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こんなにしつこいとか聞いてない

 とうとう僕は取り繕うことをやめて、嘲るように笑った。エルヴィラが怯える小動物のようにびくりと身体を揺らす。


「君、いったい何がしたいの? そもそも、はじめてはじめてって騒ぐけど、君いくつなの。少なくとも10代の子供じゃないよね? いつまでも夢見てないで、もう少し大人になりなよ」


 ううっと俯くばかりのエルヴィラに、ふと思い付いた。にやりと口角を上げ、そっと屈んで彼女に耳打ちをする。


「それとも……僕がほんとうに大人にしてあげようか?」

「なっ! こっ、断る! それ以外の方法だ!」


 ほとんど反射的に顔を上げてぶんぶん頭を振るエルヴィラに、僕はくつくつ笑った。どうせ何も考えてないくせに、と。


「僕はなんでもいいんだけど……じゃあ、どんな方法がいいのさ」


 案の定、尋ね返しても黙り込むだけだった。エルヴィラの強情さには呆れるしかない。あまりにも面倒臭すぎる。なんで僕はこんな面倒な女に手を出したのだろうか。

 おかしい。もう少しひとを見る目は持っていたはずなのに、どうしてこんなトラブルに見舞われているんだろう。


「ああ、最初に言っておくけど、お金なら無いからね」

「お、お金なんて……馬鹿にするな!」


 責任責任と、やたらその単語ばかりを並べ立てることが気になって、念のため確認する。訝しむ僕を、まるで、“屈辱”と書かれているかのような表情のエルヴィラが、ぎりりと唇を噛み締めて燃えるような目で睨み返した。


「そういうのが欲しいんじゃない……た、ただ……」

「ただ?」

「ただ、ああいうのがはじめては、嫌だったんだ」

「ああいうのって?」


 真っ赤になった顔で睨み続けながら、わなわなと震える身体を押さえ込むように、エルヴィラはぐっと手を握り締めた。


「は、はじめては、す、好きになったひとと、もっと、あんなんじゃなくて……」

「ふうん?」

「も、もっと……」


 エルヴィラの目にじわりと涙が滲んだ。溢れそうになった涙を堪えるように歯を食いしばり、「もっと、もっと……」と小さく呟いている。


 正直、かなり意外だった。


 この、どうにもがさつで雑で乱暴な、男か女かわからないような(なり)の女騎士は、相当なロマンティストだったのか。そこまではじめて(ファーストキス)というものに幻想を持っているなんて、今時貴重じゃないのか。それこそ、子供の歳はとうに過ぎているのに。

 呆れというよりも珍妙な生き物に当たってしまったような気持ちで、はあ、と大きく吐息を漏らし……。

 だったら、と考える。


「じゃあ、やり直す?」

「へっ?」


 しかたないなと、僕は渾身の微笑みを浮かべた。甘く甘く微笑み、詩人の魅了の力を言葉に乗せて「最初から、やり直すのさ」とエルヴィラを見つめる。

 そっと肩へと手をまわし、目の前にいるのは恋人だと錯覚させるように優しく抱き寄せて、耳に蕩けそうな声で低く囁きかける。


「君の望むように……そうだね、この町なら大きな庭園が解放されていたはずだ。薔薇園やちょっとした森もある」


 頬を撫で、指先で滲んだ涙を払い、そっと舐めとるように目尻にキスを落とした。

 ほつれ毛が増えてしまった髪の結び紐を解いて指で梳き下ろし、顎に手を添えてゆっくりと顔を上向かせる。


「ちょうど今は薔薇の季節だよ。いちばん美しく咲いた薔薇と一緒に、君に極上のキスを捧げようか。君の望む言葉は何? キスと一緒に、その言葉も贈るよ。

 ねえ、エルヴィラ、どうだい?」


 まるで砂糖と蜂蜜をたっぷり混ぜ込んだクリームのように、ひたすらに甘く蕩けるような声で低く低く囁くと、エルヴィラは困惑したように目を伏せる。


「……そ、そんな」

「ん?」


 もうひと押しか。

 伏せた顔を覗き込んでなおも微笑みかけると、急にエルヴィラの顔がくしゃくしゃと歪み、唇が震えだした。

 予想していた反応と違う。

 あれおかしいな、と首を捻る間も無くエルヴィラがギリっと歯を軋らせた。


「そんな……そんな、そんな偽物なんかでごまかされるか、クソがぁっ!」

「っ、ぐ……!?」


 鳩尾にとんでもない衝撃が叩き込まれた。

 未だかつて、こんな馬鹿力で男の腹に握り拳を叩き込む女になんて、出会ったことはなかった。腹を締める間もなく食らった鳩尾の一撃に、一瞬気が遠くなるのを咳き込みひとつでどうにか耐える。


 が、たまらず、身体を折り曲げて膝をついてしまった。


 なんなんだ、この女。

 普通、こういう時は平手打ちじゃないのか。


 しっかりと腹を抱えて膝をつきながら、せり上がるものを堪えた。飛びそうになった意識も引き戻した。脂汗が浮かび、息がぜいぜいと荒くなる。ときおりげほげほと咳き込みながらも、どうにか息を整える。

 そんな僕のようすに、なぜかおろおろと狼狽えたエルヴィラが「あの」と小さく声を掛けてきた。あれだけ思い切り腹を殴っといて狼狽えるとか、馬鹿かこいつ。下手したら死ぬくらいの衝撃だったぞ。


「さ、すが、騎士だね……」


 ようやく呼吸が整って、それだけをやっと呟いた。


「普通は、平手打ちがでるものなのに、拳でしかも腹になんて……」


 もういちど深く息を吸い、集中を引き出して、いちばん簡単な治癒魔術を唱えた。苦しさは薄くなり、身体を起こせるくらいに回復する。

 ほんとうに、いったいどんな馬鹿力なのか。


「魔法?」


 慎重に立ち上がり顔を上げて、僕は驚くエルヴィラに肩を竦めてみせた。


「吟遊詩人ていうのはいろいろ器用じゃないとやっていけないものなんだよ」

「器用、だと?」

「そう。武器も魔術もそこそこ使えて、交渉ごとにも強くて……いるとそれなりに便利ってところかな。ま、どこに行っても、それなりに潰しが利くってことさ」


 旅に出てしばらくの間、冒険者に混じっていたことがある。

 痛感したのは、絶対必要だとは思われていないが、いればそれなりに便利……という吟遊詩人というものの立ち位置だった。

 それなりに戦えて、それなりに魔術を使えて……それ以外にもそれなりにいろんなことができて、町にいるときには交渉ごとや情報集めで役に立つ。

 そんな、ちょっとした便利道具のような扱いを受けたりしたことまで思い出して、少し自嘲的な気分になってしまった。

 が、今はそんなことを思い出している場合ではない。


「それで?」

「え、それでって?」


 は、と息を吐いて気を取り直す。じっと僕を見つめるエルヴィラを眇めた目で見返すと、ぽかんと口を開けたまま不思議そうに首を傾げた。

 この()に及んでそれか。

 僕の顔が引き攣り、こめかみがぴくぴくと痙攣する。


「やり直しも嫌だっていうなら、ほんとうにどうするのさ。その責任だって今の一発で十分果たしてると思うから、もうこれでいい加減にしてくれないかな?」


 エルヴィラはたちまち渋面になった。だけど何も言い返さない。

 もう、ほんとうにいい加減にして欲しい。



「……5回」

「ん?」


 渋面のまま俯いたエルヴィラが、ぼそりと呟いた。


「5回。ただのキスじゃない。うち1回は、ビールも飲まされた。口移しで」

「はあ?」


 何が5回かと思えばそれか。まだ数え続けていたのかと呆れた。5回だからなんだと言うのか。ビール飲ませただなんだと、たいしたことないだろう。

 こいつ、しつこく根に持つタイプだったのか。


 失敗した。

 本気で失敗した。


「しかも、毎回毎回、その、し、舌、まで、入っ……こんな、こんな拳1発で、済むわけがあるかっ! しかも、お前は、私の、おっぱ……胸まで、にぎ……触ってたじゃないか!」

「ああ、そういえば」


 言われてみればそんなこともあったな。

 けれど、たかが胸触ったとかなんだというのか。減るもんでもなし、純潔を奪うのとは違うだろうが。


「そっ、そういえばじゃない!」

「じゃあ、何?」

「わっ、わた、私のっ、純っ、純情を、どうして、くれるんだ!」

「純情?」


 純情って?

 意味がわからず眉を顰めると、エルヴィラはガタガタ震えだした。ぐしゃぐしゃ掻きむしるように頭を抱え、唸り声まで上げる。

 だから何が言いたい。


「……彼氏どころか手を繋ぐ相手もいたことがないのに、男の人との会話だって鍛錬の時しかしたことないのに、ましてや憧れのベルナルド様なんて顔もろくに見ることができなかったくらいで、お声だってようやく聞こえる距離にしか近寄れなかったのに……こんなクソ詩人に汚されてしまった私なんてもうだめだ。ベルナルド様に会わせる顔がない。もうこのまま私にはまともな彼氏もまともな夫も現れないんだ……もう一生、このクソ詩人以外の男に縁がないまま婆さんになっちゃうんだ……うわああああああ!」

「そんなこと言われても困る」


 ほんとうに困る。心の底から困る。


 だいたい、エルヴィラが今までモテなかったことと今のこれはまったく関係ないんじゃないのか。彼氏が欲しいなら他を当たってくれ。

 結婚できずに婆さんになってしまうとか、僕の知ったことじゃない。

 そもそもベルナルドは戦神教会の聖騎士長でかなりいい歳の妻帯者だったはずだし、おっさん趣味ならそれこそ僕以外を当たるべきだ。

 溜息しか出ない。

 正直、どうでもいい。

 これ以上、僕に何を求めようというのか。


「とにかくさ。君の趣味とか純情とかをあれこれ言われたって、僕にはどうしようもないんだけど。僕に身体で支払われるのも嫌なんでしょ?」


 投げやりな言葉に、エルヴィラの頭を掻きむしる手がぴたりと止まった。訝しむ僕の前でゆっくり顔を上げると、まるで呪いのように低い声で言葉を吐きだす。


「――手伝え」

「は?」


 意味がわからず、僕は胡乱な目を向けた。こいつ、今度は何を言い出した? 何を手伝えだって?


「そうだ、私の夫探しを手伝えばいいんだ」

「夫?」

「私にちゃんとした夫が見つかるまで、貴様が責任持って夫探しを手伝え」

「ちょっ、それ何、どういうこと――」


 思わず唖然としてしまう。だが、エルヴィラの表情は真剣そのものだ。

 非常に真剣な顔で僕を見つめている。


「お前のせいで私は実家を追い出され、まともな縁談も望めなくなった。つまり、私は自力で夫を探さなきゃいけないということだ。だから、私が、将来有望で強くてかっこよくて優しくて収入もあって……とにかく、素晴らしい、これぞという男が見つかるように夫探しを手伝え。

 それがお前に要求する責任だ」

「待てよ、なんだそれ!」


 僕の拒否の声など聞こえないとばかりに、エルヴィラは胸を反らした。

 にやりと笑い、そうだ、とひとり頷く。


「見つかるまでお前について歩くぞ。絶対に離れるものか。お前が嫌がろうと逃げようと、絶対に見つけ出してくっついて歩いてやる。悪魔(デヴィル)のように取り憑いてやるんだ。私に夫が見つからない限り、永遠にな!」

「そんな、むちゃくちゃなことを!」

「嫌ならとっとと探せ。私の眼鏡に叶う夫をな!」


 くくく、あはははと自分を見上げ、エルヴィラが哄笑する。


 どさくさに紛れて上げた夫の条件だってむちゃくちゃだ。お前は己を知っているのかと、突っ込まずにいられないものではないか。本気でそんな相手が見つかると思っているのか。馬鹿なのか。

 ほんとうに、僕はなぜこんな厄介な女に手を出してしまったのか。

 もし今、あの日のあの時あの場所に戻れるなら、断固止めろと、とにかくその場から逃げろと自分に忠告するのに。

 エルヴィラを凝視したまま、僕は過去の自分を呪う。

 これ以上ないほど真剣に呪ってしまう。

 あの場にいた中ではいちばん手間がかからなさそうに見えたのに、蓋を開けてみればこれだ。見るからに地味な(なり)でクソ真面目に騎士をやってるようだったのに、まさかこんなことで追い掛けてくるほどしつこいなんて思わなかった。


 こめかみを押さえて、どうしたものかと考える。


 二度あることは三度あるのだ。

 今回どうにかごまかして逃げても、こいつは絶対にまた追い縋って来る。このしつこさは間違いない。だったら、確実に遠ざけたほうがいい。つまり、とにかく最速でこの面倒な女に男をあてがうしかないということだ。

 手段を選ぶ余裕もないかもしれない。

 いや、間違いなく手段を選ぶ余裕はない。“惚れ薬(ラブ・ポーション)”も入手しておこう。


「わかった。しかたない、不本意だが手伝おう」

「おう。覚悟は決まったかクソ詩人」

「だけど、僕は好きにあちこち歩くからね。そこは譲れないよ」

「しかたない、そのくらいは呑んでやる」


 当たり前だ。そこまでは譲れない。譲れないが、これまで拒否されて、さらなる面倒とならなかったことには少しほっとする。




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