9月10日:ダイチ・アカツキ
えーと、9月4日の日記にね、『足踏み式発電によるガラスファイバー花火オブジェ』をγ地区に持って行くことについて書いていたけれど。
あれ、失敗だった。
……想像以上というか、想像以下というか。
γ地区の子供達って、花火を知らない、覚えていない子達なんだね。もうそんな世代なのか。
しかも、彼らは特に古い資料を読んだり、文献を漁ったりしている訳でもないから、情報上での花火すら知らない。
γ地区の子供達にとって、『足踏み式発電によるガラスファイバー花火オブジェ』は『よく分からない光る物体』でしか無かった訳だ。
……ちょっと久しぶりに凹んだよ。凹んだ。うん。この表現はチハラが良く使っているから僕も使ってみるけれど。凹んだ。凹んだ。本当に『凹んだ』っていう気分だ。
しかもこの凹みは、不可逆なもののようにも思えるね。永遠の凹み、というか。……つまり、まあ、単に『深い悲しみ』なんだろうけれど。
なんて言ったらいいのかなあ。
5年。5年経った。けれど僕らは、まだ空から遠い場所に居る。
今8歳の子供は、空を覚えていない子が多い。今5歳の子供は、そもそも空を見たことが無い。
それから、γ地区の一角に、黒い布が垂らしてあった。誰かが亡くなったらしい。その誰かは、空を再び見ることなく亡くなった訳だ。パーティに来ていた人達も、何人か、それをとても悲しんでいたよ。
『再び空を見ること』は、ここに居る全ての人達の願いだ。
それは僕も知っていたつもりだ。
けれど、『初めて空を見ること』すらしていない人が居て、そして、彼らがそもそも、『初めて空を見ること』を望むことすら知らない、という事は、初めて知った。
どうしようもない事は分かってる。
僕達の研究は順調だし、進んでもいる。僕達はいつだって全力だ。手を抜いたことなんて一度も無い。
けれど、それじゃ駄目なんだ。多くの人にとっては、それじゃ、駄目なんだよな。
僕の全力疾走じゃ遅すぎる。もっと速く、もっと速くしなきゃいけないんだ。
……それが恐らく不可能であることも、僕は知っている。分かってはいるんだ。僕らの精一杯が、これなんだ。
それが悔しい。
無力な僕が悔しいし、僕が決して無力じゃないことを合理的に計算して分かっている僕が居ることも悔しい。
でも、γ地区から戻るなり、セーラに言われたよ。
「博士、研究の意欲が湧きましたね」ってね。
……本当に、その通りだ。凹むのは今日限り。
研究の意義を再確認できた。この痛みはその代償だ。
明日からまた、研究を進めていこう。目標として、月末にはまた遠出できるようにしたいね。
ありがとうセーラ。君は僕の希望だ。