172話 健司、思い悩む
瞬き猟犬。超短毛種で紺色の大きなドーベルマンに近い外観を持つ体長0.5サートほどのイヌ科の魔獣だ。群れで活動し集団戦を得意とする。
「壁を背に密集体形!」
集団で四方から襲われるのは避けねばならないので壁を背にする。今回は軽装の和花を守る形で正面を健司、右側を僕、左側をゲオルグが固める。瑞穂は遊撃で隙間から手を出してもらう。
そして襲い掛かってくる瞬き猟犬の恐ろしさを直に味わう事となる。
健司へと突っ込んできた瞬き猟犬に三日月斧の一撃を振り下ろした時にそれは起こった。
「!」
命中する寸前に瞬き猟犬の姿が掻き消えたのである。それはまるで転移したかのように。
「健司、上!」
健司の攻撃を【瞬き移動】で回避したそいつは上から健司に襲い掛かかり左肩に噛みつき健司を床に這わせようとする。バルドさんご自慢の神覇鉱製の板金鎧を貫通するほどではないが顎の力がかなり強いのか食いついたままだ。健司の方も流石に72グロー以上もある巨体を支えきれる訳もなく腰を落とす。
その距離まで接敵されると三日月斧で斬り捨てる事も出来ないため柄の部分を用いて胴体を押し込み引き剥がしにかかる。
そこへ左側に陣取っていたゲオルグの大斧が唸りをあげて瞬き猟犬に襲い掛かりその胴体を両断する。
この瞬き猟犬の特殊能力である【瞬き移動】には欠点があり、一度使うとある一定時間の発動遅延があるのだ。
本物の瞬き猟犬であれば連帯してそのマイナス面をフォローするのだが、やはりそこは迷宮宝珠産と言うべきか連帯とか無縁だ。
そしてこいつらにはもう一つ弱点がある。
「綴る、八大、第五階梯、攻の位、冷気、吹雪、猛雪、乱雹、拡大、範囲、発動。【氷嵐】」
後から聞こえる和花の呪句が聞こえ魔術が完成し僕らを巻き込んで雪と冷気と雹が吹き荒れる。
範囲魔法の欠点はゲームなどと違って都合よく敵だけ一掃ってわけにはいかないところだろう。
「寒っ!」
巻き込まれた健司が文句を言うが、金属鎧のお陰であらかた効果は防いでいるので寒いのは我慢してもらいたい。
肝心の瞬き猟犬共は【瞬き移動】で回避行動をとるのだが、それをさせないために態々効果範囲の拡大まで行ったのだ。極近距離を【瞬き移動】し移動先でも雹に打ち付けられ悲鳴を上げる。
この発動遅延を逃す訳もなく、僕らは【氷嵐】で傷ついた五匹の瞬き猟犬を斬り捨てる。これで残りは四匹だ。
姿くらましの豹と違い行動パターンさえ分かってしまえば攻略はさほど難しくない。
瑞穂が連弩で狙い、わざと【瞬き移動】で回避させてから発動遅延中にバッサリと斬りつける。もっとも雑な攻撃をすればこいつらは普通に回避行動もとるので手を抜いてはいけない。
そして残り四匹をさっさと処理し終えた。
「ふぅ、さっきの姿くらましの豹の方がやばかったな」
時間が勿体ないので全員で解体作業を行っている中で健司がそう感想を漏らした。
「所詮は作り物だからね。あ、脳の下の塊は捨てないでね」
「これか? 何かあるのか」
「それは特殊な薬品につけた後に加工すると瞬動石と言う言って砕くと一度だけ【瞬き移動】が出来るのさ。どういう原理でそこにあるかは分からないけどね」
いまでこそ当たり前のように解体しているが、これも迷宮都市ザルツでの生活のお陰だろう。ゲームと違って敵を倒してもお金を落とすわけでもないしね。とはいえ、頭カチ割って脳みそ捨ててとかやっていると陰鬱な気分になる。
ま~話しながらの作業というのは、そういう陰鬱な雰囲気を払拭させたいという心理からだろう。
「万能素子結晶と瞬動石以外はいらないのか?」
顔をあげて健司も方を見やれば解体作業が終ったのか手を止めていた。
「うん。皮は使わないし、犬科や猫科の肉は食べる習慣はあまりないから売っても買い叩かれるしね」
食料が不足すれば話は別なんだけどね。そもそも底辺層は巨大鼠とかの干し肉とか食べてるわけで食おうと思えば食えるのだ。調理技術や道具が発達していればもっと広まる可能性もあるけど、この世界だと住人にそこまでの余裕は感じられないかな。
「なぁ、……俺も知識とか他にも技術とか身につけなければならねーかな?」
「突然どうしたんだよ」
「今回の戦いも貴族の坊やの如く与えられた最高峰の武具のおかげって気がするし脳筋枠としてはちょっと微妙な気がしてさ」
随分と悩んでいるようだが、恵まれた体躯にソレをさらに底上げする魔戦技による能力の底上げと打たれ強さの向上とか、僕がどれほど望んでも得られないモノを持ち得てるんだけどなぁ。
「隣の芝生が青く見えるって奴だと思うぞ。知識は最低限必要だとは思うけど健司は自分の持ち味をもっと伸ばすべきだと思うよ。まさか単独活動でもする気なの?」
確かに単独活動するなら師匠は理想像だろう。でもあの人は前世というアドバンテージがあるからなぁ。
僕らとしてはこの五人でバランスは取れていると思うのだけど。中途半端に技術を増やしてメリットをスポイルされても困る。
「健司の理想像は師匠なの?」
「いや、フェリウスさんだな」
即答されたが、なるほど……フェリウスさんか。よーするにあちこちの町に恋人がいて雑務が熟せて知識豊富で強い男が良いと。
「なら、帰ったら僕が預かっている本を貸すよ。今はさっさと解体を終えよう」
そう答えてこの話は僕の中では終わったのだ。
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「あそこを降りれば”宝珠の間”でいいのか?」
瞬き猟犬を倒した際に部屋の奥の壁が一部消失して下へ行く階段が出現ひたのだ。
「文献上ではそうなっているね」
この迷宮宝珠産の迷宮は特に迷宮主を必要としない価値の低いタイプなので間違いないと思う。
僕の【洗濯】の魔術で汚れを落としてから階下へと向かう。
罠はないと思うが念のために瑞穂に調べさせつつ階段を下っていく。
そこは各階層の階段広場と同じ一辺が2サート四方の部屋であった。その中央に拳大の宝珠が浮いている。それを破壊すれば迷宮の攻略は完了で報酬が手に入り迷宮外に転移させられる。
「んじゃ、早速————」
「ダメ」
「なんでだよ?」
「入口でのやりとりを忘れた?」
「あ、待ち伏せか」
「部屋の入り口を経過しつつ全員休憩しよう。ゲオルグと瑞穂は仮眠を取っちゃっていいよ」
僕の指示に従い各々が床に敷物を敷き座り込む。ゲオルグと瑞穂は横になる。程なくして二人は眠りに入る。必要ならすぐに眠れるようになるのも冒険者には必須技能だ。
「誰か来ると思う?」
僕の左隣に座り込み、魔法の鞄から取り出した水筒に口を付けてから一息ついた和花がそう聞いてきた。
「たぶん、来ないと思うよ」
「どうして?」
その質問に対して僕はここまでの行程を思い返しつつ答えていく。まずは第一層だが、あの罠地獄はかなり斥候の神経を使うし高い技術と勘が求められる。
特に技術は大昔なら盗賊組合というのがありそこで養成も行っていたそうだが、現在は公的には存在しない事もあり技術をしっかり学んだ者は実は多くない。
この時代の斥候の多くは何となく身軽な装備の小柄な人物って人が圧倒的に多い。
うちの師匠はどこで習得したのかは謎だが、本物の斥候らしく瑞穂に様々な最新の技術と知識を短期間で仕込んでくれた。その辺のまがい物斥候が突破できるとは思えない。
第二層は力業で抜ける事は可能だろう。
問題は第三層だ。そこそこ実力のある精霊使いが居ないとあの水路を抜けるのは地獄だろう。安物防具じゃ槍魚の一撃には耐えられまい。その後の飛翔槍魚も厄介だが、最後の姿くらましの豹が難敵だ。
そして最後の瞬き猟犬だ。範囲攻撃が行える術者が居なければかなり面倒だろう。
この術者不足と言われる世界で僕らほど恵まれた一党は極々少数なだけに攻略するより消耗して迷宮から出てくるところを狙った方が楽に攻略できる。
この世界は怪物がもたらす恐怖より同じ人間の方がはるかに怖い。
「よーするに、ここに来られる一党はあまり居ないって事で良いの?」
「そうだね。改めて僕らが恵まれている再認識したよ」
僕の説明で納得いったのか警戒して緊張していたのが解けたようだ。急にぐにゃりと言わんばかりにもたれ掛かってきた。
「俺にも生活魔術くらい使えないもんかな?」
さっきのやり取りをまだ引きずっているのか健司がそう言ってきた。彼にも若干の適性があるのは分かっている。
「一応、最初の適性検査で若干の適性はある事は分かっているし必要と感じているなら教えるけど、なんでまた?」
「いや、桐生を見て思ったんだけど、斥候として神経をすり減らしつつ、雑多な生活魔術を使うのは結構負荷がかかっているんじゃないかって改めて思ってな。この一党だと俺だけ楽しているみたいに思えてよ」
「健司、役割分担に楽も何もないよ————」
健司には僕らに出来ない事をやってもらっている。例えば最前線で身体を張ってもらう事、見張りで一番過酷な時間帯を担当してもらっている事などはタフな彼でなければ熟せない仕事だ。
そう説明しても自分の重要性がいまいち理解できないようなので、町に戻ったら生活魔術の手ほどきをしようって事で話は纏まった。
僕か和花が早く第七階梯の【空間浄化】を使えるようになれば、【洗濯】を連発するよりは負担が減るんだけどねぇ。生活魔術は拡張が出来ないのが最大の欠点なんだよなぁ。今度、師匠に相談してみるかな。
ゲオルグと瑞穂の仮眠が終わり、僕ら三人が仮眠を取る。結局のところ誰か侵入者が来ることなく仮眠も終わりある程度は身体も休まり呪的資源も回復した。
「さて、いくぜ!」
健司がそう言って三日月斧を大きく振りかぶった後に迷宮宝珠へと振り下ろした。
宝珠が砕け散った瞬間、周囲が光に飲まれた。




