5話 自己嫌悪は時に他者を傷つける
私立天ノ川学園。
全国的にも有名で毎年数多くの生徒を名高い国立、私立大学へと送り届けたエリート校だ。
そんな学校に1年前に入学をし無事に2年生へ進級した俺は2年生生活初日に美少女から腹パンを貰うというハプニングの後、校門の前に立っていた。
校門をくぐってすぐのところに巨大なホワイトボードが置かれている。ボードにはクラス分けの紙が貼られていて、皆それを見て自分がどのクラスになったのかを把握して教室に向かう。
因みに俺は理系クラスの2年12組。
この学校は全校生徒数1900人を越えるマンモス校で各学年650人以上12クラスあり、理系クラスは10、11、12組となっている。
「結城~!」
クラス表を見ていると背後から名を呼ばれた。
振り替えると少し茶髪の一見チャラ男を連想させるイケメン男子生徒が立っていた。
彼は柊哲哉。中学からの同級生で去年のクラスメイトだ。だがクラス表を見る限り、今年も同じのようだ。
「よっ。どうやら今年も同じみたいだな」
「あぁ。今年もよろしく」
「しっかしまぁ、去年から一緒になった男子は俺達だけか。少し寂しいな」
「俺がいるだけでも良しとしてくれよ」
「そうだな。ここで話していてもあれだし、さっそく教室行こうぜ」
俺は柊と一緒に教室へと向かった。
新学期初日のスケジュールは始業式とロングホームルーム。そして午後からは部活動の勧誘タイムがグラウンドで行われる。その為、新入生と部活に所属している上級生は弁当持ちで、午後からも学校で過ごすことになっている。勿論帰宅部は帰ることが出来る。かくいう俺も帰宅部なのだが、帰ったところでやることはないので昼もここにいるつもりだ。
「結城、学食行こうぜ」
鞄から天莉さんお手製の弁当を出していると柊がそう誘ってきた。彼はたしかバスケ部に所属していたはず。なのに弁当を持っていないというのか。
「コックさんに頼むの忘れちまってよ。付き合ってくれや」
「そうか。じゃあ行こう」
弁当を持って学食に向かう。
学食は既に大量の生徒で埋まっており、席を手に入れるのに苦労した。
運良く4人座れるテーブル席を確保することができ、俺と柊はそこに座り、俺は弁当を広げた。柊もカツ丼を買ってきて同じように食べ始める。
すると思い出したかのように柊が話題を切り出してきた。
「なぁ、今年の新入生の事聞いたか?」
「何が?」
聞いたことがない。てか、新学期初日だというのにもう新入生の噂話なんて流れているのか。最近の情報伝達スピードは恐ろしい。
「どうやら新入生の中に超絶可愛い美少女がいるらしい。あの華京さんに並ぶほどの美貌だとか」
「ふ~ん」
「それに頭も最高に良いらしい。入試で全教科ほぼ満点を叩き出したと聞いたぜ」
それはなんとまぁ完璧な女の子がいたもんだ。俺にも最近知り合った美少女を1人知っているがどうも彼女じゃなさそうだ。噂通りの頭の良さそうな子じゃないし。貞操観念備わってないほどの無防備な子だし。
「どんな子かな?彼氏とかいると思うか?」
「いなかったらどうするつもりだ?」
「そりゃあ狙うでしょ」
「過度な期待は身を滅ぼすぞ」
だいたい、そんなに美少女だというのなら既に中学で彼氏を作っているだろう。柊には悪いがフリーの可能性はほぼゼロに近い。
いや、柊ならもしその美少女に彼氏がいたとしても彼氏から奪いそうだ。コイツ、見た目チャラ男だけど凄い人柄良いし。そのおかげで彼は2年の中ではかなり女子からモテてる。1年間で10回以上も告られていたのは流石に引いた。
「おっ、噂をすれば本人の登場だ」
柊が指差した方向をお茶を飲みながら見る。そしてお茶を吹き出しそうになった。彼が言っていた噂の完璧美少女は俺が良く知っている人物、弥生天莉さんの事だった。
友人と談笑しながら学食内を歩く彼女は俺の知っている彼女ではなく、噂通りの完璧さを漂わせた女子生徒だった。
そして彼女と目が合った。天莉さんは俺と目が合うなり、不敵な笑みを浮かべた。
即座に嫌な予感を感じ取った俺は席を立ってその場から逃げるように去ろうとする。
だが━━、
「あの~、すいませ~ん」
少し遅かったようだ。
振り向くと天莉さんがまるで女神のように美しい笑みを浮かべて俺を後ろに立っていた。
だがすまない。俺にはその笑みがどうも恐ろしく見えて仕方がない。なので早急に引っ込めて貰えると助かります。……とは言えない自分が情けない。
「……何かな?」
悟られないようため息を吐いて彼女に問う。
「私達、学食に来たんですけどどうやら席が空いてないようなんですよ」
話し方がいつもと違い、敬語だ。
なるほど。学校ではあくまで後輩として振る舞うつもりか。それはそれでこちらも好都合。普段のように接して来られては周りから面倒くさい仕打ちを受けそうだからな。
「それで、もし良ければ相席しても良いですか?」
「構わないよ。どうぞ座ってくれ」
俺が答える前にカツ丼を貪っている柊が答えた。俺は天莉さんとその友人さんを彼に任せて去ろうとしたが「お前も座るんだよ」と睨まれたので大人しく従った。
座ったのは良いものの、俺は気が気じゃなかった。
天莉さんは後輩として振る舞ってくれるみたいだが、どうも彼女が何処かでボロを出しそうで不安だった。
「申し遅れました。私は1年の弥生天莉と言います。こちらは瑞木夏蓮です」
「よろしくお願いします」
青みがかった黒い短髪にパッチリとした黄金色の瞳。前髪の右側には彗星をモチーフにした髪留めがつけてあり、彼女もまた天莉さんに劣らずの美少女であった。
類は友を呼ぶというがこういうことだろう。
因みに部活をするならバスケ、陸上、水泳の3つが似合いそうだ。
「俺は2年の柊哲哉だ」
「同じく2年、結城真澄だ」
「わ~、真澄って可愛らしい名前ですね」
隣で天莉さんがそう言う。なにこのデジャヴ。
てか、なんで君ナチュラルに俺の隣に座ってんの?そして柊は何故向かい側の席で瑞希さんと一緒に座ってるのかな?あまりにも自然すぎたからツッコミが遅れたじゃないか。
「よく言われるよ」
またデジャヴ。
「弥生くんの噂はかねがね聞いているよ。入試をほぼ満点で合格した天才美少女」
「そんな事ないです。たまたまですよ~」
「いやいや。天莉は本当に可愛いって有名なんだよ」
「そうかな~。自分ではよく分からないよ」
成績は兎も角、可愛いのは認めよう。俺もその美貌には何度も見惚れたからな。
「君のような可愛い子とこうして一緒にランチなんて光栄だよ」
「もう。柊先輩ったらお上手なんですから~」
柊、お前今日どうしたの?やけに積極的じゃないか。それに言葉がキザすぎるぞ。いや、これが普通なのか?俺も見習うべきか……。止めておこう。俺がこんな台詞を言っているところを想像したら吐き気してきた。どうやら地雷だったようだ。
自分の想像にげんなりしていると不意に天莉さんが問いかけてきた。
「しかし、結城先輩、可愛らしいお弁当ですね。御自分で作られたんですか?」
「いや、これは知り合いに作って貰ったんだ」
まぁ作ったのは君なのだがな。
「そうなんですか。じゃあ、その浮かない顔もその知り合いさんと何か関係があるんですか?」
ビシッと全身が硬直した。急に何を言い出すんだ。まさか今朝の事を言っているのか?だが慌てるな。ここで慌ててしまっては彼女の思う壺だ。
「浮かない顔なんて…」
「してますよね?」
平然を装って返そうとしたが強引にその言葉を遮られた。
なるほど。逃がさないということか。どうやら彼女が俺の前に現れた時点で俺は既に彼女の手の平の上だったようだ。この策士め。仕方ない。ここは素直に手の平の上で踊らされることにしようか。
「そうだね。今朝、少し困ったことがあって」
「どうしたんだ?」
「どうやらその知り合いを怒らせてしまったようなんだ」
「何を言ったんだよ」
「その知り合いもこの学校の新入生でね。それで一緒に登校しようと誘われたんだ。俺はそれを断った」
「何故だ?」
「彼女の株が下がると思ったんだよ」
そう言うと3人の表情が暗くなった。
「彼女も弥生さんと同じくらいの美人でね、俺みたいな奴が隣にいたら馬鹿にされると思ったんだ。それを伝えたら怒られちゃった」
アハハと乾いた笑いを出す。
すると天莉さんが目の前の2人に気づかれないように俺のズボンを指で掴んできた。天莉さんは何か言いたげだったが結局何も言わなかった。
柊は呆れたように「何故そんな事を言った?」と問いかけてきた。
俺は自虐的な笑みを浮かべながらこう答える。
「さっきも言ったろ。彼女のためだ。彼女は美少女で俺は冴えない平凡な男。立場が違う。俺が隣を歩くことで彼女が周りから馬鹿にされるのは嫌だった。彼女を軽い女だと思われたくなかったんだよ」
俺のズボンを掴む天莉さんの手に一層力が籠る。
「またお前はそういうこと言う…お前ってどうも昔から自分を下に見る傾向があるよな。そこが理解できん」
「実際俺なんて大した人間じゃない」
「んなことねぇよ。言っておくがな、お前、周りの男と比べたら普通にレベル高いからな」
「はっはっはっ。相変わらずお世辞が上手いな~」
「だから世辞じゃねぇって……」
「あ、あの、それでその知り合いさんとはどうなってしまったんですか?」
場の空気が悪くなってきたところで瑞希さんは話の続きを要求してきた。
大方、俺と柊の会話を中断させるためだろう。あのままいけば恐らく俺と柊の関係にヒビが生じていたかもしれないからな。
「結局、仲違いしたままさ。何がいけなかったんだろう?」
「……ホントに分からない?」
唐突に天莉さんが俺を見つめてそう言った。
「あぁ。分からない」
「そう…じゃあヒントあげる」
「ありがたく頂こう」
「…嫌だったから」
何が?━━と問おうとしたが天莉さんの目が「まだ喋るな」と訴えていたため、俺は言葉を紡ぐのを止めた。
「その知り合いさんにとって真澄くんはとても大事な人なんだよ。目の前で大事な人が馬鹿にされている。それがとても不快だった。たとえ、馬鹿にしていたのがその本人であっても許せなかった。だから怒った」
なるほど。理由は分かった。だが、それって最早ヒントではなく答えだよ天莉さん。
しかしまぁ、そんな事で怒っていたのか。全く気がつかなかった。だってあんなの俺にとっては当たり前だったし、天莉さんが俺を大事に想っているなんて考えもしないじゃないか。
……いや、違うだろ。考えるべきなのはそこじゃない。俺にとっては"あんなこと"で済んだかもしれないが、彼女にとってはそれだけでは済まなかった。だから傷つけてしまった。怒らせてしまったんだ。
「……それは、悪いことをしたな」
「ホントだよ。凄く辛かった」
「まだ怒ってる?」
「それは、これからの真澄くん次第かな」
そう言いつつも笑ってくれるのか。優しい子だ。
「謝りたいな。謝って、また楽しくお喋りでもしたい、かな」
天莉さんを見据えてそう言った。すると彼女の手が俺の頭に乗り、数回撫でられた。
「では、その願いを叶えてあげましょう」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃあ私達行くね」
天莉さんは立ち上がって、向かい側でポカーンとしている瑞希さんを連れて席を離れていく。
数メートル離れたところで天莉さんがこちらに振り返り、
「お弁当、どうだった?」
と聞いてきた。
俺は当然美味しかったと答えた。しかし天莉さんは「それだけ?」とまだ何かを求めているようだった。
そんな彼女に俺はクスッと笑い、彼女の求めている言葉を紡いだ。
「明日、一緒に登校しよっか」
「………うんっ!」
正解だったようだ。
「またねっ!」と言って瑞希さんと一緒に学食を出ていく天莉さんに軽く手を振って見送ってから、柊の方へ振り返り、硬直した。
柊は半目で俺を睨んでいた。そして俺は理解した。今、自分のおかした致命的なミスに。
「どういうことか、説明をしてもらおうじゃないか。結城真澄くんよぉ?」
一難去ってまた一難とはまさにこの事である。