これをなんとかしろと言うのか
話が決まったところで、ふとエルヴィラの格好に目が行った。改めてじっくりと観察し……僕の眉間にくっきりと皺が寄る。
「君のその格好」
「ん?」
僕の言葉にエルヴィラは眉をひそめる。
まさか、自覚がなかったというのか。いや、自覚がないからこそ、平気でこんな恰好のまま、町を歩けるのだろう。
「なんとかしてもらうから。仮にもそれなりの男を引っ掛けようっていうんだ、そんな男か女かわからない格好じゃ、僕もフォローのしようがない」
「あ……」
エルヴィラはようやく気づいたのか、慌てて自分の格好を検分し始める。騎士服の裾をひっぱり、埃を払い……いまさらだ。いまさら気づくとか、こいつは自分を鏡で見たことがないのか。
「あと、所作だ」
どうにも雑な動きに顔を顰めて見せると、エルヴィラはとたんに眉尻を下げた。心当たりがあるのだろう。落ち着きなくきょろきょろと視線を彷徨わせる。
「正直言うと君の所作は乱暴で汚い。そんなことで一定ラインより上の男を引っ掛けられると思うな」
「なっ、な……え……そんなに?」
「口調も酷すぎる。女騎士をやってたせいだろうが、どこの男女かというレベルだ」
なぜかショックを受けたという顔になるエルヴィラは、やっぱり馬鹿なんだろう。
呆れしか感じない。
いったい何がショックだというのか。今までの自分の振る舞いを省みたら明らかではないか。
しかし、それでも一応、自分が女であるという自覚はあったらしい。
自覚があるのなら、男か女かわからないような格好で雑な振る舞いをする女と結婚したい……などと考える男がいるかどうか、わからないなどということがあるものか。
……いや、待て。こいつにはわからないかもしれない。
「幸い、体型と顔の造りは悪くない。そこはどうにかごまかせるだろう」
「ごまかす……」
以前半裸に剥いた時に見た身体を思い出しながら言う。胸は十分あったし鍛えている腰は引き締まっていた。腕も足も、服の上から推測するに、そこまでごつくはない。
これならどうにかなる。
顔の造りなんて、化粧でどうとでもなるものはこの際気にしなくていい。
やっぱりショックだという顔で呆然としたままのエルヴィラに、資金はあるのかと尋ねると、「しきん?」と繰り返した。
「そう。夫探しをするなら準備が必要でしょ。まさか、それも僕にタカる気?」
そこまで面倒見ろというのか、どれだけ厚かましいのかと一瞬考えたところで「そんなわけあるか!」という否定の声が上がり、また少し安心した。
「資金なら、ほら!」
「ちょっと見せて」
差し出した袋を確認すると、金貨と宝飾品が入っていた。これで銅貨ばかりだったら、断固追い払うところだった。
「なんとかなりそうだね。じゃあ行こうか。ついておいで」
「どこに行くんだ」
キッと僕を睨むエルヴィラを鼻で笑い飛ばす。いまさら警戒して何をしたいのか。
「まずは、形から入るんだよ」
「形?」
「とにかく、ついておいで」
そう、こいつに内面からにじみ出るナントカを期待したって無駄だ。それなら、それなりに見られる外見に整えるところから始めなくてはいけない。
「着るものの最低限は今日ひと通り回るにしても、そのままじゃ無理だ」
「へっ? な、なんで?」
歩き始めようとする僕に、狼狽えて腰の引けたエルヴィラが問う。
なんで、だと?
思わずじろりと目をやると、エルヴィラは小さく「ひっ」と声を上げた。僕はすかさずその腕を掴み、近くにあった中の上くらいの宿へ、有無を言わせず連れ込んだ。受付で浴室付きの部屋を借り、そのままずるずると引きずるように引っ張り込む。
とにかく、この女騎士の格好をどうにかしなければいけないのだ。
エルヴィラはびくびくと怯えた顔でこちらを見ている。
上から下まで埃だらけで汚れている。まずはこれを洗い流さなくては。普段、ろくな手入れをしていないことは間違いないのだから。
ガチガチに固まったまま立ち尽くすエルヴィラはひとまず置いて、僕はさっさと風呂を用意する。水を溜めるのも温めるのも、魔術でどうにかできるから楽なものだ。
「何、する、つもりだ」
風呂場から出ると、エルヴィラがあうあうと動揺しつつ尋ねてきた。
ふん、と鼻を鳴らして僕はじろじろとエルヴィラを眺めやる。
「君、自分のこと鏡でみたことある?」
「え? ある、けど」
見たことあるのか。鏡を見てこれだとは、残念すぎる。
もしかして鏡がとんでもなく曇っていたとかだったらいいのだが。
思わず吐いた溜息に、エルヴィラが非難するような視線を向けた。
「なんで、そんな溜息を吐くんだ」
「……僕を睨む前にそこの鏡で自分を見ろ」
促されて、エルヴィラは部屋の大きな鏡に自分を映し、まじまじと見つめた。
くるりと回ったり、覗き込むように近寄ったりしながらとっくりと眺め、いきなりしょんぼりと項垂れる。
ようやく自分が相当酷い格好だということを理解したようだ。
「ちょっと急いで旅してきたからなんだ」
「わかった? なら、これ持って」
小さく頷くエルヴィラに、拭き布と洗い布、それに臨時の着替えを差し出すと、戸惑うように「え?」と首を傾げた。
え? じゃない。話を聞いていなかったのか。
まっすぐ風呂を指差す僕を、エルヴィラが怪訝そうに見返す。
「とにかく、風呂で全部きちんと洗ってきて。まずはそこからだよ」
「あ、洗うって何を」
「だから言った通り全部に決まってるだろう。髪も顔も身体も、全身洗って」
「ぜ、全部? 全部って」
「全部は全部だ」
いい加減イラついてきた。「さっさと行け」と笑う僕の顔が引き攣る。
「できないなら僕が洗ってあげるけど? そうしてほしい?」
「ひっ! あ、洗うからちょっと待ってろ!」
浴室に飛び込んですぐ、ザバザバとお湯を被る音が聞こえ……あっという間に洗い終えたと風呂から出てきた。
「ちゃんと洗い終わったぞ」
早すぎる。
早すぎるにもほどがある。
カラスだってもう少しきちんと身づくろいするぞ。
「ずいぶん早かったね」
「え、こんなもんだろう、普通」
つまり、いつもこの程度ということなのか。
きちんと洗うだけだって、この倍はかかるはずだ。
僕の顔がまたひくりと引き攣った。
小さく深呼吸して気を落ち着かせ、「チェックするから」と、慌てて逃げようとするエルヴィラの襟首を掴む。
「そのままでいるんだ」
「ちゃ、ちゃんと風呂に入ったんだぞ! 身体も髪も顔も全部洗ったんだ、いいじゃないか!」
「ならチェックしても問題ないよね?」
見るからに適当に洗っておいて、何を言っているのか。
あちこち確認すれば、案の定、予想どおりの場所が予想どおりに洗い残されている。こいつは自分の身体ひとつ満足に洗えないのか。
「不合格」
「え?」
エルヴィラは心外だという顔でぽかんと僕を見返した。
僕は、髪も頭も耳の後ろも肘も……どこもかしこも洗い残しばかりだと告げる。お前はほんとうに女かと、暴言まで吐かずにいられないほどだ。
ほんとうは男だと言ってくれたほうがよほど楽だ。
そこで、はっと気づいて顔を覗き込んだ。
「まさか、顔も適当にお湯かけただけとか言わないよな」
「え……ちゃんと洗った……と思う」
顔すら、きちんと洗ってない?
僕の眉間にくっきりと深い皺が3本線を刻まれた。
ほんとうにこいつは女なのか。これで夫探しを手伝えとか、正気なのか。
エルヴィラが「ひっ」と息を呑み、怯えて後退るが気にしていられない。
「──ありえない」
「な、何がだ」
「こんな女がいるとかありえない。お前、ほんとうは女装した男だろう。今日び、女冒険者だってもう少しマシだ」
「何を言うんだ、私の胸を見たことあるくせに!」
だいたい、こいつは平民で貧乏暮らしをしていたわけではないのだ。資金としてさっき見せられた財布の中身といい、侯爵家に出仕していたことといい、それなりの身分と教養があって然るべきはずなのに、なぜこうなんだ。
思わず眩暈を感じて、こめかみを揉みほぐす。
もういちど深呼吸をして落ち着こう。
しかし考えてみれば、仮にも女なら、もっと身嗜みに気を遣うはずじゃないのか。こんな生き物を女と呼ぶのは、女に対する冒涜なんじゃないのか。
……ああ、もしかして。
全部侍女がやってたからできない、というならしかたない。
それなら、こいつ自身のせいじゃないということだ。
「君、騎士のくせに身支度は何もかも侍女に任せきりだったとか?」
「え? そんなことはないぞ。ちゃんと自分の面倒を自分で見られるようでなくては、騎士は務まらん」
ピキ、とこめかみで音がしたような気がした。
ギリ、と奥歯が軋んだ音を立てる。
「……洗い方を教えてやる」
「え、いや、それは……」
「うるさい。つべこべ言わず従え。夫が欲しいんだろう?」
「で、でも……」
「とっとと、“脱げ”」
“命令”の魔術を使うと、エルヴィラの身体が勝手に動き出し服を脱ぎ捨てた。
真っ青な顔で「魔法なんてずるい!」と抗議するエルヴィラの声はきれいに無視する。
「ずるいも何もあるか! 来い!」
「ひっ」
身を竦ませたエルヴィラの襟首を掴み、無理やり引きずって再度浴室に放り込んだ。目を潤ませて抵抗するのをどうにか座らせ、石鹸を泡立てる。
「誰が君みたいな小汚い女に欲情するか! 馬鹿にするな!」
「な、な……」
「じっとしてろ。まずは髪だ」
傍らから櫛を取り、髪を丁寧に先から解しつつ整える。梳き終わった髪に石鹸の泡を塗りつけて、ゆっくりと洗う。
「ただ水被って石鹸使えばいいってもんじゃない。まずは櫛で解せ。先から丁寧にだ。いきなり根元から櫛を通したって、ぶちぶち絡まって切れるだけなんだよ。それに髪が傷むだろ」
「え、ああ……」
「解した髪を洗うのは、泡でそっと満遍なく撫でるくらいでいい。だが頭自体はしっかり、けれど爪を立てずに擦るんだ」
なんだってこの僕がここまで世話を焼いてやらなければならないのか。納得は行かないが、じっくりと丁寧にマッサージをするように優しく洗う。
この状況でも緊張が解けたのか何なのか……うとうとと船を漕ぎ始めるエルヴィラに、またイラッとし、叩きおこす。
さらには顔も身体も何もかも、とにかくきちんと満遍なく洗い布を使って洗えとか……子供か、と思うようなことまでを説明しつつ洗い上げた。とくに、肘膝足裏に香油を擦り込むことも教え込む。なんでそんな面倒くさいことをと不満げな顔をするなら、とっとと諦めて帰ればいいのだ。
説明と練習をまじえてひと通りきれいにし終わってようやく風呂から出た。疲れた顔でぐったりするエルヴィラに、疲れたのはこっちだ、とまた呆れる。
嫌なら今すぐ都に帰ってしまえばいいのに。
だが、風呂だけでは終わらない。
これからこいつが一定以上の男を無事引っ掛けられるように、外見だけでも整えなければいけないのだ。
肌の整えかたから髪の整えかたまで、さらなる説明を重ねていく。
うんざりしたような遠い目でうんうんと頷くエルヴィラは、ちゃんとこの手入れ方法を覚えたのか謎だ。どうにか首から上だけを整えながら、こんなに気合を入れて女の顔と髪を整えてやったのは、いったいいつぶりだろうか、などと考えてしまう。
「よし、準備できたよ」
エルヴィラが、はっと我に返った表情になった。まんがいち聞いてなかったら、殺したくなりそうだ。
「そしたらこっちに着替えて」
「へっ?」
なんで? という顔で振り向くエルヴィラを、僕はまた睨むように見返した。睨んだまま、「それに、あのきったない騎士服でいいと思うの?」と鏡を指し示すと、「ふぇっ?」と変な声を漏らして鏡を凝視するエルヴィラに、また深い深い溜息が漏れる。
「あのね、ちゃんとした服を買うにしても、ふさわしい格好があるんだよ。あんな小汚い格好で店に行ってみな。いいとこ追い払われるか、足元見られて適当なものを適当に買わされて終わりだよ」
「そ、そういうものなのか」
「常識だ」
目を瞠るエルヴィラに、そんなことも知らないのかと呆れて……呆れすぎてもうどうしたらいいかわからないくらいだ。
それから、ふと、この手の女にありがちな考えを思い出した。じろりと目をやって、まさかな、けれど念のため、と口を開く。
「まさかとは思うけど……ありのままの自分がどうとか考えてるなら、そんな甘えは捨てるんだよ。
自分で努力せず、相手にだけ妥協を要求する最悪の考えだから、それ」
「え、えっ……」
こいつ、本当にそんなことを考えていたのか。相手に要求するより先に、まず鏡で自分を見つめ直すのが先だろうが。
「スペックの高い男を捕まえたいなら、自分にもそれなりのスペックが要求されるのだと肝に銘じておけ」
「え……」
ショック極まりないという顔でエルヴィラが黙り込む。
どれほど自分を買い被っているのか。
だいたい、あれほど着飾った姫やら侍女やらに囲まれておいて、そんなこともわからないとかありえない。
女と自称する別な生き物なんじゃないかこれ。
だが、エルヴィラはいったい何をどう考えてどんな結論に落ち着いたのか。
顔に浮かぶ表情が不敵なもの変わり、くくくと笑い始める。
「……わかった。わかったぞクソ詩人。
騎士として有能な上に淑女の嗜みを身につければ私は最強ということか」
は? さっきの話からどうしてそこに行く?
「ならばやってやろうではないか!」
鏡をばしっと示して拳を握り締めるエルヴィラは、どう見ても最強とか言う以前だった。こいつ頭おかしい。
「ふふ、鏡に映った私を見ろ。いっぱしの美女だろう。これにレディとしての作法が伴えば完璧だ。完璧すぎる淑女の完成だ。世の紳士どもが放っておかぬわ」
「……まあ、自信を持つのは悪くないけど、そこまで行くとただの自惚れで過信だろ。大言壮語は自分でその顔が再現できるようになってからにしてよね」
そこまでひと息に返して、僕は、それからもうひとつ言っておかないといけないことにも気づいた。
「あとその言葉遣い、完璧アウトだから」
「なに!?」
「なに、じゃないよ。君、侯爵家に仕えてたくせに、なんで淑女の言葉遣いひとつできないんだよ、この脳筋」
「のっ、のう……」
「その頭の中に詰まってるの、脳味噌じゃなくて筋肉だろう?」
ぱくぱくと口を開閉するエルヴィラに、「とにかく、どうでもいいから早く準備して」と服を投げつけた。
ようやく準備が整ったところで、エルヴィラを連れて目的の店をはしごする。下着に女向けの騎士服に勝負服に……と、何から何まで世話をしてコーディネートを考えて、上から下まで何通り分も注文していった。
もちろん、注文品だけでは今着るものに困るからと、吊るしの出来合いも幾つか買うことを忘れない。
さらに化粧品のけの字も知らないエルヴィラに説明しつつひと揃い買わせ、ようやく道具だけは揃えることができた。
「あと、服ができるまで少なくともひと月はこの町で特訓だから」
「特訓、だと?」
「そこは“特訓ですって?”だ。まさか君、そのまま外側だけ整えればいいなんて考えてないよね?」
「な、なんだと」
「“なんですって”だよ。君のそれも含めて、死んだほうがいいレベルから、せめてまあまあかなと思えるところまで引き上げてもらわなきゃ話にならない」
「うっ」
「うっ、じゃない。君、相当酷いから覚悟してよね」
エルヴィラは目を泳がせて、「やっぱり冒険者にでもなったほうがいいのかも」などと呟く。僕はもちろん、「そうしてくれると助かる」と返したのだった。