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ふたりとも思い違いをするな

 巣があるという海岸の岩場は、すぐに見当がついた。

 なぜなら、潮風に乗ってエルヴィラの罵倒らしき声が聞こえてきたからだ。

 何を言っているかまではわからない。けれど、あの“水辺の魔女(ローレライ)”の時よりも数段酷い内容なのは、声の調子から伺えた。


「やっぱりか……」


 近づけば近づくほどはっきり聞こえてくるのは、死ねだのクソだの、おおよそ女が口にするのは憚るような、下級兵士や裏通りのゴロツキが口にするような言葉ばかりで……僕はどうしてエルヴィラなんかを迎えに来たのかと、遥か海の向こうへと視線を飛ばす。

 太陽はそろそろ海の向こうへ沈むころだ。




「このエルヴィラ・カーリスを舐めるのもたいがいにしろ、クソ竜」


 岩場の影に隠れるようにぽっかりと開いていた洞穴からは、エルヴィラの声がはっきりと聞こえた。


「私がこのまま唯唯諾々と貴様に従うとでも考えているのか。その頭に詰まっているのはどうやら腐った海藻ばかりらしいな」

「そんな生意気を言えるのも今のうちだけだ。どうせ三日もすれば、泣いて俺に頭を下げるんだからな」

「とうとう下衆の馬脚を現したな、クソ竜。己の為していることがそこらの山賊となんら変わらんことに気づかぬとは、貴様の程度もたかが知れている。

 これが誇り高き竜族などとは片腹痛いわ」


 煽っている。

 これ以上ないくらい煽っているし、そのまま“竜の息(ドラゴンブレス)”に焼かれたところで不思議じゃないほどに挑発もしている。

 幸運だったのは、相手が暴君と名高い赤竜ではなく、正義感が強いと言われる青銅竜だったことか。

 アライトが善なる竜族でよかった……いや、エルヴィラの罵倒も暴言も取り合わず、柳に風と流してくれるような竜でよかったと言うべきか。


「ああ、ようやく来たようだ。結構遅かったな」

「だから言ったろう。ミケが私を見捨てるような真似などしないと」


 僕が姿を現すより早く、アライトが僕のいる場所へと頭を向ける。

 一拍遅れて、エルヴィラもうれしそうに僕を振り向いた。


 おそらくは、アライトの寝床……つまり、どこから奪い取ってきたのかよくわからない金貨やら魔道具やら宝石やらという、彼の全財産である宝の山の上の、人間をひとり納めておくのにちょうどいい大きさの鳥籠の中に、エルヴィラは閉じ込められていた。


「どうやら、お待たせしたようだね」

「ミケ!」


 岩陰から姿を現して、僕はことさらに優雅に、まるで王侯貴族にでもするかのように一礼する。舞台に上がった吟遊詩人に相応しい笑みを顔に貼り付けて。

 籠の格子をがたつかせながらエルヴィラが、それ見ろとアライトに勝ち誇った笑みを向けて僕を呼んだ。

 ――なぜ、エルヴィラは僕が来ると当然のように信じていられたのか。

 決していい扱いをしていたわけでもないのに。


「竜がそこまでせっかちだなんて思ってなかったものだから、失礼が無いよう、念入りに支度を整えていたんだよ」

「待っていたのは俺じゃない。エルヴィラが待たされたと言ってるんだ」

「そうかな?」


 アライトは目を細めて口の端を上げる。

 にやにやと笑う竜に、僕は貼り付けたままの微笑みを返した。


「エルヴィラが、待ちくたびれたなんて言うわけないと思うのだけど?」

「おう、待ちくたびれてなんかないぞ。ミケは絶対来るに決まってたからな」


 檻の中でふんぞり返るエルヴィラは、いつものエルヴィラだ。

 どう転んでも“囚われの姫君”なんてものにはなりえない姿に、僕は小さく溜息を吐いた。どちらかと言えば、どじを踏んで捕まった盗賊の頭か何かのようだ。


 ともかく、交渉は既に始まっている。

 どうすれば僕に有利な条件を引き出せるか――エルヴィラをあの檻の中から解放できれば、こちらにもチャンスはあるはずだ。


(アライト)。僕をここに呼び出して、いったい何が目的だ?」

「そりゃもちろん決まってる」


 アライトの口の中で、パチパチと小さな火花が弾けた。

 青銅色の竜は口から雷撃を吐く。

 雷撃を吐く竜は皆独特の刺激臭を纏っているものだというが、この薄暗い洞穴の中にじわじわと広がっているのは、その臭いだろう。


「あんたを倒してエルヴィラを手に入れるんだよ」

「そんなことじゃないかと思っていたよ」

「エルヴィラから素直に手を引くって言うなら、このまま無事に帰してやろう。俺は約束を守る竜だから信用していいぞ」


 アライトは首をもたげ、にいっと笑った。

 すでに戦う気満々といったところか。なるべく話を引き延ばして――


「なるほどねえ……その場合、エルヴィラはどうなるのかな?」

「もちろん、俺のものとしてここに残るんだ」

俺のもの(・・・・)、か。ふうん」


 アライトの口ぶりは、やはり“この気に入ったおもちゃを置いていけ”だ。

 とりあえずのところは、いきなり襲いかかったりするつもりなどもないようだ。青銅竜は公正さに重きを置く性向が強いというのは、たしかに本当なのだろう。こうして僕と言葉を交わしているところからも、それは伺える。

 この間にエルヴィラがあの檻からどうにか抜けられるだろうか。

 ちらりと確かめると、いつの間にか口を噤んでおとなしくなっていたエルヴィラは、渋面で腕を組み、仁王立ちになっていた。


「ふたりとも、待て」


 改まった口調で、いきなりエルヴィラが制止の言葉を放った。

 僕もアライトも、いったい何だと怪訝な顔でエルヴィラに注目する。


「ミケもクソ竜も、何か思い違いをしているようだな」

「は?」


 尊大に顎を反らしたエルヴィラが、にやりと笑った。


「なぜふたりが勝手に私の処遇を決めようとするのだ」

「エルヴィラ?」

「君、何言い出してるの」

「何を言うはこっちの台詞だぞ」


 誰のために僕が苦労してるんだ。そう言い返そうとする僕に、エルヴィラはふふんと鼻を鳴らし、畳み掛けるように言葉を続けた。


「決闘すべきは、私とそのクソ竜だろう。私の主は私ただひとりで、ミケは私を支配する主ではない。

 ならば、私を賭けて戦うのは私以外あるまい。そんなこともわからんのか」


 いったい何を言い出すのか。僕はぽかんとエルヴィラを凝視する。

 それはアライトも同じだったようで、大きく目を見開いたままじっとエルヴィラを見つめていた。

 だいたい、今話していたのは、そんなことだったろうか


「エルヴィラ、君、今、自分が何言ってるか、わかってる?」

「わかっているとも」


 念のために聞き返すと、エルヴィラはくっくっくと笑いながら頷いた。


「いちど、竜と一騎打ちをしてみたかったんだ。この戦いに勝てば、兄上はもちろん、爺様の墓前にだって自慢できるぞ」

「――つまり、その決闘であんたが負けたら、この兄さんを捨てて素直に俺のものになるってことでいいんだな?」


 馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど、ここまで馬鹿だとは思わなかった。竜に正面から一騎打ちを申し込むなんて、正気の沙汰じゃない。

 すうっと目を細めるアライトに、エルヴィラはにっこりと艶やかに微笑んだ。戦神に仕える戦乙女というのは、きっとこんな風に微笑むのだろう。


「戦神の猛き御名と天高く輝ける太陽、そして吟遊詩人のリュートに掛けて、このエルヴィラ・カーリスに二言はない。まんがいち私が負けた時は素直にお前に従ってやろうじゃないか、クソ竜」


 びしりと指を突きつけて、エルヴィラは言い放つ。きっと、負けることなんて欠片も考えていないのだ。

 僕は思い切り溜息を吐いた。この顔のエルヴィラは絶対に引かない。

 しかも、既に勝ったつもりでいる。間違いない。


「ミケが立会人だ。いいかミケ、吟遊詩人としてこの決闘をしっかりと見届けるんだぞ。私がかっこよく勝つから、ちゃんと歌にして広めてくれよ」

「ああもう」


 これは勝ちどころか、既に竜殺しの英雄にでもなったつもりでいる。


「仕方ない。立場が逆だけど、もうそれでいいよ――アライトは構わないか?」

「ああ、エルヴィラがそれで納得するというなら構わない」


 浮かぶのは苦笑ばかりだ。

 エルヴィラにとって、自分の運命を自分自身が切り拓くのは当たり前のことなんだろう。自分のことを他人任せにするなんて言語道断だとでも考えているのだ。

 なら、僕がエルヴィラのためにお膳立てしてやろうじゃないか。


 アライトが首肯するのを確認して、僕は大きく息を吸い込んだ。

 こうなった以上、僕にできるのは、“古の約定”に従ってエルヴィラの勝利が見込める条件を定めることだけだ。


「――それでは青銅竜アライト。騎士エルヴィラ・カーリス。まずは“(いにしえ)約定(やくじょう)”に従い、決闘の条件を定める」


 エルヴィラは何のことだという顔で首を傾げるだけだったが、アライトはさすがに“古の約定”を知っているようだった。

 竜にとっても神話となるような古い古い時代に、すべての竜の始祖ともいえるはじまりの竜に定められた約定だ。

 血の気の多い竜たちの殺し合いを防ぐため、それから、単純に種族と年齢だけで決まるほどの力量差がある、年長の竜の横暴に抗う手段とするため……そんな理由から定められた決まりが、“古の約定”なのだ。


 だから、この約定を盾に取れれば、エルヴィラに有利な条件で戦うことだって可能だ。


「ひとつめ。武器はおのおのふたつまで。エルヴィラは長剣と短剣、アライトは牙と爪だ、いいな?」


 エルヴィラとアライトが頷いた。


「戦いの場はここ、つまり地上とする。魔法の使用は不可だ」


 アライトをそっと伺うと、不満を示すようすはなかった。

 竜であることの利点は、陸上や空のみならず、水中すらも自在に泳ぎ回って、どんな地形でも味方につけられることだ。しかもここはアライトのよく知るアライトの巣穴で、地の利はどう考えても向こうにある。

 それに、年経た竜は強靱な身体だけでなく、魔法すら使いこなす。アライトの年齢の竜がどのくらい魔法を使えるかはわからないが、まったく使えないことはないだろう。


 ――竜は、だから、地上最強であり、“竜殺し(ドラゴンスレイヤー)”と呼ばれる者が英雄として持て囃されるのだ。


 せめて武器と戦場を限定できれば、尾や翼の一撃や吐息(ブレス)、そして空からの突撃を警戒する必要はなくなる。

 エルヴィラの勝率だって上がる。

 アライトがそんなことまで考えないのは、人間の女で小柄なエルヴィラを相手に、自分が遅れをとることはないという自信故だ。

 その自信が裏目に出てくれればいい。


「ふたつめ。勝負はどちらかが負けを認めるか、三度地に臥すまでだ。

 みっつめ。敗者は勝者の命に従うこと」


 アライトとエルヴィラが、互いを伺い睨み合う。

 種族はまったく違うのに、どうしてこう、同じような表情なのか。


「この条件に異議はないか。異議なくば、従うと誓いを立てよ」

「それで構わない。俺の牙と鱗と名誉に掛けて、条件と結果に従うと誓う」

「戦神の猛き御名と天高く輝ける太陽、吟遊詩人のリュートにかけて、エルヴィラ・カーリスもこの決闘を結果も含めすべてを受け入れると誓おう」

「ならば、この身に流れる血とリュートに掛けて、吟遊詩人ミーケルがこの決闘の公正な立会人となる。

 ――エルヴィラ、君の武具は持ってきてあるよ。準備をしておいで。アライト、構わないだろう?」

「もちろんだ。せいぜいしっかり準備を整えるといい」


 エルヴィラとアライトが視線を合わせる。

 あくまでも余裕な態度を崩さず、アライトは頷いた。

 エルヴィラの目は、真っ青な焔でも点ったかのように爛々と輝いていた。




 エルヴィラの準備はすぐに終わった。愛用の大剣をぶんぶんと数度振り、腰に佩いた短剣の具合を確かめて「できたぞ」と不敵に笑う。

 エルヴィラとアライトが位置に付き、身構えるのを待って、僕は合図をする。


「――はじめ!」


 びりびりとあたりを震わすほどの咆哮をあげるアライトに、エルヴィラは高笑いとともにびしりと大剣の(きっさき)をを突きつけた。


「クソ竜め、その高慢な鼻っ柱をへし折って人間の偉大さを思い知らせてやるわ! 後になって吠え面かくなよ!」

「あんたのような女を力ずくで従わせるのも、おもしろいってもんだ。絶対に負かしてひいひい泣かせてやるからな!」


 どうでもいいけど、エルヴィラはやっぱり産まれてくる性別を間違えたんじゃないだろうか。カーリス家は、子供の教育にもう少し性別という概念を加えたほうがいいんじゃないだろうか。


※アライトさんは雷を吐く竜なのでオゾン臭いです

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