火曜日 1
散々、迷った挙句、美織は、その男を自宅マンションまで、連れて帰ってしまった。
深夜だったせいもある。
男に、肩を貸し、歩くことに疲れたせいもある。
雨がひどくなってきて、寒かったせいもある。
美織が、早く、家に帰りたかったせいもある。
日付は、既に変わってしまっていた。
自宅マンションに、もどり、エレベーターに二人で乗ったところで、
「すみません。」
と、走り込んできた男がいた。
結構なイケメンなので、顔を覚えている。
前の会社の出社時間に、高い確率で、エレベーターで一緒になることがあった。
同じマンションの上の階の住人だ。
男の出血は、激しかったが、それは、頭だったせいもあるようだ。
目立ちすぎるし、雨も降っているので、フードを深くかぶらせておいたせいで、怪我そのものは見えないが、白いTシャツに残る血の跡に、ギョッとしたようだった。
「大丈夫ですか?」
と聞いてくる。
「多分…。」
と、答えたのは、男で、そのイケメンは、曖昧に笑った。
3階で、エレベーターのドアが開き、美織と男が、降りていくと、
「お大事に。」
と、今度はにっこり笑う。
絶対、誤解している。
きっと、いい年をした女が、こんな遅くに、男を連れ込んでいると思ったはずだ。
別に、近所づきあいをしているわけじゃない。
どう憶測されようとも、仕方がないが、男を部屋に入れた途端、美織は、猛烈な後悔に襲われた。
何で、こんなことしちゃったんだろう。
男は、非常に素直だった。
自分の名前どころか、何故、あの場所にいたのか、何故、怪我をしているのか、一切わからないというこの男は、「うちに行こうか?」と言った美織の言葉に、すんなり応じてしまったのだ。
考えて、考えて、考えた挙句、あまり考えずに言ってしまった一言に、流されて、こうなってしまった。
そして、8畳のこの部屋に、美織は、この男と、二人きりでいる。
これは、まずい。
まずいけど、誰でもない、自分が招いたことなのだ。
男の怪我は、見た目の出血ほど、ひどいものではなかった。
タオルをあて、家でおとなしくさせておくと、血は止まり、美織は、髪にこびりついた血を濡れたタオルで落としてやった。
その間、男は、なされるがままだった。
今時の若者然としている。
美織の目も大きな方だったが、目の前の男も、パッチリとした二重だった。
鼻筋が通り、女の子のように、線が細く、バランスよくまとまっていた。
頭が小さく、手足が長い。
今どきの若者の体型だった。
肌は、3月だというのに、全体的に浅く日焼けしているが、元々、色素の薄いタイプらしく、瞳も黒というより、茶色がかって見えた。
美織が持っていた男性用のジャージがMだったので、とりあえず着替えさせ、血のついたTシャツとパーカーは、揉み洗いをしておいた。
白のTシャツは完璧にはおちなかったが、紺のパーカーの方は、何とか目立たない程度には落ちたので、外に干しておくことにした。
その間、男は、ぐったりしたように、壁にもたれて目を閉じていた。
「思い出せない?」
「うーん。」
「どこまで、わかってて、どこまでがわからない?」
男は、首を傾げる。
「さっきの場所から前は、さっぱり…。」
「何で、あそこで、血を流してたのかも、わからないの?」
持ち物は、Gパンのポケットにつっこんでいた財布だけ。
ばらけてみると、中身は、2万ちょっと。
クレジットカードが1枚と、奥の方に、古いポイントカードが入っていたが、そのポイントカードには名前が書いてあった。
「おどう?せい…?」
本人が書いたのか、店の人が書いたのかはわからなかったが、あまり上手い字ではない。
首を傾げながら、自分の名前らしきを読む男。
美織は、クレジットカードを裏返して、そこにあったサインに気が付いた。
「こっち、ローマ字で書いてある。セイヤ、ミドウだって。」
「え?」
「みどうせいやって読むみたいよ。」
「あ、なるほど。」
男は、嬉しそうにうなづいた。
「俺、御堂成哉なんだ。」