2話 ご飯作ってあげるね
朝9時。
春休み中の俺はまだ布団の中にいた。学校が始まってしまえばこれほど熟睡できる機会は減ってしまうため、今の内に堪能しておくのが吉だ。
しかし、そんな怠け者の俺を叱りつけるかのようにインターフォンが鳴った。
こんな朝っぱらから誰なのか。睡眠を邪魔された事で少しイラついていた俺は無視をすることにした。だが止むことのないインターフォン。
流石にキレそうになった俺は仕方なくベッドから降りて、ドアの前にまで行き、声のトーンを低くして問う。
「……誰ですか?」
『私だよ~』
「……弥生さん?」
『そうそう。開けてもらえるかな?』
ロックを解除してドアを開ける。部屋の前には弥生さんが立っていた。
「おはよう!」
「…おはよう。何か用?」
「やることなくて暇だったから遊びに来たの。お邪魔だったかな?」
「まだ寝てたんだけど……」
「あはっ!そうみたいだね。寝癖がついてる」
手を伸ばし、寝癖を触られる。細く柔らかい指がこそばゆい。
「……立ち話もなんだし、入る?」
春といってもまだ肌寒い朝に、いつまでも部屋の外というのも申し訳ない気がしたので取り合えず部屋の中へ招くことにした。
だが待て。男が女を部屋に招くって大丈夫なのか?いきなり過ぎで引かれたりしないかな?引かれてたら少しショックかも。
「良いの?じゃあお邪魔しま~す」
弥生さんは俺の横を通り過ぎて部屋の中へ入っていく。
どうやら杞憂だったようだ。だが、これはこれで複雑な心境だ。こんなにズカズカと警戒心皆無で入られると男として意識されていないように思ってしまう。まぁいいけどさ。
ドアを閉めて俺も中へ戻る。
弥生さんは部屋の中を見渡して「ほ~」と興味深そうな声を漏らしていた。
「想像の倍は綺麗な部屋だ!」
「散らかす理由も無いからな」
「男の人の部屋ってもっと汚いものだと思ってた」
この子、中々ストレートに言う子だな。
「俺がマメ過ぎるんだと思う。普通ならもう少し散らかってるよ」
「でも綺麗好きの男性って素敵だと思うな~。私、この部屋好き~」
そう言って俺のベッドにダイブする弥生さん。流石の俺も、この行動には驚かずにはいられなかった。
「何やってんの!?」
「うひゃぅ!?な、なに?ダメだった?」
「ダメに決まってんじゃん!女の子が男のベッドに入ったりしたら大変な目に遭うぞ!」
「大変?なにが?」
ダメだこの子。警戒心皆無どころか貞操観念すら備わっていなかった。これは骨が折れそうだ。
「……取り合えず、これから男の家に行った時はベッドとかに入らないこと。わかった?」
「は~い」
本当に分かってんのかな。不安だ。
「じゃあ、降りなさい」
「やだ」
なんでやねん。
「だってこのベッド、凄く良い匂いするんだもん。もう少しここにいた~い」
立ち眩みがして倒れそうになった。
本当にもう勘弁してくれ。何で朝からこんなに疲れなきゃならないんだ。ただでさえ女の子が部屋にいるだけで心臓に悪いのに、俺のベッドで、俺の枕を抱き締めている姿なんて見せられたら呼吸困難に陥りそうになる。
「弥生さん、ベッドから降りて……俺がしんどい……」
「じゃあ名前で呼んで?」
「んあ?」
変な声が出てしまった。恥ずかしい…。
「だって~真澄くん他人行儀なんだもん」
「そりゃあ他人だし」
「ダメです~!名前で呼んで~!じゃないと今日この部屋に泊まってこのベッドを占領してやるぞこの野郎~!」
それはまずい。主に俺のメンタルへのダメージが計り知れない。
この子中々やりおる。俺が迂闊に手を出せないと分かっててこの条件を出したな。
「んふ~!良い匂い~!」
あっ、違うわ。これ絶対に何も考えてないやつだわ。
しかしこのままだと本当に天莉さんが泊まることになり、俺は部屋の外でガクブルしながら一夜を過ごすことになる。
腹をくくるしかないか……。
「……て」
「て?」
「て、天莉!」
「はい!」
「……さん…」
「うへぇ~」
なんだその「このヘタレが」と言いたげな顔は。仕方ないじゃん。俺、今まで異性を呼び捨てにしたことないんだよ。
「まぁ良いや。今回はそれで許してあげる」
「ありがとうございます」
「うん。善きに計らえ」
腕を組んで胸を張る天莉さんと土下座で感謝する俺。
なんだこの状況。俺何で土下座してんの?ここ俺の部屋だよ。ここの主人俺だぞ。
「さて、取り合えず朝御飯にしよっか。真澄くん、何も食べてないでしょ?」
「俺、基本朝食食べないんだよ」
「ダメだよ。朝食はちゃんと食べないといつか倒れちゃうよ」
「めっ!」と鼻をつつかれ、天莉さんは台所に向かい、冷蔵庫から次から次へと食材を取り出して調理を始めた。
俺は調理をする彼女をリビングで座って眺めていた。
「綺麗だ…」
天莉さんに聞こえないよう小さくそう呟いた。
彼女は美人だ。そう分かっていても無意識に口に出していた。
ずっと天莉さんを見ていると彼女も俺に気がついた。何か言われるかと思ったがそんな事はなく、彼女はウィンクだけして再び調理に集中した。
なんで彼女は俺にこんなに親切なのだろうか。俺自身、彼女に何かした覚えはないのだが。
必死に記憶の欠片を辿っていると、
「おまたせ」
テーブルの上に天莉さんが作った朝食が置かれた。
メニューは、納豆と白ご飯、レタスと胡瓜とトマトのサラダに豆腐と油揚げの入ったお味噌汁。そして最後に香ばしい香りを漂わせたハート型の玉子焼きが置かれた。
器用だなおい。ハート型とか初めて見たぞ。けど何故にハート?四角でも良かったと思うのだが折角作ってくれたのだし変にケチをつけるのは止めよう。
「いただきます」
「召し上がれ」
箸を持って味噌汁を一口飲む。
……ッ!なんだこれは。物凄く美味しい。濃過ぎず薄過ぎず、俺好みドストレートな味だった。
「どうかな?」
「凄く美味しい。これほど美味しい味噌汁は飲んだことない」
「大袈裟だよ。けど嬉しい」
大袈裟なのではない。本当にそれくらい美味しいのだ。
玉子焼きも醤油か何かを入れているのだろう。香ばしい風味としょっぱさが絶妙にマッチしていて白ご飯が進む。それにフワフワして、でも中はトロッととろけていて、最早プロの料理人が作ったと言ってもおかしくないくらいの出来栄えだった。
「本当に美味しそうに食べるね」
テーブルに頬杖をついて笑顔で言う天莉さん。
「そんなに気に入ってくれたなら毎日作ってあげようか?」
「ブフゥ!」
お茶が気管に入り、噎せ返る。いきなり何を言い出すんだ。
「あははっ!面白い反応」
「からかうのは止めてくれ……」
「からかってないよ。はいティッシュ」
ティッシュを受け取って口元とテーブルに飛び散ったお茶を拭き取る。我ながら汚い。
「からかってるだろ」
「まさか。ただ真澄くんみたいに美味しそうにご飯を食べてくれる人いなかったから、また作ってあげたいな~って思っただけだよ」
「それは申し訳ないよ」
「私がやりたいって言っているだけなのに真澄くんが申し訳なく思う必要ないでしょ」
そう言われるとぐうの音も出ない。
本音を言うと作ってほしい。だが抵抗も当然あった。俺と彼女はあくまで他人だ。その癖してご飯を作って欲しいなどと図々しいにも程がある。
「な~んだ、やっぱり作って欲しいんじゃない」
「……もしかして口に出てた?」
「本音を言うと、の辺りからバッチリ」
全部じゃねぇか。
「恥ずかしがらなくて良いよ。私もそう言って貰えて嬉しいし」
「俺が良くない……」
「やっぱり真澄くん面白いね。あと可愛い」
男に可愛いは適した言葉ではないですね。
「そうだね~。じゃあ春休み中は朝御飯を毎日作りに来てあげるね。で、学校が始まったらお弁当もつけてあげる」
人指し指を立てて「ナイスアイデア♪」と笑う天莉さんに俺は頭を下げるしかなかった。
どうやら俺の隣人さんは思った以上にマイペースで強引な人だったようだ。




