと言われている。短命だが繁殖力は赤肌鬼に次いで高い。彼らが嫌われている要因は、人族や妖精族と交配しほぼ確実に子孫を残せることにある。男女比が9:1の関係で繁殖の為に異種族を襲うこともしばしばあり、この世界の女性からすると豚鬼は忌避すべき種族でセシリーも自分が襲われると思ったからこその声なき悲鳴だったのあろう。
だが話に聞いていたイメージはこの巨漢の豚鬼には感じない。
「違う。君は半豚鬼か」
豚鬼を簡単に表現するなら豚の頭部が乗っかった相撲取りと形容すると分かりやすい。強靭な肉体を暑い皮下脂肪で覆っているので教育や文明レベルは低いが知性は決して低くないという。
彼を半豚鬼だと思った理由はその容姿だ。鼻が豚な事を除けば頭部の造りは人族のそれと変わらないのだ。
その彼が立ち止まりこちらを一瞥すると、
「主人が死んだ。俺、どうしたらいい?」
そう聞いてきた。
それはこっちの台詞だと言いたい。




