猪突猛進とはこういうことか
魚人は、魚に手足を生やして二足歩行させたような亜人だ。
深海と恐怖の神を信仰し、地上の栄華は本来深海に棲まう彼らのものだと考える、嫉妬深い種族だという。
だから、こうして大潮に乗じて略奪をもくろむことも多い。
陸上なら、人間のほうに分があるだろう。
けれど、戦いは海上に移っている。
海は魚人たちの世界で、人間にはとても不利だ。人間は海に沈められればたやすく死んでしまうのに、魚人は陸に上がるれるのだから。
河口から海にかけて、魚人に転覆させられた船や溺れた人間がたくさん浮かんでいた。もちろん、魔術や神術の援護を受けて戦っている衛兵や冒険者たちもいるが、魚人の数はそれよりずっと多いのだ。
「ずいぶん多いな。それに、様子もおかしい」
「何がおかしいんだ?」
三叉槍を手に船に取り付く魚人が見える。
乗員が果敢に応戦しているが、魚人はその乗員たちを海に落とそうと、次々と船体をよじ登っていく。
「この町は人魚たちと協定を結んでいるはずなのに、人魚がいない」
そう、この町は、過去何度も魚人の襲撃に遭っている。
だから、近隣に住む人魚の氏族と交渉を持ち、魚人の襲撃に際しては共闘するという盟約を結んでいるはずだ。
なのに、海に人魚の姿がひとつも見えない。
「たしかに、全然いないぞ」
きょろきょろと周囲を見回したエルヴィラも、不思議そうに首を傾げる。
人魚は信用できる種族で、約束を違えることなんてよほどの事情がない限りありえない。なら、よほどの事情が起こったのだろう。
「嫌な感じだな」
僕は一番近い船を見る。
勢いに乗った魚人に押されて、乗員は劣勢だ。
少し離れた場所では、また一艘、漁船が沈んだ。
く、と唇を噛んで、エルヴィラは「とにかく助太刀してくる!」と文字通り飛んでいった。
「ミケは人魚が来ない原因とか親玉とかがわかったら教えてくれ!」
「おい! わかったらどうするんだよ!」
「そんなの、その時考える!」
エルヴィラは、いつもの高笑いとともに戦場へと突っ込んでいった。
猪突猛進というのは、ああいうことをいうのだろう
僕は小さく溜息を吐いて、指先で軽くリュートの弦を弾く。
「考えてることは想像がつくけど、そこまでする義理はあるのかな」
エルヴィラのことだ、義理だのなんだのまで考えず、ただ目の前で起こった戦いを放っておけないだけなんだろう。
自ら厄介ごとに首を突っ込まずにいられないのが、エルヴィラという騎士の性分なのだ。
僕は空中に留まったまま、大きく息を吸い込んだ。爪弾いたリュートの音に乗せて、朗々と声を響かせる。
「“これなるは深淵なる海の底より浮かび上がりし魔のものを退じた、かの英雄パシアスの勲なり”」
かつて、贄として捧げられようとしていた姫を助けるべく、深海の神の眷属と言われた海魔と戦い討ち取った英雄の物語を脳裏に浮かべる。
英雄を讃える詩人の歌には、詩人の魔法が込められる。その歌を、さらに詩人の魔法で遠くまで響かせる。
歌に勇気付けられ、戦うものたちの腕の力が増すのを認めて、僕は会心の笑みを浮かべた。
詩人の魔法……つまり歌は、それを聞く人々の力を底上げするのだ。
腕のいい詩人ほど多くの人々に力を与えるし、ささやかなはずの力で大きな効果を挙げられる。
僕の祖である歌姫も、伝説では押し寄せる亜人と赤竜の軍勢を前に、町を守る人々すべてを鼓舞し、勝利へと導いたとされるほどの偉大な詩人だったと伝わっている。
ただ、いかに詩人でも、何も持たない者の背を押すことはできない。
力を尽くそうと望む者が多いからこそ、大きな力を発揮できるのだ。
僕は大きくぐるりと海上を見渡した。
人魚が現れないことには必ず理由がある。
それに、この数の魚人がそこそこ統率の取れた行動をしているのだ、どこかに、魚人の指揮を取る何かがいることは間違いない。
――ふと、さらに遠方に目が行った。
海に浮かぶ奇妙な船か筏か。すでに幾人かの冒険者と思しき者たちがそれへと向かってはいるけれど。
僕は、リュートを爪弾く手はそのままに、猛然と戦うエルヴィラのそばへふわりと降りた。
エルヴィラは大剣を思い切り振り切って魚人を斬り飛ばすと、僕を振り向いた。
「ミケ、危ないぞ!」
「エルヴィラ、沖だ。沖に何かあった。たぶん、魚人の司令塔だよ」
「何?」
「誰かか向かってるけど、旗色は悪そうだ」
「なんだと!」
また向かいくる魚人を斬り捨てて、エルヴィラはふわりと宙に浮き上がった。
「よし、なら、私が加勢してくる!」
「エルヴィラ、ちょっと」
「このエルヴィラ・カーリスが魚どもの頭など一撃で叩き潰してくれる。
魚は魚らしく猛きものの御名と威光に恐れをなし、日の差さぬ深海で震えて暮らしていればよかったのだ! 私の尊い暇つぶしを邪魔した報いを受けるがいい!」
「……ああもう」
それ以上何か言葉を掛ける間もなく、エルヴィラは矢のように飛び去ってしまった。絶好調はまだ続いているらしい。
しかたないと僕はまた小さく息を吐いて、エルヴィラの後を追った。
あの筏を前に、騎士らしくいつものように名乗りを上げているのだろう。
僕が向かう先で、空中に留まったエルヴィラが筏上の魚人に大剣の鋒を向けて、何やら怒鳴りつけている。
まったく、あんな隙だらけの名乗りなんてやめて、さっさと斬り掛かってしまえばいいのに……と呆れる僕の目の前で、いきなりエルヴィラが海へと叩き落とされた。
文字通り、海中からいきなり伸びた触手が、エルヴィラを力任せに海へと叩き落としたのだ。
「――まさか、クラーケンか」
一瞬呆然として、それからすぐに僕は飛行速度を上げる。
いかにエルヴィラでも、海魔とも呼び称されるクラーケンを相手に海中で戦おうなんて、無茶が過ぎる。
慌てる僕の目の前で、エルヴィラはすぐにまた海中から空に上がった。
あの触手に絡め取られず、よかったと僕は安堵する。触手に絡められたまま深海の底に引きずり込まれたら、なんて考えるとぞっとしない。
――だが。
「エルヴィラ?」
ほっとする間もなくエルヴィラは大剣を振りかざし、海中へ――おそらくは触手の主の本体へと突撃してしまった。
「何してるんだよ……!」
またもや呆然として、それからハッと我に返る。筏の魚人が、僕に気づいて騒ぎ始めていた。
「深海と恐怖の神の司祭、か」
筏の一段高い場所に立つ魚人が他の魚人たちに指示を飛ばした。さらに、魚の骨や鱗を組み合わせて飾り立てた奇妙な杖を構えて精神集中を始める。
「まずい」
僕はすぐにリュートを構えた。魔法を乗せた不協和音を掻き鳴らし、魚人の司祭の集中を乱して神術を妨げるのだ。
何をしようとしたかはわからないが、どうせろくなものじゃない。
魚人司祭と対峙して、僕の手は完全に塞がってしまった。
エルヴィラは突撃したきり上がってこない。海中でやられてしまったのでなければいいけれど、それを確認することすらできない。
魚人司祭がまた、神術の詠唱を始めた。
僕はすかさず不協和音を鳴らしてその邪魔をする。
さっきから何度も繰り返しつつ、僕は周囲の様子を伺った。エルヴィラがアテにできないなら、他の誰でもいい。ひとりくらい、こちらに来てくれたっていいのではないか。
魚人が飛び道具を持っていなかったのは幸運だった。上空に位置取ってさえいれば、魚人は僕に対して打つべき手を持たない。
とはいえ、僕の飲んだ“飛空”の魔法薬が切れればおしまいなのだが。
よくよく周りを観察すれば、クラーケンは一体だけではなかった。
他の冒険者たちの相手にしているのも含めれば、三、四体はいるだろう。
クラーケンがそれだけいるということは、魚人を従えているのではなく、この魚人司祭がクラーケンと魚人たちを従えているということか。
なら、こいつをどうにかしない限り、魚人は止まらない。
もう誰でもいい。
早くクラーケンにとどめを刺して、これをなんとかしてくれ。
じりじりと焦燥感が募る。それでも僕は司祭の神術を止め続けた。
いっそ、こんな奴放って陸へ逃げてしまってもいいんじゃないか。
そんなことも考えたけれど、さすがにエルヴィラを置いて逃げるのは憚られたし、万一そのことがバレれば、またなんだかんだとうるさく騒がれてしまう。
「――早く戻れよ。威勢の良い前口上ばっか得意げに言っといて、いつまで掛かってるんだ」
つい独りごちるのを狙ったように、ざばんと音を立ててエルヴィラが海中から飛び出てきた。
「少々手間取ったぞ、待たせたな!」
「遅いよ。あっちが本命なのに、何してるんだよ」
「じゃあ、次はあれをやればいいのか」
「たぶんだけどね」
照れ隠しのような笑いを浮かべるエルヴィラに、僕は顎で魚人司祭を示した。
他の魚人たちも、新たに現れたエルヴィラに罵声らしき騒ぎ声を上げている。
「よし!」
気をつけろとか何とか、声を掛ける間もなくまたもやエルヴィラは突進してしまう。もう少し、自重とか覚えたらどうなんだ。
どれほど偉大な英雄だって、一対多で囲まれてしまえばどうなるのかわからないのが戦いなのに――それでもなんとか押し負けていないことは、賞賛に値するけれど。
「くはははは! クラーケンを倒したこのエルヴィラ・カーリスに、貴様ら魚人ごときが敵うとでも思っているのか! 身の程を知れ! 猛きものの輝ける剣にかけて、貴様らなど一瞬で根絶やしにしてくれる!」
まだまだ絶好調は続いているようだ。
僕は今日一番の大きな溜息を吐いて、エルヴィラの横へと降り立った。





