幕間-17 ある人物の現状に悩む
やや長め。
春の前月の前週某日
とある事務所の一室にて。偉丈夫と白い長衣に身を包んだ中年の男性がいた。中年の左腕にはケシ科の花を意匠化した医療魔導師の腕章がある。
その医療魔導師が分厚い報告書をテーブルに置く。
「これが彼らの健康診断の結果になります」
部屋の主たる偉丈夫が報告書を取りパラパラと頁を捲っていく。
その報告書にはとある共同体の生体データが書き込まれているのだ。
各頁は名前、年齢、性別の他は身長体重などありふれたものが続きそれ以降は一見すると意味不明の言葉と数値の羅列が続く。
それらは高位の医療魔導師などの生体魔術学を修めていれば意味を理解できるものであった。
報告書の内容は人体の様々なものを数値化したものであった。ただし項目だけで数万項目と多く意味を理解していないと単なる数値の羅列に過ぎない。各位十数頁にも及ぶ。
偉丈夫はパラパラと頁を捲り続け一限ほどして目的の人物の頁で止まった。
そして偉丈夫は最後の方で目当ての人物を見つける。
「想定していた以上に酷い結果だな」
「はい。当人の性格なのか隙間時間すら何かをしていないと落ち着かないようでして……」
偉丈夫の呟きに医療魔導師が大型魔導艦での生活をそう答える。
「あれだけ回復する方法はないと忠告したんだがなぁ……」
偉丈夫はそう呟き溜息を零す。
「そうは言いましても人並み以上に酷使したからこそ、今の彼の強さなのでは?」
この世界の基準ではたった二年で高導師級の魔術師になるのはあり得ないのである。
「そうなんだよな。困ったもんだ」
偉丈夫はそう呟いてため息を漏らす。二人の見ている頁に書かれた氏名は高屋樹と書かれていた。
一体どの神々の気まぐれで与えたのか恩恵である開放による負荷が術者として必須の霊的器官である導管を大きく損傷させると再三にわたって注意していたのだが、こちらの想定以上に導管が傷ついているのだ。
自重させるために自然回復はしないし、回復手段はないと言っていたのにこの様である。それとも恩恵を使わなければ問題ないと考えているのだろうか?
現在のところ報告はないがそろそろ魔術の行使の際に導管を通る万能素子がまるで空気が抜けるかのように霧散し急激な虚脱感のようなものを感じることがあるかもしれない。これを致命的失敗などと捉えているようならかなり危険だ。
それでも低位の術や運よく魔術が発動することもあるので判り難いのが難点である。
生体データを見る限りでは上位の魔術を使わなければ早急に危険はないが性格的に自重しなさそうなので手を打った方がいいのではと考える。
神の域に到達したと謳う魔術師であるが、たった一つだけ出来ないことがある。それが魂というか霊的器官への干渉である。
諸事情があり回復できないと脅したものの実のところ導管は使用を控えれば僅かづつであるが回復する。もっとも元通りになるには20年とかの歳月が必要だろう。
あとは極めて例外であるが、ある特殊な方法で瞬時に回復する手段もある。ただし代償も大きく全財産を積んでも断られることすらある。お金でやり取りできるものではないのだ。
「そうなるとこの断罪の聖女様がカギとなりますかね? 樹殿が神殿側の要求を吞めばあるいは?」
医療魔導師が頁を捲り断罪の聖女の頁を見せる。
「ほう……。てっきり宗派で担ぎ上げた似非聖女かと思ったが、まさか本物の聖女様だとはな」
頁に目を通した偉丈夫は感嘆の声を漏らす。
ここでいう本物の聖女または聖人とは、本来は【神格降臨】を祈願すれば、降臨先の器である術者の魂が耐えられずに砕け散り輪廻からも外れ神の御許とやらへと逝ってしまう。霊的な器の大きさが違いすぎるせいだ。
しかし本物の聖女ないし聖人と呼ばれる者は耐え抜くだけでなく再行使可能なほどの器の持ち主を指す。もっとも乱発できるわけでもなく失敗するリスクもある。また成功しても霊的に無傷かと言えばそんなことはない。
「そう考えるとあの断罪の聖女が先祖返りで神人族として生を受けたことに何か意味があるのか?」
神人族は既に種族としては絶滅している。薄まった血を引く隠れ里はあるが彼らは人族より寿命が長く美形であること以外は少々頑健であったり術者として優秀程度である。
「この断罪の聖女殿に事情を話しこっそり神格降臨】を使ってもらいます?」
医療魔導師がそんな提案をする。こちらの世界だと人族の恋愛結婚は流行り病と同義などと揶揄される。神前結婚のため熱愛の勢いで結婚し熱愛の熱が冷めて現実が見えて来たとき気軽に離婚できないのだ。かといって姦通罪が存在するので浮気すれば地獄しか待っていない。
「確か神殿から出向という形で同伴しているんだったよな?」
凡その顛末は聞いているが偉丈夫が確認する意味で問う。
「えぇ……。中々に最低の話ですが、魔眼持ちの子を得るために樹くんに孕ませてもらって来いという最低な理由でね」
医療魔導師が軽蔑した表情で答える。
「だが、あの断罪の聖女って確か樹に――――」
「本人曰く一目惚れだそうです。期限付きで出向したのもどうせ婚姻が避けられないならより良い条件がいいと思ったとの事です」
こちらの世界では能力のある者は子孫を積極的に残せというのが常識みたいな感じなのだ。だから断罪の聖女が樹ならいいと思ったのも普通の感覚に感じる。
「それに関しては樹が童貞を拗らせてるからなぁ……」
偉丈夫がボソリと呟く。妙にロマンチストなのか最初の相手は和花と決めているようではある。なら両想いなんだしさっさと済ませろと言いたいところだが……。妙な自制心が押しとどめている。
一方で和花にもさっさと寝込みを襲って既成事実を作れと圧をかけてるんのだが……。こちらもなかなか一線を越えられない。これだからお嬢育ちはと思わなくもない。
「やはり対抗馬が押しに弱いとダメなんだろうか」
「何か言いましたか?」
偉丈夫の独り言に医療魔導師が返したが内容までは分からなかったようだ。
対抗馬と言えば学術都市サンサーラの賢者の学院に送った樹の元の世界の婚約者であった花園美優でも良いのかと思い至る。恩恵の神寵を授かっており望めば【神格降臨】を行うことは可能であろう。最も代償も安くはないであろうが……。
惚れた弱みで頼めば執り行う気もするが、樹がそれを知って頼むはずはないしなと思う。
最終手段としては自分たちが通常封じている【神格解放】を以って何とかする手もある。盤面をひっくり返すような愚行であるが簡単に失って良いような人材ではない。
「成るようにはならんな……」
思わず呟いてしまう。
「何か?」
「いや、独り言だ」
「取り合えず大所帯になるようですし適当な人数の看護魔導師に魔法の契約書を書かせて行こうかと思います」
「市井でのんびり医者の真似事をして暮らしたいと言っていたところに悪いな」
「いえ、多くの優秀な若者に囲まれて暮らすのも悪くはないですよ」
そういうと医療魔導師は静かに笑い立ち上がる。準備を行うためだ。
偉丈夫は去っていく医療魔導師を見送り思い悩む。
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総括業務と尻ぬぐい業務で急に忙しくなったかと思えば、資料があったHDDが逝きサルベージに奔走中。




