595話 寄り道⑤
「例の娘ですが逃げられてしまいまして…………誠に申し訳なく…………」
ゆっくり休もうかと思ったけど習慣で日の出の時間には目が覚めるてしまった。身支度を整えて併設された食堂に赴くと土下座しそうな勢いの総支配人にそのように報告された。スリの娘は逃走防止として施してあった【永久の眠り】を解いていたとはいえかなりの出血であり流石に逃走は無理だろうと思ったのだけど考えが甘かったようだ。
当人からすれば知らない場所に捕獲されて不安ではあったのだろう。背景事情を聴きたかったけどたいして縁もないしわざわざ見知らぬ土地で探すほどでもないかと思っていると…………。
「どうしたもんか…………」
「わたし、多分判るよ」
いつの間にか隣に居た瑞穂がそう呟いた。
「判るのかぁ…………」
正直に言えば僕らが帰った後にスリの娘がどうなろうが気にも留めなかっただろうけど、流石に何かあると後味悪いかなと悩みつつ土地勘ないから見つからないだろうし――――とか思考がグルグルとしていた所へのこの一言である。
これで探しに行かないのは流石にねぇ…………。
面倒事に巻き込まれない事を祈りつつ瑞穂に案内をお願いする。
「任せて」
フンスと鼻息荒く答えると支度の為に部屋に戻る。
僕も厨房に外で食べられるような食事を作ってくれとお願いしに行く。
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支度を整えて宿屋を出る事四半刻。
瑞穂は都市の狭い路地を北方面へと足早に歩いている。時折振り返って僕らの姿を確認しつつ申告通り淀みなく進んでいく。
「どういう原理で追跡しているんだろう…………」
瑞穂に関しては謎が多い。特に索敵能力が異常だ。
「あの娘は精霊に愛されし子だからだろうね」
僕の独り言に応えたのはなぜか同伴を申し出てきた森霊族のエルトシャンさんだった。
「精霊に愛されし子?」
思わず聞き返してしまった。森霊族語に近い気がするが初めて聞く言葉だったからだ。
「樹くんは妖精族の成り立ちは知ってるかい?」
そして唐突にそんな事を聞いてきた。
確か妖精族は始祖神が世界を想像した際に自然現象を管理させる役目として人間をベースに生み出したなどと言われているけど…………。ただしこれも諸説ある。
そう答えるとエルトシャンさんは、
「真実は誰にもわからない事だけどね。なんせそんな大それた力はすでにないし」
肩をすくめてそう答える。
彼の話によると精霊に愛されし子は魔法的才能とは別に生まれつき精霊と密度の高い意思の疎通が出来る稀有な存在という。
今は魔法的才能を失った幼人族、もとい草原妖精の昆虫や植物と疎通ができる能力に近いという。あくまでもこんな感じの事を主張しているのが分かる程度らしい。
「おそらくだけど様々な精霊の声を聴いているんだろうね。ここ数百年出会った事がなかったので興味深いよ」
そんな話をしつつ低所得層の薄汚れた長屋通りを一刻ほど移動し続けてると急に景色が変わった。豆腐建築な長屋街が途切れ廃墟が続いていた。いつの間にか瑞穂が立ち止まっていた。
「巨大生物の襲撃で破壊された跡地だね」
この絶壁都市コンティーヌは西方から巨大生物、特に巨大昆虫が防壁を越えて時折襲撃を受けるそうで特に機能が弱っている北部側はこんな状態の箇所が所々あるという。
「あの娘の年齢から鑑みてこの時間でこの距離を移動するのは無理だろうから恐らく魔導速騎を盗んだのかもね」
「そうかもしれませんね」
エルトシャンさんの言う通りだろう。出血もひどかったし体力も乏しい子供では無理がありすぎる。現役の僕らが早足で一刻以上追跡しても追いつけなかったのである。
「瑞穂。見失ったの?」
そう質問すると無言で首を振る。やや動きが固い。
「結界に入ったね」
エルトシャンさんは結界と言った。結界ではなくだ。
結界は魔法的な設置型の防護措置を指すが、一方で結界は魔術結社や間者などが使う専門用語だ。情報などを漏らさない目的で使われる。腕利きの人員を配置し監視しているのだ。要するに袋の中のネズミである。
瑞穂が緊張しているところを見るとかなりの腕利きだろう。
「ここは気にしていても仕方ないから進んだ方が良いよ。監視者にとって害がなければ見逃されるからね」
エルトシャンさんの意見で再び瑞穂が動き出す。今度は早足ではなく普通の速度でだ。
程なくして廃墟の広場でスリの娘を発見した。ただしこちらの想定とは異なる形でだ。
破壊された魔導速騎とそこから投げ出されたであろうスリの娘。そしてそれをヒールの高い革靴で踏みつけている見知らぬ人物であった。
その人物は僕以上に背があり鍛え上げられた肉体にウェーブのかかった長い金髪、鷹のように鋭い眼光の碧眼。所々傷などがある色白の肌。恐らく北方民族だろう。右手に杖を持っているが元傭兵だろうか? 女傑と呼ぶに相応しい佇まいであった。
その女傑がこちらを見てこう言った。
「あんたたちもこのガキに用事かい? 悪いがこっちが先約だよ」




