変態が、あらわれた!
エルヴィラ言うところの“いちゃいちゃ”は夜中までどころではなかった。
眠ったのは結局朝方で――薬も神術も、呆れるほどの体力馬鹿に効くようなものは何も無いのだろう。
普通の女ならここまでの体力はない。
さすが、腐っても騎士として鍛えているだけある。
眠くて眠くて身繕いもおざなりに眠り込む僕の横で、エルヴィラはまだごそごそ動いていた。以前、一昼夜活動を続けるくらい軽いと豪語していたが、僕を付き合わせるのはやめてほしいと夢うつつに考える。
次に目が覚めたのは、太陽がずいぶん昇ってからだった。
昼まではまだ少し時間がある。眠い。
「ミケ! ミケ!」
僕を起こしたのは、もちろんエルヴィラだ。
やかましく僕を呼びながらしがみついて、ぐいぐいと締め上げる。
まだ眠いのに、勘弁してほしい。
「……何慌ててるの。落ち着きなよ」
身体の向きを変えて、よしよしと背を叩いて宥めつつ抱き込むと、エルヴィラは瞬く間に静かになった。
子守歌でも歌えば、すぐに寝てくれるだろうか。
「じゃなくて、ミケ! 変態だぞ! 変態がいた!」
「んん……?」
変態? と思うがどうにも眠気には勝てない。
抱き込んだエルヴィラが動かないよう、しっかりと押さえる。
「もうちょっと寝させてよ。体力お化けの君と違うんだからさ」
「だから、変態が迫ってきたんだ、ミケ」
「君に何かして生きていられる変態なんかいるわけないだろ?」
「ただの変態じゃなくて、できる変態だったんだ!」
「うん……わかった」
エルヴィラの慌てぶりも言葉もいまいち頭に染みこまない。
どうにも眠くて、今は無理だ。
「とりあえず、もう一度寝ようか」
もうこれ以上騒ぐなという意味を込めて、エルヴィラの口をキスで塞ぐ。
今度こそおとなしくなったのを確認して、僕はまた眠りに落ちていった。
「で、変態ってなんのことだよ」
ふああと大きく伸びをしながら僕は窓を見た。太陽はすっかり昇り切って、空の真ん中でこれ以上なく輝いている。
「私に向かって、ミケから自分に乗り換えろって言うんだ!」
へえ、と僕の眉が上がる。
この脳筋娘がいいなんて、変わった相手のようだ。
「金髪で翠の目の戦士風の男だった。私が鳩尾を剣の柄で殴って膝と肘を入れたのに、片膝をついただけだったんだ!」
「え?」
「あれはできる変態だ、まずいぞ」
エルヴィラの拳の威力を思い出して、僕は思わず自分の鳩尾をさする。あれを喰らったうえに膝と肘まで受けておいてそれだけで済んだ?
人間か?
「できる変態ってなんだよ……そいつ、ほんとうにまだ生きてるの? 君の馬鹿力でそれだけやって昏倒しないって、どういうこと」
エルヴィラのことだ、反射的に全力でたたき込んだんだろう。実はその後死んでいたと言われたっておかしくない。
「できる変態はできる変態だ。奴は腕が立つ。間違いない」
「さっぱりわからないな」
繰り返すエルヴィラに、僕は小さく溜息を吐く。
まったく要領を得ない。
「で、君はどうするの。乗り換える?」
「馬鹿を言うな! 私がほいほいそんなことをするように見えるのか!」
「――はいはい」
憤慨するエルヴィラを宥めるようにぽんぽんと頭を叩いた。
答えはわかっていたけれど、やっぱりか。
別に乗り換えてくれたって構わないんだけど。
「そいつが何者かはわかってるの?」
「私とクラーケンとの一騎打ちを見てたらしい。アライトと名乗ったぞ」
「クラーケンか、じゃあ、昨日最前線まで出てた冒険者なのかな? それにしても、“アライト”ねえ……」
冒険者のひとりがたまたまエルヴィラに目を付けたというのは、別におかしくはない。けれど、前線はクラーケンや魚人を相手の乱戦で、エルヴィラを見ている暇があるほどゆるい戦いではなかったはずだ。
それに、名乗りも気になる。
“アライト”は古い言葉で“戦い”を意味するはずで、古語を知ってる戦士なんて怪しいも同然じゃないか。
「誰だか知らないけど、そいつが君みたいな単なる脳筋かは微妙だね」
「私は脳筋じゃないぞ! でも、たしかに気になるな」
「心配なら、しばらく引きこもるか早めにこの町を出るかするかい?」
「――なんとなく、しつこそうだと思ったんだ。あれは徹底的に叩かないといつまでもまとわり付きそうだって」
「君みたいに?」
自分を棚上げしての言葉につい笑ってしまうと、エルヴィラは心外だとでも言うのか、眉をぎゅっと寄せた。
自覚はないらしい。
「ひとりの時に絡まれるのが嫌なら、しばらく僕にひっついて歩けば?」
「――そうする!」
合法的に僕に付いて歩く理由ができたとでも思ってか、エルヴィラはたちまち機嫌よくにひゃりと締まりのない顔で笑った。
「じゃ、決まったところで昼でも食べに出ようか」
「ああ!」
昨日の夜……いや、夕刻から何も食べていない。いい加減腹も減った。それはエルヴィラも同じだったようで、ぐぅ、と小さく腹が鳴る音が聞こえた。
朝は食べてないのかと訊くと、エルヴィラはちょっと顔を赤らめて頷いた。
「だって変態がいたんだぞ。悠長に朝飯なんか食べてられるか」
「その割に、二度寝してたみたいだけど」
「それはミケのせいだ」
ふん、と鼻を鳴らして断言する。人のせいにしないでほしい。
「まあいいよ。とにかく準備して」
「ああ!」
勢いよく寝台を降りて服を漁り出すエルヴィラに、僕も身支度を整え始める。
「なあ、なあ、ミケ! 昼は何を食べるんだ?」
「せっかく海の町にいるんだ。魚にしようか」
「魚か!」
町の中心にある大きな市場広場ではなく、もう少し小さな広場を目指す。
うきうきと弾むような足取りのエルヴィラが、いったいどこへ連れて行かれるのかと、あたりを見回しながら期待に満ちた声で尋ねた。
この“水路の町”には港があるし、近隣には漁村も多い。海はもちろん、河口でしか漁れない魚もたくさんいる。ゆえに、肉はもちろん、魚だって下手な港町よりずっとおいしいものが手軽に食べられるのだ。
「ほら、アレだ」
「酢漬けの魚?」
広場の片隅にある小さな屋台を示すと、エルヴィラが不思議そうに首を傾げた。魚の酢漬けなんて珍しくもなんともないと言いたげだ。
たしかに、酢漬けの魚なんて“都”でも普通に食べられているものだ。
「白身の魚を自家製の酢漬けにしてるんだ。新鮮な魚を軽く漬けてるやつだから、都なんかの酢漬けとは全然違う」
「へえ?」
説明しながら、屋台のおやじに大きなサンドイッチをひとつ注文する。それから、包み焼きもひとつ。
サンドイッチには酢漬けにした白身魚の大きな半身に、この辺りで採れるたっぷりの葉野菜と果物が挟んである。うまく持っていても落としてしまいそうなほど、たっぷりと。
包み焼きは、魚介とチーズを小麦粉を練った皮に包んで焼いたもので、これもうまく囓らないと魚介もチーズもたちまちこぼれ落ちてしまいそうである。
どちらもひとりで食べるには十分以上の大きさだ。
目を丸くするエルヴィラに、僕は先に受け取ったサンドイッチを渡しながら言った。
「半分食べたら交換だから」
「あ、ああ!」
こうして、食べたいものの片方を諦めなくていいのは、エルヴィラが同行する数少ない利点だ。驚きつつもさっそくかぶりついたエルヴィラが「すごい!」とひと言だけ呟いて、猛然と食べ始めた。
「いつもすごいすごいばっかりだけど、もう少し言い方とか覚えなよ」
「だってすごいんだ! “都”の酢漬けは魚臭くて酸っぱいだけなのに、これは臭くないしなんかふわふわだし、ちょっと甘いような気もするし、私の知ってる酢漬けと全然違うんだ! すごいんだ! 野菜も果物も一緒に食べると、もっとすごくなるんだぞ! この酢漬けを作った料理人は天才なんだ!」
手放しに褒め称えるエルヴィラに、屋台のおやじも驚いたようで、「ありがたいことで」と少々照れくさそうに笑っていた。
僕は、すごいしか言わなくなったエルヴィラに遅れて、包み焼きのほうにかぶり付く。
熱々の溶けたチーズの塩加減と魚介のうまみが混じり合って、やっぱりこれも美味い。
「エルヴィラ、こっちも食べてみな。熱いから気をつけて」
夢中でサンドイッチを囓っていたエルヴィラは、慌てて口の中のものを飲み込んで包み焼きを囓った。思ったよりも熱かったのか、少し行儀悪くはふはふと口を開けて冷ましながら、それでも大きく目を瞠る。
「ぷ、ぷりぷりでとろとろだぞ! ミケ! ぷりぷりでとろとろなんだ!」
「うん、わかったから」
「すごいぞ! これもうまい! ぷりぷりでとろとろがこんなにうまいなんて、知らなかった! チーズを包み焼きに入れるなんて知らなかった!」
うまいうまいと笑いながら心底おいしそうに食べるエルヴィラには、僕もついつられて笑ってしまう。
おいしいモノをおいしそうに食べるというのも一種の才能なのかもしれない。
「ちょっとそこで飲み物を買ってくるよ。これ持ってて」
「ああ」
少し離れたところに林檎の果汁売りがいた。広場中にほのかに漂っていた甘い香りは、林檎だったのか。
僕はサンドイッチをエルヴィラに渡すとそこへ向かう。
果汁を満たした木のカップを受け取って戻ると、エルヴィラがきっかり半分だけ食べたサンドイッチと包み焼きを手にして待っていた。
食べてひと心地ついたところで、飲み終わったカップを銅貨目当ての子供に渡した。子供はにこっと笑って受け取ると、さっそくカップと銅貨を交換しようと走り出す。
昨日の襲撃はなんだったのかと思うくらいの長閑さだが、この町はそれだけ魚人に慣れているということなんだろう。
「ミケ、ミケ」
「ん?」
食べ終わった手を噴水の水でちょっと流していると、エルヴィラが僕の上着をくいくいと引いた。
「変態が現れた」
「君の言う変態って――あの彼?」
エルヴィラが示すほうを見れば、ひらひらと手を振りながら、長身の男が歩いてくるところだった。
 





