幕間-57 炎の王
荒れ狂う炎が俺を包み込んだと思ったらまるで全ての束縛から解放されたような感触があった。例えるなら肉体の檻を破り精神が完全に開放されたような感じだろうか?
その場は見渡す限り真紅であった。
そこで思い出す。樹の最後の言葉を。
『自己をしっかり意識しろ!』
俺は自分の状況を理解した。例えるなら小さな消え入りそうな炎のような状態だ。ここは炎の精霊界であり俺の存在は吹けば飛ぶようなちっぽけな存在だ。
確か以前に魔法の講義で聞いた覚えがある。精霊の世界は意志の強さが己の存在力に繋がると。精霊の世界は集合意識体のような状態で雑多な精霊に飲まれてしまうと自己を失ってしまうらしい。そうなれば人として再び元の世界に戻ることは出来ない。魂の死と同義となるそうだ。
『契約者よ。意識を強く持て。そのままでは貴様はこの世界に同化されただの精霊になり果てるだけだぞ』
直接精神に語り掛けてきた低音の声の主は先ほど聞いた炎の精霊王のものであった。
気が付けば俺は気が緩んでいたらしい。自らを形作る炎が大きくなる。
『契約者よ。周囲を見るといい』
炎の精霊王がそう精神に語り掛けてくるが一面真紅であることに変わりはない。
『貴様は視覚を閉じている。この世界では強く意識しなければ見えるものも見えないぞ』
俺はその忠告に従って意識を見る事に集中する。すると再び警告が飛ぶ。
『自己を形作る事も忘れるな』
どうやら見る事に意識が行き過ぎて消えそうになっていたようだ。これは意外と難しい。
慣れてきたのか周囲が見えたきた。
赤い世界のままに見えたがよく見えれば火蜥蜴や名もなき小さき精霊などが漂っている。
この光景は純粋な意味での視覚でない。
そして自らの姿が名もなき精霊と大差ない事に気づく。
同時に炎の精霊王の姿が見えない事にも気づく。
『私はここにいる。精霊界では空間や時間は意味を持たない』
そう意識しろと言っているのだ。確かに居ると思い込むと程なくして炎の魔神などと揶揄される姿がほのかに浮かび上がる。
そして気が付いた。いつの間にか名もなき精霊や火蜥蜴の存在が感じられなくなっており、俺と炎の精霊王だけがそこにあった。
『さて、契約者よ。汝はなぜに力を欲する』
そんな事は決まっている。
「俺は足手まといだ。俺はあいつの相棒として並び立ちたい。その為には力がいる!」
普段であればこんな事は死んでも言わないだろう。この世界で炎の精霊王に嘘偽りが通じるとは思えないので本音を語った。
『では、その得た力で汝は何を成す』
何を成す?
俺は英雄になりたいわけではない。強くなって女にもてたい? 今でも十分モテるので必要ない。
「俺は相棒の剣であり盾になりたい、だが俺には時間がない」
そう人間という種は雑魚過ぎるし現役時代も短い。今から必死に修行してもとても間に合わない。共同体には俺よりはるかに強い存在が幾人もいるのだ。そして彼らは強さに驕らずに自己鍛錬を欠かさない。故にいつまでたっても差が埋まらないのだ。
『人の世界の理に興味はないが、その強い意志は気に入った。では貴様に試練を与えよう。ただし試練に打ち勝てなければ汝の存在は掻き消え名もなき精霊になるのだ』
一瞬恐怖で心が凍る感じがした。この世界で魂が滅べば輪廻の渦にも戻れず蘇生すら許されない訳である。
『いまなら帰還を許すぞ』
俺の心の機敏を察しそんな誘惑をしてきた。
「いや、その試練受けるぞ!」
そう宣言した途端、俺という存在にとてつもない圧力が襲い掛かってきた。思わず苦悶の声をあげてしまう。自らの存在を強く意識し、霊的圧力に耐えるために歯を食いしばる。その圧倒的な力はとうとう熱すら感じるようになり全身を炎で焼かれる感覚が襲う。
徐々に自分という存在が希薄になっていく。物質界の生物というのは自己の存在を感覚によって認識している。自らの身体を見て触れて自分という存在を認識する。
この世界では物質界での感覚の認識は必要ない。必要なのは自らの霊的存在力を直接知覚する能力が求められると教わった。
精霊使いの数が少ない理由として、互いの世界の在り方を違いに戸惑うからだ。その戸惑いを修正していった者こそが精霊使いである。
魔法を使う才能はあまりないと言われ修行をサボったツケを支払おうとしている。
俺という存在はより強大な炎によってかき消されそうになっていた。
恥も外聞もなく、助けてくれ。死にたくないと叫び散らかす。絶望感が俺を襲う。諦めかけた時だ。
落下する俺を助けるために飛び降りる相棒が思い浮かんだ。
「馬鹿にするな! 俺は皇健司。あいつの唯一の相棒を目指す男だ!」
それはまさに絶叫であった。
それと同時にこれまでにない程の強烈な霊的圧力を放った。何のためにこの試練を受けた。俺は相棒に人間として惚れている。それこそが俺が強くなりたいと思う最大の要因だ。
それは純粋な心のありようであり、それが昇華して己の存在力を補填してくれている。
「俺は試練に打ち勝って戻るぞ!」
その叫びと同時に試練を乗り越えた。
世界は静謐に満ちている。
そうだ。圧力に抗う必要などなかった。ただ己の心のうちに正直になればいいだけだった。
『試練は成ったぞ。汝はこの世界の理を知り炎を扱う事を知り、我と協力する事も可能となった。汝が輪廻の渦に帰るまで我らは力を貸そう』
そうか。俺は試練に打ち勝ったんだな。今更ながら実感した。
『汝が我の力を欲したときは我が名を呼べ。我が名はワムルなり』
そう聞こえた時には何かが繋がった気がした。
『では門を開こう。元の世界で我が力を以てして汝の思いを達するのだ』
そして暗転した。
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