15話 噛み癖
朝。まだ夢の中にいた俺の上に、何かが飛び乗ってきてベッドのスプリングが軋む。
何事かと目を開けた俺はギョッとする。
「おはよ!」
「……おはよう」
いつも通りに挨拶を交えるが、今日の天莉さんはやけに距離が近い。少し動いただけでお互いの鼻がぶつかりそうだった。
離れようと少し後退するが彼女は再び距離を詰めてきた。なんでだよ。詰めてくるなよ。
「……天莉さん、近い」
「うん。知ってる」
だったら早く退いてくれないだろうか。彼女の吐息が鼻頭に当たってくすぐったい。あと、その妙に艶かしい唇を舌でなぞるのも止めてほしい。絶妙な色気が出ていて目のやり場に困る。
「体の調子はどう?」
「お陰様で完全に回復したよ。ありがとう」
「うんっ!」
昨日、看病をしてくれた彼女には本当に感謝しなくてはならない。だが申し訳ない。何故か風邪を引いたときの記憶が殆ど無くて覚えてないのだ。かろうじて覚えていることといえば彼女が俺のベッドに潜り込んでて俺が胡瓜を見た猫並みに飛び起きたことくらいだ。あの時はマジで心臓が止まるかと思った。
「………(ジー)」
「……な、何かな?俺の顔を見たりして」
「真澄くんの唇、プルっとして美味しそうだね」
あの、いきなり訳のわからない事をいうの止めてくれません?
「そういうのは誤解を招くから止めようね」
「ねぇ、味見していい?」
「話聞いてた?止めろって言ったよね?」
「良いじゃん。一度だけ」
「その一度が駄目な事に気づこうか」
前からスキンシップが激しい子だとは思っていたがエスカレートしてきている気がする。
「良いもん。勝手にするから」
「やめぃ」
接近する顔を掴む。
天莉さんは「え~」と言いながら俺の手を外そうとする。だが甘い。男が力で女に負ける筈がない。こう見えて鍛えてんだよ。
「乙女の顔を鷲掴みしないの」
「乙女と言うのなら少しは恥じらいと警戒心を持て。君の行動は目に余るものが多すぎる」
そう言って手を離した。だがそれが駄目だった。手を離した瞬間、彼女は俺に抱き着いてきた。
「て~ん~り~さ~ん?」
流石の俺も少し頭に来た。
別に彼女に抱き着かれる事には不満はない。不満なのは先程も言った通り、彼女の軽率な行動だ。
今の俺にとって彼女は凄く大事な立ち位置にある。故に俺は彼女を傷つけたくないし悲しませたくないのだ。だから日々そうならないように行動しているというのに彼女はそれを尽くぶち壊してくるから困ったものだ。
「良いか?俺は男だ。その事をしっかり考えろ」
「考えてるよ」
「考えてこの始末か?今まで見逃してきたがもう我慢できん。君は少し自分の立場を考えるべきだ。自分がどういう存在なのか見直してくれ」
「真澄くんにだけだよ。こういう事するのは」
「そういう事を言っているんじゃない。もっと自分を大切にしろと言っているんだよ」
俺だってこんな可愛い子に抱き着かれて何も感じないわけじゃないだよ。男である以上、性欲もあるし、そういう事をしたくなることもある。それを今まで必死に抑えてきた。だが、今それが爆発しかけている。このままでは過ちを犯しかけないのだ。彼女を傷つける真似は死んでもしたくなかった。
「俺は男だ。万が一、君を襲ったりしたら君は対処できるのか?」
「貴方になら襲われてもいい」
「俺は真面目に言っているんだぞ」
「私も真面目だよ」
「あっそう。じゃあ…」
「きゃっ」
体を起こし天莉さんを押し倒して見下ろしながら言う。
「さぁどうだ?今君は襲われかけているわけだけど、どうする?」
「キャーどうしよう。私ついに襲われちゃう?襲われちゃう系ですか?」
………あ、あれ?何この反応。全く怖がってないんですけど。それどころかめっちゃ嬉しそう。目なんかすっごいキラキラしてる。
「あの……」
「いや~ついに襲われちゃうか~。予想より早かったけど真澄くんも男の子だもんね。仕方ないね」
「ちょっと……」
「さぁ!カモン!」
「ちょっと待って!?」
両腕を広げて待機されても困ります。そこは俺を突き飛ばして逃げるところでしょうが。なんで誘ってんの?怖がってよ。抵抗してくれ。ガードが緩すぎてとても不安になってきましたよ。
「あ、あのさ!俺を信頼してくれるのは嬉しいが、あまり信頼し過ぎるのも駄目だぞ!人間なんて少しのきっかけでもあればすぐに変わってしまう生き物だ!俺も例外じゃないんだよ!わかってる!?」
「だって~」
「だってじゃない!いいか?これは君の為に言っているんだ。君に傷ついて欲しくないから、こうやって怖がらせてでも忠告をしているんだよ?なのになんで怖がらないの!?」
「怖がる理由ないし。それにさ、私も寂しいんだ」
「寂しい?」
これはまた、的外れな返答が来たものだな。
「学校に行けば、真澄くんと離れちゃうでしょ?」
「そりゃあ学年が違うから仕方がない」
「真澄くんが傍にいなかったら、物凄い喪失感に襲われるの。それが辛いの」
「それとこれに何の関係がある?」
「真澄くん成分を補給させて」
「ごめん。全く話の意図が掴めない。ちょっ、おい!」
ガバッと顔をホールドされて、天莉さんに覆い被さるように倒れ込む。
あっこれはまずい。理性の壁が壊れかけてる。
「こら!離しなさい!」
「やだ!私の為だと思って受け入れて!」
「そもそも真澄くん成分って何だよ!?俺は薬か何かか!?」
「私にとっちゃある意味薬だよ!」
人を薬呼ばわりとは言ってくれるな。
離れようと暴れて抵抗するが頭を完全にホールドされている為、全く離れられる気配がなかった。それどころか、暴れる度に顔面全体に女性特有のあの部分が押し付けられて理性の壁がゴリゴリと削られていく始末だった。
それだけじゃない。俺の抵抗が無くなってきたと分かった途端、彼女は大きく深呼吸して俺の匂いを嗅いできたり、頭に頬擦りしてきたりしてきた。もうホントに勘弁してください。この子、絶対に初めて会ったときよりも変態になってる。
「………あむっ」
「うひゃおっ!」
これは流石にびっくらこいた。
いきなり首を噛まれた。まぁ噛まれたというか唇で挟む感じの甘噛みだが、それでも状況が悪化したことには違いない。
「ててててててて天莉さん!?何してるの!?」
「まひゅみひゅんのくひはんでる」
「なんてっ!?」
「はむはむ」
「あひゃっ!ちょ、くすぐったい!うはぉっ!」
変な声が止まらない。
あの、頼みますから舐めないで。噛むのも止めて欲しいけどそれ以上に舐めるのは止めてください。寝汗とか絶対に凄いし男臭いと思うのでマジで。
「はむはむ(この前も学校で指舐めたけど真澄くんの肌ってやっぱり美味しい。こう、ほのかに砂糖みたいな甘味があって癖になる)」
「ね、ねぇうはっ!本当にあひゃうっ!やめてくぁぉっ!」
「(それに、真澄くんの反応が面白くてもっとやりたくなる!)」
絶対に今彼女くだらないこと考えてる!見えなくてもそんな気がする!
━━━カリッ━━━
「うわぉっ!?」
首に痛みが走る。
天莉さんの歯が肌に食い込んだのだ。俺は思わず声を上げたが天莉さんは気づいてないようで噛み続ける。
「……あの、天莉さん…流石に歯を立てるのは止めてくれ……」
「んっ、あっごめん。ちょっと力入れすぎた」
彼女の口が首から離れる。
俺は鏡を持って首を確認した。首には小さな歯形がうっすらと付いていた。
「うわぉ……」
「えっと…ごめんね?痛かった……?」
「あまり痛くはなかったけど、それ以上にびっくりした。何で急に噛んだりしたの?」
「えっと……この前学校で真澄くんの指舐めたでしょ?そのせいかな。真澄くんの肌見てると噛みたくなってくるというか……あはは」
嘘だろおい。彼女には変な癖が出てきちゃったよ。てか肌を噛みたくなるって何?あれか?赤ちゃんが指しゃぶりするのと似たような感じか?調べたら原因とか対処法載ってるかな……。
「取り敢えず、力加減はしてくれ」
「ごめんなさい……気を付けます……」
反省はしているようなのでこれ以上咎めるのは止めておこう。
ん?何かおかしい気がする。何処か着眼点が違っているような……頼むべきなのはそこじゃない気が……。
いくら考えても違和感の正体には気づけず、胸にモヤモヤを抱えたまま彼女の新しい癖の対処法を調べてみた。
調べた結果、噛み癖が起きる原因が『ストレス解消』や『甘えたいという欲求からくるもの』などと書かれていた。こういう事なら仕方ないと思いつつ記事を見ていくと最後の方に『貴方の事が大好き!という愛情表現』と書かれていたのが見えた瞬間、俺は記事をそっと閉じて見なかった事にした。




