ちょっと待った
エルヴィラの言うとおり、男の何気ない身のこなしを見るに、戦いを生業にしている者だとは僕にもすぐにわかった。
エルヴィラの拳に耐えたのも、とっさに急所を外したからだろう。
「出たな変態め!」
「へんた……」
「貴様など呼んでない。帰れ。今すぐ消えろ!」
近づくなりのエルヴィラの言葉に目を丸くして、アライトは両手をあげた。
そんなに挑発していいのかとすら考えてしまうほど、エルヴィラは声を荒げて暴言を吐き続ける。
「なんて酷い言い草だ」
「帰れ! せっかくミケとデートなんだ、邪魔するな変態!」
エルヴィラはフーッと毛を逆立てた猫のように威嚇する。しかし、効果はまったくないようだ。
アライトはエルヴィラの様子をおもしろそうに笑って、僕へと視線を移した。
「なあヒョロい兄さん」
呼びかけられて、僕はアライトに視線を合わせた。
明らかに煽るような声音に、僕は口の片端だけを上げて「ん?」と返す。
「この子はこう言ってるんだけど、兄さんはどうなの?」
「そういうことになってるね」
にやにやと笑うアライトに、僕もにっこりと笑って答えた。
エルヴィラは一瞬だけ眉を寄せたけれど、そのまま成り行きを見守るつもりなのか、口を噤んで睨んでいるだけだ。
「なあ兄さん。ものは相談だけど、俺と交代してくれない?」
「交代?」
何の交代かなんて野暮なことは訊かず、僕はただ目を丸くして驚いてみせる。
「ああ、交代だ。俺、そいつが欲しいんだよね」
エルヴィラが僕にしがみついた。
絶対離れないという意思を込めてなのか、力いっぱいにだ。
相変わらず加減を知らない馬鹿力に、窒息したらどうしてくれるんだなんてことをちらりと考えた。
「俺、どうしても欲しくてさ。俺のものにしたいんだ」
「その“欲しい”とか“俺のものに”とか、どういう意味かを訊いてもいいかな?」
まるで、「お前の金貨を寄越せ」とでも言い募るかのような言葉が、どうにも引っかかる。それは、かつてのオットーのように、エルヴィラを意思など持たないモノとして扱う言葉だ。
わざとなのか何なのか、アライトはそんなことを欠片も気にしちゃいない。
もしかして無意識になのか。
「言葉どおりだ。彼女があんたのものだって言うなら、力ずくで奪うのもやぶさかじゃないくらいにはね」
「へえ――力ずく? ずいぶん自信があるんだ?」
思わず低く返す僕を、エルヴィラが不安げに見上げた。
そもそも、このエルヴィラが力ずくなんかで奪われるようなタマか。その程度も見極められないのか。
「無けりゃこんなこと言うわけがない」
「君、相当な自信家なんだ?」
「当たり前だ」
エルヴィラが僕とアライトを交互に見て眉根をじわじわと寄せて行く。
眉間の皺がくっきりと形を成す。
「――まて、ふたりとも」
しがみつくのをやめて、エルヴィラがずいと一歩踏み出した。
とうとう我慢できなくなったらしく、思い切り顰め面になったままのエルヴィラは、「ひとつ確認したい」とアライトに向かう。
「変態、お前が私を欲しいというのは、つまりトロフィーか何かのような意味なのか? それとも、私という人間の心を自分に向けたいという意味か」
どうやら、エルヴィラはアライトの目的を結構正確に把握していたらしい。だからこその“変態”呼ばわりか。
エルヴィラの言葉に、アライトは眉を上げた。
「ずいぶんと率直な物言いだな。さすがというか――」
アライトが笑いながらわずかに首を傾げた。
エルヴィラを推し量ろうとしているようにだ。
「その両方だって言ったらどうする?」
アライトがにいっと笑う。
その笑い方が、どうにも人間らしくない表情だと感じられた。
「決まっている。どちらもお断りだ。ありえん!」
エルヴィラは思い切り鼻を鳴らす。
年頃の女がやるようなものではない……と思ったが、まあ、憤慨するエルヴィラの気持ちもわからないではない。
「私は景品などではないし、力ずくでどうにかなるほど心が弱くもないぞ」
やれるものならやってみろ。
エルヴィラは、そう言い放つと笑って背を反らした。けれどもちろん、アライトに動じたようすはない。それどころか、ますます楽しそうに目を細める。
そんなアライトの表情が人間らしくなくて、やはり僕の何かに引っ掛かる。
「ほう?」
「何だ?」
「ほんとうに、お前自身はお前の言うような者なのか? お前には、何があっても絶対に揺るがない自信があるって?」
アライトの声の調子が変わった。
エルヴィラが不審げな表情になって一歩下がる。
くくっと笑うアライトに、まずい、と思う。さらに一歩踏み出したアライトが、エルヴィラに向かって手を伸ばした。
その姿が、ふっと歪む。
「エルヴィラ・カーリス、確かめてみようか」
「エルヴィラ!」
掬い上げられて宙に浮いたエルヴィラを掴んでいるのは、さっきまで人間の姿をしていたはずのアライトだった。
「竜、だとっ!?」
エルヴィラは驚きに声をあげたものの、すぐに逃れようと身体を捩らせた。
しかし、竜の前足にがっちりと捕らえているのでは、さすがのエルヴィラにも振りほどけない。
「ふざけるな――このクソ竜! 離せ! 離せったら離せ!」
唖然とする僕の前で、エルヴィラは怒鳴り散らしながら竜の腕を殴りつける。
しかし青銅色の竜アライトはまったく頓着することなく、ばさりと翼をはばたかせ、そのままふわりと舞い上がる。
「あ、おい、待て!」
「吟遊詩人ミーケル、俺の巣で待ってるぞ!」
慌てて手を伸ばす僕に、竜は笑い声だけを残して瞬く間に飛び去ってしまった。
「……巣で待ってるって、その巣はどこにあるって言うんだよ」
勝手なことを言いやがって、あの竜は何を考えているのか。
青銅竜は公正さや正義感で知られた竜族じゃなかったのか。同意もなく人間をさらう竜の、何が公正と正義なのか。
だいたい、エルヴィラをさらおうなんて趣味も悪い。
「そもそも、なんで僕が助けに行かなきゃならないんだ?」
アライト個体の性格は横に置いておくとして、青銅竜ならそうそう酷い扱いはしないだろう。いちおう善なる竜なのだから、他の生き物を意味なく痛めつけたりはしないはずだ。
それに、人間と結婚する竜だっている。
アライトも、エルヴィラが欲しいと言ったじゃないか。
竜は宝をため込むことでも有名だし、青銅竜なら伴侶は大事にするはずで、夫として考えても種族差以外にたいした問題はないんじゃないだろうか。
そこまで考えて、けれど、と思う。
少なくともエルヴィラに同意はなかった。
アライトのほうも、アレは伴侶を求めているというより気に入ったおもちゃを持ち帰りたいという態度だった。
――誰か、あの竜の巣を知っている人間はいるだろうか。いるとしたら……そこまで考えて、ようやく「にいちゃん」と声を掛けられていたことに気づいた。
「なあ、大丈夫か?」
目を向けると、ついさっきカップを渡した子供だった。
ぐるぐると考えながら立ち尽くしたままの僕を伺っていたらしい。よくよく見れば、広場のそこかしこで僕を伺う者は多かった。
「いや……君、あの竜がどこから来るか知ってるのか?」
「うん。町の外の、少し南に行ったとこにある岩がごつごつしてる海岸だって聞いたことがあるよ。あの辺に竜の巣があるんだってさ」
「――結構有名なんだ?」
「あいつ、魚人とか豚鼻とかが来ると退治してくれる、人助けのいい竜なんだ。町を壊したり人を襲ったりもしないんだよ。
でも、たまにああいういたずらするのが困りものなんだって」
「いたずらって……」
亜人退治や人助けはともかく、人をさらうのがいたずらで済むことなのか。
そもそも、なんで善竜のはずの青銅竜が人さらいなんてするのか。
顔を顰める僕を、子供が「安心しろよ、兄ちゃん」とぽんぽん叩く。
「さっきの姉ちゃんみたいに連れてかれる女の人がたまにいるんだけど、家族が迎えに行くとちゃんと返してくれるんだ。だからあの姉ちゃんだって、兄ちゃんが迎えに行けばすぐに返してくれるよ」
「僕が? わざわざ?」
「だって、あの姉ちゃん、兄ちゃんのいい人なんだろ?」
僕はさらに顔を顰めた。
いい人だって? 何を見て、この子供はそう思った?
子供は、僕が当然迎えに行くものだと考えているようだ。けれど、別に迎えになんて行かなくても……そこまで考えて、小さく溜息を吐いた。
「わかったよ。ありがとう」
「ああ!」
子供に別れを告げて、僕はさらに“竜の巣”の場所を聞き歩いた。
飛び去るアライトの姿は結構な人に目撃されていたようで、町の者たちは「またか」という顔で彼の巣の場所を教えてくれた。
僕が前回この町に立ち寄ったのは、二年ほど前だ。その頃、アライトの噂なんて聞いたことがなかった。アライトが現れるようになったのは一年ほど前だと言うから、当然だ。
もう少し新しい噂を集めておくべきだったか。
アライトの身体の大きさから推測するに、彼はまだ若い竜なんだろう。
あの鱗の色合いなら、きっと卵から孵って百年かそこらだろうか。僕の知る竜は結構な老齢だったから比べるべくもないけれど、あれくらいの、成竜になったばかりの竜というのは己の全能感に自信過剰になりがちなのだと聞いている。
あのアライトも、おそらくはその類いだ。
魚人やクラーケンを蹂躙し町の人間に感謝され……この地域では自分こそが最強なのだと信じて疑わず、それゆえに驕っているのだろう。
「竜一頭にできることなどたかが知れている」
そう語っていた、あの偉大な竜とは大違いだ。
宿に戻った僕は、大急ぎで荷物をまとめた。
昨夜から並べたままだったエルヴィラの鎧を無限袋に放り込みながら、アライトは本当にすぐエルヴィラを返してくれるだろうかと考える。
エルヴィラのことだ。考え無しに余計なことを言ってアライトを煽っていることくらい容易に想像できる。普段呆れるほど言葉が出てこないくせに、どうして戦いに関わるとなると雄弁になるのか。
どう考えたって、少ない脳味噌の使いどころを間違えているだろう。
アライトを、どう言いくるめたらいいだろうか。
町では「迎えに行けば返してくれる」と皆が口を揃えて言うけれど、今回のアライトのようすを思い返すとどうにも楽観視できない。
最悪のパターン……つまり、エルヴィラを取り返すために一戦交えなきゃならないことも考えておくべきじゃないか。
青銅竜は公正さや正義感の強いことで知られているし、竜というのは大抵の場合は名誉や誇りを重視する生き物だ。
とはいえ、青銅竜は人間に混じって人間のフリをして傭兵や冒険者をしてたりすることもあるほど、好奇心旺盛で好戦的でもある。
エルヴィラの罵倒と挑発に乗って戦いになっていても不思議じゃない。“水辺の魔女”の時の煽りっぷりを思えば、現時点でさほどの心配はいらないと言われたところで、安心なんてできるわけがないのだ。
僕自身に竜と一対一で戦えるほどの技量なんてないし、せいぜいが、スキを見て逃げるので精一杯か。エルヴィラが万全の状態で戦えたとしても、司祭や魔術師もいないのではただじゃ済まない。
「――やっぱり、“古の約定”かな」
アライトのプライドを擽って約定にのっとった決闘なら、千にひとつ……いや、万にひとつのチャンスくらいあるかもしれない。
アライトが、僕やエルヴィラをたかが人間だと侮っていてくれれば、勝てる可能性はさらに増す。
「武器と戦場を選んで、三度地に伏すか負けを認めるか、か」
元は、竜の間の決闘で用いられた決まり事で、今じゃ竜以外にこれを知る者は少ないと言われている、“古の約定”のことを聞いといてよかった。
詰め終わった荷物を担いで、僕はもう一度溜息を吐く。
「だいたい、クラーケンと一騎打ちなんかするから目を付けられたんじゃないか。自業自得なんだよ」
魚人の襲撃の後、エルヴィラが言ってたじゃないか。「竜に褒められた」と。竜なんかに張り合って無茶するから、こんなことになるんだ。
やっぱり馬鹿だ。
脳味噌まで筋肉が詰まった馬鹿だから、こんなことになるんだ。





