責任ってなんのことだ
豊かな岩塩鉱山の生み出す収入に支えられた“岩塩の町”。
岩塩商人や、わざわざこの町の上質の岩塩を欲した領主の使いなどが多く訪れるため、年を通して賑わっている豊かな町だ。
人の行き来も多く、北方で産出される物品の多くはいったんこの町に集まることから、北の要所とされる町でもあった。
* * *
都……“深淵の都”を出てからまっすぐこの町を目指した訳ではない。あちこち気分に任せてフラフラと立ち寄り、気づいたらこんな北まで来ていた。
この町の名物の“ノッケルン”は、そういえばまだ食べてなかったなと思い出したから、この町に立ち寄ったのだ。
“ノッケルン”とは、町の北側に横たわる岩塩鉱山を含む山々を模した形に整え焼き上げた巨大なスフレ料理だ。
毎回、そのひと皿のあまりの大きさに、どうしようかと考えては結局やめてしまうのを繰り返していたが、とうとう今回こそはと試すことにしたのだ。
お腹も空いてるし、量があってもなんとかなるかなと。
実際、大人の頭ほどもある大きさの深皿にこんもりと盛り上げられたスフレはふわふわで、混ぜられたクリームとのバランスもいい。添えられたベリーのソースの酸味はスフレの甘さを引き立たせつつもしつこさを取り除いてくれる。
これなら、ひとりでも……。
「うん、やっぱり無理だったな」
僕はあははと笑いながらスプーンを置いた。
3分の1を食べたところで、さすがに飽きて進まなくなってきたのだ。心もち胸やけも感じるから、やはり、このサイズのスフレをひとりで食べようというのは無理だと、改めて実感した。
注文を受けた給仕の「正気か?」と問うような視線を思い出しつつ、僕は残ったスフレをスプーンでつつき回す。
「でも、残すのはちょっと抵抗あるんだよなあ」
飽きたとは言っても、おいしいことに変わりはないのだ。
おいしいものを残すのは僕の主義ではない。だけど、冷えたらますます食は進まなくなるし、いったいどうしたものか。
「ようやく見つけたぞ」
悶々と悩んでいると、突然背後から声がかかって肩を掴まれた。
振り返ると、どこかで見たことがあるようなないような、そんな赤毛の女がくわっと眉を吊り上げて僕を睨んでいた。
鮮やかなオレンジ色のボサボサ髪をひとつにまとめ、くたびれた騎士服に剣を佩いた姿だ。少々薄汚れているのは結構な距離を旅してきたということか。しかも、この町に着いたばかりで身なりも整えることなくここへ現れたということなのか。
誰だこいつ。
少し考えてみたけれど、まったく思い出せない。
この町に来てからまだ女の子には声をかけていない。
ここひと月くらい、赤毛の女の子に声を掛けた覚えもない。
いちど寝た相手の顔くらいは覚えているが、彼女の顔に覚えはない。
つまり、心当たりはない。
「……ええと、君は?」
「お前が私にしでかしたことを忘れたのか」
しでかした、と言われても、やはり思い出せなかった。
こんな女の子を振った覚えもない。
額にくっきり青筋を立てる彼女は、相当怒っているのだろう。だが思い出せないものは思いだせないのだからしかたがない。
「ああ……ええと、どこの町でだっけ?」
「き、貴様……貴様というやつは……お前のせいで私は姫の護衛の任を解かれ、世間からは純潔を疑われ、父上には勘当されたというのに……貴様、よもや私を忘れたとでも言うのかっ!?」
純潔を疑われだの勘当だのと、何やら物騒な単語が並んだことに、ああ、これ面倒臭い奴だと気づく。しまったな、どこでこれに手を出してしまったんだろうか。「たいへんだったね?」と曖昧に笑って誤魔化そうとしても、やっぱり駄目だった。
女騎士はぱくぱくと喘ぐように口を動かして、怒り心頭という表情だ。
「……責任を、取れ」
「は?」
責任と言われても、何のことだか覚えてないのに困る。
僕は目を瞠り、女騎士を凝視する。
何の責任だ。僕がいったい何をしたというのか。そんな訳の分からないもの取るわけあるか。
だが、嫌だと言っても逃がさないと全身で訴えつつギラギラ睨みつける女騎士が、僕をがっちりと掴んでいる。
……これは、どこかで引っ掛けた女の子が、思い余って追いかけて来たというパターンだろうか。
「責任って? 何の?」
この場をどうやってごまかそうかと考えつつ視線を彷徨わせて、ふとテーブルの上で目が止まった。そこには、まだ半分以上残ったままの“ノッケルン”があった。
「お前に拒否権はない。つべこべ言わず責任を取……む!?」
このままこの女騎士の言葉を聞いていても、いいことはないだろう。
だから、スプーンでスフレを掬い、女騎士の口に突っ込んだ。突っ込まれて素直にむぐむぐと食べるようすは、意外にも小動物か何かのようだった。
「今、夕食どきでしょ? お腹が空いてると怒りっぽくなるっていうしね。一緒にこれ食べて落ち着こうか」
「ん、なっ」
にっこり笑って囁くと、女騎士は目を白黒させながら動揺を見せた。言動はアレだが、見た目は悪くない。僕はそれなら、と考える。
「この町の名物料理だっていうんだけど、ひとりで食べる量じゃなくてね。少し飽きてきたところだったんだ。ちょうどよかったよ」
「きさ、貴様っ、わっ、私を……むぐっ!!」
「もうひと口どうぞ。あと、座って?」
口の中のものを飲み下した女騎士がまた騒ぎ出す前に、次のスフレを突っ込んだ。これはこれで楽しいものだ。僕に腕を引かれて素直に腰を下ろすところを見れば、たぶん育ちも悪くない。
しかし、僕はいったいどこで彼女を引っ掛けたのか。
相変わらず思いだせない。
「さ、どんどん食べて」
思いだせないなら仕方ない。
このままスフレを片付けるついでに煙に巻いてしまえばいいと、座った女騎士の腰をがっちり抑え、次々とスプーンを口に運ぶ。
少し目を潤ませて、それでも食べさせられるがまま、むぐむぐ必死に口を動かす女騎士はなかなかかわいいかもしれない。次に口を開くタイミングを狙ってスプーンを構えていると、さすがにこのままでは埒があかないと感じたのか、女騎士はスプーンをぐいと押しやった。
「も、も、やめ……」
「んん? でももうちょっと食べておこうか。君、少し痩せてるみたいだしね」
僕は少し声を低く抑え、彼女の耳元に囁いた。するりと身体に沿って撫でおろすと、よく鍛えた筋肉と、あばらのあたりに骨を感じる。あまり旅慣れたようすもないところを見ると、ここまで無理をしてきたのかもしれない。
旅の基本は体力だというのに。
それにしても、最初の勢いはどこへやら。僕の反応は彼女の予想外だったのかもしれないが、とたんにおろおろと狼狽え始めるようすは本当に小動物のようだ。スプーンにスフレを乗せたまま見ていたら、僕を伺ってはびくびく身体を震わせている。
勇ましい女騎士かと思えば初心さ丸出しに小リスのように怯えているという、このギャップは案外いいものかもしれない。
「君、なんだか小動物みたいだね」
くすくす笑いながら額を軽く啄んでやると、また目を潤ませてびくりと震えるのだ。楽しいじゃないか。
「やだなあ、そんな風にそんな目で見られたら食べたくなっちゃうじゃないか」
「たっ……食べるって……ひっ」
女騎士は腰が引けたのか、とっさに後ろに下がろうとする。その腰に回した腕に力を込めてぐいと僕ののほうへと引き寄せた。
本題がわからないまま逃げられて、後々のトラブルとなっても仕方ない。
僕はとっておきの微笑みを顔に張り付ける。
「ところで、話の続き」
スプーンを置いて額を合わせると、女騎士はますます狼狽えて視線を彷徨わせた。
こういう対応には慣れていないのだろう。
僕は小さく首を傾げ、声にわずかに力を乗せる。他人を魅了し、説得し、動かすための詩人の能力だ。
「……責任って、いったい何のことかな?」
「ほっ、ほんとうに覚えてないのか? 私を、私を嫁に行けない身体にしたくせに、覚えてないのか!」
嫁に行けない。
思わず、けれどわずかに瞠目して、それから、ああなるほど、と心中で頷く。
やっぱりそれか。
覚えてはいないが、どうやら彼女は遊び慣れていない初物だったというのに、僕はうっかり手を付けてしまったということか。
それで思い余った彼女が、ここまで追いかけてきたということなのか。
「なあんだ。そういうことか」
「な、な、なんだって、そういうって」
見たところ貴族の令嬢ではないだろう。純潔がどうのという平民は今時珍しいものだけど、彼女の家はそうでもなかったということか。
これまでも、面倒くさいのにうっかり手を出してしまい、追いかけられたことなら何度かあった。なるべくそういうのは避けていたはずなのに失敗した。
けれど、それはそれ、これはこれだ。せっかく追いかけてきてくれたんだし、思い出のひとつでも作ってあげるべきだろう。
「やだなあ。そうならそうと、早く言えばいいのに。それでわざわざここまで追いかけて来てくれたんだ?」
くすくす笑いながらキスしそうなくらいに顔を近づける。鼻がぶつかり息がかかる距離にまで迫られた女騎士は、おろおろと目を泳がせる。
「と、とにかく、責任を……」
うまく言葉の出てこない彼女にまたにっこりと笑いかけ、僕はキスしてしまいそうなほどの近さから囁いた。
「どう、取ってほしいの?」
「ど、どうって」
普段は勇ましく剣を振るってはいても、この手のことには本気で慣れていないのだろう。口ごもる女騎士に、僕はどう持ち掛けようかと考える。
「どうやら話し合いが必要なんじゃないかと思うけど?」
「は、話し合い?」
「そう、話し合い。よーく話し合わないと、お互い何をどうするか決めるのに、理解を深めないとね?」
「っひゃ!」
ほとんど抱き合うような体勢で囁いて、ふっと耳に息を掛ける。腰に回した手で尻のあたりを確かめれば、意外に張りもあって肉付きもよさそうだった。鍛えている女の腰はしっかり肉が付いていて、それでいて引き締まっている。なかなかに期待できるものなのだ。
「どうしたの?」
「ど、どうしたって……」
「だからとりあえず、話し合い、しようか?」
そう言って立ち上がると、女騎士も慌てて立ち上がった。その腰に手を回し、抱き寄せて歩き出す。
「ど、どこへ行くんだ」
「話し合いのできるところに……さあ」
身体を引き寄せ、促すように背を押して、僕らはこの食堂の2階、つまり今夜押さえておいた宿の1室へと向かった。
■ノッケルン
オーストリアのザルツブルク名物ザルツブルガー・ノッケルン。
本文のとおりのスフレ。山のようなスフレ。
本当にアルプスを模しているさすがのでかさ。
バニラきいてるしベリーのソースを甘酸っぱいし基本的に美味い。
だが多すぎる。ふたりでも完食できず敗北。