7月9日:セーラ
日記というものについては一通り調べました。交換日記、というものについても。
しかし、その上で、どうでもいいことを書く意味が分かりません。少なくとも私には向いていません。
博士との交換日記を初めることにしたのに、これでは何を書けばいいのかさっぱりです。
下書きしてまとめてから書こうかとも考えたのですが、それはきっと、博士のお考えになる『日記』ではないのでしょう。おそらく、博士はランダム性、カオス性を『風情』であると分析したのでしょうから。
なので、可能な限り、私も博士の『日記』をトレースして、この交換日記を書いていこうと思います。
博士が書いていた古い文献ですが、見つけました。
恐らく、『Essays in Idleness』のことでしょう。
そういえば『徒然なるままに日暮らし硯に向かいて』のフレーズを博士が口ずさんでいたことがありましたね。
『Essays in Idleness』は、倉庫の中に積んであったものを自分で見つけて読みました。図書室でも博士の部屋でもありませんでしたし、博士が探して下さったものでもありませんでしたけれど。そしてカバーが外れていました。博士、カバーはどこへやってしまったのですか?本は貴重なものですから、大切に扱って頂かなくては。
『Essays in Idleness』は、『諸行無常』よりは、『無欲恬淡』の記録ですね。しかし、ある種の『諸行無常』でもあると言えるかもしれません。
最終的に著者であるケンコウ・ヨシダが、そもそも書を記すという事自体が欲であると悟り筆を置き、『Essays in Idleness』は終わります。
それはケンコウ・ヨシダから観測した場合、『無欲恬淡』を目指す記録なのでしょう。
しかし、彼の記録を1つの物語として外部から観測した時、この物語は『諸行無常』と言えるかもしれませんね。全ての物語に言えることかもしれませんが。
……しかし、博士の日記を読む限り、博士。『Essay in Idleness』に『Narrow road to oku』や『The Pillow Book』が混ざってはいませんか? 博士のメモリはどうしてこうも不安定なのでしょう?
……日記なので、今日の事を書きます。
今日はβ-A区画の倉庫の片付けを行いました。中に入っていたのはほとんどもう使えない物でした。処分はまた今度。
それから、博士の部屋の片づけも行っておきました。
博士が戻ってきた時に綺麗な部屋を使って頂きたいので。
……博士が戻ってきたら、ベッドの下に物を保管するのをやめるように言わせて頂きます。
開封済みのミート缶なんて、置いておかないでください。
原型が分からないレベルで腐敗していました。
今日はこれで。