襲撃と王太子の依頼
襲撃はすぐに鎮圧された。
侵入こそ許してしまったが、公爵家の護衛兵はもともと優秀だ。混乱さえ治まってしまえば、たかが雑兵程度の賊に遅れを取ることはなかった。
エルヴィラの働きも、さすがカーリス家の騎士と言えるものだった。
アライトの助けがあったとはいえ、護衛兵が立て直すまで幾人もの賊を相手に一歩も引けを取らず、招待客たちを守って戦い通したのだ。
この場には上級貴族の夫人や子女も多かった。王弟や王太子のような王族もいる。賊の侵入だけでも大事なのに、万が一犠牲者など出してしまえば、公爵家の名誉は地に落ちる。さらには、その責任のとばっちりで僕やエルヴィラまでが言われ無き罪に……なんてことだってあり得るのだ。
それが、高貴な人々のやり方というものなのだから。
とはいえ、パニックさえ起きなければ、余計な被害を出さずに済むものだ。
もうひとりいた詩人も同じことを考えたようで、僕と彼はひたすら客を落ち着かせることに集中していた。落ち着け。慌てることはない。ここには十分な数の護衛がいるのだ。賊の凶刃が届くことはない――そう、言い聞かせるように。
* * *
「“魅了”の魔術を掛けられた者が数名いたらしいよ」
「賊の中に魔術師がいたってことか」
ようやくコトがおさまったあとも、僕とエルヴィラは足留めされていた。他の詩人や芸人たちもだろう。公爵家の評判を落とすような噂が出回ってはまずい。故に、僕らには個別に口止めがされるはずだ。
ついでに、あれこれ追加で調査もされるのだろう。
何しろ、魔術まで使っての襲撃だ。僕らの中に内通者がいるかもしれないと考えるのは、当然の流れだ。
「それに、アレ」
「うん」
僕は窓の外を示す。
屋敷の二階からは、海に張り出した高台の、崩れた王城跡がよく見えた。
その、王城跡から薄く立ち上ったひと筋の煙がたなびいている。あの騒ぎの最中、轟音と共に上がった煙である。原因はわからない。すぐに斥候兵やらが出て調べているだろうが、よくないものなことには間違いない。
「あの賊……考えるまでもなく、王太子殿下を狙っていたよね」
「あそこに何かあるのか?」
「さあ?」
僕は笑って肩を竦める。
はっきりとはしなくても、つい先頃話していた“三つ首竜”に関する何かであることは明白だ。なにしろ、ここは白金竜と三つ首竜が戦った伝説の地なのだから。
「あったとして、ありゃ、よくないほうに関わるなんかだな」
部屋に用意されていた菓子を囓りながら、リスのままのアライトがちらりと城跡に目をやった。
「いやーな雰囲気があるんだよ。あそこに、俺の第六感に訴えかけるようないやーな雰囲気がな。ま、鈍い人間にはわかんないだろうけど」
「――鈍くて悪かったな」
エルヴィラがじろりと睨むと、アライトは素早く菓子皿の影に身を隠す。
そこに、ようやく扉をノックする音が響いた。
エルヴィラはすばやく立ち上がり、護衛らしく座ったままの僕の後ろへと控える。アライトも袖の中へと姿を隠す。
「王太子殿下と、公爵閣下でございます」
侍従が開いた扉の向こうにいたのは、アルフォンソ王太子と公爵だった。後ろに控える騎士は、たしかこの王国一の騎士と名高いファビオ騎士団長か。
部屋へ踏み込むふたりに、僕は急いで立ち上がって深々と礼を送る。
「わざわざご足労戴くとは、いったいどのような御用向きでしょうか?」
僕を呼び出すのではなく訪れるとは、いったい何があったのか。
内心だけで訝しみながら、僕は疑問を口にする。後ろでは、エルヴィラも高貴な人々に対する騎士の礼を取っているようだ。
「楽にして構わない。顔を上げろ」
王太子の言葉で、僕とエルヴィラはゆっくりと顔を上げた。
侍従の引いた椅子に腰を落ち着けた王太子が促すのを待って、僕も腰を下ろす。
エルヴィラも驚きに目を瞠っている。用があるなら相手を呼び出すのが王族だ。自らがわざわざ足を運ぶことなどあり得ない。
「お前が吟遊詩人ミーケルだね。後ろが君の護衛騎士、エルヴィラか」
「はい、殿下」
僕は笑みを絶やさず、首肯する。
王太子は、どうやら僕ではなくエルヴィラに用があるらしい。
「率直に言おう。君の護衛騎士を借り受けたい」
「――理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ」
“護衛騎士”の手が借りたいというのは荒事に手を貸して欲しいということか。つまり、今日襲撃してきたものたちを粛正するのに手が足りないか……いや、それにしてはおかしい。
「少し長くなる。エルヴィラも座ってくれ」
促されて、エルヴィラも僕の横にゆっくりと腰を下ろす。
荒事の気配を感じてか、表情は固い。
「お前も詩人であるというなら、伝説は知っているな?」
「はい、もちろんです」
「今日の襲撃を起こしたのは、邪竜神の信徒どもだった。つまり、奴らの狙いは伝説に関わるものなのだよ」
王太子は苦々しげに語る。
邪竜神は“大災害”を境に大きく力を削られた神だ。
あの“大災害”で、竜はずいぶん数を減らしている。信者の数もずいぶんと減った。信仰の祈りが届かなくなったために、邪竜神は力を無くしたのだ。
邪竜神が往年の力を取り戻すためには、その名と偉大さをもう一度この世界中に響かせればいい。
そう考えた信徒どもが目をつけたのは、この町の伝説だった。
伝説で、三つ首竜は白金竜に討たれて滅んだとされている。しかし、滅んだのではなく単に封じられただけと語るものもいる。
信徒どもは、その封じられた説に賭けるつもりだ。
三つ首竜の封印を解き、彼らの奉ずる邪竜神の偉大なる力をこの世界に示し、権勢を取り戻そう。
「――などとの目論見から、封印があるとすればあの城跡だと考えたのだろうな。
白金竜の血筋である王族を贄として三つ首竜に捧げるのだと、まずは私をその最初のひとりにするのだと、生き残った襲撃者どもは嬉々として語っていたよ」
王太子はやれやれと肩を竦める。
少し考えただけでも杜撰に過ぎる計画なのに、信徒どもは邪竜神の加護を理由に遂行してしまった。
狂信者というのは、為政者にとって非常に厄介なものなのだ。
「とんだ与太話としか思えないが確認は必要だ。あの城跡に集まっている邪神の信徒どももどうにかしなければならない。信徒どもには騎士団が動くとしても、あの煙の元を確認するには中へ降りる必要がある。
邪竜神と三つ首竜が関わっている以上、万が一を想定するなら宝剣は必須だ。しかし、直系王族とはいえ王である父が出るわけにいかない。それは私の仕事だ」
「だから、エルヴィラの腕を借りたいというわけですか」
なるほどそれならわかる、と僕は頷いた。
宝剣を振るえるのはゴーティア王家直系のみ。たしかに第二王子もいるが、年齢的にはまだ若過ぎる。それに、噂が真実なら王太子ほどの腕はない。
エルヴィラが、ひとりで出されるのかとどこか不安げに僕を伺っている。僕の護衛騎士なのにまさか引き離すつもりか、とでも言いたげな顔だ。
「あそこで何が起きているかがわからないならば、備えは必要だ。
騎士団長であるファビオと魔術師長のフィデル、それと太陽と癒しの神の教会の高神官ルイスはすぐに決まった。あとは騎士から数人選ばねばならんが、正直を言えば、エルヴィラほどの腕を持つ者と限ると数が足りない」
――考えようによっては、この依頼は大きなチャンスだ。
そう考え込む僕を見て、エルヴィラは口をへの字に曲げる。
「ひとつ、条件があります」
「ほう、条件とは? 報酬なら弾むが?」
「いえ、報酬ではなく、殿下のご依頼を受けるための条件です」
王太子の眉が跳ね上がった。まさか、王族からの要請に条件を出されるとは思っていなかったらしい。
「その条件とやらを言ってみろ」
「僕も共に行くことをお許し戴きたい」
「――ミケ!?」
「どこに行くかわかって言ってるのか?」
エルヴィラが素っ頓狂な声を上げて、王太子は訝しむような表情になった。
慌てて縋るエルヴィラを宥めて、僕は「もちろん」と首肯した。
あの城に眠るかもしれない何かとゴーティア王家の宝剣を目にできるチャンスなんて、そうそう無いのだ。逃せるわけがない。
「殿下は私を何だとお思いですか? それに」
僕は袖口に手を突っ込んだ。逃げだそうとするアライトをむんずと掴んで引っ張り出すと、王太子に突きつけるように卓上に置く。
「僕が行けば、もれなく彼も付いてきますよ」
「なんで俺も!?」
「――これは?」
どこから見てもただのリスであるアライトへ、王太子が胡乱げに視線を落とす。
アライトはどうしたものかとしばし逡巡を見せたあと、リスのままへらりと笑ってお辞儀をした。
「こいつは竜なんですよ、殿下」
「竜?」
「はい。青銅竜のアライトです」
僕の言葉に、王太子も騎士団長も公爵もますます胡乱げにアライトを見つめた。
* * *
話はすぐにまとまった。
青銅竜も伴うとなれば、非常に心強いというわけだ。
僕らはこのまま、城跡を片付ける日まで公爵家に留まることも決まった。
「なあ、ミケ。ほんとうに行くのか?」
僕の上衣の裾を引いて、エルヴィラが未だ不安そうに尋ねる。
「行くよ。僕は詩人だよ? 伝説を目の当たりにできるかもしれないチャンスなのに、見逃すわけないだろう?」
「でも、何があるかわからないんだぞ」
僕が危険な目に遭うのは怖いと、エルヴィラは困ったように言う。
危険はもちろん承知だ。あそこが実は空っぽなのだとしても、邪竜神の信徒が集まってよからぬ企みをしていることに変わりはない。たしかに、冒険者でもないのに進んで荒事の中心に身を投じるのはいかがなものかとは思うが、これを逃せば伝説を目にするチャンスが消えてしまうのだ。
じっと上目遣いに伺うエルヴィラに、僕はくすりと笑ってみせる。
「君が護ってくれるんだろう?」
上着を掴む手を取って、エルヴィラをそっと引き寄せる。
「君は僕の護衛騎士じゃないか」
「そう、だけど……」
抵抗することなく、エルヴィラは素直に抱き寄せられる。
「たとえ何があっても君が護ってくれるんだろう? なら、問題はないよ」
エルヴィラはこくりと頷くと、ぎゅうっと抱き付いた。
「じゃあこの話はこれで終わりだよ」
「でも、ミケが危ない目に遭うのは嫌なんだ」
「君がいれば大丈夫だって、君がいつも言ってることじゃないか」
「だって」
やっぱり不安が消えないエルヴィラを、ごまかすように僕はキスをする。
「心配はいらない。前に言わなかった? 僕の家系は強運なんだ。だから大丈夫」
「――うん」
どうにも納得し難いと眉を寄せるエルヴィラに、僕はもう一度深くキスをした。深く深く、この話はここで終わりだと告げる代わりに。
置いてきぼりのアライトが、「俺、外見てくるな」と小さく言い残して窓からそっと抜け出したけれど、僕もエルヴィラも気付いてはいなかった。
 





