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また追いかけてきた

 “地母神の町”。

 大陸でいちばんの大地と豊穣の女神を祀る教会があり、巡礼者も多く訪れる町だ。作物の実りの他にも結婚と子作り、それに女性と子供を守護する女神でもあり、司祭や巡礼者には女性が多い。

 “大災害”以前には人の行き来も多く、北方地域の交易の要所でもあったが、荒地を越えて東にあった“嵐の国”が消え、街道も分断された結果、この町を通る隊商も減ってしまった。今ではすっかり落ちぶれて、以前とは比べるべくもない。



 * * *



 この“地母神の町”に来たら必ず立ち寄る食堂に、僕は早朝から並んでいた。


 この店特製の白ソーセージはいつ来ても大人気だ。きめ細かく挽いた肉はふんわりと柔らかく、混ぜこんだスパイスと香草のバランスも絶品と、言うことなしなのだから当然だ。

 そのうえ、作ったその日、それも太陽が天高く昇りきらないうちに食べてしまわないと、あっという間に傷んでしまう。それゆえ、店もあまり多くは作らない。

 結果として、朝の鐘が鳴るよりも早く来て並ばなくては食べることのできない、この町いちばんの名物料理となってしまったのだ。


 開店待ちのひとびとに混じり、雑談などをしながら店の入り口をちらちらと見やる。ようやく前掛けを着けた店の女将が出て扉の閂を取り払って「開店だよ!」とひと声掛けると、今か今かと待ちわびていた者たちがどっと殺到するのが恒例だ。

 もちろん、僕も遅れないようにさっと中へ入って席を確保した。


 開店からまだ間もないというのに、店の中はあっという間に人でいっぱいだ。このようすでは、外の順番待ちの列はまだ続いているのだろう。

 相変わらずの人気に、僕は首尾よく入れたことを幸運の女神に感謝して、白ビールと白ソーセージを注文した。

 白ビールはすぐに運ばれて来たが、これだけの人数だ、白ソーセージが出てくるまでしばらくかかるだろう。僕はテーブルの上に置かれた塩気の効いたパンを取って齧りつつ、白ビールをちびちびと飲みながら待つことにした。




 結構な時間を待たされ、ようやく湯気を上げる小さなポットが運ばれた。どん、と置かれたそれを覗くと、お湯に満たされた中には真っ白なソーセージが3本横たわっている。茹で上がったばかりの白ソーセージだ。冷めないうちに早く食べなければと、僕は卓上の壺からたっぷりのマスタードを取って皿へ移した。

 この特製の甘辛いマスタードは、少し淡白な白ソーセージの味をよく引き立ててくれるのだ。これ無しでは、白ソーセージの美味しさが半減してしまう。

 さあ、いよいよポットの中からソーセージを取り出そうとして……。


「ははは、ようやく見つけたぞ!」


 突然響き渡る聞き覚えのある声に、僕はがっくりと項垂れた。ちらりと目を向ければ、見覚えのある赤毛の、あの女騎士だった。

 びしりとまっすぐこちらを指差し、片手を腰に当てて高らかに笑っている。


「よくもこのエルヴィラ・カーリスを(たばか)ってくれたな、吟遊詩人ミーケル。首尾よく逃げおおせたとでも思ったのだろうが、その幸運もここまでだ!」


 このまま無視したらどこかへ消えてくれるだろうか。どかどかと靴音高く近づく女騎士(エルヴィラ)の気配に、僕は深く溜息を吐く。

 だが、無視すれば余計に面倒くさい未来が待っているだけだろう。

 せっかくの白ソーセージの前に、こいつの相手をしなければならないのかと考えて、僕はもう一度大きく溜息を吐いた。


「……君さ、帰ったんじゃなかったの」

「なぜ私が帰らねばならない。お前から受けた屈辱は、未だ晴らされてないんだぞ」

「君、自分の言ってる言葉の意味、ちゃんとわかってる?」

「ああ、ちゃんとわかってるとも!」


 胸を反らし、得意げな顔をするこいつは、ほんとうにわかっているのか。

 しかもなぜこのタイミングなんだ。来るなら来るで、食べ終わってからにしてくれればいいのに。

 太陽が昇りきる前の、しかも開店からすぐでないとあっという間に売り切れてしまう逸品ソーセージなんだぞ。

 いったい何の権利があって邪魔をするのだ。

 空気を読むくらいしろ。


 僕の内心を知ってか知らないでか、エルヴィラはふふんと笑う。その顔にイラっとして眉を顰め……ふと思いついて、僕はいつもの笑みを仮面のように貼り付けた。


「もういいよ。ちょっとこっちにおいで」

「なんだ?」

「仁王立ちしてたら店の迷惑になるだろう? とにかく、こっちに来て座りなよ」

「あ、ああ……」


 にこやかに手招くと、エルヴィラはたちまち怪訝そうな顔になった。いっちょまえに警戒しているらしい。

 だが、もういちど繰り返すとようやく周囲に目がいったのか、おとなしく横に来てちょこんと腰掛けた。やはり育ちはいいんだなと思う。


「それで、何だ」


 キッと睨みつけるエルヴィラに、僕の頬はぴくりと引き攣った。何だじゃない。しかも、なぜそうも偉そうなんだ。


「……冷める前に食べないともったいないんだよ。せっかくのおいしい、この“地母神の町”いちばんの白ソーセージなんだから」

「え?」


 にっこり微笑んでポットの中を指し示すと、エルヴィラは中を覗いてきょとんと白ソーセージを見つめる。それから、不思議そうにこれがどうしたんだという顔で僕を見上げ、小さく首を傾げた。僕はことさらに微笑んで、ソーセージを1本フォークですくい上げた。

 取り皿に置き、ゆっくりと皮に切れ目を入れる。いつものような輪切りはせずに、端を切り落として縦に軽くすっとナイフを入れ、皮を剥きやすくする。

 そのソーセージにフォークに突き刺すと、戸惑ったように見つめるエルヴィラの口元に、さあ、と突きつけた。


「こっちの端を咥えて。これ、皮を残して中身だけ食べるものなんだよ」

「そ、そうなのか」

「咥えたら、そのまま皮を剥がしながら、中身を吸い込むようにして食べるんだ」


 僕の指示に従って、エルヴィラは素直にソーセージの端にかぶりついた。そのままもごもごと口を動かしつつ、むうむうと唸りながらソーセージの皮を剥がし、ずずっと吸い込もうと格闘を始める。

 やはりこいつは育ちがいい。

 もう少しひとを疑うことを覚えたほうがいいんじゃないだろうか。


「反対側をちゃんと指で押さえていっきに吸い込むんだよ。白い中身をね」

「ん、んう」


 教えられたとおりに口とは反対側を押さえてさらに吸い込もうとするエルヴィラは、これはこれで、眼福なのかもしれない。

 ……なんて、品のないヒヒ爺みたいなことを考えながら、僕はソーセージと格闘するエルヴィラをにやにやと眺めた。


 なんたって、広げた大人の手の親指から小指までくらいの長さはあるし、太さだって人差し指と親指で作った輪っかくらいはある大きなソーセージなのだ。おまけに、皮は薄いくせに硬くて食いちぎりにくい。

 普通なら、ナイフでひと口大に輪切りにし、皮を剥いてひとつずつ食べるものなのだ。咥えて吸い込むように食べろと指示したのはもちろんわざとで、こうなることももちろんわかっていた。


 ……娼婦が男を誘うような食べ方で、存分に恥でもかいていろ。


 にやにやと笑みを浮かべたまま、僕は必死なエルヴィラをじっとりと眺める。いったいいつになったら気づくのか。


「は、む、ん、んんう」

「いっぺんに全部を口の中に入れるのは無理だね。慌てないで少しずつ食べるといいよ。このマスタードを付けてもおいしいんだ。しっかり味わって」


 親切ごかして皿に盛ったマスタードを差し出すと、エルヴィラはちらちらと皿を見た。やっぱりうまく食べきれず、口の端からソーセージをぶら下げたままだ。

 そのうち、ようやく他人の目に気づいたらしい。きょろりと周囲を見回して目を見開いた。自分の状況を理解したのか、急に焦りだしたと思ったら、無理やりソーセージを食いちぎってしまう。


「な、な、お前、お前……!」


 勢いよく振り返ったエルヴィラに、僕はとっておきの笑顔を作り、にっこりと微笑んでみせる。


「これで大人の食べ方を覚えたね。さ、口の中のものをちゃんと飲み込んで。そのまま話すのはお行儀が悪いよ?」

「む、むっ!」


 僕を罵倒しようと口を開きかけたエルヴィラの唇に、伸ばした人差し指をそっと押し当てる。もう片手に白ビールのマグを持ち、「飲み込むの、手伝ってあげようね」と中身を煽って……含んでいたビールをエルヴィラの喉へと口移しに流し込んだ。


「ん、ん、んんんんんん!?」


 唖然と目を丸くしたまま、混乱したエルヴィラはビールをごくりと飲み込んだ。

 呆けた顔で宙を見つめたまま固まる彼女を鼻で笑い飛ばすと、僕はさっさと残りのソーセージに取り掛かった。


 改めて食べてみれば、この店の白ソーセージはふわふわで、淡白な肉に香草もしっかりと効いてほんとうに美味しかった。マスタードとの相性もばっちりだし、こんな状況じゃなければ白ビールと一緒に心ゆくまでじっくりと味わっていたのに、この乱入者のせいでそんな暇もないなんて。

 ほんとうにいい加減にしてほしい。




 できるだけ急いで、けれどしっかりと味わって食べ終わったところで、僕は立ち上がる。その横では、未だ、身じろぎひとつせずぼんやりと座ったままのエルヴィラがいた。あの程度でここまでショックを受けるとか、どれだけ初心(うぶ)なのか。とうに成人している年齢だろうに。

 ま、今度こそ、ここでさようならだけど。

 僕はふっと笑って、彼女の頭にキスを落とした。


「じゃ、またね」


 さっさとこの町を出て、今度こそしっかりと行方を眩まそう。しばらくは目立たないように、足取りを掴ませないようにしなくては。

 いっそ、何年かは東方か南方の辺境でも回ろうか。


「……あっ、待て!」


 店を出てすぐのところでぐいと服を引っ張られ、たたらを踏んでしまう。

 振り向けば、一瞬早く我に返ったエルヴィラが追い縋り、がっちりと僕の上着を掴んでいた。思わずチッと舌打ちをして、それでも深呼吸をひとつすると、僕はもういちど笑顔を貼り付け、振り返った。


「もう用は済んだんじゃないの?」

「何も済んでないっ! しかも、今、舌打ちしただろう! その態度はなんだ!」

「あまり喧嘩腰になるのは良くないと思うよ?」


 唾を飛ばすほどの勢いで迫るエルヴィラに、僕は溜息を吐いた。もう少し急いで食べるべきだったろうか。

 がっちりと握り込んだ拳を見て、これはもうしかたがないなと思う。まあまあと宥めるつもりで手の甲を撫でたら、外されるとでも思ったのか、ますます力を込めて握り締めた。

 これは服に皺が残るだろうなと、僕はもうひとつ溜息を吐いた。


「なっ、こっ、この嘘吐き! 詐欺師!」

「心外だ」


 嘘吐きに詐欺師? と僕は心底驚いたという表情を作る。いつ、誰が誰に嘘を吐いたというのか。

 僕は蕩けるような表情を作って微笑みかける。


「人聞きが悪いこと言わないでよ。僕、何か君と約束とかしてたっけ? 何か嘘吐いたりしたかな?」


 エルヴィラは、ううっ、と呻き声を上げた。とたんに落ち着きなく目を泳がせ、もじもじと不安そうな表情を浮かべる。


「じゃあ、もういいよね?」

「あっ! だ、だめだ。やっぱりだめだ。お前には責任を取ってもらうんだ!」

「またそれ? 前にも聞いたよね。責任責任っていうけど、いったい僕にどうして欲しいのかって。君の言う責任取れって、どういうこと?」


 外そうとした拳に慌てて力を込めて、エルヴィラは僕を引き止める。だが、どうにも呆れ返ってじっと見つめていると、必死で目をぐるぐる回して「それは」と繰り返すばかりだった。

 埒があかない。


「それは?」

「これから、考える……」

「話にならないね」


 ほんとうに、まったく話にならない。



■白ビールと白ソーセージ


ドイツ南部の町ミュンヘン名物。

白ソーセージは焼いて食うのではない、茹でて食うのだ。

そして、なんだか甘いマスタードつけるものなんだ。


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