幕間-8
2019-09-29 本文の一部を修正
樹くんと別れてお供に瑞穂ちゃんとアンナちゃんとピナちゃんを引き連れて買出しに来ているのだけど…………。
「なんで食料ばっかりこんなに買うんだろう?」
そう呟かずにはいられなかった。魔法の鞄に収納しているので手ぶら同然だけど少なく見積もっても二か月分くらいの食糧を買い込んでいる。瑞穂ちゃんも理由は聞いていないようで二人して首をかしげている状態なのだ。
ぶらぶらと四人であれこれと冷やかしつつ服や下着や日用品なども購入したのだけど…………やはり先生の言った通りで迷宮都市ザルツでの生活に慣れると落差で他の都市での生活が辛く感じるという話は本当だ。
あの町は20世紀中盤位の生活レベル、分野によってはもっと高い水準だった。この街も衛生面は信者たちの奉仕活動で綺麗に保っているし、古代王国時代の施設が残っているおかげで上下水道はきっちり完備されている。不満はあまりないけど永住するには嗜好品や女性向けのものが結構高い。売られている服とかも簡素なものが多いのは宗教国家だからだろうか?
頭を振り嫌な考えを振り払う。気が付くとお昼を過ぎていたので屋台でサンドイッチと果実水を購入し噴水広場の一角で腰掛けさっさと済ます。
「私たちはまだ用事があるから二人は先に戻って」
そう告げて乗合馬車の運賃を渡しアンナちゃんとピナちゃんを乗り場まで送っていく。彼女たちには戻って夕飯の支度をして貰わないといけないしね。
見送った後、私はある人物を求めてとある行列に並ぶことにした。買い物の最中に見かけたのだが接近が難しそうだと判断した。そして目的の人物と会うにはこれが一番早そうだと判断したためだ。
半刻ほど行列に並びいよいよ私の番になった。私が並んだ行列は複数の神殿が開催する合同の炊き出しだ。そして目当ての人物が私にお椀を差し出す。
「どうぞ。熱いので気を付けてくださいね」
女の私から聞いても可憐な声音だなぁとか思ったけど目的を果たさねば!
「美憂ちゃんお久しぶり。元気そうね」
私は日本帝国語でそう言ってあげた。目の前の女性の動きが止まる。
「え、た、小鳥遊先輩?」
お椀を受け取り彼女にしか聞こえない様に日本帝国語で囁く。
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広場の噴水に腰掛け一刻ほどぼんやりと待ち人を待つ。多分来るはずだ。遅い理由は立場的に一人で抜け出すのが大変だからだろう。
瑞穂ちゃんには周囲の警戒をお願いしているのでこの場にはいない。
立場もあるだろうからやっぱり無理だったかなと思い始めたころ…………。
「すみません。抜け出すのに苦労しました」
頭巾を深々と被った美優ちゃんだった。
「ごめんね。立場的に抜け出すのは大変だったでしょ?」
勿論、聖女として担がれている立場というのもあるわけで一人で行動できる可能性は低いだろうと踏んでいた。だが、それよりも私の目には彼女に絡みつくような「呪」が見えるのだった。即ち彼女は何らかの呪いを受けているという事だ。
「まさか小鳥遊先輩に会えるなんて思いませんでした」
そう呟いた彼女は堰を切ったようにぼろぼろと涙をこぼし私に縋り付いてくるのだった。
暫く背を擦って落ち着くのを待つ。程なくして落ち着いたのかポツポツとこれまでの経緯を話し始めた。
「————記憶が飛んでいる?」
「はい」
「この世界に飛ばされたことは覚えています。30人くらい集団でした。赤い肌をした醜い容姿の子供の集団に襲われたんです。だけどそこから記憶がぷっつりと途切れていて、気が付けば…………」
そこまで言ってまた沈黙する。私たちと同じで赤肌鬼の一団に襲撃されたのかぁ…………。
多分殺された後に、どこかのお節介さんが蘇生したのだろう。その後のパターンは想像になるけど、言葉が分からずに途方に暮れていて気が付けば人狩りに捕まり奴隷として売られたってところね。
この容姿だし鑑賞奴隷って事で売りに出されたのをどこかの枢機卿が買い取ったのかしら?
一通り思案も終わり美優ちゃんの状況も把握したので予定していた質問を切り出した。
「もし元の世界に帰れるって言ったらどうする?」
「帰れるんですか!」
私の問いに勢いよく顔を上げ食い気味にそう言った。
一応、帰る気はあるのかぁ…………。私の予想では鑑賞奴隷、よーするに性奴隷に甘んじていた事を恥じて家には帰らないって話になるのでは? と考えていた。
日本帝国の武家の中でも重要な家柄のお嬢さんで私とはどちらかと真逆な娘だから…………。
もっとも帰っても世間体を気にして幽閉されるだろうとは思うけどね。
「私の、この世界での先生がそういう事が出来る人なの。いまは離れているけど連絡すれば会えるわ」
だが、彼女の表情は曇る。
「帰りたいですけど、今更戻っても婚約者や両親に合わせる顔がありません」
「両親は知らないけど、樹くんは気にしないと思うけど?」
あれ? こっちの世界の赤肌鬼は他種族の異性と交配しないって聞いたけど…………まさか鑑賞奴隷としてそっちを強要されちゃったの?
でもこの身体だもんなぁ。ありえるかな? 私が男なら放っておかないわ。
可哀そうだけど事実確認してみるかぁ。
「美優ちゃんって、もしかして噂のイケメン枢機卿の鑑賞奴隷だったりする?」
結果は大当たりだった。
何故それをって表情で私を見つめ、「はい」と頷いたのだ。その表情は羞恥というより苦悩に近かった。
実際はどう関係だったかはこの際はどうでもいい。これは奥の手を早速使うかな。
「解放されたい?」
「総大主教猊下でも解呪は無理と聞いています」
「解放されたい?」
私は同じことをもう一度問うた。私が預かる呪文貯蓄の指輪にはメフィリアちゃんにいくつか魔術を封入してもらっている。先生曰く魔力強度においてメフィリアちゃん以上の使い手は存在しないので強度の必要な魔術を仕込んでもらうようにアドバイスされたのだ。まさか早速使う羽目になるとは思わなかったけど。
「解放されたい。私は愛玩動物じゃない!」
大声ではなかったが力強い一言だった。
「よし、おねーさんに任せろ」
「三番、開放」
呪文貯蓄の指輪の第三スロットに封入されていた魔術が私の命令によって発動する。
その魔術を【命令解除】という。効果を発揮すると美優ちゃんに絡みつくように見えていた「呪」が消え失せる。
いまので奴隷商の元に保管されている魔法の契約書が消失するので近いうちに持ち主のイケメン枢機卿に確認の連絡が行くはずだ。それまでにある程度距離を稼がないと危ない。他人の奴隷を盗んだことになるのだ。
魔法の鞄から筆記用具と紙を取り出しあれこれと書き記していく。
書き終わってから周囲を見回す。周囲を警戒してもらっている筈の瑞穂ちゃんが見当たらない。
そう思っているといつの間にか右手が差し出されていた。相変わらず視野が広い。私にもその才能を分けて欲しいモノだ。
「これを樹くんに渡して」
瑞穂ちゃんは紙を受け取ったまま心配そうに私を見つめる。
「大丈夫、ヘマはしないし、すぐに逢えるわ」
そう言って微笑む、たぶんうまく微笑んだはずだ。
納得したのか瑞穂ちゃんは音も立てずに素早く立ち去る。忍者みたいな娘だ。
「あの……先輩。その…………」
「積もる話とかは後にしましょう。いまから乗合馬車に乗って北門に向かうわ。貴女は有名人だし申し訳ないけど可能な限り口を開かないでね」
美優ちゃんは、事態の急変に思考が追い付いていないのか、あわあわとしている。鑑賞している分には可愛いんだけどちょっと大人しくしていて欲しい。
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乗合馬車に揺られて北門の広場に着いた時には陽は落ちていた。周囲は北門前の篝火と家屋から洩れる灯りのみだ。
「さてっと…………。ここからが本番ね」
やや雑な巡回の衛兵の隙を縫って、この目の前の巨大な壁を越えなければならない。時間外という事もあって、すでに北門は閉ざされている。
ぶつけ本番で無理をしなければならないとか無計画にも程があるけど、ここ迄来てしまった以上は無理でもやらなければならない。
意を決して呪句を紡ぎ始める。
「綴る、八大、第五階梯、動の位、重力、解放、疾駆、発動。【飛行】」
魔術の完成と共に激しい頭痛が襲う。やはり私の技量では第五階梯の魔術は早すぎたのかも…………多大な脳への負荷に苦痛で呻きつつ必死に制御するも今度は身体の奥からえも言われぬ痛みが走る。
多分だけど霊的器官の導管にも負荷がかかっているのだ。
先生の脳筋思考がうつったのか気合で耐えきり制御をねじ伏せて私の身体は僅かに宙に浮く。
発動体の魔術師の長杖を魔法の鞄に仕舞い、心配そうに私を見つめる美優ちゃんを両手でぎゅっと抱きしめると一気に上昇する。
突然の事に悲鳴を上げそうになるものの必死に抑えたようで大人しく力を抜いている。
月明りが周囲を照らすが、運のいい事に雲が出てきて月を隠す。
赤外線視力で周囲を認識できる私には暗闇は怖くない。
突然月を覆った雲に感謝しつつ飛行を続けて距離を稼ぐ。
これで私も立派な犯罪者だなぁ…………。
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「まったく困ったお嬢さんだ」
市壁の上に立つ男はそう言うとパチンと指を鳴らす。
双月を覆っていた雲が晴れていく。
月明りに照らされた男は長い銀髪をなびかせた美丈夫だった。
その男も一瞬の後に姿を消した。




