269話 熱砂の洗礼⑤
「昼にあんな目にあったのになんで一人でここにいるかなぁ……」
淡く光る足跡を追跡していくと予想通り水場まで続いていた。月明かりに照らされ岸には乱雑に脱ぎ捨てられた衣服があり、水面には和花が泳いでいるのが見える。やがて泳ぐのにも飽きたのか姿勢を変えプカプカと水面を漂う。
月明かりに照らされて映し出される和花の肢体をぼんやりと眺める。か細いウェストのくびれから腰へのラインと細長い手足が相変わらず美しいなぁ……などと見惚れてしまったが今は見惚れている場合じゃない。
昼間の事件の後で師匠が【結界】を張ったので危険度は限りなくゼロに近いのだけど、この世界の魔法とか魔術に”絶対”は存在しない以上は迂闊さを叱るべきか?
そう考えたもののやや楽天的な性格的だけに適当に躱されそうではある。そう考え僕は言うだけ無駄かなと判断した。そのかわりではないが、そうならない様に僕が何とかすれば済むだけの話だ。
いくら【結界】と防犯魔術によってほぼ安全は確保してあるとはいっても何時までも拠点を空けておくと誰かが目を覚ました際に大騒ぎになるので水辺まで近づき声をかける事にした。
「和花。時間だよ」
「あ、うん」
そう返事を返すものも上がってくる気配はない。
「冷たくて気持ちいいよ。樹くんもどう?」
挙句にそう言って誘いかけてくる。昼間の事もあり一瞬だが『幻覚か?』と疑うがそれなら防犯魔術に干渉がある筈だ。
互いに元の世界じゃ政略的に添い遂げられないからと思い、ここに残った身なので惚れた娘が全裸で誘ってくれば誘いに乗りたいのは山々なのではあるが……。
「お誘いは嬉しいんだけど、いつまでも拠点を空けておくといらぬ心配されるから戻ろうよ」
やや思案したのちにそう返した。
すると露骨に表情を変えつつも、「仕方ないなぁ」と返事を返し岸辺まで泳いでくる。そうして岸辺につくと手を差し伸べてくる。
引き上げろって事かと、その手を取ろうと屈んだ瞬間――。
素早く和花の手が僕の腕を掴み引き込まれた。重心が崩れた瞬間を的確に狙われそのまま水面にダイブしたのだ。
派手な飛沫をあげて慌てて体勢を整えようと思うが和花が手足を絡めてきて自由にならない。
思った以上に水深があり立つことは出来ず水底へと引かれる。呼吸、呼吸と焦っていると不意に和花に唇を奪われる。
いまそんな状況じゃないからとか息を吸わせてとか思っていると程なくして二人して浮上していく。
水面に浮かんだ瞬間一気に空気を取り入れる。何か言ってやろうと思案していると、「ご馳走様でした。満足したからあがるね」とさっさと岸に上がってしまった。先ほどの口づけと無防備な臀部に微妙に高まってしまったナニかの為に上がるに上がれなくなってしまった。
それを知ってか知らずか生活魔術の【除湿】を唱えて裸体を乾かすと手早く着替えていく。
「先に戻ってるね」
そう告げるとニンマリと笑みを浮かべて去っていった。
水の冷たさに微妙な気分もすぐに静まり僕も岸に上がると生活魔術の【除湿】を唱えて身体を乾かしていく。衣服を着ている分だけ時間がかかる。一限ほどで十分に乾いたのを確認してから拠点へと歩き始める。
お互いに欲求不満なんだろうかなどと考えつつ……。
「おかえり」
ニコリと笑みを浮かべ出迎えてくれた和花の隣に無言で腰を下ろす。
「怒ってる?」
無言の僕に対してそう尋ねるあたり多少は自覚があったのだろうか? 上目遣いで殊勝な態度も可愛いから困る。恐らく惚れた弱みという奴だろう。
結構奔放な娘なので振り回されることは分かっているのでそこは気にしていないのだ。
さて、いつまでも黙っていても仕方ないので本日の本題に入ろう。若干腰を折られた感はあるけど……。
徐に腰の魔法の鞄から掌に乗る程度の飾り気のない小さな白木の箱を取り出し、それを和花に差し出す。
「和花、誕生日おめでとう」
この世界に合わせると僕の誕生日が秋の中月の中週で、和花が後週になる。そろそろ秋の後月になるのでタイミング的にはギリギリであった。
「あまりの暑さにすっかり忘れてたわ……ありがとう。……開けても?」
そう尋ねるので無言で頷くと白木の箱を開ける。
そこには彩度の高いやや赤みがかったオレンジ色の宝石が付いた宝飾品が収まっていた。
「耳飾りね……宝石は……黄玉にしたんだ。樹くんが単なる宝飾品を渡すわけないし、これも魔法の工芸品?」
黄玉は黄水晶と同様に11月の誕生石である。以前に贈った魔法の発動体で黄水晶を選択したので今回は黄玉にするかくらいの感覚である。それ以外の意図は特にない。
「つけてもらっても良い?」
そう言って白木の箱をこちらに向ける。
無言で耳飾りを取り出すと和花は髪をかき上げると先ずは右の耳を見せる。
手を握ったり腕を組んだりはするけど耳に触れるのは初めてだろうか? ちょっと緊張しつつ耳飾りをつける。
「これってどんな効果があるの?」
当然効果は気になるだろう。これに関してはちょっと後悔している。
「昼みたいなことを避けるために用意したんだけど……こんな事なら昨夜にでも渡しておくべきだったと……」
「と、いう事は防御系かぁ……メフィリアちゃんとかが無詠唱で使う【防護圏】あたりかな?」
「うん」
この【防護圏】の効果は精神系以外にはすべてに対応するのだ。いくら魔術で癒せると言っても惚れた娘が傷を負う姿は見たくはないからね。
もっともそれを言うと冒険者なんかにしないで美優みたいに賢者の学院に送り込んでしまえって話になるのだけど……。
大人しく言うこと聞くような娘じゃないし、ね。
「ところでどうして耳飾りにしたの?」
「別の魔法の工芸品で耳飾りがあるでしょ。それに和花は耳飾りは嫌って言ってたからね」
「なんか穴を開けるのがねぇ……」
実は昔に竜也がプレゼントとして耳飾りを贈った事があったのだけど、「穴を開けたくない」の一言で一度も使われることなく引き出しの奥に鎮座した事件がありそれを覚えていたからである。
その後は艶っぽい展開になるでもなく思い出話で盛り上がり気が付けば三の刻を過ぎており朝食の準備を始めなければならない時間となった。
冒険者としての研鑽はあまり積んでいないように見える和花であるが、女中ちゃんズから料理や裁縫を習っているようで味付けも見た目も文句がなかった。
四の刻になり出発となった。
既に気温は313クロンを超えており、また辛い一日が始まる。
疾竜に跨り道案内のハルカラを先頭に移動を始める。
たまに思うのは需要とか考えていない趣味作ならもっとむさいおっさんと一杯出してむせる展開でも良かったんでは思う時がある。




