16話 霞ヶ丘慎はオタク
寝起きと登校中に受けた天莉さんからの激しいスキンシップに耐え抜き、なんとか辿り着くことができた自分の教室。
理性を削られまくったことによって荒くなった息を整えて教室のドアを開け、荷物を置きに自席へ向かおうとした時、俺の席に誰かが座って柊と談笑しているのが視界に入った。
俺の席に座っているツンツン頭の眼鏡を掛けた「我は━━」という謎の一人称を使っている男子生徒には見覚えがあった。
「人の席で何やってんだよ」
「ぬっ?」
溜め息混じりに生徒に声を掛けると、向こうは振り向き、「おー!」と喜びを露にした。
「久しいな!結城殿!」
「おう、久しぶりだな。霞ヶ丘」
謎の一人称を持つ彼は霞ヶ丘慎。柊と同じ去年の俺のクラスメートの一人であり、一般でいう二次元オタクである。
現在はクラスが違い離れ離れになってしまっている為、こうやって顔を合わせるのは実に久しぶりである。てか進級してから一度も見たことがない。コイツ本当に学校に来てたのか?ってくらいには見かけなかった。
「我も中々忙しくてな。特にここ最近は夏コミに出すイラスト集のイラスト製作していた故に諸君に顔を見せに来ることが出来なかった」
「そう言えば本を出してたな。今年は何を出すんだ?」
「去年出品した艦○コレクションのイラスト集と現在製作中の東○プロジェクトのイラスト集の二作だ」
「部数は?」
「各二百部ずつは出そうかと思っている」
眼鏡をクイッと上げて笑う彼は結構名の知れた絵師だったりする。
ツ○ッターのフォロワーも確か七千人以上はいた筈だ。あるソシャゲのキャラ絵の依頼も何度か来ていて「良いイラストが描けぬぅぅぅ!」なんて嘆いている姿も良く見た。
「まぁ頑張れよ」
「任せておけい!こう見えて我は締め切りまでに余裕を持って脱稿するタイプでな」
「知ってる。夏になるとゲームのイベントとかあって原稿に手を付けられなくなるから早めに終わらせるって去年意気込んでたもんな」
「お陰で他の夏コミ参加者が嘆く中、我はひたすらイカでインクを塗ってたでござるよ。デュフフッ」
何が凄いって、見た目完璧にオタクなのに成績は俺よりも断トツ良かったりするんだよな。原稿とかゲームばかりしてる癖にいつ勉強してんだよ。
「自宅で出来ないのなら授業中に習得すれば良いだけの話。そもそも授業さえ受けていれば自主勉強なんて要らないですしお寿司」
「言っていることが勉強できる奴の台詞なんだよなぁ」
「オタクが勉強出来ないというのは偏見でござるよ」
「そんな事よりさ、オタ」
ここで補足。霞ヶ丘は周りからは一般的に『オタ』や『オタク』、『オタメガネ』なんて呼ばれている。
何処か馬鹿にされている気はしなくもないが本人曰く「ニックネームを付けられるほど我は周囲から興味を持たれているということだろう。気にすることはない」らしいので余り深くは追及しないようにしている。
「なんぞ?柊殿」
「頼んでおいた奴、手に入ったか?」
「お~!忘れておった。ちと待たれよ」
「何頼んだんだ?」
「お宝だよお宝♪」
なんだろう。コイツが言うお宝って嫌な予感しかしない。
「これが約束の品だ。受け取るが良い」
「げっ!?」
「おぉぉぉ!!」
霞ヶ丘が鞄の中から取り出したのは、十八禁指定の同人誌。表紙は上手く見えなかったが取り敢えずファンタジーとメイド系があったということだけは言っておこう。
「おいこら。学校になんて物持ってきてやがる」
「いくらだ?」
「三冊で千五百円だ」
「買おう!」
「聞けよおい」
目の前で堂々と金と本の交換をする二人にツッコミを入れる。
そもそも、この同人誌どうやって仕入れたし。お前十六歳だろ。
「そんなもの、知り合いの絵師に頼めば一発よ」
「変なところで謎のコミュニティを活用すんじゃねぇよ」
そんなドヤ顔で言われても反応に困るわ。あと柊、嬉しいのは分かったが同人誌をここで読もうとするな。ここ教室だから。周りに普通に女子いるし、その内の何人かがお前を冷たい目で見てるぞ。
「むっ、もしや結城殿も同人誌欲しかったのか?」
「俺の何処をどう見たら欲しがってるように見えんだよ」
「結城は実物にしか興味ないからな~。俺は二次元も三次元も両方行けるけど。勿論実物も大好きだ」
「画像では興奮せんとは、結城殿もまだまだ未熟であるな」
「おうおう、勝手に人の机にエロ本広げた挙げ句に理不尽にディスって来るのやめぇや」
『ガラガラガラ』
教室のドアが再び開いた。確認すると、長い髪を後ろで括り、白衣と化学で使う実験用ゴーグルを首にぶら下げた男性教師が入ってきていた。
「ヤベッ!」
男性教師に気がついた柊がそそくさと同人誌を鞄の中に隠す。だが声が予想より大きかったのか、男性教師は俺達の方へ歩いてくる。
「まずい!こっちにくる!」
「案ずるな。こんなこともあろうかとダミーを用意してある」
なんでそんな物を用意しているのか問い質しても良いだろうか。
「これだ」
「お前のイラスト集じゃねぇか!!」
霞ヶ丘がダミーとして取り出したのは霞ヶ丘作艦○コレクションのイラスト集。
どの道没収されることに変わりはない。ただの自滅である。
「御三方、おはようございます」
「おはようございます」
「ちわっす。オトメン」
柊にオトメンと呼ばれた彼は俺達の担任であり化学担当でもあるこの学園最年少の男性教師、早乙女光弥。顔良し、学力良し、人柄良しの優男で男女問わず生徒から絶大な人気を誇っている。勿論教師からの信頼も厚い。
だが実は意外と変な人だったりする。一番はこの見た目。白衣に実験用ゴーグル。これは本来は化学の実験の時にだけ身に付けるものだが彼は『どうせ使うんですから普段から身に付けていた方が時間が省けて便利なんですよ。あと格好良いですし』などと訳のわからない供述をして、このようにいつも白衣にゴーグル姿なのである。
時間短縮は兎も角、ファッション感覚で身に付けるものではないとツッコみたいのだが面倒くさいのでやらないことにする。
「三人で何をしていたんですか?……おや、これは何ですか?」
「我のイラスト集である」
「駄目ですね~。校内にこういう本は持ち込んではいけないと校則で決まっているんですよ」
そら見たことか。結局説教食らうんだよ。
「ですが良く描けていますね。先生感心しました。むっ、このイラスト、少し際ど過ぎませんか?主に胸とお尻が。でも先生はこれくらいが好きなので問題ないですね」
先生は本をペラペラと見ながらそう言葉を溢す。
先程教師あるまじき台詞が聞こえたのは気のせいだと思いたい。
「先生にも一冊売ってくれませんか?」
「五百円だ」
「どうぞ」
「毎度あり」
「おい、それで良いのか教師」
思っても見なかった展開に俺も流石に待ったを掛ける。
「そこは普通怒るところでは?何で買ってるんですか」
「先生、生徒は褒めて伸ばすタイプなんですよ」
「違う。そうじゃない」
気にするべきなのはそこじゃない。一応教師なのだから、生徒の校則違反は見逃しては駄目だろう。それどころかお金払って校則違反に荷担しちゃってるし。自分の首が心配じゃないのか。
「先生、反面教師ですからね~」
「…………」
「結城クンどうしました?先生の鼻なんか摘まんじゃっででででででっ。どうして先生の鼻を上に引っ張るんですか!?これ見た目より結構痛いですよっ!」
「いえ。反面教師には制裁を加えようと思って」
「冗談!冗談ですから手を離してください!鼻取れちゃいますよっ!」
「まったく……」
手を離して先生の鼻を解放してあげる。先生は鼻を擦りながら「酷い目にあいました…」と教卓の方へ戻っていった。
見た目は格好良いし生徒にとても優しい良い先生ではあるのだが、たまに不真面目なところがあるのが残念だ。
「さて、そろそろ我も教室に戻るとしようか。思わぬ収入もあったし」
「おう。またなオタ」
「じゃあな」
「うむ!また会おう!」
片手を上げ、キメ顔を見せてから霞ヶ丘は自分の教室に戻っていった。
俺も席に付いて教科書などを机の中に入れながらショートホームルームを受け始める。
そして最後。教卓の前に立っている早乙女先生の口から耳を疑うような言葉が放たれた。
「皆さん、以前にもお伝えした通り、一限の体育は一年十組との合同体育になりますので、先輩として可愛い後輩達をリードしてあげてくださいね。期待しています」
「………はい?」
「あっ、忘れてた」
「どういうことだ、柊」
「今日の体育、色々あって弥生くんのいるクラスと一緒にすることになったから」
「その色々の部分を聞いてんだよ!」
「まぁ、頑張れよ」
親指を立てる柊に俺は何度も説明を求めるが上手くはぐらかされてしまい、体育館へ連行されるのであった。




