266話 熱砂の洗礼②
「気持ちいいよ。あなたたちもこっちへおいでよ~」
透明度の高い水場に到着した私たちを出迎えたのは長い髪の女性であった。水場の中央あたりから上半身を晒しこれ見よがしに豊満な胸が揺らしつつこちらに向かって手を振っている。その女性に何か違和感を感じつつも水浴びしたさにそれを心の奥底へと押しやった。
透明度の高く底は砂地のようである。水深は0.25サートくらいかな?
泉の大きさは凡そ学校のプールの一〇倍くらいだろうか。女性はその中央にいるが陽の角度の為か周囲の様子はよくわからない。
手早く衣服を脱ぎ畳むとピナと競うように泉に飛び込む。水飛沫が上がり頭まで沈んでいく。透明度に騙されたようで思った以上に水深がある。
水面から頭を出し開口一番。
「生き返ったぁ~」
頭を振り水を払う。まとわりつく髪をかき上げるとそろそろ髪を短くしようかな等と思案する。
水深は0.5サートほどかな?
火照った体にはちょっと冷た過ぎる気もするけど今はこの冷たさも心地いい。
「瑞穂ちゃんも早くおいでよ~」
いまだに下着姿のまま[鋭い刃]を握りしめて何やら躊躇している瑞穂ちゃんに声をかける。
まさか泉の中央にいる女性を警戒している?
そうこうしているうちにピナが女性に誘われるように中央へと泳ぎ始める。
逆光と水面に反射する光で相手の詳細は分からないけど相手の声の感じから瑞穂ちゃんは警戒し過ぎじゃないのかな?
「先に行くね」
瑞穂ちゃんにそう声をかけ私も女性の方へと泳ぎ始める。
その時、前方のピナに異変が起こった。短く鋭い悲鳴を上げ急に水中に沈んだのだ。まるで水中から引っ張られた様に何の前触れもなくである。
「貴女も早くおいでよ」
直ぐ近くで一人が沈んだのにその女性は呑気にそんな事を私に言うのであった。
明らかにおかしい。
まずはピナを助けないと!
進もうとした私を瑞穂ちゃんの「行っちゃだめ!」と制止の叫びがかかる。
その理由はすぐにわかった。
ピナが水没した辺りの水面が赤く濁ったからである。ここで私は思考が硬直してしまった。
逆光で女性の表情は見えないがクスクスと笑った。
「貴女も一緒に遊びましょうよ」
女性がそう言った後、突然私の右足に激痛が走ったと同時にズボっと水面に没するのであった。
事態の急変に混乱しており必死に水面に出ようと足掻くがぐいぐいと引っ張られる。
突然の事で空気が足りない。苦しい。
その苦しい中で愛用の杖を求めた。あれさえあればとの思いで。
そして右手に馴染みの感覚が宿る。
体内保有万能素子を杖に注ぐと水の抵抗で負けてゆるゆると右足辺りを薙ぐように振る。
成型された魔力の刃が何をか断ち斬る感触があった。
その瞬間引き込まれる感覚がなくなり私は浮上していく。
「ぷはぁっ」
大急ぎで空気を吸い込み状況を確認する。
「痛いじゃないの!」
その女性、いや裸身を晒す少女は憎々し気にそう叫ぶが見た感じ傷を負っているように見えない。澄んだ水も血で濁りはじめてきた。
その時だ。
水中から槍の様に飛び出した何かを避けていた。私の戦闘センス的には恐らく奇跡の所業であろう。
すぐに水面に引っ込んだが見た感じは先端が鋭利な触腕に思えた。
思うように動けない私はここでは魔術も魔法も使えない。行使するために意識を集中する事が出来ないからだ。
右足の痛みに耐えつつ一度岸に戻る事を選択する。
「なんで逃げるの? もっと遊びましょうよ」
そんな岸に向かって泳ごうとする私の背に少女が呼びかける。いつの間にかすぐ近くまで来ていたのだ。少女の手が私の背に触れる。
「私のお友達、水乙女よ。その娘と遊んであげて。【水没】」
精霊魔法!
そう思った瞬間には自分の浮力が喪失するような感覚を覚えた。まとわりつくような水乙女を振り払うかのように抗うと浮力が戻った。どうやら抵抗したらしい。
ピナの安否は大変気になるけど、救助するにしても岸に戻り地に足が付く状態でなければ私には選択肢がほとんどないのだ。
そいつは転進しようとする私に見せつけるように水面から何かを取り出した。
水中から姿を現したのは無数の触腕に絡められたピナであった。私に見せつけるように空中に持ち上げる。その柔らかなお腹は一本の触腕によって食い破られていた。
「貴女も美味しそうだけど、あっちの娘の方が美味しそうね……」
そういうと少女は泳ぐでもなく上半身を浮かせながら滑るように私を追い越し岸へとあがる。
そして少女の全身が露わになる。
その瞬間、私はすさまじい嫌悪感と恐怖と悪寒が走った。それは不浄の存在に感じたような感覚とは別の感じだ。
少女の腰から下は足がなく無数に蠢く大蛇のような触腕であった。
それらの触腕はうねり、絡み合い、のたうち、水を滴らせていた。
下着姿のままの瑞穂ちゃんも私と同じだったのか固まっていた。
「貴女は後で頂きましょう。私の友達、眠りの精霊よ、お前の砂をあの娘の目に蒔いて。【永久の眠り】」
瑞穂ちゃんは一瞬フラッと倒れそうになったものの抵抗したのか頭を振って再び[鋭い刃]を構えなおした。
「嘘っ! あなた生意気ね!」
お得意の精霊魔法が通じなかったことに腹を立てたようだ。抱えていたピナを地面に下ろす。
何時もなら果断速攻な瑞穂ちゃんの表情は困惑している。
恐らくその理由は――。
私たちは主に対人戦の訓練を積んでいるけど多少の形態の違いはある程度想像で、何処をどう攻めるか見当がつく。
だが、数十本の大蛇のような触腕をうねらせる相手には、これまでの経験や訓練の成果が通じないのだ。
踊るようにうねる触腕に幻惑され間合いを図れず踏込みの切欠が掴めないのだ。
陸に上がった私はまず痛む自分の右足を確認する。私の腕より太い大蛇の様な触腕は青っぽく輝く鱗を持ち文字通り大蛇であった。そりゃ噛みつかれれば痛いわ…………。
引き剥がし患部に手を添え意識を集中させる。
「生命の精霊よ、私に傷を癒して。【治癒】」
すぐに痛みが引いていく。相手が瑞穂ちゃんに意識が向いているうちに次はピナだ。
こちらの意図を察した瑞穂ちゃんが[鋭い刃]を構えなおしジリジリと動き始める。
それを横目に私はピナの傍まで移動し安否を確認する。
「良かった……。まだ息がある」
だがお腹を食い破られており虫の息と言ったところである。野営地に戻ればメフィリアちゃんが居るしここは状態維持に留めておこう。
「眠りの精霊よ、お前の砂をこの娘の目に撒いて。【永久の眠り】」
魔法は問題なく効果を発揮した。これで一安心だ。
ここで奇妙な視線に気がつく。
気味の悪い怪物は相変わらず瑞穂ちゃんと対峙している。ならこの視線は?
「もう準備は終わったかしら?」
少女はこちらを見ていないが下半身の大蛇の様な無数の触腕の頭がこちらを見ているのだ。
恐らく死角はないのかもしれない。
どうしよう?
盆休み明けの打ち合わせのための佐合を済ますために先に仕事を片してから次話の投稿を行います。おそらくは週末になるかと。




