589話 調査してみる⑬裏
樹と別れて四半刻ほど走り続けた。後続のハーンとプリマヴェーラがそろそろ体力の限界のようなので一旦足を止めることにした。
『もう暴れないから降ろしてよ』
荷物のように抱えていた小鳥遊から苦情があったので『逃げるなよ』と念を押し降ろしてやる。
『いまさら行っても仕方ないし、今の私じゃ邪魔にしかならないのは承知してるから行かないわよ』
そう文句を言いつつ身体を解している。
携帯糧食を口にして[体力回復の水薬]で流し込み再び走り始める。道中は特に戦闘もなく四半刻ほどで森の外縁部に到着した。いまの時間的にここで次元潜航艦で回収となると上空から丸見えである。浮遊式潜望鏡でこちらを確認してもらい夜を待って浮上してもらって回収だろうか?
横を見ると小鳥遊が[妖精の長靴]を脱いで普段使っている編み上げ長靴に履き替えていた。
「なに? もう脱出するだけだし姿だけ隠していれば問題ないでしょ?」
俺がじっと見ていたのに気が付いたのか小鳥遊の声音はややトゲがあった。
こいつってクール系なお澄ましキャラっぽい感じだけどかなり樹にべったりなんだよなぁ。
「…………確かにな」
俺もそう返して靴を履き替える。普段の防具は置いてきているので今回は革の具足を追加で装着する。八半刻ほど経過しただろうか剣戟の音と叫び声が聞こえてそちらに目を向けるといつの間にか外縁部に武装した一団と同じく武装した豚鬼の一団が戦闘を繰り広げていた。
もっとも戦況は互角どころか明らかに豚鬼らが優勢でその恵まれた体格で繰り出す一撃で人間の兵士は弾き飛ばされ良くて致命傷である。
数の上では六対一で人間側が多いが前衛の豚鬼が振るう棹状大刃で二人の人間があっという間に戦闘能力を失う。また別の男は盾で止めようにも重い一撃を受け止められるわけもなく大きく体勢を崩し別の豚鬼に仕留められていく。
戦闘はほぼ一方的な展開で一限もしないうちに一個小隊の兵隊が全滅してしまった。大して豚鬼らに大きな負傷は見られない。分厚い金属製の鎧が多少傷がついた程度だ。
「お前ら! どこかに女が居るぞ! 探せ!」
指揮官らしい杖を持った豚鬼がそう命じると前衛の三体豚鬼らがウロウロと歩き回り始めた。これはマズいぞとハーンは緊張している。プリマヴェーラは身体が震えている。こっちの世界じゃ豚鬼といえば穴があったら入れたいレベルの歩く強姦魔扱いだからなぁ。
小鳥遊は落ち着いている。こいつの場合は樹が預けている[力場の腕輪]がある限り物理的に傷つける事はほぼ不可能だからっていうのもあるだろう。
『ハーンとプリマヴェーラはゆっくりと森へ入れただし奥へは行くな』
まずはお荷物になりそうな二人にそう命ずる。既に[妖精の長靴]を脱いでいるので物音を立てるようなことはして欲しくはないからだ。
二人は無言で肯首しゆっくりと移動し始める。いちおう訓練しているだけあって専門家でもなければ気が付かないだろう程度の忍び足であった。
だが見つかった。原因は音ではなく臭いでだ。
「こっちから女の臭いがするぞ!」
一体の豚鬼が俺らの方を指さす。まだ奴らに見つかってはいない筈だ。とりあえず一人でも多く殺るしかない。
『小鳥遊。援護してくれ!』
俺はそう告げると[黄流闘術]の歩法にて間合いを詰め[魔法の鞄]から[炎神剣]を取り出すと上段に構え先頭の豚鬼に斬りかかる。
【姿隠し】の効果で不意打ちとなり豚鬼は俺の攻撃を避ける事が出来ず上段からの一撃をもろに受ける。肩口から入った刀身は腰のあたりまで食い込み[炎神剣]の炎が豚鬼を包み込む。
「まずは一体」
残りの前衛が武器を構えて走ってくる。棹状大刃持ちと肉厚の大剣を持つ奴だ。後方に居た豚鬼の一体はここで祈りを捧げる。
「戦の神よ、ご照覧あれ。今ここに勇者たちの戦いを捧げる————」
それは戦の神の高司祭が使う【戦いの詩】の奇跡だった。前衛の豚鬼どもは雄たけびを上げる。
そこへ小鳥遊の魔術が発動する。
「綴る、付与、第六階梯、守の位、守備、庇保、防御、硬質、緩衝、保護、発動、【高位防御膜】」
俺の身体を覆うように魔力の膜が形成される。こいつの効果は全身甲冑並みにある。もっとも豚鬼らにどの程度の効果があるかは考えたくない。
「女の魔術師が居るぞ!」
指揮官がそう叫ぶと杖を掲げ自身も詠唱を始める。
「綴る、八大、第四階梯、攻の位、火炎、灼熱、爆熱、爆裂、炸裂、発動、【火球】」
完成した【火球】は俺を通り越し後ろで炸裂した。小鳥遊の悲鳴が爆音に紛れて聞こえた気がした。まずい。樹は小鳥遊に事になるとキレる。
急いで仕留めねーと!
[炎神剣]を握りしめる。
「契約に基づき力を貸してくれ炎の精霊王!」
[炎神剣]の炎が膨張すると前衛の豚鬼らを飲み込み巨大な炎の柱を成形する。ごっそりと俺の中の体内保有万能素子が取られる感覚に一瞬眩暈を起こす。
豚鬼らも馬鹿ではない。炎の柱が消え炭化した前衛どもを見た奴らは即座に動き出す。
戦の神の神官戦士は巨大な大鎚矛を片手に壁盾を構え突っ込んでくる。俺が同じ攻撃を繰り出せないと判断したようだ。正解だよ。こんちくしょう!
一方指揮官は次の魔術に入っていた。何かを地面に撒く。
「綴る、付与、第五階梯、付の位、触媒、従僕、竜牙、発動、【竜牙兵】」
魔術の完成とともに撒かれた[ドラゴントゥース《竜の牙》]らが質量を無視して武装した骸骨戦士となって出現する。その数は5体。とてもじゃないが俺一人で対処できる数じゃない。
『小鳥遊、逃げろ!』
そう[遠話器]越しに叫ぶが既に詠唱に入っていた小鳥遊には聞こえていなかった。
「綴る、精神、第七階梯、攻の位、凝縮、影槍、誘導、脱力、発動、【闇の投槍】」
何もない空間に漆黒の投槍が出現する。それはまっすぐ指揮官へと飛来し避ける間もなく突き刺さる。この魔術は肉体への損傷はない。代わりに精神を刈り取る。いくらか魔術を行使したので刈り取れると踏んだのだろうがこの指揮官は耐えきった。
よろよろとしているがまっすぐ小鳥遊の方を見ている。今の魔法で小鳥遊の場所はバレた。発動場所の側が術者の位置だからだ。
三体の竜牙兵が斬りかかってくる。残り二対は素通りして小鳥遊を狙いに行った。[反発障壁の指輪]の効果で傷はつかないのは頭では理解していたが――――。
「行かせるかぁぁぁぁ」
強引に身体を捩じって素通りする竜牙兵を横薙ぎでまとめて仕留める。
だが敵に背を向けて無事なはずがない。残った三体の竜牙兵の三日月刀が俺の革鎧を切裂き血飛沫が上がる。
致命傷は避けたが激痛で叫びそうになる。だが戦士の打たれ強さは我慢強さだ。伊達や酔狂でヴァルザスさんとの特訓でボコられてねーんだよ!
振り向きざまに裏拳で一体の竜牙兵をぶん殴りその勢いを使って距離をとる。
近づきすぎていた三体の竜牙兵は互いにぶつかりバランスを崩していた。激痛に堪えつつ[炎神剣]を横薙ぎで払う。
崩れ落ちる竜牙兵らにホッと一息つく間もなく重鈍な装備の神官戦士が大鎚矛を片手で振り上げ俺の頭をカチ割る気満々で振り下ろすところだった。
戦士としての勘ともいうべきか反射的に俺はぶつかるように一歩前に踏み出していた。打点のズレた大鎚矛の一撃は柄の部分が命中した。おかげで痛い事には違いないがまだ耐えられる。
この距離ならと背中の短剣を抜こうと手を伸ばした時、鍔鳴りの音がした。
ごろりと神官戦士の頭が地面に転がった。
だいたい自重の一割ほどの重さの武器を使いこなせる扱いなので平均的な豚鬼であれば20kgくらいのものまで使いこなせる。片手武器でも8kgくらである。肉体的にはゴリラより強い。唯一の欠点は人間のように長距離行軍できない事。この時代の冒険者なら一日に普通でも30km前後移動できますが豚鬼だと頑張っても精々20kmくらいです。




