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3/5

カワウソ

 四



「さて」


 船を繋ぎ終えて、周囲を一度見回すと彼は腕を組みました。


「これからどうしましょう。あなたを案内するといいましたが、よく考えてみればこの町には見せて回るような場所なんてとくにありませんし……どうします?」

「はぁ」


 そんなことぼくに聞かれたって困ります。案内してくれるというのでついてきたのですから。


「うーん……どうしましょう」

「こまりましたね」


 思い悩む彼にぼくは適当にあいづちをうつしかありません。

 ぼくらがそうやって悩んでいると、目の前にぴょんとひとりの男の子が現れました。


「こんにちわ」


 一〇歳ぐらいの男の子です。いっけん、ふつうの人間の子のように見えましたが、なにかいろいろと違います。

 わかりやすいところでは、顔からはツンと飛び出た猫のようなヒゲが生えていて、おしりからはふさふさの茶色い尻尾が出ています。もうちょっと細かく見ると、服から覗く手足も妙に毛深かったり、目の色が金色をしていたりと、人間でないことがわかります。

 その一応男の子を見て、おや、と彼が声をあげました。


「やあやあ、カワウソくん。こんにちは」

「ああ、また、一発でバレちゃったかぁ」


 男の子は、カワウソ、というようです。カワウソはショックを受けたようにそう言いました。


「そりゃあ、いつも同じ姿で出てこられれば化けていたってわかりますよ」

「上達したと思ったんだけどなぁ」


 そうぼやいたカワウソは、よっ、とかけ声をくるりとバク宙。

 ドロン、と音を立てて気づいたときには、男の子の姿から、動物の姿――カワウソに変わっていました。カワウソは二足歩行で立ち上がると、よ、と手を上げました。


「カッパ。ひさしぶりだな」


 あまりにも一瞬の出来事にぼくは自分の目を疑いました。ですが、どう見ても目の前にいるのはカワウソです。たしかに、男の子は見た目からして人間ではありませんでしたけど、それでも目の前で姿が変わってしまう、というのは驚きでした。いったいどうなっているのでしょう。


「そっちは誰だろう? ここらでは見かけない顔だけど」


 しげしげと眺めるぼくを指さして、カワウソはそう尋ねます。


「彼はきつねの子です。先ほど河原で干上がっているところを助けていただきまして。彼は生まれてからずっと野山で育ったそうで、お礼にこの辺の案内をしているのです」

「ふーん。きつねの子か」


 くんくんくん。

 カワウソはぼくの体に鼻を近づけて全身の匂いを嗅いできました。鼻息が当たってくすぐったくて、ぼくは体をよじりました。


「やっぱり化ける、っていったら、きつねとたぬきが一歩リードなのかなぁ……匂いまで人間そのままだ」


 全身の匂いをくまなく嗅いだカワウソは、腕を組むとちょっと唇を尖らせてそう言いました。

 それはそうでしょう。ぼくは人間なのですから。


「はじめまして、ぼくは山田――」

「おほん、おほん」


 いけません。そうでした名前を言ってはいけないし、人間だとバレてもいけないのです。首を傾げるカワウソに慌ててごまかします。


「や、ま……やまから来た、きつねです」

「うん、おれはカワウソだ。よろしくな」


 そういってカワウソはちいさな手を差し出しました。


「よろしくおねがいします」


 ぼくはズボンで手を拭いてカワウソの手を握りかえしました。カワウソの手は毛むくじゃらでチクチクします。もっとふわふわの毛だと思っていたぼくはちょっとショックを受けました。


「きつねの子はやっぱり化けるのが上手だな。なぁ、うまく化けるのに、なにかコツがあるのだろう? 教えてくれよ」


 カワウソは両手を合わせてぼくを拝みます。見た目だけで言ってしまえば動物なのですが、その仕草は人間くさくて、トンチンカンな印象を受けます。


「ええと……コツ、と言われても」


 なにしろぼくは化けているのではなくて本物の人間です。そんなことを聞かれても困ります。困ったぼくは助けを求めて彼を見ましたが、しかし彼は助けてくれるつもりはないらしく、微笑みながらこちらを見ています。


「なんというか、ちゃんとした人間の姿を想像して、ドロン、とするのです」


 ぼくはなんとなくそれっぽい感じに口からでまかせを言いました。


「ちゃんとした人間の姿を想像してか……うーん。そういえばおれは今までに本物の人間ってみたことがなかったっけなぁ……おまえさんのそれが『ちゃんとした人間』なのだろう?」


 ぼくは迷わず首を縦に振りました。もちろんです。ぼくは正真正銘、本物の人間なのですから。


「ならそれを参考にさせてもらおうかな……ふむふむ。うん」


 よっ、ドロン。

 カワウソは再び人間に化けました。


「よし、これでどうだろう?」

「おお、カワウソくん。見事です。そっくりですよ」


 驚いたように彼が声を上げます。ぼくも目を丸くしてカワウソを見ました。

 カワウソが化けた人間……それはぼくでした。

 カワウソが化けたぼくは、ヒゲや尻尾が生えていたりすることもなく、ぼくが鏡で見る、ぼくの姿そのままでした。


「ええと……君はカワウソ、ですよね?」


 目の前で見ていたはずなのにそんなことを思ってしまいます。目の前に自分がもう一人いる。あまりのことに、思わずぼくはそう聞いてしまいました。


「そうだよ、おれはカワウソだよ。化けるところを見ていただろう?」


 もちろんです。見ていました。けれど、あまりにもそっくりなので、ちょっと混乱してしまったのです。


「うんうん、これはなかなかそっくりだ。人間にしか見えない。アドバイスありがとう。おまえさんのおかげだよ」

「ええ、それは……よかったです」


 カワウソは自分でもその姿を確認して、満足そうに言いました。化けたカワウソは、その声までぼくそっくりで、なんだかぼくの頭はぐるぐるとしてきました。自分の目の前で、自分と同じ姿で同じ声の人間が、しゃべっているのです。混乱しない方が難しい気がします。


「でも同じ姿がふたついるとややこしいな……よっと」


 ドロン。

 ぼくと同じように思ったのか、カワウソは最初の男の子の姿になりました。


「どうだろう? ちゃんと化けられているかな?」


 しかし、その姿はやっぱりどこかおかしいままです。

 ぼくは首を横に振りました。


「うーん。そうか。なにがいけないのかな。きちんと化けているつもりなのだけど」


 よっと、と声をかけてまたカワウソはぼくに化けます。それから、数回、ぼくの姿と男の子と動物の姿にカワウソは化けました。

 目の前でくるくると何度も回られると、だんだん目が回ってしまいます。自分が二人居るような変な感じと合わさって、ぼくはめまいを感じました。


「うん。もしかすると、おまえさんが化けてるこの姿が、化けるのにちょうどいいのかもしれない」

「ぼくの姿が、化けるのにちょうどいい……?」


 最後にぼくの姿にもう一度化けたカワウソは、納得したようにうなずきました。


「うん、この姿はすごく化けやすい。だからおまえさんもそんなにうまく化けるのかもしれないな」


 『ぼく』に化けたカワウソの口から投げられるその言葉が、ぼくの胸に引っかかりました。


「ぼくが化けている……?」

「どうした? 首を傾げて」


 『ぼく』がそう言って、首を傾げます。

 あれ、なにかがおかしいです。なんだかよくわからなくなってきました。


「ぼくは、人間ですよね……?」

「急になにを言い出すんだ? おまえさんは妖怪だろ? 人間に化けたきつねだって、自分で言っていたじゃないか。そんなにうまく化けてるのに、いったいどうしたっていうんだ?」


 あきれたように『ぼく』がそう言いました。


「ぼくは妖怪の化けた姿……」


 たしかに『ぼく』の言うとおりです。ぼくは自分を人間だと思っていましたが、人間に化けたきつねかも知れません。

 いいえいいえ、ぼくはたしかに人間のはずです。だってこれまでだってずっと人間でしたし、一度もきつねだったことなんてありません。


「あはは、なんだ。もしかしてそっくりに化けすぎて、自分が人間のような気になってしまっているんじゃないか?」


 けれど。


「うんうん。そういう錯覚は、きつねやたぬきがよくする、って聞いたことがある。そっくりに化けているうちに、自分は本当に人間なんだって思い込んでしまって、人間と結婚して子供を産んだ、なんて話もよく聞くしなぁ」


 もしもぼくが自分でも人間だと思い込んでしまうぐらい上手に化けたきつねだったとして。そうではない、とどうやって証明できるのでしょう。


「おまえさんみたいにそっくりに化けられても、自分は人間だって思い込みに飲まれちまうようじゃ、妖怪としてはいまひとつだなぁ」


 ぼくは本当に人間なんでしょうか?

 悩むぼくを見て『ぼく』がにこにこと笑顔を見せます。


「まぁ、うまく化けるコツ教えてくれてありがとう。それじゃあな」


 そういうと『ぼく』はドロンと音を立て、再びへたくそな男の子に化けると、タタタと走っていってしまいました。

 ぼくはそれを見送りながら、呆然として、自分がなんなのかを考えていました。


「どうしました坊っちゃん?」


 そんなぼくに彼は尋ねました。


「……ぼくは、なんなのでしょう?」

「はい?」

「ぼくはきつねですか? それともカワウソですか?」


 ぼくの質問に、目をぎょっと大きく見開いた彼は、


「アハハハハ」


 くちばしが裂けてしまいそうなほど大きく口を開いて、声を出して笑いました。真面目に聞いているのに笑われて、ぼくはすこしばかりむっとしました。


「坊っちゃん。あなたは化かされているのですよ」

「はい?」

「カワウソくんの言葉に、化かされてそんな錯覚をしているのです」


 ぼくが化かされている? いったいなんのことでしょう。


「坊っちゃん、あなたの名前は?」

「山田太郎です」


 そう答えた瞬間、パチン、と頭の中で音が鳴りました。


「あっ」


 思わずぼくは声を上げました。なんだか目が覚めたような心地です。

 そうです。ぼくは人間です。きつねのはずがありません。人間としての幼い頃からの記憶だってちゃんとあります。

 たとえばぼくの右の膝小僧には9歳のときに転んで出来た大きな傷跡が、未だに残っています。

 学校の帰り道で、転んだのですが、膝をついたところにちょうどガラスの破片が落ちていてパックリと裂けてしまったのでした。ぼくはこの傷跡を見るとそのときのことをはっきりと思い出すことが出来ます。

 裂けた傷口、最初は出てこなかった血、傷口から見える肉と油、徐々にしみ出してくる黄色の液体と、それを拭おうと触った瞬間にあふれ出してきた血液。それと同時に襲いかかってくる、心臓の鼓動に合わせてズキズキとする痛み。

 この記憶すべてがねつ造なんて、そんなわけがありません。ぼくはちゃんと覚えていて、傷跡も残っているのですから。


「そうです。ぼくは人間です。山田太郎です」

「ええ、ええ、そうですよ。坊っちゃんは人間ですよ」


 ふふふ、と笑いながら彼はうなずきます。


「ぼくはいつから化かされていたのでしょう?」

「そうですね、カワウソくんはあなたの匂いを嗅いで人間だと気づいたみたいでしたから、そのあとでしょうか」

「えっ」


 人間だと気づかれていたことにまずびっくりです。そしてそんなに前から化かされていたなんて、まったく気づきませんでした。そのことにゾッとします。


「カワウソくんは人間をちょっと化かしてからかうだけの、比較的善良な妖怪です。だからわたしも黙ってみていたのです」


 人差し指を一本立てて言うその姿が若干憎らしいです。


「ところで、坊っちゃん……さきほどわたしのいったことの意味をわかっていただけましたか?」


 得意顔で彼はぼくにそう尋ねました。これを言いたくて、ぼくが化かされるのを黙ってみていたに違いありません。


「ここは妖怪の国、気を抜くとすぐに輪郭があやふやになってしまいます。ご自分の名前と姿を忘れないようにしてくださいね」

「はい」


 ぼくはもう二度と化かされないようにしようと、気持ちを新たに引き締めました。



 五



「さてさて、坊っちゃん。なにか妖怪のことがわかったでしょうか?」

「はい。少しだけ」


 妖怪というのは、ひとを化かしたり、ひとに化けたりするようです。そして人間でもないのに、妙に人間らしい仕草をしたりします。


「ですが、余計にわからないことが出来てしまいました」

「なんでしょう?」


 さっきのカワウソとの会話を思い出します。


「ぼくは『きつね』が化けた、ということになっていますが、ふつうのきつねは化けませんよね? ふつうのきつねと妖怪の『きつね』は、どこが違うのですか?」


 それとも、すべてのきつねは化けることが出来るのでしょうか? それをぼくらが知らないだけなのでしょうか?


「結局、妖怪というのはなんなのでしょう?」


 問いかけるぼくに彼はうんうんと頷きます。


「そうですね……それなら、ちょうどいいところがあります」


 含み笑いを浮かべてそう言った彼は、ぼくを置いて歩き出しました。慌ててそれについていきながら、ぼくは尋ねました。


「どこへいくのですか?」


 ふふふ、と彼はその顔に浮かべていた笑みを深くしました。


「妖怪が生まれる瞬間をおみせしましょう」

「妖怪が生まれる瞬間ですか!」


 それは非常に興味深いです。


「まぁ絶対にみれるというものではないのですけどね。ですが、坊っちゃんならきっとみれると思いますよ」


 それはさきほど八咫烏をみたから、という理由でしょうか。それとも他に何か理由があるのでしょうか。わからないながらも、ぼくは彼の後をついていきます。

 彼は町の外れの方へと向かっているようでした。


「おっと、いけません」


 いきなり彼は立ち止まると、ぼくを手で制しました。


「坊っちゃん、お隠れなさい」

「どうしたんですか?」

「サトリと山彦がこっちへ来ます。彼らは他人の秘密を探っては広めるというたちの悪い趣味を持っているのです。さぁさ、隠れて隠れて。坊っちゃんが、人間だとバレたら大事です」

「わかりました」

「わたしが適当に相手をしておきますから、坊っちゃんはそこでじっとしていてください」

「はい」

「いいですか、ここにいてくださいよ? 勝手にどこかに行かないでくださいね?」


 こくりとぼくはうなずきました。そして路地裏に入ると、体を丸めて隠れました。それを見届けた彼は、ふたりの方へと向かっていきます。


「やぁやぁ、サトリさん、山彦さんお久しぶりです」


 顔だけを覗かせて、彼とサトリと山彦の会話を聞こうと耳を澄ませて聞こうとしましたが、距離があっていまひとつ内容は聞こえませんでした。

 仕方なくぼくは頭を引っ込めて路地裏に背中を預けて座り込みます。



 しばらくはそうして待っていたのですが、なかなか彼は帰ってきません。

 彼らの会話はまだ終わらないようです。ぼくは次第に暇になってきました。これでは妖怪が生まれる瞬間というのをみることはなかなかできそうにありません。

 そういえば今は何時なのでしょうか。夕方までには帰れると言っていたはずですが、ここにはお日様がないので時間がわかりません。

 ぼくがぼんやりと路地裏にしゃがみ込んでいると、河原の方から、なにか音が聞こえてきました。


 しゃかしゃかしゃか、しゃかしゃかしゃか。


 砂利がこすれるような音と共に、不思議な歌も聞こえてきます。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜と取ってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。


 ぼくの足は、その音に誘われるようにするすると河原をおりていきます。

 すると川の中程で膝までを水につけて、しゃかしゃかとざるを振っている、ぼくと同い年かすこし下ぐらいの女の子がいました。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 先ほど聞こえた歌を歌っているのはその女の子でした。ふつうと違うのは、頭に猫の耳のようなものが生えていることでしょうか。彼女もやっぱり妖怪なのでしょうか。


「あ〜ずき〜あら〜、お?」


 視線に気づいた彼女が顔を上げ、こちらを見ました。


「こんにちは」

「お?」


 ぼくが挨拶をすると彼女が目を丸くしました。


「おまえだれだ? なにしにきた? あずきたべるか? やらないけど」


 くれるのかくれないのか、どちらなのかわかりません。そもそもあずきを食べたいとも思わないのですが。


「なにをしているのですか?」

「あずきあらってる。たべるか?」


 ぼくの質問に答えた彼女は、同じ事をまた尋ねました。やらない、って言ったばかりなのにどっちなのでしょうか。


「あずきってどうやってたべるんですか? そのままですか?」

「しらない」


 ぼくの質問はばっさりと一言で切って捨てられてしまいました。


「あなたは普段はどうやって食べてるんですか?」

「たべない」

「食べないんですか?」

「あたりまえ。たべたらしぬ」


 あずきを食べると死ぬなんて初耳です。というか、そんなものをひとに食べるか尋ねるというのはどういったつもりでしょうか。そして、そんな危険なものをどうして洗っているんでしょう。


「なんでそんな危ないものを洗ってるんですか? 洗うと毒が抜けるんですか?」

「ぬけないよ?」

「じゃあ、なんで洗っているんですか? あずき洗うのが好きなんですか?」

「きらいだけど?」


 わけがわかりません。彼女との会話はどこかがズレているような感じがします。

 そんなぼくと同じような顔を彼女もしていました。


「おまえだれだ? なにしにきた? あずきたべるか? やらないけど」

「わたしはやま――山からきたきつねです」

「きつね?」


 彼女は、きょとんと小首を傾げました。まさかまた人間だとバレたのでしょうか? ぼくは少しばかり気を引き締めて、さも当然のようにつなげます。


「はい。あなたはなにをしているんですか?」


 ぼくは改めて彼女に聞き返しました。


「あずきあらってる。たべるか?」


 彼女はぼくが最初にたずねたときと同じ答えを返しました。 


「たべたら死んじゃうようなものはいりません」

「そうだな。いらないな」


 だったらなんでそんなものを洗っているのでしょうか。どうしたらいいのか、よくわかりません。


「おまえなにしにきた?」

「知り合ったカッパさんにこのあたりを案内してもらっているところでした」

「あずきたべるか?」

「いりません」

「そうだな。いらないな」


 なんだか彼女はさきほどから同じことばかり言っている気がします。なんだか機械としゃべっているような気すらしてきます。


「あなたはなにをして――」


 ぼくはそこではたと気づきました。たしかに彼女は同じことばかり言っていますが、ぼくだってその彼女に同じような質問をくり返しています。彼女のことだけをいうことはできません。

 同じ質問に同じ答えを返すのは、ある意味あたりまえのことです。この場合、機械的なのはぼくでしょうか、彼女でしょうか。両方でしょうか。わかりません。

 ぼくは機械なのでしょうか。

 いいえ、それはないです。さっきのカワウソのときのように化かされたりなんてしません。ぼくは山田太郎という人間です。ちゃんとわかっています。

 ちゃんとわかっている。

 そのことが同時にぼくを不安にさせました。

 さきほどはカワウソに化かされていたために、ぼくは自分が妖怪ではないか、なんて錯覚に陥ってしまいました。しかし、今は化かされていない、とはっきり言えます。

 その状況で、同じ事ばかり言ってしまう。

 そんなぼくは、どこかおかしいのではないでしょうか? そんな不安がぼくを襲いました。

 ぼくがそんなことを考えて黙り込んでいると、彼女は唐突に歌い出しました。さきほどと同じ歌です。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。

 彼女は、あずきを洗うときのその動作も歌も、機械的です。彼女もここにいる以上、妖怪だと思うのですが、カワウソや彼とはなにか違います。


「あなたは、妖怪ですよね?」

「そうだな」

「違うんですか?」

「そうだな」


 そう答えた彼女はまた歌を歌い出しました。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。

 その音を聞いていると、不思議と体が動き出します。気づくとぼくは一歩踏み出し、水に右足が浸かってしまいました。


「あ〜ずき〜あら〜……」


 彼女の歌がとまります。彼女は片足を川につけたぼくをじっと見ました。


「おまえ、きつねじゃないな」


 ぽつり、とそうつぶやいた彼女の口が、また動いて、


「ひと、だ」


 彼女の瞳がぼくをとらえました。背筋にゾゾゾと寒気が走りました。いけない! と思った時にはもう遅いです。

 しゃかしゃかしゃか。


「あ〜ずき〜あら〜おか」


 しゃかしゃかしゃか。


「ひ〜ととってく〜おか」


 彼女が歌を再開しました。

 まずいです。歌に合わせるように、足が勝手に川の中へ入っていってしまいます。ダメだとわかっているのにとまりません。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」

「ひぃっ」


 そう歌う彼女の顔を見たぼくは、思わず悲鳴を上げました。

 赤く血走った目をらんらんと輝かせ、耳まで口を裂いて真っ赤な舌を見せて笑う化け物がそこにいました。


「あ〜ずき〜あら〜おか、ひ〜ととってく〜おか」


 しゃかしゃかしゃか、しゃ、かしゃかしゃ。

 いまになってようやく彼女の歌の意味が理解できます。

 あずき洗おうか、ひと取って食おうか。

 このままではぼくは彼女に食べられてしまうのです。


「坊っちゃん!」


 彼の声が聞こえました。


「た、助け――」


 ジャボン。

 助けを求めて叫ぼうとした瞬間、もう一歩ぼくの足は勝手に踏み出し、するといきなり川底が深くなっていて、ぼくは足を取られて川に流されてしまいました。

 ぼくはカナヅチです。

 あっという間に水を飲み込んで、おぼれたぼくは意識を失いました。


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